なんだかなぁ・・

『 人と違うから と「優越感」を持つか、

 人と違うから と「劣等感」を持つか・・』

 


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2010年の秋の頃に「さし絵」として掲載していた28作目のカット絵。

 

六兵衛が散歩の途次に通る お寺の入り口の掲示板に

そんなような言葉が書かれたポスターが張ってあった。

 

人は つい自分と人とを比べてしまう。

人それぞれに生き方は違うもので、出来れば前向きに

考えた方がいいのではないか・・と

そんな風に、そのポスターを張った お寺の坊さんは

言いたいんやろか・・と思ながら 読んだ。

 

その帰り道、今の季節らしく 金木犀の黄色い花びらが

道端に散っている。

 

さっきの お寺のポスターの「言葉」とは ちよっと意味合いが違うが

果たして この状況を、「綺麗」と思うか「汚い」と思うか・・。

 

人 それぞれやろッ!・・。

 

・・・・・何だかなぁ・・。

 

朝から雨が降る・・

朝から雨が降る・・。

今日は 昼の12時に、歯医者の予約が入っている・・。

 

歯医者へ行く日は 朝から憂鬱だ。

朝から緊張している・・と言った方が正解かもしれない。

 

今の歯の治療は、昔と違って ほとんど痛みもなく

だから さほど苦痛では ないはずなんやけど

50年以上も前の、子供の頃に経験した治療の恐怖感が

今になっても消えることなく蘇ってきて

70歳を過ぎて、何もかもが鈍くなっているジーさんの

六兵衛なのに、どうにも 恐怖感と緊張感を張り付かせる。

 

今日も また、辛抱、辛抱・・。

 

「macOS Catalina」

去る10月8日の朝、我が家の主パソコン「MacBook Pro」を

起動したら、ディスクトップ画面の右上に小窓が現れた。

 

アップデートの表示らしい・・よく見ると

現在の「macOS Mojave」から「macOS Catalina」という

新しいバージョンへのアップを進める表示のようだ。

 

それより少し前の9月の下旬にも「macOS Mojave 10.14.6 」

の追加分と「Safari 13.0.1」の2つのアップデートの指示が

あって実行したのだが、何故だかスムーズにアップデートが

出来ず、それでも執拗にアップデート作業を繰り返していたら

何とかアップデートを終える事が出来たばかりだ・・。

 

ところが今回の「アップ作業」は、Apple社が macOS向け

の最新バージョン「macOS Catalina」の無料提供を開始した

という事で、先日のアップデートとは根本的に意味合いが

違うようだ。

 

新しいバージョンは「カタリナ」と読むらしく

 ロサンゼルス南西のカリフォルニア諸島の沖合に浮かぶ

島の名前から取ったらしい。

「砂漠」の次は、海に浮かぶ「島」・・か。

 

今回の新しいバージョンを数字で表すと

「macOS 10.14.6」から「macOS 10.15」になるようで

我が家の主パソコンである「MacBook Pro」も

2012年の中頃に製造された製品(Mid2012)だから

新バージョンに対応できるOS機種の中に

ギリギリ含まれるらしい。

 

しかし 考えるべきは、我が家の主パソコンでもある

『MacBook Pro(Mid2012)』のバージョンアップを簡単に

行っていいのかどうか・・ということだ。

 

現バージョンの「macOS Mojave」への、前バージョン

「macOS High Sierra」からのバージョンアップをする時も

少し迷った。

何しろ 新しいバージョンになると、これまで使っていたアプリ

が使えなくなる事が、ままに あるらしいから・・。

前回の時は、何故だか バージョンアップをしなければならない

ような、なんか ちょっと強迫観念みたいな感覚があって

だから結局 バージョンアップをしたんやけど

今回は、我が『MacBook Pro』も だいぶ古くなっているし

六兵衛のパソコン技量を考えてみても

例え バージョンアップをしたとしても、その後が かえって

使いづらくなったりするのではないか・・とも考えられる。

 

