鶴の一声!

 現在、我が家の主パソコンとして頼りにしている「 MacBook Air・121GB (13-inch, Mid 2019) 」が7年目に入っていて、バッテリーの劣化や、それぞれの動きに やや鈍さを感じ始めている・・などと、1月14日の我がブログ日記に愚痴っていた頃、「MacBook Air」の廉価版が発売されるとの情報を知った。

2026年1月14日の当ブログ日記  どちらが先に・・

 そして つい先日のこと、「MacBook Neo」という名前の廉価版が、3月11日に99,800円という値段で発売の予定だそうで、その予約の注文を受け付けている・・とあった。

 廉価版ということは、本来の「 MacBook Air」の機能や付属品の一部を簡略化または削減をしている事も考えられるので、性能は やはり少しは落ちるのだろう・・。

99,800円かぁ~・・廉価版とはいえ、六兵衛 如きが使うには・・それでも やっぱ高価やなぁ~・・。
その辺りの兼ね合いなのだが・・。

 そして、Appleの「認定整備品」に至っては、品物が思うように揃っていないし、Amazonなどで「整備品」として売り出している「 MacBook Air」は、それなりに品数も有るし、値段もピンからキリまで有るのだが、その「整備」を まるまる信用して良いものかどうか・・とも考えてしまい、なかなかコレ!と決められず迷っている六兵衛なのであった・・。

 そして、廉価版の「 MacBook Air」の発売と同時に、「M5の驚異的なパワーを内蔵」との うたい文句で、新しく「MacBook Air」も発売されるらしい。
値段は消費税を含めて184、800円だという。

たかぁ〜・・。

 ・・・が、そんなこんなで 迷っている六兵衛の様子を見ていた つれあいが、一言 『新しいエエやつ買ったほうが エエよ!』。

 そして そして、今日 先程、その新しいエエやつが 届いた!

 184、800円  ‼️ ・・❗️

 

「続 々 々・遠い昔を思い出す・・」

 昭和44年(1964年)の1月、国鉄 京浜東北線の赤羽駅や東十条駅から少し離れてはいたが、北区神谷町の四畳半一間の小さな部屋のアパート(大榮荘)で、つれあいとの二人暮らしが始まった。

つれあいは・・というと、六兵衛が田舎の高校を卒業して、初めて就職をした会社(六兵衛は その会社を数カ月で辞めたのだが・・)の同期入社で、新入社員の研修で つれあいの存在を知った。

彼女は、いつも友達などと楽しそうに笑い合っている印象で、明るく魅力的で 可愛いなぁと思うものの、それまで異性に縁の無かった六兵衛などには、そんな彼女を遠くから眺めているだけで、声など なかなか掛けられなかった。

それでも 休日に、初めて二人で喫茶店で会ったときなど、何を喋って良いのか分からず、緊張 しっぱなしの六兵衛だった・・。

 それから4年後には、東京の片隅の町で、二人で一緒に暮らし始めるなどとは、その頃には 想像もしていなかったのだが・・。
二人が住み始めた そのアパート(大榮荘)を、10年ほど前だったか「Googleマップ」の画面で見ることが出来た。

 しかし残念ながら現在 そのアパート(大榮荘)の在った場所は、新しい建物に変わっていて、以前のアパートは もうない。
その当時でも、さほど新しいとは思えなかったアパートだったが、それでも2010年頃までは残っていたから「Googleマップ」に映っていたわけで、何ともいささか驚きでもある。

 アパート近くの大きな通りに出た角に、「藤の湯」という銭湯があった。
いつもその銭湯に二人で通ったものだ。
大分 後になって、あの頃は「かぐや姫」が歌う『神田川』の世界やったなぁ・・などと思ったりしたものだったが、実際の「かぐや姫」が歌う『神田川』が発表されたのは、昭和48年(1973年)のことらしく、六兵衛たちが二人で銭湯に行っていた頃から3年も後に発表されていた歌だった事を今回 初めて知り、オレもいい加減やなぁ〜と自分ながら 思うのである・・。
「神田川」南こうせつとかぐや姫
この動画は「Nori Chan」さんのYouTubeから 無断で お借り致しました。

