「それ」

ボーっと 窓の外を眺める・・。

いつもの 見慣れている 何気ない風景がある・・。

 

多分「それ」は、だいぶ前から そこに あったようにも思うが

だからといって「それ」を、特別に意識したことは

これまで なかった・・。

「それ」は自然に出来上がったものではなく

人の手によって、作為的に作られたものだ・・とはいえ

これまで「それ」の存在の意味を、深く考えた事もなく

ただ ボーっと「それ」を含めた窓の外の景色を

日々 眺めてきた・・。

何気に昨日、「それ」に目が行き、その場所から少し手前に

目を移すと、川を挟んだ こちら側にも「それ」と同じ

「それ」がある。

 

2個あれば 3個目もある・・というのが、わりと世の常識で

最初の「それ」の場所から、少し右横に目を移せば やはり

3個目の「それ」が存在した。

 

 

・・いや 正確に言えば、毎日のように、この窓から外の景色を

眺めているのだから、「それ」が 2つも3つもあることは

無意識ながら目の中に入っていた。

ただ これまで「それ」の存在に、特に疑問も持たず

景色の一部としての、意識の外の「それ」であった。

 

「それ」とは、我が家の前を流れる小さな川・如是川を挟んだ

両側を通る片側通行道のガードレールやフェンスに結び付け

られた紐状の「ピンク色のリボン」のことである。

2箇所

右に転ずれば

 

改めて意識して見てみると、何かの意味がありそうな・・。

「まじない」か・・。

それとも「呪い」か・・誰が? 誰に?

窃盗団かスパイ団かが、後日のためのマーキングか?

だとしたら 何を盗む?・・ただの小さな「川」で。

 

想像力の貧弱な六兵衛には、たかがこの程度の発想しか出来ず

いつしか色あせてゆくだろう「ピンク色のリボン」のように

六兵衛の意識からも、「ピンク色のリボン」の疑問も

次第に薄れていくのだろう・・・。

 

老夫婦

先日 つれあいが 早朝の散歩中、阿武野中学校の正門近くの

如是川にかかる橋の向こう側で、何かが動いているような

いや 何も動いていないような・・・。

つれあいとの間に2重のフェンスがあって

よく見えなかったらしいのだが、しかし よく見ていると

やっぱり何かが動いている・・。

 

早朝の 人通りも車も少ない時間帯を選んで・・だろうが

90歳を過ぎた位の老夫婦が、お互いを支え合いながら

ゆっくり ゆっくり、歩いていた・・らしいのだ。

お二人とも、歩くのさえ ままならない様子。

だから わずかの歩幅でしか歩けず、時間をかけても

少しずつしか進むことが出来ない ようなのだ。

 

それでも その老夫婦は、ご自分達の歩けるペースで

多分二人で、支え合い 励まし合いながら

自分たちで出来る事をやって、少しでも体力を維持し

明日のために、いや 今日1日を穏やかに過ごせるように

車や人通りの少ない時間帯を選び、歩く練習をされている

のだろう。

散歩中の老夫婦完了

 

六兵衛が直接、その お二人の姿を見たわけでもないのに

つれあいから そんな お二人の様子を聞いただけなのに

何故だか目頭が熱くなってくる。

 

その お二人の姿が、近い将来 必ず来るであろう「老い」を

迎える六兵衛とつれあいの 姿と重なる・・・。

 

反省の日々・・

今朝 起きたら つれあいが、『玉ねぎの芽が出始めたよ』と言う。

いずれは裏の畑に植え直して、育てる予定の「玉ねぎ」のタネを

6日前の9月18日に、「プラグトレー」にタネを撒き

ベランダに置いて、必要に応じて つれあいが水を与え

芽が出るのを待っていたのだ。

 

目が出た、と つれあいに言われてベランダに出てみると

出てる 出てる・・可愛い芽がポツポツと出始めている。

玉ねぎ・6日目

 

 

朝 8時過ぎに、芥川堤道を歩こうと家を出た。

穏やかに流れる芥川堤道だが、秋とはいえ日差しは まだまだ暑い。

「門前橋」の袂の土手に彼岸花が咲いていたが

それらの中に「白い彼岸花」が混じっていた。

白い曼珠沙華

珍しいなぁ・・。

それにしても、この辺りは  いつも歩いているコースなのに

昨年も一昨年も、そして それ以前にも

白い曼珠沙華」が咲いていたのを観た記憶がない・・。

ない・・と思い込んでいるのは六兵衛が忘れっぽくなっていて

案外 去年もその前にも「白い曼珠沙華」は咲いていたのかも

しれない・・などと、どっかで自分を疑う六兵衛がいる・・。

 

 

堤道沿いにある小学校で、大勢の生徒たちが校庭に集まって

先生たちの指示を仰ぎながら、何かの練習をしているようだ。

運動会の練習だろうか・・

練習?

