政治の実践に関わるものは・・

葉室麟さんの文庫本『霖雨』(PHP文芸文庫)を読み初めている。

 

主人公は江戸時代後半の儒学者・広瀬淡窓(たんそう)という

実在した人物。

幕府天領の豊後日田(現・大分県日田市)で

私塾・咸宜園(かんぎえん)を主催する教育者で漢詩人でも

あった。

 

徳川時代も終焉を迎えつつある そんな大きな時代のうねりの中

権力者の横暴や役人の執拗な嫌がらせなどに耐えながらも

清冽な生き方を貫こうとする淡窓と、その兄を敬い慕う

弟・久兵衛の物語のようだ・・。

 

この小説『霖雨』を30ページほど読み進めたあたりに

「まことに・・」と納得してしまう文章があったので

記しておきたい。

 

淡窓が主催する咸宜園への、天領・豊後日田の代官や役人達が

繰り返す横暴や嫌がらせに 淡窓は思うのである。

 

『政治の実践に関わるものは、時に道徳を なおざりにして

功利損得へと流れる・・。

そのことが 政治の堕落へと つながる』・・と。

 

昔に限らず いつの時代でも、為政者は この事を

肝に銘じておくべきであろうに

残念ながら現在の政治も、東でも西でも

功利損得に流れっぱなしの状況のようである。

 

紹介しておこう・・その参

子供の頃の仲間の紹介する3回目は、まず『朱房の小天狗』だ。

作者は「うしお そうじ」さん。

秋田書店から出版されていた月刊少年漫画雑誌「漫画王」(のちに

雑誌名を「まんが王」に改題)に、昭和28年から昭和34年まで

連載された時代物の捕物帳マンガであった。

 

「漫画王」という漫画雑誌は同じ秋田書店から出版されていた

「冒険王」より 少し低学年向けに作られていたように思う。

主人公の少年の名は「百太郎」。

朱房の十手を持った少年目明しである。

 

このマンガは 当時の少年漫画に有りがちな活劇マンガというよりも

頭の良い百太郎の知恵と推理で悪い奴のトリックを解き明かし

事件を解決していくというものであった。

 

 

また、百太郎の父親の千吉などは「私が目明しの千吉で、これは

助手の百太郎です」などと公言していたが、実際は父親の千吉が

息子の百太郎の手足となって動いているのが実情であった。

 

 

続いて紹介するのは『ビリーパック』。

昭和29年から昭和37年まで 月刊少年漫画雑誌「少年画報」に

連載されていた人気マンガだった。

 

 

作者は「河島 光弘」さん。

『ビリーパック』は「赤胴鈴之助」や「まぼろし探偵」などと

並んで「少年画報」の代表作として人気を博した。

 

 

戦時中の日本で、アメリカ人の「ウイリアム・パック」と日本人の

との間に 青い瞳を持つ混血児としてビリーは生まれた。

戦争も激しくなり、両親がスパイ容疑で殺されてしまい

孤児となったビリーは、叔父に引き取られ終戦を迎える。

終戦後 ビリーはアメリカへ渡り、数年後に 探偵の修行を積んで

日本へ帰ってくる。

ビリーが幼い頃に 混血児ということで虐められた話など

初め頃は やや暗い印象で、戦中戦後の当時の時代性が色濃く

反映されていた設定であったが

成長して日本へ帰って来た 成年探偵・ビリーパックが正義を貫く

ため さまざまな悪者たちと戦う痛快探偵マンガであった。

 

しかし 残念ながら、作者の河島さんは 結核の病のかかり

連載途中の昭和36年3月に30歳という若さで

亡くなってしまう。

助手をしていた矢島利一さんが そのあとの1年間の連載を

担当し、昭和37年に連載は終了した。

 

天皇陛下のお言葉

平成天皇として最後のお誕生日を お迎えになられる天皇陛下の

記者会見の お言葉を映像でみた。

 

 

きーポケなりに大雑把だが まとめてみた。

 

