「iPadOS」というOS

これまで iPadの OSは、iPhoneと同じ「iOS」だとばかり

思っていたが、iPadの種類によっては「iOS」を「iPadOS」と

いう 新しい OSにバージョンアップ出来ることを、この頃

ネットの あちこちで目にするようになった。

 

それも すでに昨年の9月には、「iPadOS」はリリースされて

いたらしいのだが、まったく気がつかなかった六兵衛である。

 

そこで とりあえず、六兵衛が持つ iPad(無印)の「iOS」を

念のため「設定」で調べてみると

なんと すでに、「iOS」から「iPadOS」にバージョンアップされて

いるらしく、六兵衛のiPadは13.6.1の最新のバージョンだと

表示されていた。

 

2018年の3月、iPad 第5世代を購入した当初の

初期搭載のバージョンは iOS 10.2.1 だったが

いつの間にか、六兵衛に その意識のないまま「iPadOS」への

バージョンアップを済ましてしまっていたらしい。

そんな事にも気付かぬまま、六兵衛は使っていたらしい。


孫たちが まだ小さかった頃に、遊びで作った「マンガ絵」が
パソコンの隅っこに残っていたので、 懐かしシリーズで掲載する。

 

だから 遅まきながら、新しい「iPadOS」の事をサイトで

調べてみると、「iPadOS」では 画面を2分割して使うことが

出来る・・とか、操作性がiPadよりMacに近くなった・・とか

他にも いろいろな特徴があるとの説明だったが

六兵衛には その説明 自体が 今ひとつ 理解できず

どうにもならん・・のである。

「OS」が いくら新しく便利になろうと、六兵衛の操作能力には

限度があり、結局 以前のままの 極めて単純な操作を

繰り返すことしか、六兵衛には出来そうにないのである・・。

 

それでも せめてもの願いは、「iPadOS」となって 

よりMacに近くなったとの ふれ込みのiPadなので

これまでは出来なかった Macで保存した「HDD」の再生を

iPadで出来るようになっているかも・・と期待する

六兵衛なのだ・・が 。

 

遠い昔の思い出の・・

ハルキ文庫から出版されている『鎌倉河岸捕物控』シリーズの

第14巻「隠居 宗五郎」は、「居眠り磐音 江戸双紙」シリーズや

「密命」シリーズなどの書き下ろし時代小説で人気のある

佐伯泰英さんの時代小説である。

 

しかし ここでは、この物語の感想を書こうというのではない。

この物語の文中に、六兵衛には懐かしい町名が出てきたのだ。

また また また また 、小説を読んでいて 遠い遠い昔の

六兵衛の思い出の町名や橋の名前などが出てくれば

どうせ “独りよがり” の当ブログゆえ、やはり どうにも

書かずにはいられない六兵衛なのである。

 

この文庫本の93ページあたりから始まる、船頭・彦四郎が漕ぐ

猪牙舟が、金座裏の親分・宗五郎ら3人の年寄りを乗せて

事件の鍵を握っていそうな娘が住む家を探しにいく場面である。

 

船頭・彦四郎が漕ぐ猪牙舟は「鎌倉河岸」を出て

大川(隅田川)の河口あたりで、宗五郎ら3人の年寄りの客が

釣り糸をたらしはじめたが、年寄り3人の話の なりゆきで

事件に関係が ありそうな娘の住む町まで、彦四郎が漕ぐ舟で

そのまま行く事になった。

大川に架かる「永代橋」「新大橋」を過ぎ、「両国橋」を潜り

「神田川」へと入る。

「柳原土手」「昌平坂学問所」と「聖堂」の甍を わずかに望み

ながら、里の人が「どんどん」と呼ぶ「船河原橋」を右に

抜けて、「龍慶橋」「中橋」を潜り過ぎて行くと

舟は 長さ二間一尺ほどの「石切橋」に辿り着く。

探す娘の家は「牛込改代町」と「牛込水道町」の辻に

あった。』・・とある。

 

 

「船河原橋」や「龍慶橋(現在は隆慶橋)」はJR飯田橋駅の

北側にあり、特に「龍慶橋」は六兵衛が20歳くらいの頃に

2年間 毎日のように 歩いて渡った神田川に架かる小さな橋で

今では その隣に、道幅の広い「新隆慶橋」が出来ている。

そして小説の中での 船頭・彦四郎が漕ぐ舟の目的地の

「牛込改代町」と「牛込水道町」辺りは、その昔 六兵衛が

神楽坂坂上の横寺町のアパートに引っ越す前の1年半ほどの間

下宿生活をしていた「文京区関口1丁目」あたりなのである。

 

