明日から霜月・・

明日から11月、旧暦11月を「霜月(しもつき)」という。

今年も残り2ヶ月、まいど マイドの事だが 流れる月日は

はやい! 早い! 速い!

六兵衛のボケかけた身も心も、その速さに 付いて行けない。

 

ボケかけた・・といえば、一昨日(29日)のブログの日記

の娘たちの幼い頃のかわいい写真の撮影年月日を間違えて

つれあいや次女に指摘され、昨日(30日)のブログで訂正

したのだが、その訂正した年数が またまた間違っていたらしく

再度 次女からメールがあった。

娘たち
相変わらず かわいい娘たちに 変わりはないのだが・・。

 

「38年」を訂正して「48年」とするところを

「43年」と打ち込んでしまっていたのだ・・。

一度ならず二度までも  同じ間違いをしてしまうとは

あぁ〜・・。

 

表や裏の畑の作業も 一段落したようで、今日は久しぶりに

上の池公園あたりに散歩に出かけた。

秋の始まり

じっとしていれば 何となく肌寒いのに、日向を歩いていると

汗ばんでくる・・そんな10月最後の日の、雲ひとつない

青空の下の散歩になった。

 

間違い

昨日(10月29日)の当ブログの内容に大きな誤りがあったので

訂正する。

 

幼い頃の娘たちの写真を掲載したが、記入している撮影年に

間違いがあった。

間違い

今日の朝飯のあと、つれあいが『娘たちの写真を撮影した年が

間違ってるよ・・』と注意してくれた。

その後、次女からも

『48年やでー😭10歳も歳とるやーん🤣😂

というメールが来ていた。

 

 

間違って記入した昭和38年だと、六兵衛は まだ高校2年生。

一人 下宿生活を送りながら、深沢七郎さんの『放浪の手記』を読み

単純に 放浪の生き方に憧れていた頃であり

一方で吉永小百合さん主演の日活映画『泥だらけの純情』に夢中に

なっていた、六兵衛自身が まだまだ子供だった頃なのである。

 

正しい撮影時期は「昭和48年9月」。

 

隣り合わせの「3」と「4」の数字を打ち間違えた事にも気づかず

ブログに掲載したのは、六兵衛が 老いたせいか

元々の注意力のない性格のせいか・・・・・。

 

 

生き方も・・

年老いて なお 前向きに進む人もいれば

六兵衛のように過ぎた昔を振り返り 振り返り

懐かしがってばかりの年寄りもいる。

老人の生き方も、人により様々か・・。

 

必死で頑張って来た・・とか

有意義な日々を過ごして来た・・とか

老いた六兵衛が今、自分の若い頃の昔を振り返ってみても

さほど貴重で有意義な生き方をしてきたとは、とても思えない。

今 その昔を振り返ると、若く未熟なのは当たり前としても

むしろ 愚かな日々ばかりを ただ積み重ねてきただけのような

もう取り返しのつかない反省と、そんな記憶ばかりである。

 

若い頃

生まれた町を離れ 山奥の小さな集落で3年間を過ごした小学生の頃

勉強もせず、マンガばかりに明け暮れていた中学生の時代

初めて親元を離れ、一人 気ままな下宿生活を送った高校の3年間

進学をせず 就職はしたものの、努めた仕事は長続きせず

東京に出ても長く過ごしたプー太郎の日々・・。

 

今の つれあいと、東京の小さなアパートで暮らし始めて

右往左往の末、少しずつ責任みたいなものを意識し始め

つれあいに助けられながら50年が過ぎた。

娘たち

 

 

そんな こんな、六兵衛の若い頃は

人様に自慢出来るような事など何も無く、どちらかといえば

反省の日々ばかりだったと自覚する六兵衛なのに

老いてきた この頃、そんな半端で だらけた若い頃の日々が

むしろ懐かしく感じられ、ついつい 便利なネットを利用して

当時の懐かしい時代や場所を探して歩く六兵衛なのである。

 

朝晩は めっきり肌寒くなって、我が地方も本格的に秋である。

 

裏の畑の開墾も とりあえず一段落、4つの畝が出来上がった。

一番北側の畝には「えんどう豆」の種を植えた。

2番めの畝は、もうすでに「玉ねぎ」と「にんにく」の種を

植えていて、すでに緑の葉が成長している。

「えんどう豆」も「玉ねぎ」も「にんにく」も、来年の初夏

には食べられるようになるだろうと、楽しみにしている。

 

3番めの畝には、「ほうれん草」「小松菜」「源助大根」

「小かぶ」等々の種子を植えた。

出来れば今年のうちに、収穫 出来ればと期待している。

4番目の畝は、今の所 来年の春まで休ませておく予定。

 