『大地震、集中豪雨、台風などの自然災害に遭われて、不幸にも

亡くなられた方々や被災された方々が、今も 不便な生活を

強いられているのを見るにつけ、被害を受けた方々が 一日も早く

元の生活を取り戻せるように願っています。』

 

 

 

原因となる そのほとんどは、大国の身勝手によって始まったで

あろう そんな『世界各地で起きている民族紛争や宗教によって

起きる対立が、多くの犠牲者を生み、多数の難民が

苦難の日々を送っているのに心が痛みます。』

そしてそれは

今の日本政治が そんな身勝手な大国の片棒を担いでいる

状況に、お心を痛めておられるのではないか・・。

 

 

『先の大戦を含めた長い苦難の歴史をたどってきた沖縄の人々の

耐え続けて来た犠牲や、その歴史や文化に対して

理解し心を寄せていく必要がある。』

改めて沖縄の心を強調されている。

 

 

『我が国の戦後の平和と繁栄が、多くの犠牲と国民の たゆみない

努力によって築かれたものであることを 決して忘れず

戦後生まれの人々にも このことを正しく伝えていくことが

大切だと思う』とも述べられている。

戦後生まれの人々・・とは

現政権のほとんどの政治家をも含んだお言葉だと 思う。

 

 

『昔 海を渡った外国で 苦労を重ねながらも

それぞれの国で助けを受けながら

その社会の一員として 今 活躍している多くの人々が

いることを思うにつけ、今 各国から我が国に来て仕事をする人々

社会の一員として私ども皆が 暖かく迎える事ができるよう

願っています。』

 

現政権や現政権を支持する人達の、どこか危なげな方向へ

向かいそうな政策や、数だけに頼った問答無用の傲慢な国会運営を

見るにつけ、象徴天皇のお立場としての お言葉は柔らかいとはいえ

一人の人間として 最後に どうしても一言

おっしゃりたかったのではないだろうか。

 

そして 談話の締めくくりとして・・

『振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく

現在の皇后と出会い、深い信頼のもと 同伴を求め、爾来(じらい)

この伴侶と共に これまでの旅を続けてきました。

天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで

象徴としての私の立場を受け入れ、(中略)自らも国民の一人で

あった皇后が、わたしの人生の旅に加わり

60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を

真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく

思います』・・と おっしゃられている。

 

誠に 誠に 目頭が熱くなります・・。

素敵な素敵な ご夫婦であります。

 

霧の朝

 

中国・桂林とかの 山水風景を写した写真ではない・・。

 

我が家の裏の農業用溜池の今朝を映した写真だ。

 

非常に珍しく、霧に包まれて幻想的な朝を迎えた・・。

 

 

こんな雰囲気の霧にけむる芥川の堤道を 歩いてみたいが

散歩に出られる頃合いまで この霧がもってくれるか どうか・・。

 

庭に植えている小さな柿の木に 今年も多くの実がなった。

八百屋などに並んでいる柿とは違い、見た目は あまり良くないし

小さい実の割に種が多くて 食べるのに難渋するのだが

味は割りと良いので、毎年 実るのを楽しみにしている。

 

先月に、実った柿の ほとんどを収穫した。

小さい枝が折れ曲がるほど実っていた。

鳥が食べにくるだろうと思って全部は収穫せず

3,4個を残しておいた。

 

 

昨日 窓のカーテンを開けようとしたら

鳥が柿の木に止まっているのが眼に入った。

鳥を驚かせないように そーっとカーテンを開き

ポケットからスマホを取り出してシャッターを・・押した。

ココとココに1

 

多分 鳥はヒヨドリではないか・・1羽は桜の木に飛んでいったが

残った1羽が熟れた柿の実を ついばんでいる・・。

 

 

本来なら きーポケは

硬めの柿を皮をむかずに食べるのが好きなんやけど

今は歯の治療中のため硬い柿は食べられない。

だから つれあいが

少し柔らかくなった柿の皮を食べやすいようにむいてくれた。

ごちそうさん!

