今日は1年で 最も寒い季節だといわれる「大寒」だが、昨日も今日も 割と暖かい。
しかも 昼頃には、日は照ってるけど 雨が降った。
「狐の嫁入り」だ。
雨は小一時間ほどで やんだが、雨の少ないこの時期、畑には ありがたい お湿りになった。
昔 遊んだ仲間たちが 逢いに来てくれる・・
今日は1年で 最も寒い季節だといわれる「大寒」だが、昨日も今日も 割と暖かい。
しかも 昼頃には、日は照ってるけど 雨が降った。
「狐の嫁入り」だ。
雨は小一時間ほどで やんだが、雨の少ないこの時期、畑には ありがたい お湿りになった。
2012年7月1日(日) 雨
芥川は・・・ 大阪府高槻市と京都府亀岡市との境をなす明神ヶ岳を源とし、名勝として知られる摂津峡を流れ、高槻市内を南に縦断して、 高槻市南部の淀川に合流する、延長 25 km程の一級河川。
これから始まる 芥川 散歩。
今日は雨・・。
12年ほど前、上記のような書き出しで始めた我がブログ。
「きーポケ」という管理者名、タイトルを『きーポケじーさん お昼寝中』とし、「ココログ」のブログサービスを利用して ささやかなブログを作り始めたが、2018年3月からブログサービスを「WordPress」に変更し、管理者名を「六兵衛」と改め、タイトルも『六兵衛じーさん お昼寝中』と変えたのだが、その内容は 相も変わらず 独りよがりのままで、今日に至っている。
利用するブログ会社、タイトル名、管理者名などを変えてはみたものの、想像力や表現力といった豊かな感性、そして豊富な経験など、どう望んでも 足掻いても、そんなモノ 六兵衛にはない。
むしろ「軽薄短小」で「ものぐさ者」、そのうえ「出不精」という性癖なれば、どうにも 中味のある 濃ゆい話など書けるはずもない・・。
そして、ちょうど70歳になった2016年の誕生日を境に、完全に仕事をやめて年金生活に入ってからは、なおさら 世間様へ出歩くことも少なくなり、ゆえに 日々の暮らの変化は ますます小さくなって、昨日も今日も そして明日も、 同じような暮らしの繰り返しである。
ところが、六兵衛としては 根本のところで、平々凡々の 代わり映えのしない そんな日々を、案外 望んでいたりするものだから、ブログを書こうとすれば、まぁ 矛盾しているなぁ・・と、常々 思っていたりする・・。
世間様へ向けて これといった知恵や経験、意見や情報など 何もないのに、只々 独りよがりの下手な文章を、日記と称して更新しているだけのブログ。
何を 今更 こんな ”言い訳じみた” 文言を・・と思いながら、「六兵衛の 六兵衛による 六兵衛のためのブログ」でいいじゃぁないか・・と、開き直ったりもしている。
「言い訳」と「開き直り」の運動会だ。
100年以上も前になるというカナダの小説家・モンゴメリーが書いた「赤毛のアン」をモチーフにしたと思われる 柴田よしきさんの小説『お勝手のあん』の文庫本(第9巻目)を読んだ。
主人公の やす(あんの本名、あんは愛称)は、幼いときに父親に金で売られたが、手違いなどが幸いして、品川宿の紅屋という旅籠屋で働くことになる。
下積みを経験をしながら数年後には、紅屋の料理人を任されるまでに成長する。
そんな文庫本『お勝手のあん』の第9巻「別れの季節」(現在は文庫本で第10巻まで発売されている・・)の196ページに、突然 六兵衛には懐かしい名前が出て来て 驚いた。
その場面は、江戸時代の陰暦1月と7月の26日の夜に「二十六夜待ち」と称して、細い月の出るのを待ち、月が出る間際に光が三つに分かれ、瞬時に その光の中に”阿弥陀”、”観音”、”勢至”の三尊の姿が見え、これを拝むと縁起が良いとの風習があった。
特に高輪から品川にかけての浜で、月をみながらの「二十六夜待ち」が さかんに行われており、おやす(あん)が働く旅籠・紅屋の一行も、大旦那様に連れられて、浜の岩場で月が出るのを待っているとき・・大旦那様が話し始めた。
『 そうこうしているうちに、紅家の奉公人たちが岩場の一行を見つけて挨拶にやってくる。大旦那様はご機嫌で挨拶を受け、一人ずつにおひねりを手渡した。やがて大旦那さまが、若い頃にした旅の話を始めた。番頭さんと二人で日本中を歩きまわり、その土地その土地の名物を食べた話だった。やすはその話にすっかり魅入られた。
四万十川の鮎。玄界灘のふく。播州の山奥では熊も食べたと言う。おしげさんの故郷の保高村にも行ったことがあるらしい。保高の山々は恐ろしげに尖っていて雪深く、ずらりと連なっていて、富士の山よりもずっと険しい。だが春先に その山々に雪が溶け始める頃は、あの世かと思うほどに美しい。大旦那さまがそう言うと、おしげさんは涙を拭った。』・・と。
紅屋の旦那さんの旅での思い出話のなかに 特に美味かった食べ物として、なんと「四万十川の鮎」が登場したのだ。
「四万十川の鮎」云々の話は、この物語の その後も、再度 出る事はなかったのだが、六兵衛にとって、突然 思いもしていなかった「四万十川の鮎」の六文字に、驚くと同時に嬉しくなった。
