TVドラマ「風の市兵衛」

数ある文庫本の中で きーポケが最も楽しみに読んでいる小説

祥伝社文庫の『風の市兵衛』(作者:辻堂魁さん)が、NHKの

テレビドラマになって放送されていると つれあいが教えてくれた。

 

文庫本『風の市兵衛』のことは、これまでにも 何度も なんども

我がブログに書いてきている。

その『風の市兵衛』シリーズも20巻を超えて、この春から

『風の市兵衛 弐』として新たな市兵衛さんの物語が始まっている。

 

そんな『風の市兵衛』の物語がテレビドラマになるという。

 

2010年に『風の市兵衛』第1巻が出版されて以来

きーポケは長く『風の市兵衛』を読んできて、だから市兵衛さんの

ことを言葉にして表現するのは難しいとはいえ、頭の中には

それなりの主人公・唐木市兵衛のイメージは出来上がっている。

 

これまで いろいろな小説の登場人物たちが 映画やTVなどで

映像となって登場してきた。

しかし 小説を読んで出来上がった自分のイメージとは

違った役者さんが出演されていた場合などには

どうにも がっかりしてしまうのは 当然だろう。

もちろん テレビ画面でも、市兵衛さんに会える嬉しさはあるが

イメージが違った場合のショックは、小説の中の市兵衛さんが

大好きな分だけ その落差も大きいと思う。

そして これからも文庫本『風の市兵衛』を読み続けるたびに

イメージの違う役者さんの映像が現れて動き始めたら

どうにも 文庫本が興醒めになってしまうだろうと想像する。

 

そんな事などを

『風の市兵衛のテレビドラマをやっているらしいよ・・』と

つれあい から教えてもらった瞬間に心配をした。

だから まず きーポケが した事は、ドラマでの配役は誰か・・

特に 市兵衛さんを演じるのは 誰か・・という事だった。

 

ネットで調べた。

 

唐木市兵衛 役は、向井 理さんという俳優さん・・だという。

 

うぅ〜ん・・。

 

きーポケが持っているイメージとは ちょっと違うような・・

今風の2枚目だが、ちょっと線が細い・・か。

いや いや、まぁ どんな役者さんが市兵衛さんを演じたとしても

きーポケは納得しないだろうから、出来るだけ妥協点を見つける

・・そんな事でしか テレビドラマは観られないだろう。

 

市兵衛さんの風貌を作者の辻堂魁さんが作中に書いている文章を

引用すると・・

「血の気の薄い色白に、鼻筋が通り、目尻の尖った奥二重の

目付きの きつい表情を さがり気味の濃い眉が和らげ

ひょろりと痩せた風貌は 侍らしい腕っ節の強さや厳しさを

まったく感じさせて いなかった・・」とある。

13歳で元服をして、その後 独り 家を離れ 旅に出て苦労を

してきたはずなのに、その苦労が 暗い表情や心構えに現れる事も

なく、どちらかといえば 細かなことには捉われない茫洋とした

感じがする市兵衛さんである。


だいぶ以前にブログに描いていた市兵衛さんと 向井市兵衛さん.

 

NHK土曜ドラマ 第一部「春の風」の第2話の放送を観た。

向井理さん、決して悪くはないと思うのだが

市兵衛さんのイメージとは やっぱりちょっと違うようであった。

それでも まぁ 向井さん、市兵衛さんと同じで 清潔感はあった。

 

そして 小説では、味のある脇役として存在するのが「鬼しぶ」こと

北町奉行所廻り方同心・渋井鬼三次である。

この「鬼しぶ」、個性が強く組織に捉われず、町奉行でさえ

利用する懲りない男なのだが、その役をテレビドラマでは

ネプチューンの原田泰造さんが演じている。


我がブログでも以前に「鬼しぶ」のイメージを 絵に描いた事がある。

原田泰造さんだと 「渋さ」がちょっと不足気味のようで

軽い感じがしないでもない。

 

今後も 文庫本の『風の市兵衛』を読むたびに

向井 理さんが現れてくる・・

原田 泰造さんも現れてくる・・

一度 テレビドラマを観てしまった以上、文庫本『風の市兵衛』を

読むたびに、テレビに登場してきた役者さん達の顔が現れて・・

さぁ それが・・良いことか、それとも 悪いことか・・。

 

「テキスト」の・・その後

「テキストエディット」で書いた文章をプリントする場合

「PDF」の拡張子を持つファイルに直してプリントすれば

画面上に表示されたままの状態で印刷出来るので

プリントをする上で分かりやすい という・・そんな話のことを

前回の記事に書き始めたが・・

そんな「PDF の拡張子を持つファイル」を表示する

「プレビュー」では、表示された文章の編集作業は出来ない

・・ということが わかった。

 

ちょっと それは うまくない・・のだ。

印刷される画面を見ながら、文字や改行などの調整をした上で

プリントをしたいから・・出来れば「Word」のように。

それも 無料のアプリで・・。

 

探せば 理想?のアプリが・・ぜったいに見つかるはず!

