昨夜 もう 寝ようと、2階から階段を降りながら 階段途中の窓をフト見ると、ガラスの外側に「ヤモリ」が へばり付いていた。
こちらに腹を見せているので、その腹をガラス越しにだがコチョ コチョとチョッカイを出すと、「ヤモリ」はチョロ チョロと 少しだけ動くが、逃げようとはしない。
「ヤモリ」は「家守」とも書くように、家を守ってくれると云われている。
家を 家族を、守って!!!
昔 遊んだ仲間たちが 逢いに来てくれる・・
遠い昔の20歳の頃に「運転免許証」を取得してから60年。
今度の誕生日が来ると80歳になる六兵衛の、何回目かの更新日が近づいている。
75歳以上の運転免許の更新は「後期高齢者」扱いとなり、六兵衛は2度目の後期高齢者としての運転免許更新になる。

後期高齢者は、免許の更新をする前に「認知機能検査」を受けなければならない。
高齢者は目や耳が衰え、反応が鈍くなり動きが遅くなって、記憶力も覚束なくなる・・。
特に75歳を過ぎた後期の高齢者は、「認知機能検査」を受けないと免許の更新は出来なくなっている。
「認知機能検査」とは、今日は何年、何月、何日、何曜日で、その時の時間を書く「時間の見当識」の問題とか、4パターンの内の一つ、16のイラストを覚えておいて、後で その16のイラストが何だったかを答える「手がかり再生」という、記憶力のテストも受けねばならない。

その「認知機能検査」を、昨日 わが町の自動車教習所まで行って受けてきた。
その自動車教習所には駐車場がないため自分の車では行けず、南草津に暮らす長女に頼んで、車で送り迎えをしてもらい、手間を掛けた。
検査終了後、「認定認知機能検査結果通知書」と「運転免許取得者等教育(高齢者講習同等)終了証明書」との堅苦しそうな書付を頂いたので、これで六兵衛は免許の更新が出来ると認めてもらえた事になる。
まぁ今回、10人ほどの後期高齢者の老人が、六兵衛と一緒に検査を受けたのだが、全員が その書付を頂戴しているのである・・が。
表の庭の、メダカを見守るが如くに その水槽のそばに たたずむグミの木に、今年も淡い黄色の花が 鈴なりに咲いた。

庭に このグミの木を植えて20数年が経つ。
なのに 今まで一度も、このグミの木の赤く熟れた「実」を食べた事がない。
いつも 今年のように花は咲き、花の根本に小さな「実」は生るのだが、その「実」は いつの間にか、小さいまま落ちてしまう・・。
3年ほど前に一度、1個だけだったが、小さな「実」が大きくなり、赤く熟れてきて、あと2~3日で食べ頃になるだろうという頃に、無常にも落ちてしまった事があった・・。
2023年5月18日の六兵衛ブログ
ぐみの実 
・・・今年もグミの花が、いっぱい咲いたけれど・・やっぱり やっぱり、期待は しない六兵衛なのである。
六兵衛の ここ数年の読書は、辻堂魁さんや長谷川卓さんの何度目かの再読を含め、時代小説ばかりを読んでいる。
先日、中古本販売の「 VALUE BOOK( バリューブックス )」で、何冊かの中古の文庫本を購入したが、その中に 辻堂魁さんの単行本『雇足軽八州御用』も購入した。
六兵衛が本を購入する場合、基本 中古の文庫本と決めている。
単行本が文庫本として出版される場合は、単行本としての売れ方が 鈍りだした頃(単行本の出版から2年か3年が過ぎた頃・・)に、改めて文庫本として出版される事が多いらしい。
この『雇足軽八州御用』は、単行本として2023年9月に祥伝社から定価:1,925円(税込み)で出版されたが、現在 Amazonで1,242円で売っている。
出版から2年以上が過ぎたので、そろそろ文庫化されても良い頃だと思いながらも、もうそれを待てなくなったので、単行本だったが 購入する事にした(中古本としての値段は232円 税込み・・中古本の場合、単行本の方が 文庫本より安くなる傾向にあるらしいのだが、ただ単行本は、硬くて大きくて読みづらい・・のだ)。
まず、有ると読みづらいので いつものように読む前に、「カバー表紙」を取り外したら、その「カバー表紙」の裏に、何かの数字が書いてあった。
「2023.11.21」と書いている。
中古本を購入すると、たまに 何かの「書き込み」や、レシートなどの「挟み込み」があったりして、自分より前にこの本を読んだ人の、ちょっとした気配みたいなものを感じたりすることがある。
この書き込まれた数字に、どんな意味があるのだろう・・。
この単行本が出版されたのが 2023年9月らしいから、この数字が日付を表しているとすれば、出版から2ヶ月後の数字になる。
