「ナスビ」の想い・・

表の庭の小さな畑に、1本だけ残っている「ナスビ」に

いまだに小さな「実」がなっている。

 

・・とはいっても、季節はもう冬・・。

 

そもそも この「ナスビ」、今年の3月の始め頃に

つれあいが、湿らせた料理用の紙ナプキンに「ブロッコリ〜」

「キューリ」などと一緒に「ナス」のタネをまき

1週間ほどで「ナス」も芽を出したので、種まき培土を入れた

ポットに植え替え しばらく育て、5月には苗に育った3本を

表の畑に直植えをしたものだ。

 

この「ナスビ」、夏場での収穫は期待したほど 多く実らず

「秋ナス」用にと枝葉を切る剪定をして期待して待ったが

これも 思ったほどの収穫はなかった。

9月後半には、まだ小さな実をつけている1本だけを残し

2本は「キューリ」などと一緒に引き抜いて撤去した。

 

 

残した1本の「ナス」から、11月の始めに3個の「ナス」の収穫

が最後になったが、しかし今も そのナスの木に5,6個の

小さな「ナス」が実っているのだ・・。

明日から12月、本格的な冬になる。

もう これ以上 「実」を大きくするのは無理だろうとは思うが

かといって、ここまで頑張ってきた「ナス」を

無下に引き抜き徹去するのも忍びないとも思い、だから もう少し

様子を見ようか・・と思案中なのだ。

 

わら囲い

2日ほど前に「えんどう豆」の棚を作り終え

目の前まで迫っている寒い冬を乗り越えるための「わら囲い」の

4列分を、昨日と今日との2日をかけて、のんびり作った。

 

昨年の「えんどう豆」作りでは、「わら棚」がないままの状態で

ひと冬を頑張って越してもらったのだが

今年は南草津に暮らす長女が農家の友人から「稲わら」を貰って

くれていたので、寒さに耐える確実性と それらしい雰囲気を出し

たいと思い、散歩の途中の通り道そばの畑や「YouTube」などの

映像を参考に、見様見真似で「わら棚」を作った。

 

もうすぐ12月・・冬が来る。

いつでも 来い!

 

それにしても、寒さとコロナ禍と、もともと出不精の性格と・・

「冬眠のススメ」が 揃ったんと ちゃうか・・。

えんどう豆の棚作り・その2

雨が上がった今日、えんどう豆の「棚作り」の続きを行った。

3日ぶりの作業になる。

棚自体の補強をした。

 

これから訪れる冬場の寒さ対策としての「わら囲い」のために

物置の中にあったPSロープ(ポリプロピレン製)を張り終えた。

そのロープに稲わらをくくり付ける予定なのだが

その作業は、また後日ということにして、今日の作業は・・

ここまで。

 

申し訳ないほど、気楽な作業ぶり・・。

 

えんどう豆の棚作り

今年も「えんどう豆」の季節だ。

「直まき」していたタネから、芽が出初めた。

今年は昨年より倍の、2畝 4列に植えた。

 

芽が出たばかりで いささか気が早いけど、棚を作り始める。

杭を打ち込み、基本となる柱や横棒を取り付け、ネットを張った。

作業は まだまだ補強が必要だが、今日は ここまで・・。

明日は雨っぽい1日になるらしいから

続きは 雨が上がってからになるだろう。

 

最終的には、南草津に暮らす長女が 農家の友人から貰って

くれていた「稲ワラ」を、寒さ対策のために「苗」に被せる作業が

終わるまで、六兵衛の のんびり作業は あと数日続きそうだ・・。

 

堆肥作りでの1回目の「切り返し」

つれあいの進めで 先月、「堆肥箱」作りの事は日記に書いた。

10月1日の日記「雑草などで堆肥を作ろう」

10月7日の日記「堆肥箱」

 

その後、落ち葉や雑草、さつま芋の茎や葉などを堆肥箱に入れ

米ぬかで作った「ぼかし肥料」や「土」、「水」などを混ぜて

約1ヶ月ほどが過ぎた。

「YouTube」などの堆肥作りによると、月に一度か二度ほど

落ち葉や雑草をかき混ぜて(切り返し)、新鮮な酸素を

取り入れる必要があるという。

・・ので、今日は堆肥箱を開けて「切り返し作業」をした。

 

