種子をまく

庭の桜の花も5分咲きくらいか、今年も咲いてくれました。

 

その桜木の下の小さな畑を耕し、肥料を与え

春野菜の種子を撒くための準備を10日ほど前に終わらせていて

昨日と今日の二日間で、それぞれの「種子」を撒き

虫除けと寒さを防ぐため寒冷紗(防虫ネット)を被せる

作業を終えた。

 

「大根(春ゆたか)」、「小松菜」、「青しそ(大葉)」・・

 

「リーフレタス」、「ほうれん草」・・

 

そして「春菊」だ。

 

 

ちょっと気は早いんやけど、5月頃になったら「苗」を植えようと

思っている「ゴーヤ」のための「棚」も組み、ネットを張った。

 

小さな畑の ささやかな実りを願って・・。

 

三寒四温

ここ3、4日 暖かい日が続いていて、本格的な春の始まりか・・

と思っていたら、一転 今日は 冬に逆戻りしたような冷たい風

吹く中での散歩になった。

それでも散歩道のあちこちでは、桜の蕾も膨らんできて

一部では わずかに咲き始めたところもある。

 

庭のスモモの木も、可憐な白い花を満開に咲かせている。

 

何年か前にサンタクララに暮らす次女が、つれあいの誕生日に

贈ってくれた「藤の木」も 綠芽が膨らみ始めた。

 

先日、サンタクララに暮らす次女から つれあいに「LINE」

での便りがあって、女同士の長いおしゃべりのあとで 

『父さんも「YouTube」番組を作ったら』と

ある「YouTube」番組を例にあげて、六兵衛にYouTuber?

になることを進めてくるのだ。

次女が例に挙げた『古民家ひとり暮らし』という「YouTube」

番組を見た。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2013年 初春の頃に「さし絵」として掲載していた149作目のカット絵。

 

西伊豆の海の近くの古民家で、一人暮らしをする中年男性の

日々の暮らしぶりを自らが映像にして

料理や掃除など日々の事々を むしろ楽しんでおられて

とても六兵衛ごときには 真似の出来ない暮らしぶりの

中年男性の「YouTube」番組なのだ

恐れ多い・・。

 

春野菜

我が家の庭の小さな畑も冬の間、昨秋に苗を植えた「えんどう豆」

と「そら豆」以外は、秋に収穫した後も そのままほったらかした

状態だった。

 

新型コロナウイルスは世界中で猛威を振るっているが

それでも 有難い事に、今年も我が家の庭には 確実に春が来たから

春野菜を植えるための土作りを始めた。

 

パソコン作業と同じように、農作業でも素人の六兵衛だから

人様に自慢できるような野菜作りは出来ないが

運動不足の解消やボケ防止などの意味もあって

庭の片隅に作った小さな畑で、季節季節の野菜作りを

楽しませてもらっている。

 

まず 固くなっている土を耕し 混ぜ返して空気を入れ替え

栄養のある土を作るため「牛糞」「石灰」「油かす」等々を

土に撒いた。

 

「サニーレタス」「ほうれん草」「春菊」「小松菜」そして

「大根(春ゆたか)」等々の野菜を育てる予定だ。

そして 昨年の秋に植えた「えんどう豆」と「そら豆」の収穫が

5月頃に終わる予定で、後には「ナス」「トマト」「キューリ」

「ゴーヤ」そして「大葉(しそ)」などを育てたいと思っている。

 

G のマーク

六兵衛がパソコンを使い始めたのは、2000年の秋に購入した

「Windows98」からだった。

それから ほぼ20年、使用年数だけはベテランともいえるが

パソコンの何たるかを理解しているかという事になれば

いまだに初心者の域を出ない。

そんな程度の六兵衛だから、知ったかぶりは云えないのだが

この頃、何となく思う事がある・・。

『Google』の存在である。

六兵衛も もちろん、グーグルアカウントを取得していて

「Gメール」を始めとする「Googleドライブ」や

「Googleフォト」「Googleマップ」「YouTube」等々を

利用してきた。

 

それにしても、それにしても・・

六兵衛が『Google』に望むこと以上に『Google』は

我がパソコン内のいたる所に浸透していて

言い換えれば ユーザーである六兵衛でさえ『Google』の手の中で

踊っているだけかも・・との錯覚を抱いてしまうほどの

『Google』の存在である。

 

