アクセス解析

当ブログ『六兵衛じーさん お昼寝中・・』には

1日に数人程度の”訪問者”が尋ねてくれているようだ。

その ほとんどの”訪問者”は、六兵衛の家族だとか ごく親しい

友人や知人たちである。

そのように ごくわずかな人達が訪れてくれるだけの我がブログ

だが、一応「忍者アクセス解析」を設定していて訪問者の

大まな人数などが分かる。

 

以前には、WordPressブログでのアクセス解析に便利だと聞き

『Count per Day』というアクセス解析のプラグインを使って

いたのだが、200人とか300人とか

六兵衛のブログなどでは絶対 あるはずのない訪問者の数を

表示するので 信用出来ず、「忍者ツールズ」のアクセス解析に

変えたのだった。

 

そんな こんな、アクセス解析でわかる訪問者の中で

特に多いのが「google Bot」や「Msn Bot」などクローラー

と呼ばれるWebの「情報収集用ロボット」の訪問である。

始めの頃は 詳しい事も分からず、訪問者の数字が多くて喜んで

いたものだが、そのほとんどが「google」や「Msn」の

「情報収集用ロボット・Bot 」だったとわかった。

 

それでも たまには、GoogleやMsnやYahoo!などをの

検索エンジンに、当ブログがヒットする事もあるらしい。

 

例えば、12月17日(木)の当ブログの日記『乱れ雲』での

「忍者アクセス解析」をみると、Microsoft Bingの検索サイトで

『立慶橋』の文言で検索をした人がいたらしく

検索ページの第1番目には『【15-091】立慶橋 江戸マップβ版』

というサイトが表示されているが

なんと2番目には、当ブログの2018年3月28日の日記

『江戸川に架かる「立慶橋」』が表示されていて

だから とりあえず 当ブログに立ち寄られたのだろうと思うが

独りよがりの半端な我がブログゆえ、果たして お役に立てたか

どうか・・・。

 

何にしても、我がブログを定期的に訪問してくれる家族や

友人 知人、そしてクローラーといわれるBotの訪問を含め

検索エンジンから来られる訪問者さん達に感謝しながらも

今日のこの日記のように、六兵衛の軽薄短小な日常を

不細工ながらも、結局は 淡々と綴るのみ・・である。

 

六兵衛の体重

当ブログに度々書いてきたが、今秋に入る9月の始め頃に

裏の土地に畑を作ろうと、つれあいと二人で開墾作業を始めた。

 

畑を作る裏の土地は、元々 家が建っていた跡地なので

今回の畑作りのために購入した耕耘機の刃が跳ね返されるほどに

土が硬く、”ガラ”も多く埋まっていて、だから どうしても

耕耘機を使う前にツルハシで深く掘り返しておかないと

「耕耘機」では耕せない状態だったのだ

 

その上 昼飯は、土まみれの作業着を わざわざ着替えるのが面倒で

だから ついつい昼食抜きで そのまま作業を続けたりした。

そんな状況が1ヶ月も続いて、10月に入った頃には六兵衛の

体重は4kgも減っていた。

もちろん こんな言い方をすると、よほど激しい作業をした

ような印象になるが、元々が心身共に軟弱な六兵衛だから

休み休みの作業だったのは当然である。

 

そんなわけで、1ヶ月あまりで六兵衛の体重は、大きく減少した

のだが、そのあとの 今日までの3ヶ月は 大した肉体労働もなく

わずか1kgほどしか減る事はなかったのだが・・。

 

それでも、開墾作業を始めた9月頃から4ヶ月後の今日までに

結局73kg以上あった六兵衛の体重は68kgほどまで減った

のである。

だから当然 腹回りも少なくなって、ズボンのベルトの穴も

変わってきた・・。

 

下の写真は 六兵衛が普段 使っているズボンのベルトだ。

ホームセンターで買った安物だが・・・ご覧のように

作業前と作業後の使用するベルトの穴が約5cmも少なく

なった。


①は・・畑の開墾を始める前の穴の場所

②は・・開墾作業を始めて1ヶ月が過ぎた頃の穴

③は・・昨日の時点でのベルトの穴の場所。

②と③は、ベルトの購入時点で穴は空いてなかったが

あとで必要になって穴を空けたものだ。

 