フタを開けて中を覗くと、表面は多少 発酵らしき状態になって

いるものの、まだまだ・・

 

2つ並べた右側の堆肥箱から左側の空いている箱の方へ移して

いく方法で、切り返しをする・・。

 

青いままの葉などが残っていて、発酵は まだまだだ。

 

寝ているミミズを起こしてしまった。

ミミズがいるのは多分 よい傾向だと思う。

 

最初に落ち葉や雑草を入れたとき、「ぼかし」や「土」を混ぜ

ジョロで「水」も入れたのだが、どうやら「水」の量が

少なかったようで、所々 乾燥した部分もあった。

だから今回、改めて多めに「水」を与え、念の為「ぼかし」も

少々混ぜ、1回目の「切り返し」は終了した。

 

やはり さつま芋の蔓(つる)は硬そうで、簡単に「堆肥」には

なりそうもなく、時間がかかりそう・・。

 

「落暉に燃ゆる」

8月に辻堂 魁さんの新しい時代小説『落暉(ゆうひ)に燃ゆる

大岡裁き再吟味』(講談社時代小説文庫)が発売されていて

その中古本が、先日 手に入り・・読み終わった。

 

大岡越前守忠相(ただすけ)は還暦を迎え、寺社奉行となったが

なぜか突然 気鬱に襲われた。

その原因とも思えるのが、南町奉行時代の自分の行った事件の

裁きが、本当に正しかったか どうか?・・との疑念が芽生えた

からだ。

 

この物語のタイトルに「大岡裁き再吟味」との副題が付いてい

るように、今は寺社奉行となった大岡越前守が、南町奉行時代

に扱った数々の事件のうち、今になって気になりだした事件の

洗い直しを、千駄木組鷹匠組頭・古風昇太左衛門の十一番目の

息・古風 十一(さきかぜ じゅういち)に命じることになる。

 

物語の主人公は、当然 大岡越前守と、実際に事件を洗い直す

ために動く古風 十一(さきかぜ じゅういち)である。

辻堂 魁さんの作品らしく、古風 十一の 奢らず 慌てず丁寧に

進める調査の過程での、心情や情景、風情などが たっぷりと

描かれていて、古風 十一という若者には、六兵衛が大好きな

市兵衛さんに どこか似た印象があって、嬉しく 楽しい・・。

 

そして何より、六兵衛のいつもの昔話になるが・・

この物語にも、遠い昔の六兵衛が暮らしていた頃の懐かしい

東京の町の名前が出てくるので、ブログに載せる事にした。

 

物語 第二章「高間騒動」の118ページに・・

『 ところで、と雄次郎左衛門は言った。

「田無までのいき帰りで、疲れておるだろうし腹も減っておる

だろうが、おまえに合わせたい男がおるのだ。

これから出かけるのでも、かまわぬか」

「わたくしは慣れておりますので、大丈夫です。どちらへ」

「牛込御門外の、神楽坂の先の肴町だ」

牛込御門から神楽坂をのぼって通寺町への往来を隔てて

肴町の向かいは行徳寺などの門前の町家が続き

肴町内へ曲がる角の自身番の前には高札がたっていた。

暗くなって冷え込みが激しく、弓張月が巽の空に冴えざえと

輝いていた。

武家屋敷が続く狭い通りを挟んで、肴町の町家が軒を並べ

通りから路地へ入った二階家が三戸並ぶ奥の一戸が金五郎の

店だった。

台所のある勝手にいた女房が、台所から寄り付きにきて

「おや、岡野さま、おいでなさいやし」と、あがり端に手を

ついて雄次郎左衛門を迎え、隣の深編笠をとり才槌頭を見せて

いる十一に 笑みを向けた。

四畳半の寄付きに二階へあがる階段があって、その板階段を

軋ませ、声を聞きつけた金五郎がすぐに降りてきた。』

【注】
雄次郎左衛門:性は岡野、大岡越前守の番頭各の家来
田無:たなし(現在の西東京市)
肴町:さかなまち(現在の神楽坂5丁目)
通寺町:とおりてらまち(現在の神楽坂6丁目)