 

コロナ禍の中とはいえ、子どもたちが全員マスクをして

まだまだ暑いだろうに・・。

日本の小学 中学 高校までの教育は 、『和を以て貴しとなす』

との聖徳太子時代の古い古い考えが、未だに根本にあるようで

ついつい皆を同じに揃えたがるきらいがある。

それが良い面もあるのかもしれないが、どうにも現代では悪い面が

多く現れているように思うことがある・・。

・・・そんな事を考えながら堤道を歩いていたら

学校近くの堤道にも、曼珠沙華の白い花が咲いていた。

、けっこう咲いてるやん・・珍しくないんや・・。

珍しいと思ってたんは 六兵衛だけやったんやろか・・。

 

先に思ったように、やっぱり六兵衛は 忘れっぽくなって

いるのかも・・。

・・し、しょうないやんか、歳なんやから・・

そんな風に自分に弁解しながら、そこに咲く「白い曼珠沙華」の

写真を写そうとスマホを取り出したが、突然 「スマホ」が真っ暗の

画面になって、ホームボタンをタッチしても 何の変化もなく

では 電源を切ろうとサイドボタンを 何度押しても

ウンともスンとも変化がなく、真っ黒な画面のままなのである。

 

あわてない あわてない、こんなときは・・

仕方がないから、まずは家に帰って ゆっくり落ち着いて

その原因を調べようと決め、家路へと向かう・・。

 

 

我が家に着いて、気になっていたスマホを急いで取り出し

まずホームボタンを押したら・・

ナ、何のことはない、何事もなかったかのように

正常に 動くのだもの・・。

モ、もしかしたら あの時、サイドボタンの押し方が短かったのかも

・・と、後で調べて 思ったことでもあった。

 

今日も、反省の日々・・。

 

 

最果ての湖・・風蓮湖

2010年に『廃墟に乞う』で直木賞を受賞した佐々木譲さん

が、1994年に書かれていた小説『五稜郭残党伝』を読んだ。

五稜郭残党伝

 

戊辰戦争における新政府軍と幕府軍との最後の戦いの場所

北海道 函館の「五稜郭」に立てこもった幕府軍は

陥落寸前に追い込まれていた。

『降伏はせぬ!』と、自由を求めて五稜郭を脱出した二人の

幕府側の兵士が、北海道の各地でアイヌの人々や土地を蹂躙

(じゅうりん)している新政府軍の画策を知り、義憤に燃え

逃亡を続ける。

広大な北海道を 西の函館から東の根室まで逃げる背後に

新政府軍の残党狩り部隊の、酷薄で執拗な追撃が続く。

追う者と追われる者とが、男の誇りを賭けて戦う冒険小説だ。

蝦夷地三部作の第一作だという この物語の終盤に

主人公たちが、追われて辿り着いた最後の場所が

北海道の最果ての汽水湖『風蓮湖』であった。

 

『 源次郎は敵の潜む岩に向けて一発放った。

名木野が頭を低くしたまま、背後の岸の上に駆け上がった。

「源次郎!」

うしろでヤエコエリカの声だ。

源次郎は振り返った。

ヤエコエリカは二梃の銃を手にしている。

装填しているから使え、と言っているようだ。

流れの中に降りてこようとする。

源次郎は怒鳴った。

「くるな。いい!」

ヤエコエリカは、岸で足を滑らせた。

源次郎は思わず立ち上がっていた。

「くるなって!」

背中に衝撃があった。

熱いものが、背中から脇腹にかけてを貫いた。

源次郎の身体は、そのまま前方によろめいて

岸の黒土の上に投げ出された。

「源次郎!」

名木野が短銃を撃ちながら駆け寄ってきた。

向こう側から、また発泡がある。

源次郎が手を伸ばすと、名木野が すぐ岸へと引っ張り上げて

くれた。

 