そんなこんな 六兵衛の “独りよがり” は、今年の4月30日の

当ブログの日記「一人で懐かしんでる・・」にも書いている。

一人で懐かしんでる・・

この『無茶の勘兵衛日月録 第20巻・落暉の兆し』

(作:浅黄 斑 さん・二見時代小説文庫)の文中にも

ほとんど同じ場所の 懐かしい町名などが出てきたので

ブログに書いている。

その小説の主人公・勘兵衛は、神田川を横に見ながらの徒歩での

行程だったが、今回は船頭・彦四郎が漕ぐ舟に

宗五郎ら3人の年寄りを乗せての舟行である。

 

文庫本を読んでいて、懐かしい町名などが出てきたとなれば

何度でも 何度でも、こうして 書かずには いられない

六兵衛なのである・・。

 

雨が・・

夕方、我が町の上空は 大雨雷注意報が出て

雷が鳴り始め、少し風も吹いて来て

18時 頃から大粒の雨が降ってきた。

梅雨が明けてからの 久しぶりの恵の雨。

 

裏の農業用ため池を生活の場として暮らす水鳥の家族が

そんな雨の中、いかにも楽しそうに泳いでいるよと

つれあいが 教えてくれたので、写真に写した。

 

『エエ 雨やないかい・・』

『ほんまやねえ 生き返るわ』

 

 

短い間の雨で、もう今では止んでしまったけど

庭の木々や小さな畑の作物にも恵の雨になるだろう。

この暑さ・・

この暑さ、何とか ならへんやろか!

この暑さ、いつまで 続くんやろ?

 

冷房を27~8℃に設定した我が家の居間では

つれあいと二人 食事も出来るし、昼寝も読書もパソコンも

心穏やかに出来る。

 

日射しの まだ穏やかな朝の散歩は、その覚悟で出かけるから

帰ってからの汗に濡れた着替えも、さほど苦にはならない。

 

有難いことに 六兵衛は、すでに仕事もリタイアしていて

ムッとした暑さの中に出る必要も少なくなったとはいえ

それでも1日の間には、冷房の効いた居間から覚悟を決めて

室外に出なければならない事もある。

例えばトイレに座ったときなど、思うのである。

この暑さ、何とか ならへんやろか!

この暑さ、いつまで 続くんやろ?

 

世間の年寄り達は この暑さの中 どんな工夫をして

過ごされているのだろう・・。

熱中症にならないよう祈るのみだ・・。

いや 年寄りに限らず 若い人でも、この暑さの中

屋外での仕事は 命を削るようなものだ。

暑い中での労働を 何とか耐えて

1日の終わりに飲むビールの一杯は

そりゃぁ うまいやろうなぁ・・。

 

この暑さ、何とか ならへんやろか!

この暑さ、いつまで 続くんやろ?

 

ペンネーム

杉本章子さんの初期の文庫本『名主の裔(すえ)』を読んだ。

文春文庫(1992年 初版)『名主の裔』と『男の軌跡』の2篇を収録。

 

文庫本のタイトルとなっている『名主の裔』は

江戸から明治へと時代が移り変わる頃の 江戸の名残を

「江戸名所図絵」として残した斎藤 月岑(げっしん)の半生

を描いた物語だ。

 

杉本さんは この作品の3年後に最後の木版浮世絵師といわれ

た小林 清観の半生と、幕末から明治へと移り変わりゆく

人と時代とを描いた小説『東京新大橋雨中図』で

第百回 直木賞を受賞されている。

そして 杉本 章子さんの小説の事は、2020年6月15日の

当ブログ「フリミ フラズミ」でも 少し触れているが・・。

「フリミ フラズミ」

 

しかし 今日のブログ日記は、この文庫本のタイトルになって

いる小説『名主の裔』のことではない・・。

1992年5月に文春文庫から出版されている『名主の裔』

に併録されている『男の軌跡』という中編小説は

やはり江戸が東京に変わる時代や風俗を、ユーモラスに

活写した「江戸繁盛期」という戯作を刊行した寺門 静軒の

半生を描いている。

 

その小説の中に、六兵衛には懐かしい名前が出て来たので

また ブログに書かずには いられなくなった・・。

 