新バージョンの提供が開始されて まだ20日ほどだから

確かな噂は拾えないかもしれない・・と思いながらも

ネットで新バージョン「macOS Catalina」の評判などを

調べてみることにした。

 

まず『 iTunes 』が「ミュージック」「TV」「Podcasts」

の3つのアプリに分割され、「iPad」が「macOS Catalina」の

サブディスプレイとして使えるようになったとも書いてある。

 

新バージョンでは、32ビットアプリが動作しなくなる。

Adobe社によると「Photoshop」などのAdobe Creative Cloud

(アドビ クリエイティブ クラウド)製品に問題が起きている。

ヒラギノ角ゴPro/ProNが削除されたため、Google Chromeの

フォントが崩れる可能性がある。

Bluetoothが何だか不安定・・。

正常にコピーの記録が出来ない可能性がある。

本体が異常に熱くなったり、ファンが廻り続ける不具合も

報告されている・・・等々、等々。

 

様々な報告の中には、六兵衛には理解できない意見などもあり

また、現時点では まだ報告がされていない不具合なども

今後 出てくる可能性も、まだ あるかもしれず

ペンタブレットやプリンタなど、作業に必要なハードウエアを

含めて、正常に利用できるかどうかを確認した上で

「Catalina」へのグレードアップをする事が大切だという。

 

 

MacOSのバージョンを「High Sierra」から

砂漠のイメージの「Mojave」にグレードアップしたのは

昨年の初秋の頃だったと記憶している。

それからまだ1年ばかりしか経たないというのに

もう新しいバージョンになるというのか。

 

新しいバージョンになって 喜ぶ人もいるんだろうが

六兵衛などにしたら、現状の「macOS Mojave」でさえ

手に余るというのに、新たなバージョンになるだなんて

ただオロオロするばかりである。

 

そんなこんなで 今のところ

バージョンアップは しないつもりでいるが

それだと いつまでもDock(ドック)の「システム環境設定」の

「ギア」のアイコンに赤丸白数字が張り付いたままで

なんか うっとうしいんやけど・・。

 

消えてくれ〜!

 

柿の実

我が家の小さな庭に 一本の柿の木が植わっている。

十数年前につれあいが植木屋さんから買ってきて植えた木だ。

小さな木だったが、六兵衛の背丈より少し高いくらいに

成長して「桃栗3年 柿8年」のことわざ通り、数年前から

今頃の季節になると「実」を付けるようになった。

昨年あたりは、やや小さめだが 鈴なりの「実」がなった。

小さくて見た目は決して美味そうではないが

かじると黒いゴマがあって、味はケッコウ良かった。

 

今年は夏の間、柿の木の根元にゴーヤを植え

そのゴーヤの蔓を柿の木に這わせて支えにして

ゴーヤを栽培をした。

お陰で ゴーヤの実はなり、食卓に上ったりして

そこそこの成果はあったのだが、一方 その所為でか

今年の柿の実の なり具合が今ひとつ良くない。

実も数える程しかならず、大きさもバラバラで

紅く色づくのも 少し遅れていた。

 

少し早いかな・・と思ったけれど 試しに6個だけ収穫した。

直ぐに一つ食べた。

昨年ほどの美味さはない・・。

収穫するには まだ少し早かったのか、それともゴーヤの「支え」

した報いか、黒いゴマも入ってない・・。

それでも「おやつ」代わりの小腹しのぎには なる・・と

自分に納得をさせる。

 

 

残りの柿の実は わずか10個足らず・・収穫はもう少し待とう。

今年の貴重な 柿の実である。

 

『エイ! ヤア! トウ!』

この頃は、面白い文庫本が少なくなってきたと思っている

偏見とワガママ者の六兵衛は、再読用の本棚に残している

文庫本を取り出して読み始めた。

 

まず 読んだのは・・

浅黄 斑さんの『無茶の勘兵衛日月録』シリーズ

次は長谷川 卓さんの『北町奉行所捕物控』シリーズ

先日には、吉田 雄亮さんの「深川鞘番所」シリーズを

読み終わった。

 

そして 六兵衛が、次に 再読する文庫本は・・

とうとう! 遂に! いよいよ!  待望の! 待ちに待った!