「やられた」

 

〈略〉

 

・・・気がつくと頭の上に広い空がある。

 

「ここはどこだ?」

ヤエコエリカが答えた。

「船の上、いま、川を下っている」

 

この川を下ると、どこに出るんだ?」

「風蓮湖」

「どんなところだ?」

「大きな湖。コタンもある。国後も近い 。」

「ヤエコエリカ、おれの頭を少しだけ 起こしてくれ。

まわりを みたい」 』

小説『五稜郭残党伝』のクライマックスの場面だ。

風蓮湖・・フ ウ レ ン コ ?・・えっ、風蓮湖?。

 

 

六兵衛が夜 寝るときの子守唄代わりに、iPadに保存した数百曲の

古い昔の流行歌を流しているのだが、その中に「風蓮湖」を歌った

歌があるのだ。

その歌『風蓮湖の歌』を歌うのは、大津美子さんという歌手で

「 ♫ 最果ての 海に連なる風蓮湖」始まる歌声は

寝ながら聞き流している六兵衛ではあるのだが、歌詞と相まって

清らかで しかし力強く、印象に残る歌なのだった

 

読んでいた小説と、子守唄代わりに聴いていた流行歌の

それぞれに、奇しくも登場した最果ての湖「風蓮湖」。

偶然か必然か・・六兵衛としては 運命みたいなものを感じる

のだが、大袈裟だろうか・・。

 

『風蓮湖の歌』

作詞:内村 直也 作曲:飯田 三郎 歌: 大津 美子 (昭和36年)

風蓮湖・大津美子

風蓮湖の歌

 

1)

最果ての 海に連なる風蓮湖

この湖に 冬を越さんと白鳥の 白鳥の

寒き国より 飛び来たる

2)

空覆う 夢の白鳥 葦(よし)の葉に

ひとり泣くのは オデット姫か白鳥の 白鳥の

虹を蹴立てる 朝の舞

3)

最果ての 海に連なる風蓮湖

この湖に 暖流流れ白鳥の 白鳥の

影すべりゆく 親と子の

 

 

※ 山内 惠介という若い歌手も「風蓮湖」という歌を歌って

いるらしいが、まったくの別物である事を お断りしておく。​​

 

今日も お疲れさん!

3日ほど前に つれあいが、試し掘りで収穫した やや小ぶりの

「さつま芋」を、今朝 つれあいが ふかしてくれて食べたが

適度なしっとり感や甘みも それなりにあつて、この分だと

我が家での初めての「さつま芋」栽培は 、成功といえるかも

しれない。

ふかし芋

 

ふかした「さつま芋」の試し食いが、思っていた以上に美味かった

から、その余韻のまま 昨日の続きの小屋作りにかかる・・。

 

小屋2

屋根の部分は、まず 9mm厚のコンパネを敷き

その上に「カラーブリキ」の波板を重ねる。

つれあいの発案で 床には、丸太のままの「竹」を敷き詰め

スノコ状にした。

雨で床が ぬかるんでも、これで大丈夫。

足もとには、ブロックを積み上げ15cmほど高く上げた。

とりあえず小屋完成

 

昨日も 今日も、いささか疲れる作業が続いたが

しかし、まだまだ しなければならない作業の予定が あって

引き抜いた雑草や切り落とした枝葉を、再度 堆肥にするべく

貯めておく箱を作る予定なのだが

それでも2〜3日 休んでからでないと、六兵衛の身体は

動けそうにないのである・・。

 

今日は お疲れさん!