 

続々・遠い昔を思い出す

 昭和42年(1967年)9月、電子専門学校を卒業した。
その学校での同級生の友人が、就職先の都合で それまで住んでいたアパートを引っ越すというので、六兵衛が引き続き そのアパートを借りて住むことになった。

 国鉄 飯田橋駅(当時)の西口を出て、神楽坂(早稲田通り)を 1kmほど上り、新宿区横寺町の朝日坂の途中を右に折れて、細い路地に入ると、そのアパートはあった。
2階の3畳ひと間、小さな台所が 入口ドアを入ったすぐ横にある、それだけの部屋だった。
アパート2階の住人が共同で使うトイレが、六兵衛の部屋の押入れ部分に食い込んでいて、ますます部屋を狭くしていた。

  当時(昭和40年頃)の新宿区横寺町のアパートあたりの写真が ないものかとネットで調べてみたら、1枚だけ 場所は分からないが、横寺町の写真が見つかった。

 この写真の場所が何処なのか、ネットで調べてみた・・。
話は少々 横道にそれてしまうが、まず この写真の画面中央の やや 右寄りに、時代がかった立て札があるが、書かれている文字は消えいて、残念ながら何が書かれていたのか解らない。
画面の右隅の建物の2階の壁には、小振りな垂れ幕(A)が ぶら下がっている。
その下には、映画館のポスターを張った掲示板(B)が見える。
それぞれを 拡大してみた。

 垂れ幕(A)は、「パーマ ミハル美容室」とある。
その「ミハル美容室」をネットで探してみると、横寺町の朝日坂を、奥へ もう数百メートルほど進んだ辺りの、新宿区矢来町という町に、同じ名前の美容室があるようだ・・。
とはいえ この古い写真に写っている垂れ幕に書かれた「ミハル美容室」は、60年ほど前の営業なのである。
現在の矢来町にある「ミハル美容室」を「Apple マップ」の航空写真で見てみたが、六兵衛が60年前に住んでいた横寺町も大きく様変わりしているように、「ミハル美容室」が、仮に今の矢来町の「ミハル美容室」だったとしても、あまりにも家並みの雰囲気が変わりすぎているので、結局 この古い写真の場所が何処なのかは、正確には解らないままである。

 もうひとつ、映画館の掲示板(B)に貼っているポスターの内容を拡大して調べてみたら、タイトルが『鼠小僧次郎吉』と読める。
ネットで この映画のことを調べてみた。
昭和40年(1965年)に大映が制作した『鼠小僧次郎吉』という時代物の映画のようである。

(主演:林与一、監督:三隅研次、原作:大佛次郎)
昭和40年頃の、この付近で この映画を上映している映画館を調べてみた。
新宿区二十騎町という名の町にあった「牛込大映」と、神楽坂の「神楽坂銀鈴座」の2軒が見つかったが、果たして どちらの映画館で上映されていたのかは 定かではないのだが、大映の映画だから「牛込大映」で上映されたと考える方が確率は高いかもしれない。

 そして 最後に、(C)の この写真自体を、何かの媒体に掲載したと思われる企業の名前が、多分 右下に黒文字で書かれていたのではないか・・。
微かに読める文字もあるが・・始めの文字は見づらいが、◯ ◯ 飯田橋( )◯ ◯ 新聞社・・と読めそうである。
読めそうな文字を緑色の文字で改めて書いてみた・・。
「◯◯ 飯田橋( )◯ 田新聞社」・・と読めたのだが・・。
そこで またまたネットを利用して、飯田橋界隈に新聞社があったかどうかを調べてみた。