・・などの文言を いくつ重ねても、まだ足りないくらい

満を持して読み始めたのが、勿論 もちろん モチロンそれは

市兵衛さんの小説『風の市兵衛』シリーズである。

祥伝社から出版されている辻堂 魁さんの時代小説だ。


以前に描いた市兵衛さんのカット絵、これまでにも何度か登場している・・。

 

当ブログにも市兵衛さんの事はしつこい程に、何度も何度も

登場してもらっている。

そして 今回 このシリーズを読み返すのは3度目になる。

 

市兵衛さんは 侍として 人として、極めて真っすぐで 強く

何より慈しむような優しさで、人の心を温かく見つめる。

誠意と真心と誇りを持った市兵衛さんの生き様が清々しい。

第1巻でも、汚名を着せられて死んだ旗本の未亡人と

8歳の息子への、慈愛に満ちた眼差しに市兵衛さんの

温かい優しさが よく表れている。

現実には こんな男はいないだろう、どうせ作り話だ・・

そう云われれば それまでだが、しかしだからこそ 作り話の

この物語に六兵衛は救われ 涙するのだ。

 

もうすでに、第1巻目は読み終わった。

現在は第2巻目の「雷神」を読み始めたところだ。

 

この第2巻「雷神」に、市兵衛さんの敵役として登場するのが

悪徳商人の呉服太物問屋・岸屋 新蔵という男である。

そして、物語のなかで 岸屋 新蔵の家系の説明があり

「新蔵」の父親が「信一郎」、先先代は「信吉」だという。

 

この『風の市兵衛』シリーズを これまで2度も読んでいるが

今回 初めて気が付いた・・この家系の名前、誰かに似てない?

 

悪徳商人の呉服太物問屋の岸屋 新蔵、そして父親が 信一郎

祖父は 信吉・・ネ! どこかで聞いたような名前だよね。

そう・・

呉服太物問屋・岸屋 新蔵の「新蔵」は安倍晋三首相の名前と

同じ「シンゾウ」。

新蔵の父親「信一郎」は、元外務大臣で安倍首相のお父さんの

安倍晋太郎さんの「晋太郎」と似かよっている。

オジーさんの「信吉」は、安倍首相の母方のオジーさんで

元首相の岸 信介氏と名前を似させた「信吉」となっている。

そのうえ「 店」の屋号も、オジーさんの「岸」と同じ

「岸屋」である。

 

第1次 安倍内閣は2006年(平成18年)9月に発足し

2007年(平成19年)9月、突然 首相を辞任した。

複数の閣僚の不適切な言動や年金問題などが深刻化して

安倍政権を揺るがし、表向きは体調不良との理由で辞任した。

「安倍は逃げた!」・・と言われたりもした。

 

そして5年後の2012年の暮れに、再び 第2次 安倍内閣が

発足するのだが、この小説『風の市兵衛・第2巻 』の「雷神」

が出版されたのが2010年の7月のことであるから

第2次 安倍内閣が発足する2年も前に、その後の安倍政権の

悪徳ぶりが、作者の辻堂 魁さんには お見通しだったのかも

しれない・・。

 

今さえ良ければいい・・己さえ良ければいい・・

そんな愚かな多くの国民が安倍政権を支持するものだから

日本は ますます乱れることになる。

出来れば市兵衛さんに 現代に現れてもらって

「風の剣」で エイ!ヤア!と世を乱す悪い奴らを

懲らしめてもらいたいものだ。

 

「メダカ」と「小エビ」

我が家の庭の「メダカ」と「小エビ」の二つの水槽を

久し振りに大掃除をした。

 