・・と翌日も めげずに諦めずに ネットで調べた。

 

 

そして、見つけた!見つけた!

「pages」というアプリが ある・・らしい。

「pages」をインストールして、早速 開いて様子をみてみる。

シンプルで、「Word」ほど 複雑に余計なものも無く

きーポケにも使えそうな感じ。

 

ところが この「pages」、元々 Macに標準搭載されている・・

というのだ。

何かの弾みで きーポケは、この「pages」を「アプリケーション」

の中から削除してしまっていたらしい。

無知とは・・ほんま おそろしい・・。

『灯台下暗し』や 。

これで 「テキスト文章の印刷」という問題は紆余曲折の結果

本来 Macに標準搭載されている「pages」アプリで

とりあえず 一件落着・・なのである。

 

テキスト

何がきっかけだったか、今はもう 定かに覚えていないが

Macに付属のアプリ「テキストエディット」で作った文章を

我が家のプリンターで、例えば A4紙に印刷する場合

パソコン上に表示された「テキストエディット」での文章を

そのまま印刷すると ページの配置や改行などを無視した状態で

仕上がってしまう事を 遅まきながら 今になって意識した。

 

きーポケの場合 さほど頻繁にプリントをするわけではないが

それでも そのような事への対処の仕方は

それなりに知っておいたほうが良いと思っている。

 

だから いつものように、ネットを頼って 少し勉強してみた。

きーポケにとって 難しい言葉や、ややこしい説明などが 多く

わかったような、わからないような・・

汗がタラーリと額を流れていくような・・

そんな状況だったが、きーポケなりに単純な結論を出した。

 

拡張子が「txt」(テキストファイル)だとか

「rft」(リッチテキストファイル)など、

それに ホームページを作ったりする時に使う「html」などの

コンピュータ上で文字のみを表示するためだけのデータで

構成されているファイルを「テキストファイル」という・・

らしい。

ただ この「テキストファイル」で作った文章を

そのままを印刷すると

これまで きーポケが行ってきたプリント方法と同じで

コンピュータ上に表示されている状態と、出来上がった印刷物の

状態に、ページの配置や改行などの大きな違いが表れてくる・・

ということらしい。

 

ところが、拡張子「doc(x)」を持つMicrosoftの「Word」や

拡張子が「PDF」や「DTP」などを持ったアプリで作る

ファイルは、パソコン上で作成した そのままの状態が

印刷物として仕上がる・・という。

 

我が家にも 古くなったWindows10が有って、その中に

付属のアプリとして「Word」も入っているのだが

そのWindows10自体、もうほとんど役に立つだけの

元気はないから、印刷作業はMacを使わざるを得ないのだ。

 

そこで再度 ネットを頼って調べてみた。

Macに付属のアプリ「テキストエディット」で作った文章を

拡張子が「PDF」や「DTP」などのファイルに変換 出来る

「何か」がないだろうか・・と。

 

有る! 有る!

「テキストエディット」文章画面を表示し、メニューバーにある

「ファイル」内の「プリント」をクリックする。

画面左下の「PDF」をクリックし「PDFとして保存」をクリック。

 

再度新たな画面が現れるから適当な名前を入れて「保存」を

クリックすると、拡張子「PDF」のファイルが出来上がる。

この方法なら、プリント後の仕上げの状態もわかる。

 

よう やった! ようやった!

やれば 出来る・・と、少し自分を褒めてやろう。

 

めでたし、めでたし!・・と 喜んでいたんやけど・・・・?!

・・ところが また  新たな問題に気づき、再考の必要 あり!

・・と気付いた。

 

・・次回に。

 

東京 新宿区 神楽坂

拝啓、三郎さま。

お元気でしょうか。

 

先日   NHKの BS放送で神楽坂の街の様子の特集していたのを

たまたま観ました。

三郎さんは ご覧になりましたか?