その懐かしい名は 式亭 三馬(しきてい さんば)。

物語の主人公・寺門 静軒は儒学者として水戸藩への仕官を

望んでいたが 結局 叶わず、悶々とした日々を送っていた頃

式亭 三馬という戯作者が、江戸庶民の日常をユーモラスに

描いた「浮世床」や「浮世風呂」などの滑稽本を出版した。

その滑稽本を観た静観は強く感じ入り、水戸藩への仕官は

キッパリと諦め、私塾を開きながら 自分も「江戸繁盛期」を

執筆し評判を得るのだが、その後も静軒の背中からは

一度も会ったことさえない式亭 三馬の叱りや励ましの声を

聴きながら・・そんな物語であった。

 

六兵衛がマンガに夢中になっていた中学生の頃

同じクラスに3~4人のマンガ好きの仲間がいて

競い合うようにマンガを読んだり 描いたりしていた。

2020年6月12日のブログ「老いる・・」にも

その頃の事を書いている。

「老いる・・」

 

その頃の六兵衛のペンネームが「式亭 三馬」で

同じように I 君のペンネームは「十返舎一九」

M君は外人のようなペンネームの「マーチン」だった。

クリーニング屋の息子のK君は「ゴンちゃん」といった。

もちろん その頃の六兵衛は、式亭 三馬の詳しい事など

何も知らず、ただ江戸時代に滑稽本を描いた人だという程度

の知識であったが・・。

 

杉本 章子さんの小説『男の軌跡』の中に、割と重要な役割で

式亭三馬が登場したので、つい うれしくなって日記に書いた。

 

「式亭 三馬」は、江戸時代後期の地本作家で

江戸庶民の日常をユーモラスに描いた『浮世床』や

『浮世風呂』などの滑稽本で知られている。

 

「十返舎一九」も、江戸時代後期に活躍した戯作者で絵師

弥次喜多珍道中でおなじみの『東海道中膝栗毛』の作者

でもある。

 

酷暑に ゴーヤ、うだる・・

我が家の庭の小さな畑で 今年も作っている夏野菜は

梅雨時の長雨による日照不足と、梅雨が明けた途端の

強すぎる日射しに襲われた。

故か、キューリも小松菜もフリーレタスも あまり実らず

ナスとトマトが、ぼつぼつ食べられる程度の出来具合・・。

ただ一つ「ゴーヤ」だけが、毎日食べても追いつかないほどの

実りが続いていたが、梅雨明け後の あまりの高温のためか

2~3日前あたりから 葉が しおれてきて、まだ収穫前の実も

ブヨブヨと柔らかい。

 

 

サイトで調べてみると・・

「 ゴーヤーは耐暑性があり 高温で雌花が多くなり

 よく着果する。そして、高温と多日照を好み

 真夏〜10月始め頃まで収穫できる。」・・とある。

※ 耐暑性=夜温25℃以上の高温に耐えられる性質のこと。
※ 雌花=オシベがなくて、メシベだけがある花。
※ 着果=果樹や野菜が実をつけること。

 

沖縄野菜の定番ともいえる「ゴーヤ」

暑さには強いはずなのに

ここにきて我が家の「ゴーヤ」は 葉がしおれたり

実に さわると、ブヨブヨと柔らかすぎる。

 

・・・酷暑の所為か、六兵衛の管理のマズさか。

 

「うだる」と「ゆだる」は違うの?

『 真夏の強い陽が照り付けて、今日も気温が上昇し

各地で40度に迫る暑さとなりました・・』と

昨日の夕方のテレビで放送していた。

そのニュースの中で、最高気温を記録したのは

静岡県の浜松市と高知県四万十市中村が39・7度に

達したとの報道だった。

 

昨日、最高気温を記録した高知県四万十市の中村は

四万十川が太平洋に注ぐ町、我が生まれ故郷である。

 

今年の高温記録が、自慢出来る事なのかどうかは ともかく

我が故郷が全国ニュースで名前が出た・・という話しなんやけど。

 

改めて別のネットニュースを見てみると

四万十市中村の天神橋商店街の「ある店」では

余りの暑さに3度目の水撒きをしているとも書いてあった。

 

そこで 思い出すのは、7年前(2013年8月12日)に

高知県四万十市の西土佐江川崎という集落が

日本の観測史上1番高い気温 40・0°Cを記録して

日本で初めて40°Cを超えたと話題になった事がある。

この江川崎という集落、六兵衛が子供の頃に馴染みのあった

懐かしい土地なのだが、2年前の2018年7月23日に

埼玉県熊谷で41・1°Cの最高気温の記録が出て

その後に記録した岐阜県美濃や金山などと並んで

江川崎のその当時の記録は 第2位ということになった。

 

今日(16日)も 危険な暑さが予想されていて

引き続き 熱中症に厳重な警戒が必要だという事らしい。

 

ええ加減に せえ!!