20年前か30年も前の事だったか・・記憶があやふやになる

くらい前に、高校時代の同級生で今は自転車をしている友人から

「メダカ」を20匹ほど分けてもらって飼い始めたのが

きっかけで、それ以来「メダカ」の飼育に夢中になった。

今はもう「メダカ」の数も少なくなって、今いる「メダカ」は

友人から貰った「メダカ」の何代目かの子孫になる。

 

「小エビ」は、「メダカ」の水槽を眺めながら

何となく「メダカ」だけでは 寂しいなぁ・・と思い

これも10数年前の頃に、芥川へ行って水草の中に隠れて

いる「小エビ」を小さな網ですくってきて以来

今いる「小エビ」は その子孫になる。

 

以前は2階のベランダの一画を占領して、割と熱心に

飼育していたのだが、何年か前から水槽をベランダから

庭の一隅へ移し、徐々に六兵衛の「メダカ」や「小エビ」への

情熱も薄れていって、今では時々 餌を与える程度の

半ば放ったらかしの状態が続いている。

 

あまり人間が手を加え過ぎるのも 良くないとは思うが

ヘドロが溜まっていたり、水草が茂り過ぎていたり

藻が覆っていたりと、放っておくと 何かと水槽は汚れてしまう。

 

水槽を洗う序でに、二つの水槽の「メダカ」と「小エビ」の

それぞれの水槽を入れ替える作業も行った。

今までは小さい水槽には「メダカ」を入れていたが

大きな水槽に移し、大きな水槽に入れていた「小エビ」を

小さな水槽に移し替えた。

 

仕上がりの写真を見ただけでは、綺麗になったのかどうか

代わり映えしていないみたいやけど、「メダカ」や「小エビ」

に聞いてくれれば キット『住みやすくなったヨ!』と

言ってくれると思うよ。

 

古い流行歌『山は夕焼』

スマホのアプリに保存した200曲 余りの古い流行歌を

イヤホンで繰り返し流しながら、六兵衛は散歩をする。

 

例えば 以前、歩きながら何気に聴き流していた古い流行歌が

例えば今日、その同じ流行歌を聴きながら歩いていたら

以前には ただ 聴き流していた その流行歌が、何故だか今日は

六兵衛の胸に強く落ちてきたりする事がある・・。

そのような事は これまでにも何度かあった。

 

三橋美智也さんが歌う『山は夕焼』という歌が それだ。

まだ戦前の頃の1934年(昭和9年)に、東海林太郎さんが

キングレコードから発売した この歌を、戦後になって

三橋美智也さんがカバー曲として歌っている。

 

『山は夕焼け』キングレコード・昭和9年(1934年)発売

作詞:岡田 千秋 作曲:田村 しげる 歌:東海林 太郎

 

東海林太郎さんが歌う『山は夕焼』

https://www.youtube.com/watch?v=6Bmq89PSZ8E

 

三橋美智也さんが歌うカバー曲『山は夕焼』

https://www.youtube.com/watch?time_continue=11&v=MNgI6PXrWXk

 

(1)

山は夕焼け 麓(ふもと)は小焼け

ひとり とぼとぼ 裾野(すその)に暮れりゃ

吹くな木枯らし 侘(わび)しゅてならぬ

心しみじみ 旅の鳥

 

(2)

西に東に 仮寝の枕

思い遥(はる)かな ふるさと偲(しの)びゃ

遠い灯りが 恋しゅてならぬ

心しみじみ 里ごころ

 

(3)

(ねぐら)定めぬ はかない旅路

今日も とぼとぼ 枯野(かれの)を辿(たど)りゃ

沈む夕陽が 哀しゅてならぬ

心しみじみ 一つ星

 