もちろん それぞれの畝には、「苦土石灰」「堆肥」「油かす」

等々を与え、つれあいが毎日のようにネットで勉強して得た

知識を活かし、作物が育つような「土」にしている。

 

 

スダチ

表の庭に植えている「すだち」と「柿」の収穫をした。

「すだち」は少し収穫時期が遅くなって、黄色くなりかけていたり

大きさもバラバラで、見た目は決して良くはないが

これまでで一番 収穫量の多い年になった。

「すだち」の事を述べると、六兵衛の話は長くなる。

以前に『庭の「白い恋人」』(2020年5月3日)の

タイトルで六兵衛の「すだち」への想いを日記に書いている。

「すだち」の事

 

柿

それに比べて「柿」は、残念ながら実った数が少ない。

裏の畑の開梱で疲れたときに、これ以外に3個ほど食べたから

今年の柿の収穫は、合わせても わずか13個だけだった。

来年に期待する・・。

 

貧弱な発想ゆえに・・

YouTubeから「外付けHDD」に保存した映画を、「パソコン」

や「IPad」で再生して観るのは、六兵衛といえど 今では

当たり前に出来る・・。

 

六兵衛も「YouTube」から、昔の懐かしい自分好みの映画を

断りもなくだが「外付けHDD」に保存している。

・・いつ削除されても、保存していれば安心だから。

その中の4〜5本の映画を、身軽な「マイクロSD カード」に

移し、「iPhone7」の「Lightning」端子にハブを通して

「マイクロSD カード」を接続して、映画を再生した。

iPhoneで映画を

再生した映画は:日活映画『あすの花嫁』・1962年 制作

原作:壺井栄 監督:野村孝 主演:吉永小百合・浜田光夫

あすの花嫁

 

 

賢くてITの扱いに慣れた方々には 当たり前の事なのだろうが

六兵衛は「iPhone」などの「スマホ」は

電話をしたりネットで調べ物をしたりする機器であって

「スマホ」で、映画や動画を保存している外付けの「HDD」や

「SD カード」を接続して再生する・・という発想は

これまで なかったものだから、何気に今日 試してみて

こんな事が 出来るんだぁ・・と、何とも不思議な思いがして

新しい発見をした気分なのだ。

 

もちろん 今にして思えばだが、「iPhone」のYouTubeから

直に動画や映画を再生して観られるわけだから

「外付けHDD」や「マイクロSD カード」から再生出来ても

当然なのだろう・・と、今頃になって気付いた次第だ。

 

相変わらず 発想の貧弱な六兵衛である。

 

出来た!

我が家の東側に、六兵衛とつれあいの年寄り二人で作り始めた

畑が、やっと今日(20日)予定の4畝が出来上がった。

約1ヶ月半、六兵衛も頑張った!

それ以上に、つれあいも頑張った!

裏の畑

我が家の2階から見た畑の全景を、スマホで写した3枚の

写真を、無理やりアプリで合成した。

 

畑の周りには、いろいろな「実」の成る木を植えた。

六兵衛の好みの木もあれば、つれあいが望んで植えた木もある。

説明文字を入れると畑の写真が隠れてしまうほどだ・・。

表の庭から移植した木もあれば、新たにプランテリアで購入

した木もある。

裏の畑の木々

そして あと2本、表の庭に そこそこ大きく育っている

スモモの木の移植と、いちじくの木を もう1本 プランテリア

で購入して、植える予定にしている。

 

浅黄 斑さん・・

二見時代小説文庫から出版されている『無茶の勘兵衛 日月録』

という文庫本の シリーズの最新刊の発売を、今か今かと待って

いる六兵衛なのだが、ここ1年半ほど新刊の発表がない。

 

作者の浅黄 斑さんは以前に、病気で3年間ほど 作家活動を

中止せざるを得なかった時期があり

昨日 何気に「浅黄斑さん 近況」とネットで検索してみた。

 

新聞のWeb版に『作家・浅黄斑さん 死去』との記事があった。

記事の内容は・・

「2020年9月5日、知人の通報で駆けつけた警察官が

死亡している浅黄さんを発見した・・。」という簡単な

内容の記事であった・・。

もっと詳しい事を・・と他のネットを調べても

それ以上の詳しいことは分からなかった。

1946年 生まれの74歳、六兵衛と同じ年齢だったという。

 