 

紹介しておこう・・その弐「絵物語」

当ブログのタイトルバックに登場している懐かしき友人たちを

紹介する2回目の今日は『砂漠の魔王』だ。

砂漠の魔王

 

『砂漠の魔王』は昭和24年から昭和31年まで、秋田書店から

発行されていた『少年少女 冒険王』(のちに『冒険王』と

雑誌名変える)に連載されていた絵物語である。

作者は福島鉄次さん、きーポケが まだ小さかった頃の

連載絵物語で、当時の子供雑誌は漫画よりも絵物語や小説

記事物などが主流だった。

 

物語の舞台はアラビアかアフリカか、そんな感じの何処か異教の

地で、魔王はターバンを巻き 赤いマントを身にまとい

ブーツをを履き 腰には大剣を差した アラブ風のコスチュームで

登場する。

どうやらアラビアンナイトの「アラジンと魔法のランプ」に

ヒントを得たと思われる。

砂漠の魔王

 

ランプから巨大な魔王が現れて、空を飛び 無敵の力を発揮する

そんな物語だったように思うが

きーポケは まだ小学校低学年の頃のことだから

物語の内容については ほとんど記憶にない。

「福島鉄次」という印象に強い名前と、全てのページが

色付きだったような そんな記憶が かすかにある。

但し、細かな部分についてはWebサイトの数少ない情報で調べた。

砂漠の魔王

 

Webサイトの情報で知ったことだが、連載を始めた頃のタイトル名

『沙漠の魔王』と「沙」の字を使っていたらしいが

この字が当用漢字から外れた事によって「沙」を

当用漢字の「砂」に変えて『砂漠の魔王』にしたという。

 

 

当時の子供雑誌は、漫画よりも絵物語や小説、記事物などが主流

だったと前記したが、その頃の主だった絵物語の作家には

「少年ケニア」などで人気のあった山川惣治さん。

未来や宇宙を舞台にした作品が多かった小松崎茂さん。

挿絵

 

紙芝居や雑誌で大ヒットした「黄金バット」の永松建夫さん。

当時の東映時代劇の俳優を真似た主人公が活躍する植木金矢さん。

挿絵

 

そして「砂漠の魔王」の福島鉄次さん。

 

 

他にも沢山の絵物語作家はおられたし

伊藤彦造さんを始めとする小説の挿絵を描かれていた作家も

数多くおられたと記憶している。

伊藤彦造・山口将吉郎

 

となりの部屋に いるように・・

おととい 記事更新のための写真をアップロードしようとしたら

「エラー』となってアップロード出来なくなった。

 

一応 きーポケなりに その原因を調べねばと思い

「Wordpressブログ」における画像等を保存する「メディア」関連

問題点を「Wordpressブログ」内で調べようとした。

また Webサイトで「Wordpressブログに画像をダウンロード

出来なくなった原因は何?」・・と打ち込んで

いろいろな人の意見を参考にさせてもらったが

如何せん きーポケの実力では まったく理解できない内容だった。

 

 

こうなったら サンタクララに暮らす次女に頼るしかいない・・。

すぐに その内容をメールで送ったら、幸いサンタクララはまだ

夜の10時ころだったようで、早速に その原因を見つけてくれて

ブログの修正までしてくれた。

だから その夜のうちに、記事の更新をすることが出来た。

 

ほんまに 心強い限りだと・・実感する。

 

次女が一人 アメリカに渡って行った24年ほど前には

何があっても直ぐには手の届かない あまりの遠さに

もどかしさと不安を感じたりしたものだったが

今は 便利になったものだと・・実感する。

まるで となりの部屋にいるように・・なのである。

 

ちょっと 遠 回 り・・

重い雲の切れ目から時折の日差しを喜びながら

今日は上の池公園方面へ散歩にでかける。

 

秋のモミジ
11月の27日に ここで真っ赤な紅葉を写真に写したが・・

冬のモミジ
12月の半ばの今日来てみると・・・。

 

 

今日は ちょっと頑張って

いつもの上の池公園の散歩コースから少し足を伸ばしてみた。

以前 一度通ったことのある 田舎道。

重いやんか〜、早く摘み取れよ〜
『重たいわ〜、はよ 実 摘んでや〜』

 

抜けへん〜
夏に実った瓜が・・『ヌ、抜けへん・・』

 