 昭和40年(1965年)前後の飯田橋の近隣には、飯田町貨物駅があったらしく、新聞用紙を運ぶ拠点として、新聞社の印刷・出版関連会社が多くあったらしい。
そう云えば六兵衛も 専門学校へ通っている頃、小さな製本屋さんで アルバイトをしたことがあった事を思い出した・・。
ネットの情報によると、飯田橋の近辺にあったのは、東京新聞社、毎日新聞社(印刷所)、日本経済新聞社 等々の名前が出てきた。
それを知って、改めて読みづらい文字を読んでみた。
「◯◯ 飯田橋( )毎日新聞社」とも読めなくもない。
そんなこんなで、結局 六兵衛が暮らしていた頃の昭和40年ころの横寺町の写真は、あやふやなまま 終る事になってしまった。

 しかし 昨秋の9月、孫次男が東京へ行く予定があるというので、ならば ついでに 神楽坂を上って横寺町のアパートのあった辺りの写真やビデオを写して来てくれるように頼んだ。

 孫次男が東京の友人と二人で写してきてくれた写真や動画には、当然ながら 昔の面影は ほとんど 無いが(但し、ブロック壁は 当時のままのような気がするのだが・・。)60年後に孫次男が神楽坂を上り、横寺町の辺りを歩いてくれた。
今の孫次男と同じ年頃だった60年前の六兵衛が、短い間だったけれど この町を歩いていたのだ・・と、まぁ そんな時の流れを感じてくれたらと・・年寄の甘えだろうが。

 ついでに記しておくと、専門学校を卒業して勤め始めたのは、品川区五反田にあったストロボ会社(今は もうない・・)で、先輩について写真スタジオなどへ行き、写真撮影で使うストロボの修理の仕事だったが、まったく面白くなかったから、40日程で辞め、あとは 時々アルバイトをしながらの、プー太郎 生活だった。

 次回の「続々続・遠い昔を思い出す」は、東京で暮らした4番目の町、北区神谷町である。

 

続・遠い昔を思い出す・・

 「新幹線」の開通や、「東京オリンピック」が開催された翌年の昭和40年(1965年)10月の19歳の秋から、 昭和45年(1970年)24歳になる少し前の春まで、わずか4年半という短い期間ではあったが、六兵衛は東京で暮らしていた。

 決して人様に自慢できるような日々では なかったけれど、あれから60年が過ぎた今でも六兵衛には、どうにも懐かしい日々なのである。

 とは云うものの、六兵衛の当時の記憶は おぼろげであり、写真なども ほとんど写していないので、それらしい写真をネットで探し、参考にさせてもらった・・。
それでも 微かな記憶を頼りに、今年1月6日の我が六兵衛ブログに、『遠い昔を思い出す・・』とのタイトルで、初めて東京の地を踏み、国鉄 飯田橋駅を降り、まだ その上を高速道路などは走っていなかった神田川沿いを、少し北に歩いた所にあった古めかしい建物だった電子専門学校に入学し、そこの 狭くて汚い「寮」での暮らしのことを書いた。
今回は その続きである。


2026年1月6日のブログ日記
遠い昔を思い出す

 専門学校での勉強は ほどほどにして、寮の管理人さんの世話で、後楽園球場(今は東京ドームに)の試合後の観客席の掃除だとか、神楽坂の坂の途中にあった「パチンコ マリー」というパチンコ屋さんでのサンドイッチマンのアルバイトなどをしながら、寮生活も半年が過ぎた。
サンドイッチマンの仕事は、地図上に示した赤線の歩道を、ゆっくり行ったりきたりするのだ。
              (昭和40年頃の神楽坂の地図と写真)

 その後、一人1畳分のスペースしかない、まるで飯場で寝泊まりしているかのような寮生活を終わらせ、東京での暮らしにも少し慣れた頃だったので、学校から歩いて30分ほどの文京区関口にある、「江戸川地蔵堂り商店街」でスナックを営んでいるママさんが、店の裏で下宿屋をやっていて、その2階の これも殺風景な4畳半の部屋で、専門学校を卒業するまでの残りの1年半を暮らしたのだった。