今日は8月15日、日本では お盆の真ん中で

一年で最も暑い頃と云われている。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2011年の夏の頃に「さし絵」として掲載していた65作目のカット絵。

 

 

そして ”盆“ が過ぎれば、少しずつ 少しずつ 暑さが和らぎだし

赤トンボが飛びはじめ、特に朝夕などには 秋の気配が感じら

れるようになる・・と、異常気象が続くこの頃では

そんな昔話は通用しなくなったようだ。

 

地球の温暖化と関係があるのか ないのか、年ごとに暑さは

厳しさを増し、その上 六兵衛も老いてきているから

暑さへの抵抗力が弱ってきているようで・・

どちらにしても 今年の夏も、暑さが一段と厳しい。

 

 

昨日の夕方 5時14分、カーテンを締め切って

冷房を27度に効かせた部屋の中に閉じこもっていたが

カーテンの隙間からは、まだまだ強い夏の光が暑さを伴って

攻め込んでくる。

 

ええ加減にせえよ!!

 

ゴーヤ

『🎵 今日もコロッケ 明日もコロッケ

これじゃ年がら年中コロッケ コロッケ』

・・という昔の古い歌がある。

 

我が家の ここ数日の夕方の食卓には、つれあいが作ってくれた

ゴーヤと玉ねぎの炒め物が、毎日のように食卓に上る。

遠い昔に聴いた事があるような 上記した古い歌を思い出す

ほどに 我が家では、今日もゴーヤ 明日もゴーヤ・・なのだ。

 

それというもの、今年の我が家の庭の小さな畑には

六兵衛夫婦 二人では食べ切れないほどのゴーヤが

次から次へと実り、我が家で毎日食べても

隣の義弟家族に分けて食べてもらっても

冷蔵庫の「野菜コーナー」にはゴーヤが増える一方で

『🎵今日もゴーヤ 明日もゴーヤ

これじゃ年がら年中 ゴーヤ ゴーヤ』と

つい 歌いたくなるほど、ゴーヤ料理が食卓に上り続けている。

 

実は六兵衛、本来はゴーヤが嫌いなのだ。

しかし 六兵衛自らが、ボケ防止のために作る庭の菜園で

5月にホームセンターで苗を購入して植え

ゴーヤ棚を作り育ててきたわけで、だから、ゴーヤは嫌いだ!

とばかりも言えず、自分が育てれば愛着もわいて

食卓に上れば・・食べる。

 

ゴーヤのサラダなどは、苦すぎて とても食べられないから

せめて六兵衛が食べられるゴーヤ料理が

ゴーヤと玉ねぎをスライスし、彩りにニンジンを少々入れ

夏バテ防止のためのニンニクも ちょっと加えて

フライパンで炒め、塩胡椒で軽く味付けをする。

ときには卵でとじたり、片栗粉でトロミを付ける事もある。

 

今年の梅雨は、梅雨前線が長く停滞し

九州地方をはじめ日本各地が激しい豪雨にみまわれた。

幸い六兵衛の暮らす町は、洪水などの大きな被害はなかった

ものの、毎日のように雨か曇りの日が続き

我が家の庭の小さな畑も日照不足の影響を受けて

「キューリ」や「ナス」も実りが少なく

「キューリ」などは すでに枯れてしまっている。

 

ところが何故だか「ゴーヤ」だけは元気に育ち

♫ 今日もゴーヤ 明日もゴーヤ・・と

食べないわけには いかない状況が続いている・・のである。

 

ポンポンとスイカを叩く・・

スイカを手で叩くのは、 熟れ具合や実の詰まり具合を調べる

方法の一つだが、スイカを叩いた ” 音 ” で、その出来具合の

良し悪しを判断するのだとばかり思っていた六兵衛だったが

専門のスイカ農家の方の話によると、「スイカを軽く手で叩き

もう一方の手で その振動の大小を感じて、その出来具合を

見分けるのだ」という。

 

そんな まぁ、たわいもないテレビ番組を見ていたら・・

そういえば昔 六兵衛の父親は、夏になったら 畑でスイカ

を作っていて、大きく実ったスイカを手で叩いて

熟れ具合を確かめ、熟れていそうなヤツを収穫して

井戸水で冷やし、大きな包丁で割って みんなで食ったなぁ・・

と、そんな遠い昔のことを フッと思い出した・・。

父親・・といっても、もう 亡くなって すでに長い

まだ父親が 若く元気だった頃に、そんな事もあったなぁと思う

遠い昔の話である・・。


戦後7~8年が過ぎた頃の 農作業衣姿の父親。

 