六兵衛がパソコン上で行う内容の ほとんどを『Google』は

知り尽くしているようで、それは あまり楽しいことではない。

六兵衛に『Google』に知られて困る事は、ほとんどないし

また パソコンをする以上、その程度の事は 当たり前の事かも

しれないと思いながらも、素人ながら あれやこれや考えた結果

とりあえず 試しに「Gメール」のみを残して他の『Google』

内での写真やテキストファイルなどを全て削除し

他のアプリに移した。

 

六兵衛は削除したつもりになっていても、案外 それは

『Google』の何処かに残されてされている事も考えられる。

どちらにしても 今時 、『Google』の影響を外れる事など

出来ないだろうほどに、I T 業界での『Google』の影響力は

はかり知れなく強いのだろう。

 

何しろ素人が、浅はかな考えで試みる事だし

六兵衛のこんな思いなど、やっぱり『Google』の手のひらで

ただ ただ 踊っているだけなのかもしれないが・・。

ふるさと

最後の清流といわれる四万十川が、四国西部の山間いを蛇行

しながら流れる中流域の津野川集落の辺りで

愛媛県 滑床渓谷方面から流れてきた目黒川が合流する。

その目黒川沿いの県道8号線を10kmほど上流に進んだ

辺りに 小さな集落がある。

どのような書き出しの文章で 今日の日記を始めようと
相変わらず六兵衛は、しつこいほど 過ぎ去った遠い昔ばかりを
振り返るしか能がないのだもの・・。

その集落は 遠い昔 六兵衛が、小学校の3年間を過ごした

思い出深い山河の地だ。

その小さな集落の、これが最後の見納めかも・・

くらいのつもりで、墓参のために帰省した折に

車で少し足を伸ばして、その集落を訪れたのは

60歳をいくつか過ぎた10年ほど前の事であった。

 

六兵衛が暮らしていた頃の その集落の小学校は

県道8号線の その集落の中心辺りを右に折れて

のぼり坂を少し上がった小高い山を切り開いた場所にあった。


                        (2枚の写真の合成)

職員室と教室が3室のみの 平屋の木造校舎で

運動場も小さく狭かったが、それは 終戦後すぐの頃に

これからは学校教育が大切だとの強い思いから

この付近の青年団の若者たちが、休日を返上して4年間の

長きにわたって力を合わせ山を切り開き、校地造成の努力を

された結果なのだと教えてもらったことがある。

 

狭い校庭と、教室は1・2年生、3・4年生、5・6年生が

それぞれ 一つのクラスで勉強をする複式学級で

全校生徒は50人ほど、先生は校長先生を入れて4人の

小さな小学校だった。

 

 

小学校の運動会は小さな校庭で行われたが、それは校区内の

村人総出の お祭りだった。

夏は目黒川がプール代わりで、岩の上から飛び込んだり

魚を捕ったりして、真っ黒になって遊んだ。

 

 

六兵衛が卒業した数年後には

時代の変化と共に 狭かった校庭を少し広げて「僻地集会所」を

建設し給食も始まり、平屋だった校舎の一部が2階建となり

プールも出来たという。

 

そして六兵衛の卒業から25年後の昭和59年

新たに大きく山を切り開き、老朽化した旧校舎を見下ろす

高台に12の教室と体育館やプールもある立派な新校舎が

建設され・・

翌年には 小さい学校ながら開校百年という節目を迎え

『百年誌』を出版して「開校百年祭』を祝ったという。

 

 

白点線内:休校になる前の学校全景
黄点線:六兵衛が通った頃の学校の全景
青点線:その当時の木造校舎
桃色点線:六兵衛家族が暮らしていた住宅

 

しかし それでも結局、児童数の減少によって

平成23年度(2011年度)の卒業を最後に休校となり

今では十数キロ離れた小学校に統合され、子供達はバスで

通学しているという。

 

『ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しく うたふもの・・』と室生犀星は詩っている。

それにしても六兵衛の 遠く懐かしい故郷は

『♬ 兎 追いし 彼の山  小鮒  釣りし 彼の川・・』

まさに小学唱歌『故郷』の歌詞 そのままであった。

 

うぐいすの声

新型コロナウイルスで世界は揺れているが、幸いなことに

我が家には、今のところ その気配はない。

つれあいの荷物持ちとしてスーパーへ買い物に出かけるくらいで

人混みの中へ出かける事もない六兵衛である。

 