根性?
コンクリートブロックから木が・・『は、生えてる・・?』

 

懐かしい路地
遠い遠い昔 子供の頃の 母方のお祖母ちゃんの家の近くの路地を
思い出させるような道・・。

 

練習試合
今日は土曜日
娘たちが昔 通った阿武野中学校の野球部が他校の野球部と
練習試合・・快音は なかなか響かず・・。

 

紹介しておこう・・その壱・金星金太の巻

つい先日 約束したように

当ブログのタイトルバックに登場している友人たちを紹介する。

第1回目に登場してもらうのは『金星金太』だ。

金星金太

 

栃錦とか初代の若乃花が好敵手として土俵を沸かせていた頃の

「栃若時代」、当時のスポーツでは野球選手と相撲の力士が

少年たちのアイドルであった。

そんな昭和31年から昭和35年まで、月刊少年漫画雑誌の

「少年画報」に連載されていた時代物の相撲マンガだ。

 

何しろ 半世紀以上も 遠い遠い昔の事ゆえに、きーポケ自身が

その ほとんどを忘れている・・。

タイトルや作者名、絵柄のイメージ、掲載していた雑誌の名前

等々・・せいぜいが その程度の事しか記憶に残っていないわけで

だから このコーナーを書くにあたってWebサイトに「金星金太」

と打ち込んでみたら、予想したとおりの少ない情報の中から

一部を参考にさせてもらった。

 

しかし 思いがけない情報もあった。

その わずかばかりの情報に混じって、金星金太の事がラジオで

話題になったことがあったというのだ。

それは『伊集院光 日曜日の秘密基地』という 今ではもう放送を

終了しているラジオ番組の中で、「金星金太」のマンガが

話題になったというのだ。

YouTubeで その内容が聴ける・・。

https://www.youtube.com/watch?v=0LosZy-VO_Q

 

このラジオ番組は2000年から2008年までの間

タレントの伊集院光さんがパーソナリティーを務めたTBSラジオの

番組で、その番組内の「秘密キッチの穴」というコーナーで

『金星金太はどうなった?』という話題で2005年の終わり頃

に放送されていたらしい・・。

心に引っ掛かっている「謎や埋まらない記憶、当時 流行していた

品物・・」等々をリスナーから募集し

他のリスナーからの情報を得ながら調査、解明していくコーナー

だったという。

 

 

我が家には、きーポケが もうすでに大人になっていた30数年前

通勤途中にあった小さな古本屋さんで見つけて購入していた

昭和31年7月号の「佐々木小次郎」と

昭和33年 新年号の「金星金太」を持っている。

いずれも少年画報の別冊ふろくである。

最後になってしまったが 作者は「平川やすし」さん。

江戸で大人気の横綱・谷風の一行が相撲興行でやってきた

村の少年・金太が余興相撲に出場し、その強さに親方の谷風は

金太を相撲取りにならないかと誘う。

谷風部屋に入門した金太少年は、未来の横綱目指して毎日猛稽古

に励み、様々なライバルや悪人たちと戦いながら次第に強くなって

いく・・そんな物語だった。

 

雨上がりの芥川の河原にて・・

朝のうちに雨があがり 晴れ間が出てきたので

芥川堤道へ散歩に出かける。

今朝の空気に 数日前のような厳しい冷たさはない・・。

道端の草も木々も 朝方までの雨に まだ濡れている。

 

芥川の河原に亀とアオサギの姿を見つけた。

それぞれの姿は単独では よく見かけるが

並んで見るのはめずらしい。

 

『アホか・・』と云われれば それまでのことやけど

亀とアオサギのやり取りのセリフが浮かんだ・・。

だから とりあえず 写真に写した。

 

 

亀『おーい! 知らんぷりせんと こっち来いやぁ、

  「鶴 亀」で並んだら縁起ええんと ちゃうの・・。』

 

アオサギ『アホ抜かせ! オレは鶴とちゃうぞ! アオサギ やぞ、

     孤独を楽しむ ア・オ・サ・ギ や!

      間違えるな! 何年 生きとるんじゃ・・』