夕暮れが近づいて来るというのに、今日もまた屋根の下で寝る

ことも出来そうにない旅の放浪者が、孤独と寒さと不安と

捨ててきたはずの故郷への郷愁とで、哀しくてならない・・。

多分 そんな意味のような歌だと思うと、ふと 種田 山頭火の

「句」を思い出した。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2013年
の晩春の頃に「さし絵」として掲載していた158作目のカット絵。

 

「 分け入つても 分け入つても 青い山 」

「 この旅 果もない旅の つくつくぼうし 」

「 どうしようもない わたしが歩いてゐる 」

「 物乞ふ家もなくなり 山には雲 」・・等々、等々。

 

種田 山頭火という人の生き方や、作った句などの

詳しい事は ほとんど知らない六兵衛なのだが

ただ 以前、孫たちが まだ小さかった頃に

「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの挿絵にするために

描いていたカット絵の登場人物として、フーテンの寅さんや

文豪の芥川さんなどと一緒に、山頭火さんにも登場して

もらったときに、山頭火さんの生き方の一部分や

創作された「句」を少しだけ知る機会があった。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2013年の初夏の頃に「さし絵」として掲載していた160作目のカット絵。

 

散歩の時、三橋美智也さんが歌う『山は夕焼』の歌詞が

耳に入ってきたとき、わずかに知る山頭火さんの心情は

この歌詞のようだったのではないか・・などと思いついて

散歩から帰ってネットで調べてみたが

この『山は夕焼』という歌の詳しい事は ほとんど分からず

この歌と山頭火さんとの繋がりを見つけることは

出来なかった。

 

それと、この歌の事で もう一つヒントがあって・・

この歌を「YouTube」へ投稿された方々の説明文の中に

「昭和09年(1934年) キング(キンポリ盤)流行歌 編集発行所:

大日本雄辯會講談社」とか

「昭和09年(1934年) キンポリ 流行歌 松竹映画「忍術千一夜」

主題歌」・・とかの文言を記してあるのを見つけたので

それらの事も調べられるだけ調べてみた。

 

だから 話は長くなる・・。

( 面倒くさがったらアカン! ボケ防止や! ボケ防止!)

 

戦前に「大日本雄辯會講談社(現:講談社)」から『キング』

という雑誌が出版されていたという。

そして、「大日本雄辯會講談社」が「キングレコード」という

レコード会社を発足して、東海林太郎さんが歌う『山は夕焼け』

という歌を発売した・・と云うことは分かったが

どういう経緯があって、この歌の情景が出来たのかに繋がる

ヒントは何も分からなかった。

 

また、『松竹映画「忍術千一夜」 主題歌』とも書いてあり

この歌と忍術とは結びつかない・・と思いながらも

念の為に この事もネットで調べてみた。

 

1947年に松竹から『猿飛佐助 忍術千一夜』という

高田浩吉さんや月丘夢路さんなどが出演された映画が作られて

いているらしいが、制作が1947年という事で

六兵衛が まだ生まれたばかりの頃の映画のようだが

目的の歌『山は夕焼』との接点は 見つけられない。

 

もう一つ、大都映画社が1939年に制作した『忍術千一夜』

という近衛十四郎さんと水川八重子さんが主演した忍術映画も

調べたが、「 軽妙なパロディー要素を取り入れた忍術映画」

などの説明があったのみで、この映画も『山は夕焼』との

接点は考えられそうもない。

 

 

あるいは あるいは・・

これは あくまでも六兵衛の想像なのではあるが

戦前の頃に、狭い日本に飽き足らず、若い男達が大望を抱き

中国大陸などに渡り、放浪をしながら政治活動や馬賊として

活動した、俗に「大陸浪人」と云われた人達の

人には云えぬ心の内の想いを詩った歌なのではないか・・

などとも 考えたりもするのだが・・。

 

何にしても しんみりと、つい聴き入ってしまう歌なのである・・。

 

今城塚古墳

今日は近所にある「今城塚古墳」に散歩に出かけた。

まさに秋晴れの 良い天気です。

 