今日も上の池公園方面へ散歩に出かけた。

六兵衛の散歩コースは山すそや川の土手道などだから

季節の移り変わりが楽しい。

今朝も阿武山付近でウグイスの鳴き声を聴いた。

 

春である・・。

早咲きの花が咲き始めた。

 

上の池を通りかかったら、ちょうどカワセミが枝に止まっていて

望遠レンズ付きのカメラを構えた2人のアマチアカメラマンが

水中に飛び込み餌を捕る一瞬のカワセミの姿を写そうと

粘り強く待っていた・・。

 

我が家の庭にも小さな春が近づいていて・・

 

昨秋に植えた「そら豆」や「えんどう豆」にも花が咲きはじめ・・

4月か5月頃収穫が 楽しみである。

 

2つのYouTube番組

当ブログの2月の中頃の日記「国会女子」で

我が つれあいがテレビやYouTubeなどで放映される国会での

質疑や、官僚への野党合同ヒアリングでのやり取りなどを

熱心に見ているのは、顔を見るのも嫌! 声を聞くのもイヤ!と

いうほどに、アベ首相やアベ政権に対する強い不信感を持つ

ゆえに(六兵衛も同意だ・・)「国会女子」になった・・と

書いた。

 

これからも、アベ首相の したり顔や声を聞かされる限り

つれあいは「国会女子」の看板を下ろすつもりはないだろうし

そんな つれあいが、今 強く」興味を引かれているのは

2つのYouTube番組だ。

 

その一つが、つれあいが だいぶ以前に、たまたま見つけた

というYouTubeの『 joeinoue.com 』という番組だ。

『 joeinoue.com 』

 

アメリカはカリフォルニア州生まれで日系アメリカ人の

井上ジョー君が発信しているYouTube番組だ。

つれあいがジョー君のYouTube番組を見始めたキッカケは

たまたま見たYouTube映像内でのジョー君の喋り方や動作が

南草津に暮らす孫次男に似ていて興味を持ったらしいのだが

後日 その事を孫次男に言ったら『似てませ〜ん』と

あっさりと返されたらしい。

それはともかく、井上ジョー君が発信する話の内容に

強く引かれた つれあいは、その後も盛んにジョー君の

YouTube番組を見ているし、六兵衛にまでジョー君の番組を

見ろと進めるほど 気に入っているようだ。

 

ところがそんな つれあいが

またまた気に入ったYouTube番組を見つけたといって

六兵衛に見るように進めてきた。

それは『今世紀最大の疑問・安倍ってなんで そんなに支持

されてんの?』とか、『安倍の存在こそが緊急事態だ・・』

とかのような、思い切った文言の派手なタイトルが付いた

『哲学入門チャンネル』というYouTube番組だ。

『哲学入門チャンネル』

 

番組の始めに『哲学入門チャンネルのジュンちゃんです』と

自己紹介をしているのみで、彼がどんな人物かは わからない。

最初に記したカリフォルニアのジョー君とは また違った

タイプの若者のようだが、二人とも 己の考えを しっかり

持つているし、ジュンちゃんの話の内容を聞いて好感を持った

らしい。

 

・・なので、つれあいは 結構 忙しいのだ!

 

あのころ・・

清流・四万十川へ流れ込む支流・目黒川沿いの小さな集落で

暮らした小学3年間の景色を・・

 

中学生から高校生の頃に、憧れて夢中になり観た

吉永小百合さんの青春映画を・・

 

わずか5年足らずの短い期間だったが 20歳代前半の

何となく頼りない時期を過ごした東京での日々の

あれこれを・・

 


目黒川沿いの両岸をつなぐ「下崎沈下橋」

 

たとえ 老いたりといえども、人によっては前向きに

歩き続けている人も多くいるようだが

そんな前向きな考えの持ち合わせなどなく

子供だった頃や若い青年だった頃とかの

今では遠く過ぎ去った昔の事ばかりを振り返る日々を

過ごしている六兵衛なのである。


日活映画「愛と死をみつめて」吉永小百合・浜田光夫 主演

 