父親は勤め人だったが、若い頃の本人の希望は営林署のような

ところに努めて、山仕事をしたかったらしい。

しかし 事情があって仕方なく公務員になった・・と

六兵衛も小さい頃に何となく聞いた記憶がある。

 

当時の田舎には、家のそばに そこそこの広さの畑があって

自分の家で食べる程度の野菜は、六兵衛の祖母が 曲がった腰を

ますます曲げながら、畑仕事をしていた。

父親も、努め仕事が休みなどの日には、祖母の出来ない力仕事

などをしていたように思う。

それでも、そんな ささやかな畑仕事が、親父には 何より楽しみ

だったようにも・・。

 

今でも 思い出す場面がある・・。

当時の便所は、住居と離れた場所に独立して建っていて

当時は みな「汲み取り式」だった。

便槽に溜まった排泄物は、定期的に「長い柄杓」で汲み取り

「肥桶(こえおけ)」に入れて運び、肥料として畑に撒くのだが

六兵衛が近所の子供たちと缶蹴りなんかの遊びをしている

そばを、肥桶を担いで畑に行く親父の後ろ姿からは

「臭い」から嫌だとか「汚い」から嫌だとかの雰囲気はなく

肥桶を天秤棒で肩に担ぎ 、ゆれながら黙々と歩く

親父の後ろ姿が、今でも 目に浮かぶ・・。

 


NPO法人 「日本下水文化研究会」のブログの中に
漫画家の滝田ゆうさんの「寺島町奇譯」(筑摩書房)の中の
昭和時代の墨田区東向島あたりの便所汲取りの情景を紹介した
マンガが掲載されていた。

 

親父は、畑仕事が 好きだったんだ・・と思う。

 

『次郎物語』・・読み終わる

ここ1ヶ月余り、寝る前の わずかな時間だが

ベッド脇の椅子に座って、下村湖人の小説『次郎物語』全5部を

読んできた。


以前に遊びで作った「マンガ絵」が、
パソコンの隅っこから出て来たので
懐かしシリーズで掲載する。

 

つれあいが 本棚の奥から出してきてくれた『次郎物語』の

文庫本を、六兵衛が改めて読み始めた経緯は

当ブログの2010年6月28日の日記『次郎物語』に

書いている。

https://arukuneru.com/2020/06/28/jiro-story/

 

50数年前の その頃の六兵衛は、小説を読む習慣など

ほとんど なく、読書といえば漫画ばかり・・という軽薄さで

『次郎物語』を勧めてくれた当時の つれあいとは

もちろん まだ結婚する前の、しかし ちょっと気になる女友達

だったから、どこか彼女に対して格好付ける計算もあったのだろう

そんな たわいもない動機で読み始めた『次郎物語』だった。

 

70歳を過ぎた今の六兵衛が、名作と言われる『次郎物語』を

読み返して思う事は、次郎が中学生になった頃からの物語の

内容が、どうにもこうにも小難しくて、理屈っぽいのだ。

そのうえ、文庫本の文字が 半端なく小さかったのも

読みづらかった原因の一つでもあった。

 

少年の時代を過ぎ 青年となった次郎が、周りの人々から様々な

影響も受け 反発もしながら、成長していく物語なのであろうから

青年・次郎にとって多少の困難など、当然あってしかるべきだが

それにしても次郎の明日に、わずかでも 希望のようなものが

感じられていたなら、特に第4部から 最後の第5部までの

人間としての成長と心の自由を願う次郎たちの考えや行動は

戦争へ突き進もうとする軍国主義的時代背景のなかで

その国家権力からの圧力に、不自由を強いられるようになる。

 

『次郎物語』は、出版されている最後の第5部 以降

第6部、第7部へと続けていく予定だったようだが

作者・下村湖人の死によって

打ちひしがれて自己嫌悪に落ち入った暗いイメージの次郎が

明日への希望も見出せず中途半端な状態のまま

物語は終わってしまっている。


孫たちが まだ小さかった頃に 遊びで作った「マンガ絵」が
パソコンの隅っこから出て来たので、懐かしシリーズで掲載する。

 

それにしても、それにしても・・

50数年ぶりの『次郎物語』の再読だったわけだが

「松の木の運命・・」あたりの話しの内容 以外

ほとんど すべての内容を、忘れてしまっていた六兵衛である。

今も昔も 六兵衛なんて、まぁ こんなもんだゼィ・・。

 

よかった

やや曇り気味の芥川堤道を、今日も歩く。

愚痴っても詮無いけど・・やっぱり 暑い!