先日の台風で、今も 後片付けに汗を流しておられる方や

不自由な避難場所で暮らさざるを得ない方々には

誠に申し訳ないと思いながらも・・

 

その 一方で・・

 

秋晴れの 高く澄んだ空の下を歩けるとき

喜びを感じている六兵衛です。

水鳥も羽を休める内濠(ないごう)と

今は遊歩道となっている外濠(がいごう)との間に築かれた

内堤(ないてい)も、市民の散歩道になっていて

多くの人が歩いている。

 

誰が描いたか 「アンパンマン」の絵・・。

 

遊歩道となっている外濠(がいごう)と

内堤(ないてい)の散歩道を2周半 歩く。

我が家からの往復で約1時間ちょっと

ほのぼのと 喜びを感じる六兵衛です。

 

『夕日は落ちて』

六兵衛の日課である散歩の時に聴く昔の流行歌の中に

松平 晃さんと豆千代さんの二人が歌うデュエット曲がある。

 

戦前の1935年(昭和10年)にコロムビアレコードから

発売された『夕日は落ちて』という流行歌だ。

作詞:久保田 宵二 さん    作曲:江口 夜詩 さん

歌は 松平 晃さんと豆千代さんのお二人。

 

豆千代さんは 名前でも想像出来るように、芸者さんから

歌手になられたそうだ。

 

『夕日は落ちて』

https://www.youtube.com/watch?v=ms_u4T7GahY

(1)

  荒野(あれの)の涯(は)てに 日は落ちて

  遥か またたく 一つ星

  故郷(ふるさと)捨てた 旅ゆえに

  愛しの黒馬(あを)よ 淋しかろ

(2)

  七つの丘も 越えたれど

  湖(うみ)の ほとりも さまよえど

  朝霧夜霧 暮れの鐘

  優しきものは 風ばかり

(3)

  夕日は落ちて 黄昏(たそがれ)

  今日もとぼとぼ 旅烏(たびがらす)

  恋しき君よ 思い出よ

  いつの日 幸福(さち)は めぐるやら

(4)

  名もなき花も 青春(はる)を知り

  山の小鳥も 歌を知る

  何故(なにゆえ)悲し 人の子は

  荒野(あれの)の涯(はて)の 雲を見る

(5)

  休めよ黒馬(あを)よ 今しばし

  月が出たとて 匂うとて

  恋しの人が 待つじゃなし

  頼むはせめて そち一人

※ 黒い馬のことを「あを」と言うらしい。

 

「YouTube」で聴ける この歌への「沈丁花さん」という人

のコメントを借りれば・・『昔の唄には、正座して

しみじみと聴きたくなるような そんな唄が多い。

 生きていれば 誰でも感じる人の世の哀しさが

雨だれのように 心に浸み込んでくる・・』 と。

 

日本の関東軍が強引に中国東北部(旧 満州)を占領して

日本と中華民国との武力闘争(事変)が始まった頃

日本の社会にも 極めて不穏な気配が色濃くなり

自由な言論は封殺され、軍国主義意識が強くなって

優しく生きることが難しくなってきた時代の唄である。

 

そんな重く暗い時代の歌詞ではあるのに

リズミカルとも思えるようなテンポの良い曲が

何だかモダンな感じさえして 耳に残る。

二人の歌手が、言葉を一つ一つ丁寧に歌い上げていて

聴く六兵衛の気持ちを軽くしてくれる。

スズメバチに注意

10月に入って流石に爽やかな秋の空気・・と言いたい

ところだが、歩いていると 汗ばんでくる。

 

先日、上の池公園への散歩に行ったら

公園内の一部が通行止めになっていた。

 

どうやらスズメバチが出るので駆除をしたという。

念の為、しばらくは近寄らない方が良い・・ということらしい。

 

スズメ蜂は恐い・・と聞く。

くっ・・くわばら、くわばら・・。

 

遊歩道の両側に「通行禁止」の張り紙をしている。

 

ついでだから 地図に記した。