68kgの体重・・六兵衛の身長からすると

まだまだ体重オーバーといえるのかもしれないが

せっかく ここまで落ちた体重は六兵衛にとっては貴重である。

しかし これからの畑作りでは、重労働も ほとんど終わり

ツルハシを使うような作業も なくなるだろうし、だから

せっかく減った体重が、また増えてくることは必然のような

気もしている。

まぁ それでも、出来るだけ体重を現状維持に保てるように

頑張らねばと思う、今日この頃の六兵衛なのである。

 

年の瀬に・・

たとえ 老人の2人暮らしとはいえ、年末ともなれば

それなりに慌ただしく感じられ、スーパーへの買い出しも

それなりに多くなる。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2012年の年末の頃に「さし絵」として掲載していた144作目のカット絵。

 

そう、それなりに それなりにの年齢だからだろう

それなりの買い物をすませた帰りの車の中で

つれあいが六兵衛に話しかけてきた。

『ユウカ 知ってるやろ』・・と。

突然のユウカ知ってるかの質問だったから

『ユウカ?・・たぶん アノ娘か?・・』と、曖昧に答えたら

つれあいが、そのユウカの説明を始めた。

『可愛い娘で・・』とか、『ちょっとゴツそうな男の人と結婚

してる・・』とか・・そんな会話が続く。

つれあいの話が、だんだん横道に逸れて行きそうなので

『ユウカが どないしたんや ?』と六兵衛が話を元に戻そうと

つれあいに聞き返すと、一瞬 間があり『何んやったっけ ?』と

そもそも六兵衛に話をしようとした話の内容を忘れてしまって

いるらしい。

歳を重ねてくると、お互いに そんなボケた事は 日常茶飯事で

車の中で、2人して大笑い。

孫たちが まだ小さかった頃に、遊びで作った「マンガ絵」が
パソコンの隅っこに残っていたので、 懐かしシリーズで掲載する。

 

そのあとも 家に帰る着くまで つれあいは、思い出そうと考えて

いたようだが、家へ帰り着いて、昼飯や夕食を食べたりするうちに

昼間の車の中で話そうとしていた事さえ忘れたのか

つれあいから、あの続きの話は聞けないままの六兵衛である。

 

それとも 案外、話そうとしていた内容は思い出したものの

後になってみると、あまりにショウもない話に思えて

六兵衛に話すのを ためらっている・・のかもしれないが。

 

映画『乱れる』

前々回の日記で、成瀬巳喜男監督の映画『乱れ雲』に触れたが

その映画より4年前に制作されている 同じ成瀬監督の映画に

『乱れる』という作品がある。

『乱れ雲』は1967年の制作だが、『乱れる』はその4年前

の1963年に制作されていて、高峰秀子さんと加山雄三さん

主演の、こちらも東宝配給の映画だった。

乱れる

 

夫の死後 残された酒屋を支え、明るくひたむきに店を切り盛り

する女性(高峰秀子)と、その義姉を一途に慕い続ける義弟

(加山雄三)との、許されない愛を描いた物語である。

 

寡婦となった義姉を慕い続ける義弟の一途な想いを告白され

義弟を憎からず思う義姉の心は揺れる・・。

元々 家を出る決意は固く、嫁ぎ先に別れを告げ汽車に乗り

故郷へ帰る列車の中で、追ってきた義弟と一緒になる。

フッと 二人が途中下車したのは、川沿いに並ぶ温泉宿・・。

 

この二つの映画、どちらも 若い青年の一途な愛に心が乱れる

年上の女性の葛藤を描いている。

『乱れる』では、戦争で死んだ夫の弟との情愛であり

『乱れ雲』の場合は、夫が死ぬ事故を起こした相手との情愛

なのである。

それぞれに、単純に愛を受け入れる事が出来ない相手なのだ。

乱れる2

 

