その後・・

朝食中の突然の大音と大揺れに、我が家の建物や家財道具が

アッと言う間に崩れ壊れた日から 一週間が過ぎた。


ブログ「大衆娯楽小説は文庫本で」に掲載していた2010年(6作目)のカット絵

きーポケとつれあい2人の心持ちも、まだ 普段の日常を

取り戻せたとは 決して言えないが、半ば諦めもあり

少しずつだが 落ち着きを取り戻しつつある。


ブログ「大衆娯楽小説は文庫本で」に掲載していた2010年(7作目)のカット絵

 

震災前は毎日 読書コーナーに座って文庫本を読むのを

楽しみにしていたのに

震災後は まだ一度も文庫本を開く気持ちにならない。

 

もう少し、もう少し・・

震度6弱

突然 地震が襲って来て 半ば呆然としながらも

3日目の夜を迎えた。

「震度6弱」だったという。

屋根の一部が崩れ、外壁も大きくひび割れているが

幸いにも きーポケとつれあいに怪我などはなく

しかし 今後 襲いくるかもしれない余震か

はたまた それ以上の本震かに 少し怯えながらも

少しずつ 倒れた家具や割れた食器類などを片付け始めた。

 

トンボ

この時期にしては わりと爽やかな梅雨の晴れ間の今日

近所の今城塚公園に散歩に出かけた。

土曜日の公園には、小さな子供連れの家族が

多く遊びに来ていて、やっぱり子供達はかわいい。

 

いつものように 戦前や戦後の頃の流行歌をスマホで聴きながら

帰り道を歩いていた。

田植えが終わって一息ついた水田が 小径の両側に続いている。

スマホから流れてくる流行歌は、昭和8年ころに作られたという

西条八十さん作詞、古賀政男さん作曲

松平晃さんが歌う『サーカスの唄』という曲だった。

『♪  旅のつばくら 寂しかないか

おれも寂しい サーカスぐらし

とんぼがえりで 今年もくれて

知らぬ他国の 花を見た』・・と そんな歌詞が続いて行くのだが

♪ とんぼ が〜えぇ〜り〜で〜・・と その歌詞の部分が流れてきた

その時、ほんま 偶然や!偶然!

きーポケの目の前を トンボがフラ〜っと飛んでいきよった。

 

一瞬やったから スマホで写真を撮る間などなかったから

証拠は なんも無いんやけど、ほんまやで!ほんまやで!

子供の頃からよく見慣れたトンボやったけど

名前を知らんかったから 帰ってネットで調べたら

「シオカラトンボ」と云う名前らしい。

 

ほんまやで〜・・。

 

歯医者

半世紀ぶりに 歯医者に通い始めた きーポケである。


ブログ「大衆娯楽小説は文庫本で」に掲載していた2010年 梅雨の頃
(10作目)のカット絵

何を隠そう きーポケの歯は、ずっと前から ボロボロなのである。

若い頃から 歯の手入れなどの面倒な事は避けていたし

たとえ虫歯になっても 歯医者など行かず ほったらかしで

ひどく悪くなったら、ゴシ ゴシ ゴシと時間はかかるが

悪くなった歯を動かして、自分で抜いていたりしてきた。

だから もちろん抜いた後は そのまま放ったらかし・・。

 

遠い昔の まだ中学生の頃

貴重な夏休みの1ヶ月の間、虫歯の治療のために

毎日のように歯医者に通ったことがある。

治療の最後の日に『よう頑張った!』と医者に褒められたくらい

子供の時は生真面目だったが

20歳の頃に虫歯の治療で2、3回 歯医者に通った事を最後に

それ以来、歯医者には行ったことがなかった。


消したブログ「大衆娯楽小説は文庫本で」に掲載していた2011年 梅雨の頃
(57作目)のカット絵

ガーガーとヤスリの回転音と歯を削る音

その摩擦で歯が妙に熱を持ってくるような・・

昔の歯の治療での嫌な感覚には耐えられなくて

もう一生歯の治療には行かへんぞ・・と、強く心に決めていた。

年を経て、残っている歯の ほとんどが何かしら悪くなって

総入れ歯にしたら かえってスッキリするやろ・・などと

ただ単純に考えていたりしていたのだが・・。

歯が抜け 残った歯も ほとんどが虫歯となり

上下の歯の噛み合わせも悪くなってくると

現実 この先の食べられなくなる不安が強くなった。

 

数年前から前歯の2本が駆け落ちたままで

まるで「バカボンのパパ」とか「レレレのおじさん」のように

なっていた きーポケだったが

見た目はともかく、このままいけば本当に近い将来

食べることも出来なくなる・・と、そんな恐怖心が芽生えてきた。

 

これまでにも つれあいや 娘たちに『歯医者に行ったら』と

何度も何度も云われていたけれど

まだその頃は 歯医者へ行くのを頑なに拒んでいたのだ。

何しろきーポケには、歯医者は怖い・・というイメージ

だったのだから。

 

それにしても 50年ぶりに歯医者に通い始めて まだ3回目だ。

次女の家の愛犬の病気も、歯を抜いたところからの毒の影響が

あったかもしれないとブログに書いてあった。

だから だから、治療が終わるまでに半年かかるか、1年かかるか。

緊張の連続なのだけど、心を入れ替えて きーポケは頑張るのだ。

 

自分よがり・・(2)

今はもう終了して削除してしまった過去の きーポケのブログ

『大衆娯楽小説は文庫本で』に掲載していた176枚のマンガ絵

を 改めて見直してみると、何ともいえず 懐かしく 愛おしい・・。


『大衆娯楽小説は文庫本で』の2010年 梅雨の頃に使用した

 