ただ ちょっと念の為 余計な事を云わせてもらうと、この物語は、江戸時代の終わりの頃の話である。
四万十川が「四万十川」と盛んに呼ばれるようになったのは、昭和40年前後の頃からではなかったか・・。
六兵衛の頼りない記憶をたどれば、それまでは その川を「渡川」と、昔の親父さんたちは呼んでいたように思う。
六兵衛など子供の頃は、眼の前に当たり前のように、川が ゆったりと流れているものだから、ただ「川」と呼ぶだけで、親や友達などには通用したものだった。
そして「鮎」のことだが、今では 四万十川で捕れる鮎は、極端に少なくなってしまったらしい。
六兵衛が子供の頃には、初夏には登り鮎を、晩秋には落ち鮎を捕るため、赤鉄橋の下から少し上流あたりの「瀬」に、大勢の鮎捕りの人たちや舟が ごった返していたものだった。
我が家の父も、そんな夜だけは川漁師に変身して、沢山の鮎を捕ってきてくれて、一度には食べられない量だから、残った鮎は一斗缶で燻製にして、正月などに煮付けにして食べたものだった。
文庫本『お勝手のあん』が、遠い昔を懐かしく思い起こさせてくれる・・。
2日前の我がブログに、わが町にも 珍しく雪が舞ったと書いたが、次女一家が暮らしているニューヨーク州のバッファローの町では、今年 何度目かの雪が積もったと、日本の家族や友人知人向けの「Instagram」に投稿があった。
カナダに近い北米バッファローでは、2022年のクリスマスが終わった26日に、死者が多数 出るほどの大寒波に襲われるなど、これまでに何度も、大寒波に襲われているという寒い地域だ。
次女たちが暮らしている町でも、気温は氷点下の日が続いているようだが、幸いなことに、今年は まだ 大雪に見舞われることもなく、雪も 少し積もっては すぐ とけてしまうような事を繰り返しているようだ。
多少の寒さはいいから、出来れば このまま大寒波などに襲われることがないよう、遠く離れた日本の片隅で、ただ祈るしかない六兵衛である・・。
山陰や北陸、東北などの日本海側の地方では、警報が出るくらいの大雪だという。
そんな日本海側の雪が流れてきたのか、わが町にも雪が舞った。
どうやら わが町での初雪になるか・・。
しかし、降っていた時間は わずか30分ほど。
あっさりと止んでしまった。
北国の方々には申し訳ないような・・。
昨年の10月6日の当六兵衛ブログに、セミの抜け殻が階段入口横の壁に、夏の時から2ヶ月も3ヶ月も止まったまま、まるで六兵衛家を守ってくれている門番のようだ・・と書いた。
その門番の「セミ兵衛」が、その後 どうなったか・・というと、
今日も六兵衛家を しっかり守ってくれている。
激しい雨の日だろうと、風の強い日だろうと、夏の強い日差しでも、そして厳しい寒さの冬を迎えても、揺るぐことなく六兵衛家を守ってくれる、生真面目すぎるセミの門番なのである。
朝から雨が降っている。
久しぶりの雨・・。
過去の天気を調べてみると、昨年の12月に降った雨は一度だけ、14日の お昼前後に にわか雨程度が降ったとの記録が残っていた・・。
年が明けて 今日は6日。
多くの勤め人の 仕事初めの朝だろう。
折角の そんな日に 朝からふる雨は、勤め人にとってはイヤな雨に違いない。
しかし 申し訳ないけれど、仕事をやめて気ままに畑仕事をしている六兵衛や つれあいには、久しぶりの雨は、天からの贈り物である。
冬の野菜畑とはいえ、土に潤いは ありがたい・・。
ありがたいことに 元日から、わが町は 穏やかな晴天の日が続いている。
2日に つれあいと、さほど風もない青空の下、いつものコースの散歩に出かけた。
六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の2012年の新春の頃に
「さし絵」として掲載していた90作目のカット絵。
ここ数年 春になると、散歩道の脇に立つ仮囲い鉄板の根本に生えだす「ノブドウ」がある。
しかし その「ノブドウ」の周りは、平べったい仮囲い鉄板ばかりで、「ノブドウ」が伸びていくためのツルを絡ませる支えなどないものだから、枝葉を伸ばしても頼りなく、そうこうしているうちに秋になって、結局 雑草として根本から千切られたり刈り取られたりを、これまで繰り返して来ている。
昨年の 秋も深まり始めた10月の終わり頃に、やはり「ノブドウ」は刈り取られていた。
それでも その「ノブドウ」、何度でも 春になると新しい芽を出してくる・・そんな生命力に魅せられてきた。
ところが 昨年の12月の中頃、千切られた後の「ノブドウの根」から、小さくて頼りなさげな「芽」が出始めているのに、散歩の途中で気がついた・・と、12月12日のブログ日記「師匠」に書いた。
師匠
そして昨日 「ノブドウ」の側を通ったら、出始めていた小さな「芽」は、残念ながら枯れ始めていた。
そりゃぁそうだ。
寒さも本格的になり、他の場所で 大きく育っていた「ノブドウ」でさえ、今は茶色くなって葉を落とし、来る春を待っている状態だもの・・。
顔を出すのが ちょっと早すぎたようだ・・。
あと 3ヶ月・・辛抱 !辛抱!