『無茶の勘兵衛日月録』の第1巻「山狭の城」が2006年に

出版されて以来、2019年には第20巻まで出版された。

まだまだ物語は続いて、読者を楽しませてくれるはずだった

ろうに・・。

今後の勘兵衛の活躍を期待していた多くの読者以上に

途中で断念せざるを得なかった作者の浅黄さんの想いは

いかばかりだったろうか・・。

無茶の勘兵衛
渡邊 文也さんがイラストのカバー表紙絵に 以前 六兵衛が作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中に 「さし絵」として掲載していたカット絵の一部を加えた・・。

 

徳川家康の次男として生まれ、関ヶ原以後 越前一国を任された

結城秀康の三男・松平直政を藩主とした越前大野藩の複雑な

国情の中、少年時代の勘兵衛の無茶振りから物語は始まった。

そんな勘兵衛を これまでにも何度か当ブログに書いてきた。

 

浅黄さんが病気で3年以上のブランクの後、やっと新刊が

出版されて喜びの六兵衛の2019年1月6日の日記・・

「無茶の勘兵衛 第18巻」

 

「無茶の勘兵衛 第20巻」の中で、若い頃に六兵衛が暮らして

いた東京の町を、物語の中で勘兵衛が歩いている喜びを記した

2020年4月30日の日記・・

「一人で 懐かしんでいる・・」

 

等々・・。

 

ご冥福を祈ります・・。

 

朝の ひかり

朝食の時、リビングの西面の壁に 強い光が当たっていた。

これまで、この壁に このような光がさす事はなかった。

裏に畑を作り始めて、我が家にさす光りの角度が変わった

らしい・・。

光

 

つれあいの誕生日祝いにと、サンタクララに暮らす次女夫婦が

数年前に贈ってくれていた鉢植えの「藤の木」を、本来なら

葉が落ちる冬になってからの冬眠期の移植がベストなのだろうが

都合で 今日、裏の休憩用の椅子の側の藤棚に移植した。

 

早く大きくなって、休憩する六兵衛達に日陰を作ってね・・。

藤の木

 

裏の畑の作業が終わった夕方、池の方を見ると

白鷺が5羽、池の上に繁る木の枝の上に とまっている。

白鷺

 

 

東から登った太陽の朝の光が、差し込んできた経路を

図に書いてみた。

ついでに5羽の白鷺がとまっていた場所も示そうか・・。

過ぎ行く日々・・

過ぎ行く日々が、歳を重ねるごとに速くなる。

つい先日、つれあいと二人で 元旦の墓参りに出かけたばかりの

感覚なのに、もう春も夏も過ぎて 秋になってる・・。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2010年の秋の頃に「さし絵」として掲載していた18作目のカット絵。

 

いつも いつも 事あるごとに、過ぎ去る日々の速さに驚く。

歳を経るごとに、その速さが増していくのだ。

そういう意味で、1日1日を 無駄に出来ない残りの日々だが

過ぎてみれば 何かを成したという記憶もない・・。

 

形や記憶に残る何かを残したいと、特に思うわけではないが

あまりにも過ぎ去る日々が速いものだから、何となく 

このままでいいのかと、ちょっと不安になってくる・・。

 

子供の頃は、いつまで経っても子供のままだと思うほど

時間の流れは ゆっくりだった・・。

今更 反省しても詮無い事だが、「少年老い易く 学なり難し」

・・であった。

 

もう一度 六兵衛が、子供の頃に戻って やり直せるとしても

ジーさんになった頃には「一寸の光陰 軽んずべからず」

などと、やっぱり今と同じように、反省するんだろうと

想像する。

 

影?

雨が降り始めて 今日で3日目・・。

朝の9時頃、どうやら降っていた雨も あがった気配・・。

明日から また、畑作業を始められる・・。

 

iPhoneで写真を写す・・ところが この頃、六兵衛がiPhoneで

写す写真には、画面の左側に影が現れることが多くあった。

iPhoneを持った左手の指の一部が、レンズに被さっているから

・・とも考え、意識して指を外しても影は変わりなく映る。

では 他に原因が・・などと、深く原因を考えることもせず

適当に流していた。

六兵衛が写す写真は、その程度で良かったから・・。

 

ところが今日、何気にiPhoneを見ていて 気がついた。

iPhoneカバーの一部が曲がって、レンズに覆いかぶさっている

のを・・。

スマホのレンズ

 

どうやら この覆いかぶさっている部分が、写真に影を与えて

いた原因だと思える。

表面の薄皮も剥がれ、見る影もないiPhoneカバーのレンズ部分

の上部が、細く出来ていて頼りない。

このままポケットなどに入れたら、頼りない その部分が

当然 圧力で曲がってしまっても不思議ではなかったのだ

ろう・・。

 

カバーの その部分も頼りないが、どうにも六兵衛も頼りない話

である・・。