 

この物語の年代は江戸時代中期で、江戸末期の嘉永年間に出版された
「江戸切絵図」(金鱗堂・尾張屋 清七 版)では、時代的に正確とはいえないが
雰囲気は伝わるかもしれないと思い掲載した。

物語文中の「行徳寺」という名前の寺は切絵図にはないが
「行元寺」という寺があり、別の「切絵図」には
同じ場所に「行願寺」と彫られているものもあった。

天明3年(1783年)、この「行元寺」の境内で百姓の富吉が親の仇の甚内を
討ち取った事件があり、「天明の仇討ち」として有名になった寺だともいう。

 

だらだらと長くなるが、書きたいことが もう一つある。

若き主人公の名前が「古風 十一」とある。

この名字「古風」が「ふるかぜ」とか「こふう」とかではなく

小説内では「さきかぜ」とルビが振ってある。

未熟な六兵衛ゆえに、「古」の文字を「さき」と読むのは

初めてで、だからWebで その辺の事を調べてみたけれど

「古」の文字を「さき」と読むなどの、そんな記述は何処にも

見つけられなかった。

六兵衛などより はるかに学識のある作者の辻堂さんが

そう付けられたのだから、間違いなどないはずなのだ。

 

・・と、もしかしたら・・の考えが六兵衛に浮かんだ。

例えば 例えばのはなし、数分前に吹き去っていった風は

今 現在 吹いてる風に比べると、過去の「古い風」ということ

になる。

「今」より「先」に吹いた風は、もう「古い風」だ。

先(サキ・サッキ)の出来事は現在に比べると古い・・

となると、「古」は「サキ・サッキ」ということだ。

ちょっと理屈っぽいけど、「古風」と書いて「サキカゼ」と

読めなくもない・・と、了読後に思い至った。

六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2012年の秋の頃に「さし絵」として掲載していた140作目のカット絵。

 

ただ この物語を読むあいだ中は、フルカゼ・・と読みそうに

なるのを、その都度 サキカゼ・・と口の中で言い直しながら

その名前「サキカゼ」に慣れるための 努力を要した・・。

もし・・この物語がシリーズ化されるのなら

第2巻、第3巻と続いていくうちに、迷いもなくキット

「サキカゼ」と読めるようになると思いますョ、辻堂さん。

 

「YouTube」にアップ

映像は暗く、焦点は ぼけて、おまけに四隅が切れていて

その全体を観ることは出来ない・・。

そんな見にくい映像ながら、六兵衛が望んでいた映画が

「YouTube」にアップされた。

 

川端康成さんの小説が原作で1963年(昭和38年)制作の

吉永小百合さん主演、日活映画『伊豆の踊子』である。

六兵衛が高校生の時、田舎の映画館で観た懐かしい映画だ。

たとえ見にくい映像でもアップしてくれた方に感謝である。

 

その映画から3、4年後の六兵衛が二十歳の頃に、踊子たちが

歩いた天城の道を歩いてみたくなって 歩いた事がある。

東京から電車に乗って修善寺でおり、そこから下田方面へ歩く。

天城峠の山道を過ぎた辺りで、日も暮れ始めたので

河津川の河原に下り、石のゴロゴロした河原の大石の影で

野宿をした。

次の日の早朝、歩き出して少しすると、ちょうど湯ケ野の

小学校へ登校中の小学生たちと一緒になり、何気ない話を

しながら学校近くまで歩いた記憶がある。

 

思えば映画の中では、「物乞い 旅芸人 村に入るべからず」との

立札のある集落を旅芸人たちが通るとき、子供たちが寄って来て

『太鼓を叩け』と旅芸人をからかう、そんな場面もあった。

差別の厳しい時代だったのだろう・・。

 