 次回の『遠い昔を思い出す・・』は『続々、遠い昔を思い出す・・』と題して、神楽坂上の横寺町での事などを・・。

 

春の便りが・・

 去年のことは もう殆ど忘れているので比べることは出来ないが、ここの所 春のような暖かい日が続いている。

 表や裏の庭や畑の隅に植わっている花や木々に、小さな芽が出始めた・・。

 このまま春になってくれれば・・と思うのだが、現実には何度か 寒の戻りがあったりするのだろう・・。

市兵衛さんが、そ・ろ・っ・た 。

 昨秋に出版されていた辻堂魁さんの『風の市兵衛 弐』の第35巻『みこころ』を、思い切って購入した。
新品の文庫本は902円なのだが、中古本購入が専門の六兵衛としては 本来なら、最低でも値段が 中古本として300円台にまで下がってからでしか購入しないのだが、『風の市兵衛 弐』の第35巻『みこころ』は、出版から5ヶ月を経ていても、中古本としての値段が492円と まだまだ高値だったのだが、今回は どうにも辛抱たまらず、購入してしまった。

 もちろん購入時には、送料を無料とするために、他の中古の文庫本十数冊を まとめて買うのだが、以前 当ブログにも書いたように、この頃は六兵衛好みの時代小説が少なくなってしまっているので、今回は 合計6冊のみの購入となった・・。

 『風の市兵衛 弐(第35巻・みこころ)』の他に購入した購入本は、「風の市兵衛」の登場人物でもあり、癖はあるが 市兵衛さんの仲間として頼りになる定町廻り同心の渋井鬼三次が、主人公となって活躍(・・たぶん)する『鬼しぶ』(コスミック時代文庫・渋井鬼三次の渾名がタイトル)と、2年前に祥伝社から単行本として出版されていた『雇足軽八州御用』で、中古の値段は232円になっていて、どちらも辻堂魁さんの小説である。

 他の3冊は、芝村凉也さんの『北の御番所 反骨日録・第8巻』と、同じ『北の御番所 反骨日録・第9巻』、それから東圭一さんの『深川青春捕物控・第2巻(家族の形)』を購入した。

 さて これで、市兵衛さんの まだ読んでいないの3冊が「未読の本棚」に揃った。
「第33巻・空蝉」「第34巻・攘夷の侍」、そして 今回購入した「第35巻・みこころ」だ。
未読の3冊が揃ったから、せめて「第33巻・空蝉」を読んでみたいと思うけれど、今は長谷川卓さんの『嶽神伝シリーズ』の再読を始めたばかりだから、山の民『嶽神伝シリーズ』を読み終わってからになると・・思う。

文庫本の再読が続く・・

 この頃、面白く読める時代小説が少なくなってきたと感じている六兵衛は、だから これまでに読んだ文庫本のなかで、特に面白かった小説は、またいつか読みたくなるだろうと思い、古本屋さんには売らずに、寝室横の再読用の本棚に並べている。

 今回、何度目かの再読となる辻堂魁さんの「風の市兵衛」そして「風の市兵衛 弐」の32冊を読み終えた後、長谷川卓さんの「北町奉行所捕物控」全8冊の再読も読み終えてしまった。
次は「北町奉行所捕物控・全8冊」だ!

 さて次に楽しむ再読は、同じく長谷川卓さんの代表作とも言える山の民の物語「嶽神伝シリーズ」だ。

 応仁の乱を機に、信玄や謙信、信長や秀吉、そして家康たち日本中の武士が、天下統一目指して、血なまぐさい暴力と知略で明け暮れていた時代。
そんな戦国の時代の真っ只中・・。
深い山の中で、独自の生活を送る「山の民(山の者)」達がいた。
「山の民」たちの古くからの言い伝えによれば、そんな「山の民」たちの集団の中から「数年から数十年に一人、とてつもない超人的な身体能力を持つ者が出る」と伝えられていた。
そして その者の心根は あくまで清く、出会った者は皆その心に打たれる という。
山の者たちは そういう者のことを「嶽神」と呼んだ。
そんな「山の民」達が、戦国の動乱のなか、最も避けたい国の争いや里の争いに、否応なく巻き込まれていく物語だ。
「嶽神伝シリーズ」全8話、文庫本にして13巻である。