祥伝社から最初に出版された時点では、このような鉛筆書きの年数など書かれているはずがないし、この書き慣れたっぽい数字の書き方は、中古本屋さんが 中古本として客から買い取った日付をメモしたものか・・と想像をすることで、とりあえず終わりにする・・。
現在、我が家の主パソコンとして頼りにしている「 MacBook Air・121GB (13-inch, Mid 2019) 」が7年目に入っていて、バッテリーの劣化や、それぞれの動きに やや鈍さを感じ始めている・・などと、1月14日の我がブログ日記に愚痴っていた頃、「MacBook Air」の廉価版が発売されるとの情報を知った。
2026年1月14日の当ブログ日記 どちらが先に・・
そして つい先日のこと、「MacBook Neo」という名前の廉価版が、3月11日に99,800円という値段で発売の予定だそうで、その予約の注文を受け付けている・・とあった。
廉価版ということは、本来の「 MacBook Air」の機能や付属品の一部を簡略化または削減をしている事も考えられるので、性能は やはり少しは落ちるのだろう・・。
99,800円かぁ~・・廉価版とはいえ、六兵衛 如きが使うには・・それでも やっぱ高価やなぁ~・・。
その辺りの兼ね合いなのだが・・。
そして、Appleの「認定整備品」に至っては、品物が思うように揃っていないし、Amazonなどで「整備品」として売り出している「 MacBook Air」は、それなりに品数も有るし、値段もピンからキリまで有るのだが、その「整備」を まるまる信用して良いものかどうか・・とも考えてしまい、なかなかコレ!と決められず迷っている六兵衛なのであった・・。
そして、廉価版の「 MacBook Air」の発売と同時に、「M5の驚異的なパワーを内蔵」との うたい文句で、新しく「MacBook Air」も発売されるらしい。
値段は消費税を含めて184、800円だという。
たかぁ〜・・。
・・・が、そんなこんなで 迷っている六兵衛の様子を見ていた つれあいが、一言 『新しいエエやつ買ったほうが エエよ!』。
184、800円 ‼️ ・・❗️
昭和44年(1964年)の1月、国鉄 京浜東北線の赤羽駅や東十条駅から少し離れてはいたが、北区神谷町の四畳半一間の小さな部屋のアパート(大榮荘)で、つれあいとの二人暮らしが始まった。
つれあいは・・というと、六兵衛が田舎の高校を卒業して、初めて就職をした会社(六兵衛は その会社を数カ月で辞めたのだが・・)の同期入社で、新入社員の研修で つれあいの存在を知った。
彼女は、いつも友達などと楽しそうに笑い合っている印象で、明るく魅力的で 可愛いなぁと思うものの、それまで異性に縁の無かった六兵衛などには、そんな彼女を遠くから眺めているだけで、声など なかなか掛けられなかった。
それでも 休日に、初めて二人で喫茶店で会ったときなど、何を喋って良いのか分からず、緊張 しっぱなしの六兵衛だった・・。
それから4年後には、東京の片隅の町で、二人で一緒に暮らし始めるなどとは、その頃には 想像もしていなかったのだが・・。
二人が住み始めた そのアパート(大榮荘)を、10年ほど前だったか「Googleマップ」の画面で見ることが出来た。

しかし残念ながら現在 そのアパート(大榮荘)の在った場所は、新しい建物に変わっていて、以前のアパートは もうない。
その当時でも、さほど新しいとは思えなかったアパートだったが、それでも2010年頃までは残っていたから「Googleマップ」に映っていたわけで、何ともいささか驚きでもある。
アパート近くの大きな通りに出た角に、「藤の湯」という銭湯があった。
いつもその銭湯に二人で通ったものだ。
大分 後になって、あの頃は「かぐや姫」が歌う『神田川』の世界やったなぁ・・などと思ったりしたものだったが、実際の「かぐや姫」が歌う『神田川』が発表されたのは、昭和48年(1973年)のことらしく、六兵衛たちが二人で銭湯に行っていた頃から3年も後に発表されていた歌だった事を今回 初めて知り、オレもいい加減やなぁ〜と自分ながら 思うのである・・。
「神田川」南こうせつとかぐや姫
この動画は「Nori Chan」さんのYouTubeから 無断で お借り致しました。
昭和42年(1967年)9月、電子専門学校を卒業した。
その学校での同級生の友人が、就職先の都合で それまで住んでいたアパートを引っ越すというので、六兵衛が引き続き そのアパートを借りて住むことになった。
国鉄 飯田橋駅(当時)の西口を出て、神楽坂(早稲田通り)を 1kmほど上り、新宿区横寺町の朝日坂の途中を右に折れて、細い路地に入ると、そのアパートはあった。
2階の3畳ひと間、小さな台所が 入口ドアを入ったすぐ横にある、それだけの部屋だった。