前作となる『乱れる』での結末が、どうにも救われないような

ショッキングで暗い結末で終わっているが、4年後の『乱れ雲』

では、同じようなテーマにみえるが 結末は少し異なっている。

多少の時代の変化だとか、監督自身の思惑に何かが あったのか

何にしても、同じ様な二つの映画を数年の間に作ったその意味を

柄にもなく考えてみるのだった・・。

 

いくら純粋な愛であろうと、許されない形の愛の その先には

しあわせや、特に心の平安は 長続きしないのではないか。

何故なら その愛には、無理のある事を 当人たちが 一番よく

分かっていて、それを意識すればするほど 壊れてしまう脆さが

あったように思える。

二つの映画の結末に多少の違いはあるものの

どちらもハッピーエンドに終わらせなかったのは

そんな思惑が監督に あったのではないか。

・・などと単純な六兵衛は、精一杯 考えても

この程度の想像が 限界なので・・ある。

 

「おばあさんの畑」は・・

芥川堤道を北へ、塚脇橋まで往復する散歩コースを歩いた。

塚脇橋近くの小さな畑で 何年か前まで、 一人 黙々と農作業を

している おばあさんを よく見かけたものだ。

それでも時々は、おばあさんの息子さんのような男の人が

耕耘機で畑を耕したり、秋には稲刈りをしいるのを見かけたり

していた。

多分 休日などを利用して、おばあさんの出来ないキツイ作業を

手伝っていたのだろう・・。

・・当時は そんな 想像をしながら堤道を歩いたものだが

数年前から、その畑で おばあさんを見かける事がなくなった。

 

おばあさんを見かけなくなってからも、息子さんのような人が

枯れ草を刈り取ったり、耕耘機で耕しているのを見かけたりは

したのだが、それでも耕した畑に 稲や野菜を育てたりする

様子もなく そのまま放置しているので

秋になると雑草が覆う畑になっていった。

 

今日も、塚脇橋 手前の「おばあさんの畑」の そばを通ったら

やはり雑草が覆い茂り、荒れたままの畑であった。

 

2019年7月4日の日記「おばあさんの畑」や

2020年4月11日の日記「おばあさんの畑・・その後」

等など、 これまでにも4度も5度も当ブログに

「おばあさんの畑」の事を書いてきたが

今は もう その畑に、おばあさんはいない・・。

 

スマホに保存して、散歩のときに聴きながら歩く多くの昔の

古い歌の中に、『裏山小山』という童謡のような歌がある。

歌っているのは伊藤久男さん。

サトウハチローさんの詩に伊藤翁介さんの作曲

サトウ・伊藤

『 裏山小山 』

1)

裏山 小山 秋の山


雑木林に 百舌が啼く


百舌 百舌 啼けよ あの百舌は

去年啼いていた 百舌かしら


おばばに聞けば わかるけど  

おばばは うちには もういない

2)

しば栗 小栗 山の栗

竹の手かごに 日があたる

チカチカ栗の いがの先

指をさしたか 血がふいた


おばばがいれば すぐとまる  

おばばは 死んだで もういない

3)

坂路 小路 くだり路

半分泣き泣き かけだした

風 風 吹けよ 百舌啼けよ

鼻の先から 日がくれる


おばばの声が 風にある  

おばばよ 出てこい かえってこい

 

乱れ雲

ここ2,3年、六兵衛が読みたくなるような文庫本の出版が

段々と少なくなくなってきているような気がする。

だから、我が家の読書コーナー横の未読用文庫本の本棚が

少しずつ さびしくなってくると、それでも やっぱり

「Amazon」なんかの本の通販サイトで、六兵衛が興味をひく

文庫本はないかをチェックし メモに残し

それが ある程度 まとまれば、Amazonなどの通販サイトには

申し訳ないが、購入するのは別の中古本の通販サイトで

価格を調べ、六兵衛が購入出来る中古本としての安い値段に

なっていたら購入する。

 

そんな昨日、未読用の本棚が さびしくなってきて

だから Amazonで文庫本の新刊状況を調べていたら・・

出てる! 出てるやんか!!