思えば あの頃から、半世紀近くが過ぎてしまった現実に

いささか驚いてしまいます。

 

テレビ画面で観る今の神楽坂の佇まいは、

私の心に残っている あの頃の神楽坂界隈の面影とは違って

大きく様変わりをしておりました。

 

それでも やはり、神楽坂界隈という言葉を聞くと

とても懐かしく、柄にもなく 少し感傷的になったりしながら

映像を観てしまいました。

 

私の心に残る あの頃の神楽坂の記憶は

白黒の、何となく ぼやけている映像だったりするのですが

先日テレビで観た神楽坂は、総天然色の鮮やかな色合いでした。

ですから ちょっと、違うかなぁと 思ったりもしてしまいました。

 

早稲田通りを上り、地下鉄 神楽坂駅の少し手前の

横寺町の通りを少し行った辺りにある銭湯の角を右に曲がって

その路地の先の安アパートの三畳間で

二人してインスタントラーメンを手鍋のままで

よく食べましたね。

 

何かの用事があって 信濃町の駅から青山へ行く神宮外苑の

イチョウ並木の下を、二人で ちょっと気取った気分で

歩いたことも ありましたよね。

 

今 思えば、お互い20歳を少し過ぎたあたりの未熟者でした。

特に何事かを成し遂げようとしていた訳でも

特に何か 苦労を背負っていたと云う訳でもなかったですが

老いが身近に感じるようになった 今

2年余りの短い期間だったとはいえ、三郎さんたちと過ごした

あの頃のことが、とても懐かしく思い出されます。

 

充電時間

2ヶ月ほど前に購入した「 iPad(無印)」のバッテリー充電時間

が5時間以上もかかってしまう。

そんな筈は ないのだ・・こ、壊れているのか・・。

 

購入して すぐの頃には2時間半から、せいぜい長くても

3時間ほどで、完全に充電は終わっていたはずなのに

それが いつの間にか5時間近くも充電時間がかかるように

なっている・・こ、こ、壊れているのか・・。

 

壊れている・・と、販売店に電話しようか・・などと

考えていた昨日、フト 気がついた・・。

 

きーポケが座る椅子の後ろのテーブルの上には、

iPad用のUSB(電源)アダプターと

iPhone用のUSB(電源)アダプターとが

いつでも充電出来るようにと 並べてセットしている。

 

恥ずかしい話だが きーポケは、どうやら iPadを充電する時に

同じ場所にセットしているiPhone用のUSB(電源)アダプターを

使って充電していたらしい。

 

「iPad用のUSB(電源)アダプター」には写真のように

わざわざ間違えないように「iPad用」と書いた札を付けている

のに・・なのである。

なんとも ドジでお粗末な話なのであった・・。

 

 

そして あとで 調べてわかったことだが

iPadとiPhomeとの差し込み口の形が たとえ同じであっても

iPad用のUSB(電源)アダプターには10wの電源アダプターが

納品時に同梱されていたらしいし

iPhone用のUSB(電源)アダプターは5wの電源アダプターが

納品時に同梱されていたという。

しかもその上に、 もしかしたら 「USB2.0のケーブル」とか

「USB3.0のケーブル」とかの違いなども あったりする・・

のかもしれない。

 

笑うしかない・・きーポケなのである。

 

『上海の街角で』

きーポケの散歩のお供に欠かせないのが

iPhoneのアプリ「OPlayer Lite」に保存している

戦前や戦後まもない頃に歌われていた流行歌の数々だ。

そんな流行歌の中に 東海林太郎さんが歌う『上海の街角で』と

いう歌がある。

 

山田栄一さんの 作詞、佐藤惣之助さんの 作曲とかで

1938年(昭和13年)にレコーディングされている。

 

当時、アジア各地を植民地化しようとするヨーロッパやアメリカ

などの大国から、中華民国を守ってやるとの身勝手な理屈をつけて

大日本帝国は武力をもって強引に中国大陸へ進出した。

それに伴い 多くの日本人も一旗揚げようと大陸へ渡って行った。

そんな時代に異国で必死に生きようとした男と女を

直立不動で歌う東海林太郎さんの姿を重ねながら想像し

時代はともかく いい歌なのである。

https://www.youtube.com/watch?v=A9HwHFCTS34&t=59s

 

この歌に 男の台詞が挿入されている。

その声から想像をして、「必殺仕事人」などで活躍した

藤田まことさんだろうと、ずーっと思っていた。

何度 聴いても この声は藤田さんだと、疑う余地もないほどに

藤田さんの声だと思い込んでいた。

 

ただ、この声が藤田まことさんなら、年齢的に時代が合わない

ような気もしたりして、だから改めてネットで調べてみた。

 

あれ・・マ! 藤田まことさんじゃあない・・って?

えっ、小池朝雄さん だって?!