 

芥川の中のコンクリートの島を舟に例えて

先日は白鷺や川鵜が同舟していたが

今日は鵜と鵜と鵜の「鵜鵜同舟」という

なんや当たり前の話しだが、舟の隅っこに「カメ」が・・

「鵜亀同舟」?

 

 

カモの親子が歩道を渡るシーンは何度か見た覚えがあるが

今日はカモの親子の芥川の荒瀬を渡るシーンに出会った。

よく見ると7匹の子ガモがいる。

母ガモが子供達を座らせて待たせ、川の流れが安全かを確かめる。

 

母ガモは、どうやら『渡れる』と 確信したようで・・

 

母ガモを先頭に流れに入っていく。

『しっかり 母さんの後に ついてくるのヨ!』

 

おっ!きつい流れに 流されそうになる・・。

 

がんばれ! がんばれ!

 

どうやら みんな・・

 

・・無事に渡れたようだ。

よかった、よかった!

 

 

・・と、こんな紙芝居のような事を わざわざしなくても

iPhoneで動画を撮ってれば、一目瞭然なのに・・と

後になって気づく六兵衛である・・。

いつまで経ってもiPhoneの生きた使い方が出来ない

六兵衛なんだから・・。

 

スモモの種子・・その2

我が家の庭に植えた「スモモ」の木は、6月の頃になると

「実」が赤く熟れて食べ頃になり、収穫する季節だ。

しかし今年は、まだ「実」が青く小さい頃に

ほんどの「実」が春先の強風で落下してしまい

6月の収穫時期になって収穫出来たのは

わずか20数個だったと言う事を7月2日の日記『スモモ』

書いた。

「スモモ」

 

採れた数は わずかだったが、つれあいと二人で食べた。

見た目は あまりよくないが、味は瑞々しくて 美味かった。

 

食べた「実」の「種子」を、試しに畑に植えてみようと

思い立ち、12個の種子を残した。

その内 4個の「種子」は、すでに2つの植木鉢に分けて

植えた事は、7月22日の日記『スモモの種子』で書いた。

「スモモの種子」

 

残りの8個の種子は濡れたキッチンタオルに包んで

冷蔵庫に しばらく保存しておいた。

 

しばらくの間、冷蔵庫で冬の寒さを味わってもらい

その後 冷蔵庫から出せば、春が来たと勘違いして芽を出すのだ

・・と、そんな都合のいい具合にいくかどうかは ともかく

ネットでググった方法である。

 

約10日ほど、冷蔵庫で寝かせておいた「種子」を取り出し

肥料をやって準備しておいたプランターに植えた。

 

とはいえ、ネットによると・・

食べて残った「種子」を植えても、自家結実しない品種が

ほとんどで、「実」に育てるのは なかなか難しい・・とか。

 

話は変わるが 近い将来、我が家で育てて収穫した野菜や果物

などから取った「種子」を、農家でさえ勝手に畑に植えて

育てる事は、法律で禁止されるかもしれないという

何とも おかしな法案が国会に提出されようとしていたという。

 

・・そんな事々を含めた「種苗法改正案」が

先の国会では、とりあえず見送りとなったが

この法案、『日本の新しい品種の権利が侵害されて

海外に流出するケースがあり、権利者を保護するための改正』

というのが「国」の主張らしいが、現政権の考える事や

やろうとする事は、いかにも それらしく言っているが

すべてが 誰かの利権に通じていて

現政権のする事は信用 出来ない。

 

国が主張する「改正法」が 現実に起きれば

農家の自家増殖の権利を著しく制限したり

許諾の手続きなどの、大きな負担を農家に生じさせたりして

農業経営を圧迫し、民間の高価な「種子」を 毎年購入せざるを

得なくなって、自給率の低下に つながる原因になると

懸念されているのだ。

 

何にしても これまで、現政権のした事に国民の為になった事が

あったろうか。

ごく最近の例として、何やかやと評判の悪かったアベノマスク

の第2段を画策して、介護施設や保育所などに 約8千万枚を

配布するという。

今では 良いマスクが、余るほど出回っているというのに

どう考えてもこれは「利権絡み」以外には考えられない。

 

安倍政権の なりふり構わぬ「最後っ屁」である。