あぁ〜、あの気味の悪い笑いが・・

 『この大雪が、雪国での投票に どんな影響があって、それが各政党に「吉」と出るのか「凶」と出るのか・・・「神のみぞ」である』・・と、昨日の投票日の我がブログに書いたが、六兵衛の そんな想像は大甘であった。

 投票の結果、大吉と出たのは「与党 自民党」で、大凶となってしまったのは 慌てて組んだ「中道改革連合」、特に「元 立憲民主党」の議員たちとなってしまった。

 何故 こんな結果になってしまったのか・・決して「大雪のせい」などではないだろう。
負けを喫した「元 立憲民主党」には、 何の魅力もなくなっており、したがって 発信力もなくなり、最大野党としての存在感など皆無だったとはいえ、あまりにも大惨敗である。
とはいえ、取って付けたような気味の悪い愛想笑いの今の首相の、何処が国民の支持を得たのか、六兵衛には まったく理解出来ない。
初めての女性首相だから応援した・・というだけでは、説明がつかない。
女性の首相とはいっても、女性を男性と同等とは考えていないようで、昔からある男性中心の世の仕組みを変えようとはせず、あの気味の悪い笑いが、そんな男社会に媚を売っているようにさえ感じてしまうのだ。

 あぁ〜 日本は、益々 あの戦前のような、忌まわしい状況になって行きそうな気配さえある・・。

 

雪が・・

 今日は朝から雪が舞う・・。
我が町では珍しく、数センチほど積もっている。

 日本列島は大雪だという。
そんな日の、今日は衆議院議員選挙の投票日。
雪国での投票は大変だろう・・。

 オノレらの都合で 真冬の選挙を行う・・そんなオノレらの大勝ちの予想さえ、アルとかナイとか・・。
この大雪が、雪国での投票に どんな影響があって、それが各政党に「吉」と出るのか「凶」と出るのか・・・「神のみぞ」である。

お元気ですかぁ〜

 つれあいが点滴治療を受けるため、午後から日赤病院へ行く予定なので、少し早めの昼食を摂りながら 何気にテレビを観ていたら、「アナザーストーリー・ 運命の分岐点」というNHK BSの番組で、31年ほど前の1995年に劇場公開された中山美穂さん主演の『Love Letter』という映画の「もう一つの物語」を放映していた。

 この『Love Letter』という映画、日本では 優秀作品賞とか主演女優賞とかを受賞したようだが、興行的には大してヒットは しなかったらしい。

 ところが それから5年後の1999年に韓国で『Love Letter』が公開されると、一躍 大ヒットになったという。
劇中に登場する『お元気ですか? 私は元気です!』という主人公が山に向かって叫ぶセリフが、韓国で大流行したという。

 当時の韓国は、戦前・戦中における日本からの暴力的植民地支配を受けていたので、戦後になっても 日本大衆文化の流入を制限していたようだが、1998年 当時の金大中大統領の政策により、段階的に日本大衆文化を開放し始めていて、中山美穂さん主演『Love Letter』も、その開放政策の一つとして公開されたのだという。

 まぁ そんな、日本と韓国との政治的な話は 置いとくとして、中山美穂さんの映画の話を「アナザーストーリー」というテレビ番組を観ながら、六兵衛は フト思い出したのだ。

 10年ほど前まで現役で仕事をしていた六兵衛が、娘たちが子供の頃に使っていた「机」を仕事場では使っていて、その「机」には、子供の頃の娘たちが好きだった人気歌手などの写真が貼られていて、その中に 中山美穂さんの写真も貼ってあった事を思い出し、今日 改めて「その机」を写してきた。

 中山美穂さんは2024年12月6日、54歳の若さで亡くなられている。

御冥福をお祈り致します。