 

『風の市兵衛 弐』の最新刊が、1月8日に出版されると・・

出てるではないか・・。

しかし、出版される予定の『風の市兵衛 弐』の最新刊の

表紙の画像が、そのサイトには表示されていない。

念の為、「風の市兵衛」を出版社している祥伝社のサイトへ

入り、祥伝社の『文庫発売予定表』とかを見てみると

確かに 来月(2021年1月)に、『風の市兵衛 弐・乱れ雲』

発売される予定だと記されていた。

 

『風の市兵衛 弐・残照の剣』が今年の8月に出版されていても

次の新刊が出るまでは、『残照の剣』は 中古本として

なかなか安くは ならないだろう・・と思っている。

中古本としての『残照の剣』を早く読みたい六兵衛なのが

いまだに中古本の『風の市兵衛 弐・残照の剣』を購入出来ない

でいるのだ。

中古本としての『残照の剣』の昨日の値段を調べると

まだまだ高値の550円(定価は759円)だったのだ。

 

来年の1月に出版される最新刊『風の市兵衛 弐・乱れ雲』

出版されれば、その前巻となる『残照の剣』は 中古本として

今より少しは安くなって、六兵衛が中古本として買える値段に

下がるはずだと、都合よく思っている六兵衛なのである。

 

そして もう一つ、今日の日記に付け加えたい事がある。

『風の市兵衛 弐』の最新刊のタイトルは、『乱れ雲』という。

 

「乱れ雲」・・、そう この「乱れ雲」というタイトルは

六兵衛の記憶に強く残る 「ある映画」を思い出させてくれる

タイトルなのである・・。

 

その映画『乱れ雲』は、1967年11月公開された

東宝映画の配給で、成瀬 巳喜男さんの監督作品でもある。

「乱れ雲」ポスター

 

交通事故で夫を亡くした女性(司葉子)と、その事故の加害者

である青年(加山雄三)とが、少しずつ お互いに惹かれ合う

という内容である。

「乱れ雲」

 

愛と憎しみとが入り混じる関係でありながら

女性は、それでも 愛に一途な青年に惹かれていく。

しかし 許されない間柄ゆえに、あと一歩が踏み込めず

とまどう女性の姿を、悲しく美しく描いている。

 

六兵衛がこの映画を観たのが いつだったのか記憶にはない。

多分 映画の公開からだいぶ後になって、テレビで放映されて

いたのを観たのだろうと思うのだが・・。

 

それにしても、映画の司葉子さんは 美しかった。

 

『ファイト!』・・その2

裏の畑の開墾や野菜作りも冬の季節に移る・・。

裏の畑

何しろこの畑、開墾したばかりだから やせて硬く

だから、ホームセンターで購入した肥料を それなりに土に混ぜて

最初の野菜作りをしたのだが、まだまだ ”土”は硬い。

だから、来春の畑作りに必要となるはずの”堆肥”を作ろうと

つれあいの意欲は 六兵衛以上に大きく強く

だから、裏の畑に関しての つれあいはプロデューサーであり

六兵衛ごときは、プロデューサーの指示通りに動く

下請けのディレクターとでも いったところだろう・・。

 

剛腕プロデューサーの指示で、庭の桜の木の枯れ葉や

近所に落ちている枯れ葉を集め

近くのスーパーマーケット横の精米所でもらってきた米糠や

土や水を混ぜて、”腐葉土”を作り始めた。

堆肥1

裏の畑の隅に作った物置小屋の中にも

以前購入した耕耘機の空箱を利用して、同じように”腐葉土”を

作っている。

堆肥3

 

やはり米糠に、納豆などの発酵食品を混ぜて

”ぼかし肥料”も作っているし、裏の畑の片隅の耕した土に

米糠や牛糞堆肥 等々を混ぜ合わせ、雨除けのブルーシートを被せて

作る肥料も、来春の出来具合が楽しみである。

堆肥2

これら全て、インターネットのYouTubeで 熱心に勉強をした

剛腕プロデューサーの指示であり、実際に動いたのは

考える事が苦手になった六兵衛なのである。

 

 

そんなこんな農作業が、何となく一段落をして・・

初冬の今城塚

初冬を迎えた今城塚古墳公園に散歩に出かけた。

 

 