軽薄で単純で、何もなかった六兵衛の若い頃には

日活時代の吉永小百合さんの青春映画は

光って見えたものだ。

『愛と死をみつめて』や『泥だらけの純情』など

田舎の映画館に何度も通った。

明るい青春映画『青い山脈』や『赤い蕾と白い花』等々

吉永さんが出演された多くの映画の中には

当時の六兵衛からみると、輝く青春があって

単純に そんな世界が憧れの対象であった。

浜田光夫さんとの共演が特に多かったと思うが

たまに、吉永さんの相手役が変わることがあった。

その中の一つに、「伊豆の踊子」があった。

相手役の旧制 一高の学生は 高橋英樹さんだった。

 

映画の中のワンシーン・・

旅の途中で親しくなった旅行中の学生と旅芸人一座。

学生が泊まった宿に、親しくなった旅芸人の一座が風呂を

借りに来た・・

踊り子と学生が約束をする・・。

「風呂から上がったら碁をやりましよう」

 

風呂もそこそこに、急いで出てきた踊り子が学生の部屋に

戻ってくる。

踊子が部屋の真ん中に碁盤を運び・・

「私は白、あなたは黒」

「碁なんて何処で覚えたの」

まず踊り子が盤面の真ん中へ白石を置く、それを見た学生が

「なんだ、五目並べか・・」

「(当然のように・・)そうですよ」

 

『伊豆の踊子』の映画は、これまで数多く制作されていて

戦前には田中絹代さん、戦後になると美空ひばりさん

鰐淵晴子さん、内藤洋子さん、山口百恵さんなど

多くの女優さんたちが踊り子役を演じておられるが

六兵衛には やはり、吉永小百合さんの踊子が一番だと

思えるのである。

 

有料動画配信サイトの会員になれば、きれいな映像で

好きなだけ観られるのだろうが、それでも六兵衛は

会員になろうとは思わない・・。

六兵衛の、お粗末な こだわり?である・・。

 

そして あと1本、「YouTube」にアップされるのを心待ちに

している映画がある。

吉永さんと浜田光夫さん主演の『泥だらけの純情』だ。

 

真美(吉永)が、好きになったチンピラの次郎(浜田)に言う

セリフがある・・

『やめられません? ヤクザ 。』

 

『泥だらけの純情』・・乞う アップ!

​​

 

長谷川 卓 さん

1年半ほど前の2021年4月に発売されていた

長谷川卓さんの文庫本「新・戻り舟同心 」シリーズの最新作

「鳶」の中古本が先日 手元に届いた。

 

その文庫本の巻末に、佐藤亮子さん(長谷川卓さんの奥様)が

書かれている「あとがきにかえて」を、物語より先に読み

作者の長谷川卓さんが亡くなっていた事を知った。

1年前の令和2年11月4日 逝去、享年71だったという。

悪性リンパ腫で3年以上の長い闘病生活を送りながらも

執筆を続けていたと奥様は書いている。

 

「南稜七ツ家秘録」シリーズや「嶽神」シリーズでの​​​​小暮衆の

無坂たち「山の民」や、「北町奉行所捕物控」の鷲津軍兵衛を

始めとする 心強い登場人物たち・・

長谷川卓さんの小説に登場する人物は、強ければ強いほど

優しい心根と、小気味良い会話などが 本当に楽しく嬉しく

何より面白い。

 

 

「新・戻り舟同心 」シリーズの最新作「鳶」の中古本を

やっと購入したものの、長谷川卓さんの小説は

これが最後になる・・と思うと、未読の この小説を

もう少し残して置きたくなり、読むのを後に回そうと思う。

 

ご冥福を祈ります。

 

訂正あり・・

当ブログでの昨日(2021年11月7日)の日記

『収穫は 来年の初夏あたり・・』に書いた記事の内容に

大きな誤りがあった。

愚かにも「軽薄短小」的性質の六兵衛の勘違いから生じた

間違いの記述があったので、ここに訂正する。

 

昨日の日記の記述に・・

〈  今回 植えた市販の「えんどう豆」のタネもそうだが

今年5月に収穫した「えんどう豆」も、そのタネは

市販の「F-1種」のタネだったはずである。〉・・と書いた。

 