あの頃から 50年、60年が過ぎた今

現実に あの頃に戻る事など出来るわけもないし

実際に戻ってみたいと思うわけでもないが

すでに70歳を過ぎた六兵衛が、出来る事ならあの頃に

接した景色や情景に もう一度 触れてみたい

せめて その断片にでもと願う思いは

歳を重ねるごとに強くなってくる。


六兵衛が20歳の頃に住んでいたアパートのあった
昭和40年頃の新宿区横寺町あたり

 

今の時代 パソコンの前に座れば、そのような願い事の

ある程度は、ありがたい事に 叶いそうな感じがする・・。

時代が古くなればなるほど、残る記録や記憶は少なくなるが

文頭に記した三つの六兵衛の昔の記録や記憶を探しだし

出来る限りをパソコンの中にまとめてみたいと思うのだ。

誰に見せるわけでもない、自分一人のため。

そんな作業が 案外 楽しいのだ。

 

うろこ雲

冬の名残の寒い雨が 今にも降ってきそうな

今朝は そんな重い雲に覆われた空模様だが

昨日 散歩から帰って空を見上げたら、一面の鱗雲だった。

 

これって・・鱗(うろこ)雲だよね?

鰯(いわし)雲って言葉も・・あるね。

 

どちらにしても こんな雲って、秋の空の印象なんだけど・・。

冬の終わりの 今の季節にも、現れたりするものなのか・・。

 

確かめるためにパソコンの前に座って調べた。

まず雲は 氷の結晶から出来ているという。

うん、子供の頃に学校で教わったかも・・しれない。

写真のような雲を巻積雲(けんせきうん)というらしい。

天気は下り坂 気味、雨の降る前触れのような雲で

『白色で陰影の少ない非常に小さい雲片が多数の群れをなし

イワシや魚のウロコ、水面の波のような形状をしている雲の

ことをいう・・』とある。

 

巻積雲は いわし雲やひつじ雲、さば雲などとも言い

ほぼ一年中見られるが、特に秋は空が澄みわたり

上空まで見通しがよくなるため、いわし雲やひつじ雲

さば雲などは 秋の季語なのだという。

 

ネットは勉強になるなぁ、すぐに忘れるやろけど・・。

 

『断腸の思い』・・だって?

暦では3月だ。

本来なら、3月とはいえ まだまだ寒い日が しばらくは続き

三寒四温の日々を経た後に本格的な春になるんだろうが

3月と聞けば、何となく春を意識し 嬉しくなる季節である。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2012年の冬の頃に「さし絵」として掲載していた98作目のカット絵。

 

今シーズン、 暖冬だとか雪が少ないとか言われて

現実に いつもの年より暖かい冬だったのかもしれないが

それでも冬は冬であって、特に年寄りは 寒いと身体が硬くなり

動きも鈍くなる冬なのである。

 

本当の春はもう少しすれば確実に来るのだろうが

世間では、いや日本を含めた世界中で猛威に襲われている。

少なくとも、すくなくとも・・

日本国内における日本政府のコロナウイルス対策が

何だか胡散臭い様相を呈している。

 

何しろ「森友・加計問題」や「桜を見る会」の諸問題で

アベ政治の信頼はガタ落ちだし、政府として なるべく大げさに

したくない理由があってか、政府の対応は後手後手になり

その結果 評判が悪いくなると、今度は いきなりの学校閉鎖を

要請すると言い出し、ますます世間を混乱に陥れている。

『断腸の思いで学校閉鎖の要請・・』とアベ首相は云う。

「断腸の思い」とは 六兵衛にも何となく、その言葉の雰囲気は

わかるつもりだが、正確な意味を調べてみた。

『断腸の思い』とは・・「腹わたが千切れるほどに辛く苦しく

悲しい思いをすること」とある。

 

その言語の由来も調べてみた。

垣温(かんおん)という中国の武将が 船で川を渡っていた。

同船していた家来が一匹の子猿を捕らえ船に乗せたところ

少し離れた岸辺にいた母猿は、泣き叫びながら岸伝いに船を

追いかけて来た。

長い距離を必死で追いかけ、やっとの思いで船に乗り込む事が

出来た母猿だったが、まもなく死んでしまった。

そして子猿を捕らえた家来が、息絶えた母猿の腹を裂いてみると

見るも無残に腸が断ち切れていたという。

 

いつもの事ながら、アベさんの言葉は軽いのである。

どんなに深く重い言葉を使おうと、アベさんが使えば軽くなる。

心に響かないのだ。

誠意を持って話していないからだろう・・。