エセ農業老夫婦の 六兵衛とつれあいにとって

秋野菜作りのための 忙しい季節が 始まろうとしている 。

 

夏野菜として表の畑に植えていた「キュウリ」を撤去した後に

「小松菜」と「春菊」のタネを 9月13日に撒いていたのだが

すでに可愛い芽が出始めている・・。

小松菜・春菊

 

その隣で育てていた「茄子」を、「秋ナス」のために剪定し

小粒だが味の良い「秋ナス」が収穫 出来たのだが

ここにきて、もう花も咲かなくなり

これ以上、実りの期待は出来ないと判断をし

小さな実が なりかけている1本の「ナス」だけを残して

他の「ナス」は全て撤去し、 その場所に 今日ホームセンターで

買ってきた「九条ネギ」の苗 10数本と・・

九条ネギ

 

・・「白菜」の苗 3個を植えた。

白菜

 

 

昨年の秋、裏の畑を作り始めたときに

畑の東側の角に、材料などを置く小屋を作っていたが

それから1年が過ぎた今、小屋が手狭になってきたのと

塩ビの波板の屋根が、夏の日差しの熱で曲がってしまい

雨水が小屋の中に漏れるようになっていたので

塩ビの波板をカラーブリキの波板に変える作業と同時に

小屋を広くするだけの余分な土地もないので、せめて もう少し

小屋を高くすることにして、つれあいにも助けてもらいながら

作業をしているのだが、結構きつい作業で いささか 疲れた。

小屋

 

・・ので、残りの作業は 明日 することにした。

 

お疲れさん」!!

 

ここ数年、台風の動きも変わってきたde!

九州の西の東シナ海のあたりで、長く迷走していた台風14号は

2日ほど前あたりから進路を東にと変え

昨夜 九州に上陸したあと、四国地方を断りもなく通り過ぎ

昼頃に和歌山に再上陸したあと太平洋に出て

温帯低気圧になった・・。

 

台風14号

我が地方では、少し雨が降った程度で台風の影響は ほとんどなく

台風が過ぎ去ったと思われた昼過ぎには、天気も回復し

日も差してきた。

西の空
夕方 6時ころの西の空。

 

 

台風一過のあとの、空気の澄んだ青空の間には

それでも黒い雲が 勢いよく流れていたりして

空には台風の後の気配があった。

 

 

宵の明星

夜 7時少し前の西の空には、宵の明星と思える星がひとつ

一段と輝いていた・・。

 

天高く さつま芋 肥ゆる 秋

秋野菜を作る季節になってきたので、現在 さつま芋を植えて

いる3番畝と5番畝以外の 1・2・4番畝にバーク堆肥や

ボカシ肥料などを撒き 耕うん機で耕すことにした。

1・2・4番畝を耕うん機で耕す前に、ところ構わず繁茂して

隣の畝にまで伸びた さつま芋の蔓(つる)や葉を裏返し

「ツル返し」の作業をして、耕うん機での作業をしやすくした。

 

同時に つれあいが、「さつま芋」の成長具合を調べようと

2株の「さつま芋」を掘り起こしてみた。

最初に掘り起こした1株目には、やや小ぶりの芋が1本だけ

ぶら下がっていたのだが、2株目の芋を引き抜いてみると

写真のように沢山の芋が実っていた。

 

何しろ 初めての「さつま芋」作りだから、やや心もとない・・。

このまま もう少し待てば、もっと大きく成長した「さつま芋」

の収穫が出来そうな塩梅なので、まずは安心である。

 

耕うん機で耕した土壌が、「酸性」か「アルカリ性」かを

調べる「PH 測定器」で、1・2・4番畝を調べてみると

やや「酸性が強い」と表示されたので、土壌を「中性」に

するために、「苦土石灰」を 少々 撒いた。

 

日本の雨は酸性雨なので、どうしても「酸性」になりやすいのだと

いうことのようだが、撒き過ぎにも注意が必要らしい・・。

 

そろそろ秋が・・

夏の昼間は暑いから、朝早く起きて つれあいと二人で

早朝散歩に出かけていたのだが、9月も半ばになって

朝夕は 割と涼しくなり、元々 早起きは苦手な六兵衛は

昼間の午前中の散歩に変えた。

 

散歩道から眺める田んぼでは、稲穂がこうべを垂れ始めていて

実りの秋が近いことを感じさせてくれる。

畦道には彼岸花が咲き始めた・・いつもの光景である。

曼珠沙華

 

別の田んぼでは、健気な姿の案山子たちが

大勢並んで、スズメなどの害鳥から 稲穂を守っていた。

案山子2

 