それまでの六兵衛は、「今 現在 市販されている「タネ」は

全て「F-1種」のタネだ・・」と思い込んでいたが

その記事を見た つれあいに、間違いを指摘され調べてみると

確かに つれあいの云う通りで、六兵衛の勘違いだった。

 

正確には・・

「市販されているタネの種類には、大きく分けて

「固定種(在来種)」と「F-1種」とに分けられる。

スーパーマーケットなどで売っている野菜の ほとんどは

「F-1種」のタネから出来た野菜であって

「F-1種」のタネの袋には、「F1」、「〇〇交配」、「一代交配」

単に「交配」などと書かれている。

例えば、「タキイ交配」とか「トーホク交配」などと

書かれているという。

一方、「固定種(在来種)」のタネの袋には

「〇〇育成」との表記があり、何も書かれていない場合もある

・・という。

 

さて 先日 植えた「えんどう豆」のタネは、ホームセンターで

購入したタネで、六兵衛は頭から「F−1種」だと思いこんで

いた訳だが、必ずしも全てが「F−1種」だとは限らない事が

わかり、もうすでに捨てていたそのタネの袋を、ゴミ箱から

探し拾い出して見てみると、「袋」とハサミで切り落とした

部分とが、それぞれ別のゴミ箱から見つかった。

 

切り落とした部分をセロテープで貼り、文字を読みやすい

ようにして よく見ると、「F-1種」のタネらしい文言は

書かれていなくて、「育成品種」と書かれていたので

どうやら このタネは「F-1種」ではなく、「固定種」のタネ

のようで、もしかしたら昨年の秋の終わりにタネを植え

今年の5月に収穫した「えんどう豆」も「固定種」のタネ

だったかもしれず、ということは 先日 植えた「えんどう豆」

のタネにも芽が出たとして、来年の初夏には実がなる可能性が

大きくなった事になる。

 

トンマな思い違いをしながら、知ったかぶりで日記に書いて

・・恥ずかしい 六兵衛の日々である。

 

収穫は 来年の初夏あたり・・

6日の昨日、裏の畑の4番畝と5番畝に「えんどう豆」のタネ

を植えた。

 

「えんどう豆」は 今年の5月に収穫を終えたばかりだが

栽培期間が長い「えんどう豆」なので、今頃 タネを植えて

一冬を越し、来年 5月あたりの収穫という事になる。

 

その「えんどう豆」、4番と5番の2つの畝の ほとんどには

ホームセンターで購入した市販のタネを植えたのだが

今年の5月に収穫した「豆」を、試しに植えてみようと思い

食べずに残しておいた「豆=タネ」を、4番畝の一部に

植えてみた。

 

試しに・・と書いた。

今回 植えた市販の「えんどう豆」のタネもそうだが

今年5月に収穫した「えんどう豆」も、そのタネは

市販の「F-1種」のタネだったはずである。

難しい理屈は分からない六兵衛だが、「F-1種」のタネからは

一代限りの「実」しか実らないのだという。

例え、「F-1種」のタネは、強くて安定した収穫が得られる

との謳い文句の通りだとしても

”国”のする事は あれも これも、疑う事もしないまま

単純に信用する気には ならない・・。

国の方針で決まった「F-1種」のタネからの「豆」とはいえ

とにかく六兵衛は、我が家で収穫した「豆=タネ」から

次の「豆」が実るのを願っているのだ・・。

 

つれあいがベランダで育苗ポットにタネをまいて育ててきた

「玉ねぎ」の苗を、2番畝と3番畝に定植するつもりなので

南草津に暮らす長女の友人に分けてもらった貴重な「籾殻」を

2番畝と3番畝に混ぜて耕し、その準備をした。

 

次の日の7日の今日、予定通り「玉ねぎ」の苗の定植を終えた。

つれあいの指示通り沢山の穴をあけ・・

・・「苗」を植え替えていく。

3番畝と 一部を除いた2番畝だけでは、百数十本あった「苗」

では足らず、少し残った2番畝の一部には・・

改めて何を植えるか・・今 思案中の つれあいである。