前回の六兵衛ブログ日記(12月26日)では「そうた」の事を書いたが、今回も「そうた」の事で もう少し書こうと思う。
前回も書いているように「そうた」とは、「ちゃんちゃんこ」に似た 袖のない「羽織」、または 綿の入った袖なしの「はんてん」のような上着のことだが、世間では「そうた」という名前は、ほとんど使われていないらしい・・。
大阪生まれの つれあいに聞いても、「そうた」を知らなかった。
だから ネットで「そうた」を調べてみた。
「そうた」という男性の名前が まず出てきた・・。
また、佐賀県の有田焼の中に「そうた窯」という窯がある という。
そんなネットでの検索の中で、1つだけ『おじさんとおばさんのつぶやき』というBiglobeブログの中に『そうたの便利な一面』と題したページがあった。
そのページには・・
『ネットで「そうた」を調べたけれど見つからない。おじさんの地域だけの呼び方なのかと思ったら、高知市内に「合田呉服店」という呉服屋さんが「そうた」を扱っているとのページがあった・・』と書かれてあった。
このブログの筆者が、高知県の何処に住まわれているのか分からないが、しかし どうやら「そうた」という呼び名は、高知県だけで使われている言い方なのかもしれないと、この 筆者の方も おっしゃっている。
さて そうなると この「そうた」という衣類(上着)のことを、広く世間では何と呼んでいるのだろうか・・と考えた。
もう一度 云う。
「そうた」とは、袖のない「ちゃんちゃんこ」みたいな「羽織」、または 綿の入った袖なしの「はんてん」のような上着なのである。
そこで思いついたイメージキャラクターがある。
『神州一味噌』の「み子ちゃん」が、たしか「そうた」を着ていたような・・。
これが「そうた」だ!
やっぱり「み子ちゃん」は、「そうた」を着ている。
但し この味噌会社、2017年に「宮坂醸造(株)」から「信州一味噌(株)」に社名変更をしたとかで、それに伴い「み子ちゃん」のイラストも少し変えたらしく、今の「み子ちゃん」は「そうた」を脱いだイラストになっている。
いや 待て待て、他にも いたぞ!
そう マンガの「ゲゲゲの鬼太郎」の上着も、黄色と黒の横縞の「そうた」では なかったか・・。
やっぱり!
紛れもなく鬼太郎は「そうた」を着ている。
鬼太郎が着ているのは「ちゃんちゃんこ」だ との説明もあるが、六兵衛に言わせれば、これは立派な「そうた」である。
間違いない!
注:ネットによると「ちやんちゃんこ」とは、子供用の袖なしの羽織りで、還暦祝いの衣装として着るのは、「還暦」は生まれ直して赤ちゃんに還るという意味があるからだという。
寒くなってきたので、つれあいが 室内での上着として用意してくれたのは、六兵衛の親父が まだ それなりに元気だった頃、やはり部屋で着用しいていた「そうた」だった。
「そうた」とは、「ちゃんちゃんこ」に似た、袖のない「羽織」、または 綿の入った袖なしの「はんてん」とでも言おうか、六兵衛の育った田舎では、そのような上着を「そうた」と呼んでいた。
早いもので、親父が亡くなって もう21年になる。
上の左側の写真は、初めての曾孫が産まれて1ヶ月くらいの時に、嬉しそうに抱いている親父の写真。
親父が その頃着ていた「そうた」を、右の写真のように 今 六兵衛が着ている・・。
残しておいてくれた つれあいに感謝しながら、なんとなく嬉しい六兵衛である。