今年の初夏の頃だった・・。

散歩道の途中にあるテニスコートを囲むフエンスに

小鳥が止まっている・・と思って よく見ると、なぁ〜んだ

枯葉がフェンスの網に引っかかっていたのか・・という日記を

当 六兵衛ブログに書いたことがある。

2021年5月6日『小鳥が・・』という日記。

2021年5月6日『小鳥が・・』の日記に掲載した写真。

 

 

 

それから ここを通るたびに、網に引っかかっていた枯葉は

何処かへ飛んでいって無くなっているだろう・・と思って通る

のだが、頑固にも 網に止まったままやし

夏場をやり過ごして 今日、久しぶりにフェンス横を通って

みたら、なんと ナント、以前と同じように

網に止まってままなの 佇まいなのである・・。

風にも負けず、雨にも負けず・・健気なやっちゃ!。

まだいるの

 

 

こんな事は珍しいかもと、振り返って後ろのフェンスを見たら

対面のフェンスにも

沢山の「小鳥もどき」が張り付いて居るではないか・・。

 

木の葉の鳥

 

な、なんのこっちゃ!

 

百科事典

先日 つれあいが、「iPad」で YouTubeを見ていて

『ダイバーシティー』という言葉を聞いたらしい

あまり耳にしたことのない言葉だったらしく

六兵衛に『その意味を知ってる?』と聞いてきたが

六兵衛だって、そんな言葉 知るはずもない・・。

亭主は頼りにならない?と ばかり、つれあいは 手元にあった

「iPad」を引き寄せ「Siri」を呼び出し

『ダイバーシティーの意味は?』とiPadに質問をした。

 

ネットのフリー百科事典「Wikipedia」が現れ説明によると・・

『組織において、国籍や性別、年齢などの違いを受け入れて

それぞれの多様な価値観や発想を活かす事

「多様性」「相違点」を意味する、スペルは「Diversity」』との

答えが返ってきたという。

 

つれあいが調べようとした「ダイバーシティー」という言葉に

限った事ではなく、日々を暮らす中で、分からない言葉や

知らない事々に出くわすことは たびたびある。

 

もちろん、わからない事柄の全てを調べるつもりはないが

興味を持った事柄などは、知りたいと思うものだ・・。

 

そんな時、常に手元に「パソコン」や「iPad」「スマホ」などの

「I T機器」を持っている現代では、常に百科事典を持ち歩いて

いると同じことで、わからない事があれば その場で便利に

ネット検索出来る。

しかし、「パソコン」や「タブレット」「スマホ」などの

無かった昔は、わからない事を調べる作業は 簡単ではなかった。

 

そう、相変わらずの 六兵衛の昔話になるが・・

50年ほど昔の六兵衛の、若い頃の事を思い出した。

六兵衛が つれあいと世帯を持って2,3年が過ぎた頃・・

長女が生まれたばかりの頃だったか、生まれる少し前の頃

だったか、どちらにしても その頃のことだ。

 

六兵衛が何を考えて、そして 何がキッカケで そうしたのか

まったく今では記憶にないのだが、『平凡社 世界大百科事典』

(​​​​​​​​ 事典23冊、検引1冊、地図が日本地図と世界地図の2冊 )

の全26巻セットを、つれあいに相談もせずに

六兵衛が勝手に購入したことがあった。

購入料金がいくらだったのか記憶にはないが、当時の六兵衛

の給料の1〜2ヶ月分の代金だったのではないかと思う。

若くて未熟な六兵衛だったから、当然 安い給料だったはずで

それなのに 何を考えて そんな高額の買い物をしたのか

そうする理由でも あったのか、記憶は まったくないのだ・・。

 

百科事典
写真はwebサイトから お借りしたもので、当時購入した「平凡社 世界百科事典」は すでに もう、六兵衛の手元には ない。

 

念の為、今 現在の平凡社『世界大百科事典』は

いくらで購入出来るのかを調べてみた。

 

2014年 改訂版(セット数が増えて全34巻セット)で

料金は27万円+税という金額になるらしい。

購入後、「百科事典」用の本棚を わざわざ用意して並べていた

のは記憶に残っているが、頻繁に「百科事典」を利用したかと

いえば・・否 だったなぁ。

 

どんなキッカケがあって「百科事典」を購入したにせよ

結局 六兵衛の無駄使いであり、反省の記憶である。