 

だいぶ以前に NHKのTVドラマ「刑事コロンボ」の吹き替えを

していた、あの 小池朝雄さん・・だという。

えーっ・・。

 

そう・・小池さんといえば

きーポケにとって忘れられない昔の映画で

吉永小百合さんや浜田光夫さんが主演していた『泥だらけの純情』

に出演されていて、浜田光夫さん演じるチンピラ・次郎の兄貴分役

で 渋い演技をされていた小池朝雄さんを、今でも思い出す・・。

・・そうか、あの声は 小池朝雄さんだったか・・。

 

そして新たに分かったことは、小池さんが台詞を吹き込む前に

つまり 昭和13年の最初のレコーディングで台詞を吹き込んだ人は

現在 TVの司会などで活躍している関口宏さんのお父さんになる

佐野周二さんだったという事もわかった。

だから改めて佐野周二さんの台詞の入った「上海の街角で」も

YouTubeで聴いてみたのだが、どこか頼りなく 間延びしていて

小池朝雄さんの あの低い男らしい声の方が はるかにいいと

思ったきーポケである。

 

「PC」と「iOS」

Windowsパソコンのことを 「PC」と表現する。

Macパソコンの場合は「PC」とは言わずに「iOS」と呼ぶ場合が

多いと聞いたことがある。

 

「PC」とは「Personal Computer」の略だという。

「personal」は「個人の」という意味だそうだから

「PC」とは「個人用のコンピューター」ということになる。

 

きーポケが使っている「MacBook Pro」も

きーポケが個人で使っているコンピューターなのだから

何故「PC」とは言わずに「iOS」と言うのだろう。

 

「Mac」のパソコンは「コンピューター」ではないんやろか。

 

「Windows」と「Mac」の 、それぞれの何かが違っているから

呼び方も違ってくるのだろうと想像するが

そんな事などを サイトで少し調べてみたが

何やかやと説明がややこしくて

きーポケの頭脳では理解出来そうになかった。

 

ちなみに、「Personal Computer 」を略して「PC」といい

日本語的に言えば、日本独自の和風英語で「パソコン」という・・

との説明もあった。

 

そう、「パソコン」・・Windowsにしても Macにしても

日本では この呼び名が一番いいように きーポケは思うが・・。

 

Windowsパソコンのバッテリー

何年前の事やったろか・・。

2年前やったか、それとも3年ほど前になるか・・

物忘れの激しいきーポケゆえに そのへんは定かではないが

2010年の秋に購入した「windows8」のバッテリーが

機能しなくなってしまった。

元の「Windows8」から「8.1」、そして「10」へと

バージョンアップをしていったが

それでも 元々の動作が重く、特に起動時に時間がかかって

イライラする事が多かった「Windows」だった。

 

2014年に 思い切って「Macパソコン」を購入し

我が家の「主パソコン」とし、「Windows10パソコン」は

予備的なパソコンとして使い、バッテリーが壊れたとしても

電源コードを差し込んだままの状態で使えればいいと考え

裏蓋の2本のネジを取り バッテリーを外して使用してきた。

 

それが 昨日、自分でも理由はわからないけど『 もしかして・・』

と思い 試してみたくなった。

処分するのが面倒くさくて、何となく残して置いた壊れている

バッテリーを、ダメもとで 再度「Windowsパソコン」に戻して

電源を入れてみたのだ。

 

あ〜ら 何てことでしょう・・充電を始めているではないか。

 

数時間後に充電は完了した。

再度 差し込んだバッテリーの満充電で、バッテリーだけでの

作業時間は4時間30分ほどだと記されている。

壊れて使えないと思って外していたバッテリーが

例え4時間ほどでも使えれば、電源を切ることなく場所の移動も

でき、なにかと作業がやりやすいというものだ。

 

それにしても 当時、バッテリーが壊れたと思い込んだ理由は

いったい 何だったんだろう・・と、今 思い出そうとしても

やっぱり 物忘れの激しい きーポケは 忘れてしまっている・・。

 

河川工事は6月29日まで・・

5月の中旬としては 爽やかな今日、芥川堤道を散歩した。

 

盛んに河川工事が行われている。

工事をしている場所から下流は、川の水が土色に濁り

水鳥たちも戸惑い気味・・。

 

芥川で久しぶりに見たヌートリアも

この濁った水では 仕方なく 岸辺に姿を出してエサ取りか。

 

それもこれも、川の流れを良くするための工事です。

川に暮らすキミにもアナタにも『ご迷惑をおかけします』・・が

あと もう少しの辛抱です。

 

納骨

昨秋 亡くなった母の遺骨を、兄と二人で田舎の墓に納骨してきた。

1泊2日の車での短い旅だったが

老人2人の、何処か ちょっと緊張しながらの旅でもあった。

 

70数年 お互いに生きて来て

兄と二人だけの旅というのは これまでの記憶にはなく

生まれて始めての事だったのかもしれない。

 

中村の四万十川の見えるホテルに泊まる。

ホテルの窓から見える 赤鉄橋と光る四万十川の夕景・・

 

翌朝、ホテルの窓から見えた 四万十川の流れと赤鉄橋
その向こうには具同地区・・。

 

帰り道、佐賀地区の 小さな公園に寄り太平洋を望む・・。

 

“ふるさとは 遠きに在りて 想うもの・・・”

しかし 時には 帰るべきところ・・か 。