今は、「ファイト!」のみである・・。

ファイト2

 

『ファイト!』

 

『南の花嫁さん』

今年の秋は、裏の畑の開墾や、それが終わっての野菜作り等が

結構忙しく、その分 あまり散歩に出かける機会が少なくなくて

それでも時々は、芥川堤道や上の池公園あたりへ出かけている。

 

そんな時は いつもの様に、iPhoneに保存した昔の流行歌を

聴きながら歩くのだが、そんな繰り返し流れてくる流行歌の

中に高峰三枝子さんが歌う『南の花嫁さん』という歌がある。

 


                     若い頃の 高峰 三枝子さん

 

昭和18年(1943年)頃

「ニッチク」制作(日本コロムビア レコードの前身らしい)

作詞:藤浦 洸

作曲:古賀 政男 ( 原曲は 中国の任光さんが創られた

「彩雲追月」という曲だという。)


任光さん

歌:高峰 三枝子

1)

ねむの並木を  お馬のせなに  ゆらゆらゆらと

花なら赤い  かんなの花か

散りそで散らぬ  花びら風情(ふぜい)

隣の村へ  お嫁入り

『おみやげは なあに?』

『 籠のオウム』

言葉もたった一つ  いついつまでも

2)

椰子の葉かげに  真っ赤な夕日が  くるくるくると 

まわるよ赤い  ひまわりの花

たのしい歌に  ほほえむ風情(ふぜい)

心はおどる  お嫁入り

『おみやげは なあに?』

『籠のオウム』

言葉もたった一つ  いついつまでも

3)

小川のほとり  お馬をとめて  さらさらさらと 

流れにうつす 花嫁すがた

こぼれる花の  花かんざしに

にっこり笑う  お月さま

『おみやげは なあに?』

『籠のオウム』

言葉もたった一つ  いついつまでも

 

高峰三枝子さんは、戦前戦後を通じて日本を代表する大女優で

歌手としても「湖畔の宿」など多くのヒット曲を発表している。

高峰さんが熟年になった頃、同じ熟年の上原謙さんとの

国鉄(JR)のCM「フルムーン夫婦グリーンパス」が

大きな話題となったことは、六兵衛の記憶に まだ新しい。

お風呂

 

「南の花嫁さん」は、戦中時代に作られた高峰さんの歌で

戦後になってからも、ラジオやテレビなどから流れているのを

子供の頃の六兵衛も聴いた事がある。

 

そんな「南の花嫁さん」のサビの部分・・

『おみやげはなあに?』

『 籠のオウム』

言葉もたった一つ  いついつまでも 

・・と繰り返す この部分を、六兵衛はこれまで

お嫁に行く娘が、いつか里帰りをする時

家族へのお土産は何がいいかと聞いたら

籠に入ったオウムで、しかもオウムが喋る言葉は

『いついつまでも』の一つでいいと家族が答えた・・と

そんなイメージを単純に考えていたのだが

先日、今城塚公園を散歩していて

その歌がiPhoneから流れてきた時

その繰り返されるサビの部分の歌詞に疑問が湧いた。

 

この歌が作られた時代といえば・・

昭和初期のあたりから続く世界的大不況のなか

勢いを増した日本軍部は、その不況を打開するため

「大東亜共栄圏」という名目で、東アジア(東亜)から

欧米諸国の植民地政府を追い出し

彼らの人種差別に苦しむ時代を終わらせ、日本を中心とした

「大東亜共栄圏」という共同体を構築しようと目論んだ

それは、日本軍部に都合の良いように、武力でアジアを支配

する事を 正当化しようとしたものに他ならない。

 

そんな時代に、高峰三枝子さんの明るい歌声で

『おみやげはなあに?』

『 籠のオウム』

言葉もたった一つ  いついつまでも ・・と歌う。

 

籠の中のオウムは人に教えられた言葉を

ただ意味もわからず喋るだけ・・

それも 覚えさせるのは『いついつまでも』の 一言。

そのあたりに 何か意味がある?・・と思い 考えた。

 

「大東亜共栄圏」を成立させ、日本が東南アジア各地から

得られる甘い汁(お土産)が、いつまでも続くことを期待する

日本軍部の身勝手な発想を歌に込めた・・ともとれる。

 