だから これからの当ブログでも そんなマンガ絵を

記事内容と関係がなくても、カット絵として再度 使用したい。

 

 

マンガ絵の最初の頃は 孫たち3人だけの登場だったのだが

回を重ねるうちに、孫3人の他に いろいろな人物が登場して

くるようになった。

 

3人の孫以外に最も多く登場しているのは、きーポケが大好きな

「男はつらいよ」の”寅さん”で37回も登場している。

”文豪の芥川”も21回と”寅さん”に次に多く登場している。

他にも ”スナフキン”や”チャップリン”、”ピエロ”や”山頭火”

などなど、多くの人物や動物たちが登場して彩りを添えて

くれている。


『大衆娯楽小説は文庫本で』に最も多く登場している”寅さん”との最初の出会いの場面。
2012年の春、この時の”寅さん”は 映画の一場面から引用させてもらった実写だった。

 


『大衆娯楽小説は文庫本で』に”文豪の芥川”が登場した最初の場面。
2012年 春が終わる頃・・。

 


ブログ『大衆娯楽小説は文庫本で』内での108回目のマンガ絵。

 

2013年の夏に つれあいと二人で

次女とアッくんが暮らすサンタクララへ遊びに行った時の事を

孫と”寅さん”に登場してもらった形でマンガ絵にしている。


『大衆娯楽小説は文庫本で』での175回目のマンガ絵。

 

そんな こんな、あれも これも・・

3年余りの さほど長くもない時間に描き貯めたマンガ絵だけれど

今は それぞれが 懐かしく 愛おしい・・・。

 

自分 よがり・・(1)

今から8年ほど前、読み終えた文庫本の備忘録のつもりで

あらすじや感想などを簡単に書いた『大衆娯楽小説は文庫本で』

というタイトルのFC2ブログを作っていたことがある。

 

しかし  そのブログを、2年3年と続けていくうちに

文庫本を読み終わればブログに感想を書かなければならない・・

との思いが、文庫本を気軽に楽しく読みたいはずなのに

だんだんと 重く感じるようになってきて

3年目を過ぎたあたりで ブログを止めた。

 

ブログは削除したから感想文などの記事は残っていないが

週に一度ていどの感想文の更新時には、必ず きーポケが描いた

カット絵を にぎやかしのつもりで掲載していた。

そのカット絵は 3人の孫をモデルにした

特別どうということもないカット絵なのだが

今 妙にそれらのカット絵が 懐かしく 愛おしい・・。


2010年 春、感想文を始めたばかりの頃で、本に関係した内容が多かった。

 

その頃はマンガ絵を描くのは楽しかったし

他のブログなどにも にぎやかしのつもりで載せたり

離れて暮らす家族への誕生カードにもマンガ絵を添えて

贈っていたが、きーポケが70歳になりかけたあたりから

マンガ絵を描く事が 何となく億劫に感じるようになって

今では もう ほとんど、マンガ絵を描くことも

誕生日カードを贈ることも なくなってしまった。

 

だから 尚更なのかも しれない・・

2010年の春から 2013年の夏あたりまでの3年余り続いた

『大衆娯楽小説は文庫本で』のブログ上で

孫達に遊んでもらったマンガ絵が、どうにも懐かしく思うのだ。


2010年 梅雨のころ・・

 

3年と少しのあいだ描いてきたマンガ絵 176枚は

きーポケのMacBook Proの中に ちゃんと保存をされている。

 

老後は 自分よがり・・

ブログも 自分よがり・・

 

感謝

昨日も、今日も、多分 明日も

だらだらと 日々を過ごせる ありがたさ・・。

単調な繰り返しの そんな日常が

出不精で ものぐさ者には ありがたい・・。

 

たかが70歳を過ぎた程度の 中途半端な怠け者が

何を生意気に・・などとの お叱りの声も聞こえたきたりするし

多かれ少なかれ 周りの人たちに支えられての

怠け者の わがままでも あるのだが・・。

 

もう一つ「不思議なマーク」が・・

今日も また、何種類かある きーポケの散歩コースの中の一つ

「上の池公園」方面に散歩に出かけた。

 

以前の当ブログ、2018年4月13日の『上の池公園』の

記事の中に”不思議なマーク”に出会ったことを書いている。

https://arukuneru.com/2018/04/13/kaminoikeatari/

「上の池公園」入口 交差点の阿武山団地側の石垣に彫られている

「⬜︎◯△」を合わせた不思議なマークに出会った・・と。

そして 今日、新たに もう一つ「不思議なマーク」に出会った。

場所は「⬜︎◯△」のマークがあった場所から さほど遠くない

「史跡新池ハニワ工場公園」の入り口付近の歩道の石垣に

それは彫られていた。

鳥を掘っているようだ・・。

 

「史跡新池ハニワ工場公園」とは、5〜6世紀頃の遺跡で

ハニワを焼いていた窯や、そこで働いていた工人集落からなる

全国でも最大級といわれる工場跡を公園にしている。

 

これら二つの、一見 古代を想像させる彫り物の文様は

何を意味しているのだろう。

もちろん現物の石は 現代に彫られた物だと思うが、それにしても

何かを参考にして彫られているのではないか・・と想像する。

ネットで調べてみた。

市のホームページや壁画などのサイト、Googleの画像検索にも

マークの画像を照らし合わせてみたが ヒットしなかった。

 

このようなマークが まだ他にも

この付近に彫られているのかどうかはわからない。

「⬜︎◯△」マークにしても「鳥マーク」にしても

古墳や埴輪などを観光の目玉として売り出している高槻市が

公園の石垣などに それらしさを出そうと演出をしている・・

とも考えられる。

 

果たして ・・。