アパート2階の住人が共同で使うトイレが、六兵衛の部屋の押入れ部分に食い込んでいて、ますます部屋を狭くしていた。
当時(昭和40年頃)の新宿区横寺町のアパートあたりの写真が ないものかとネットで調べてみたら、1枚だけ 場所は分からないが、横寺町の写真が見つかった。.jpg)
この写真の場所が何処なのか、ネットで調べてみた・・。
話は少々 横道にそれてしまうが、まず この写真の画面中央の やや 右寄りに、時代がかった立て札があるが、書かれている文字は消えいて、残念ながら何が書かれていたのか解らない。
画面の右隅の建物の2階の壁には、小振りな垂れ幕(A)が ぶら下がっている。
その下には、映画館のポスターを張った掲示板(B)が見える。
それぞれを 拡大してみた。
垂れ幕(A)は、「パーマ ミハル美容室」とある。
その「ミハル美容室」をネットで探してみると、横寺町の朝日坂を、奥へ もう数百メートルほど進んだ辺りの、新宿区矢来町という町に、同じ名前の美容室があるようだ・・。
とはいえ この古い写真に写っている垂れ幕に書かれた「ミハル美容室」は、60年ほど前の営業なのである。
現在の矢来町にある「ミハル美容室」を「Apple マップ」の航空写真で見てみたが、六兵衛が60年前に住んでいた横寺町も大きく様変わりしているように、「ミハル美容室」が、仮に今の矢来町の「ミハル美容室」だったとしても、あまりにも家並みの雰囲気が変わりすぎているので、結局 この古い写真の場所が何処なのかは、正確には解らないままである。
もうひとつ、映画館の掲示板(B)に貼っているポスターの内容を拡大して調べてみたら、タイトルが『鼠小僧次郎吉』と読める。
ネットで この映画のことを調べてみた。
昭和40年(1965年)に大映が制作した『鼠小僧次郎吉』という時代物の映画のようである。
(主演:林与一、監督:三隅研次、原作:大佛次郎)
昭和40年頃の、この付近で この映画を上映している映画館を調べてみた。
新宿区二十騎町という名の町にあった「牛込大映」と、神楽坂の「神楽坂銀鈴座」の2軒が見つかったが、果たして どちらの映画館で上映されていたのかは 定かではないのだが、大映の映画だから「牛込大映」で上映されたと考える方が確率は高いかもしれない。
そして 最後に、(C)の この写真自体を、何かの媒体に掲載したと思われる企業の名前が、多分 右下に黒文字で書かれていたのではないか・・。
微かに読める文字もあるが・・始めの文字は見づらいが、◯ ◯ 飯田橋( )◯ ◯ 新聞社・・と読めそうである。
読めそうな文字を緑色の文字で改めて書いてみた・・。
「◯◯ 飯田橋( )◯ 田新聞社」・・と読めたのだが・・。
そこで またまたネットを利用して、飯田橋界隈に新聞社があったかどうかを調べてみた。
昭和40年(1965年)前後の飯田橋の近隣には、飯田町貨物駅があったらしく、新聞用紙を運ぶ拠点として、新聞社の印刷・出版関連会社が多くあったらしい。
そう云えば六兵衛も 専門学校へ通っている頃、小さな製本屋さんで アルバイトをしたことがあった事を思い出した・・。
ネットの情報によると、飯田橋の近辺にあったのは、東京新聞社、毎日新聞社(印刷所)、日本経済新聞社 等々の名前が出てきた。
それを知って、改めて読みづらい文字を読んでみた。
「◯◯ 飯田橋( )毎日新聞社」とも読めなくもない。
そんなこんなで、結局 六兵衛が暮らしていた頃の昭和40年ころの横寺町の写真は、あやふやなまま 終る事になってしまった。
しかし 昨秋の9月、孫次男が東京へ行く予定があるというので、ならば ついでに 神楽坂を上って横寺町のアパートのあった辺りの写真やビデオを写して来てくれるように頼んだ。
孫次男が東京の友人と二人で写してきてくれた写真や動画には、当然ながら 昔の面影は ほとんど 無いが(但し、ブロック壁は 当時のままのような気がするのだが・・。)60年後に孫次男が神楽坂を上り、横寺町の辺りを歩いてくれた。
今の孫次男と同じ年頃だった60年前の六兵衛が、短い間だったけれど この町を歩いていたのだ・・と、まぁ そんな時の流れを感じてくれたらと・・年寄の甘えだろうが。
ついでに記しておくと、専門学校を卒業して勤め始めたのは、品川区五反田にあったストロボ会社(今は もうない・・)で、先輩について写真スタジオなどへ行き、写真撮影で使うストロボの修理の仕事だったが、まったく面白くなかったから、40日程で辞め、あとは 時々アルバイトをしながらの、プー太郎 生活だった。
次回の「続々続・遠い昔を思い出す」は、東京で暮らした4番目の町、北区神谷町である。