また 別の見方も出来る・・。

当時の「大東亜共栄圏」という、軍部の身勝手な思惑に対し

批判と皮肉を込めて歌にした・・とも とれるのだ。

 


                           藤浦 洸 さん

作詞をされた藤浦 洸という人は、六兵衛が まだ子供の頃の

ラジオやテレビの草創期に、NHKの「二十の扉」や「私の秘密」

などの番組に出演されていた詩人で、怒り肩の頑固そうな

おじいさんの印象があって、当時の軍部への反骨精神があり

批判や皮肉を込めた歌詞を書いたとしても不思議ではない

・・とも思える

 

それにしても 単に思いつきの発想で

六兵衛ごとき者には・・何とも よう分からへん。

 

Google考

何だ かんだ 言ったって・・

「Google」の クラウドとしての「Googleドライブ」も

文書作成アプリとしての「Googleドキュメント」も

I T 機器未熟者の六兵衛には、とても扱いやすいアプリである。

 


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2010年の師走の頃に「さし絵」として掲載していた36作目のカット絵。

 

だいぶ以前・・

「Google」がユーザーの個人情報を売っているとか

そんな噂を小耳に挟み、「Google」への不信感を抱いた

六兵衛は、独占企業ともいえる大企業の「Google」への

不安や反発心のような感情も重なり

それが「Google」離れとなり、「アカウント」は残したまま

「Googleドライブ」や「Googleドキュメント」の使用を極力

最小限度に抑えてきた。

 

そんな六兵衛の独りよがりとも言える単純な思惑で

意識的に「Google」を避けてきたのだが

先日ネットを見ていたら

「Google」が『プライバシー ポリシー』と表現をした

サイトに出くわした。

 

(略)

『Googleとしては、データを利用してユーザーの役に立つ

サービスを提供したいと考えています。

しかし、Googleが どのデータを収集して利用するかを

決めるのはユーザーです。

【アカウント情報】には 使いやすいツールが用意されており

プライバシーやセキュリティを簡単に管理できます。

等々・・。』

(略)

『すべての人に、テクノロジーを。

 すべての人に、安心と安全を。

 Googleがユーザーの個人情報を販売することはありません。

 ・・云 々。』

(略)

 

パソコンや iPad、iPhone などの I T 機器を使い始めて

もう20年にもなるのに

いまだに I T 機器には未熟な六兵衛は「文書作成アプリ」の

使い方ひとつにしても、まともに理解出来ないまま

何とか手探り状態で 今日まで やってきた。

 

「文書作成アプリ」は、「Word」「Evernote」「Pages」

「OpenOffice」等々・・MacやWindowsで使えたり

使えなかったりと、いろいろあるようで

無料アプリの何種類かの「文書作成アプリ」のサワリを

ちょっと齧(カジ)っては みるものの

どの「文書作成アプリ」も、どうにも未熟な六兵衛には

上手く使いこなす事が出来ず、だから これまで

これという「文書作成アプリ」には出会えてこれなかった。

 

しかし、そんな多くの「文書作成アプリ」の中で

「Google ドキュメント」は、文書の作成が割とスムースに

でき、文書や写真、画像などの「Google ドライブ」への

保存や出し入れも、未熟な六兵衛でも割とスムースに

操作ができ、そのうえ15GBと容量が大きい。

 


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2011年の師走の頃に「さし絵」として掲載していた88作目のカット絵。

 

「Google」がサイトに発表した『プライバシーポリシー』

とは別に、他のサイトには

インターネットに繋いでいる以上、ウイルスの感染の危険性は

ゼロではなく、手放しで信頼して良い企業などあるはずもなく

インターネットでの「Google」の存在感が増すにつれ

ユーザーにとって「Google」を避けるのは現実的ではない・・

そんな意見もあった。

 

あれや これやと、うろうろ彷徨いながら

結局は そんなこんなで、一皮 剥けた(?)六兵衛は

以前のように、再び 無料の「Googleドライブ」の利用を

始めたのだった。

 

チャン! チャン!