映画『男はつらいよ』

外付けHDDに保存していた「男はつらいよ」全48作品を

先日 全て観終わった。

旅先では、格好を付けて いい男を演じられるのに

「とらや」に帰ると途端に身勝手で我儘な寅次郎になる。

おいちゃんのセリフではないが『寅はバカだよ!

バカだねぇ〜』・・ということになって

再び旅に出ることになる・・。

 

それでも、寅次郎の後ろ姿の何処かに哀愁みたいなものが

ちょっと漂っていたりして、だから本気で『バカだ!』と

突き離せない・・。

 

シリーズの中で特に印象に残っているのは

第1作の さくらと博の結婚式で、博の父親(志村喬)の

挨拶の言葉だろう・・泣けた。

 

多くの美しいマドンナ達が寅次郎と関わり 飽きさせないが

特に印象に残っているマドンナを挙げるとすれば・・

第10作「男はつらいよ・寅次郎夢枕」で、再会した

幼馴染の志村千代(八千草薫)が、寅次郎を『寅ちゃん』と

呼ぶ その可愛らしさ。

 

第15作「男はつらいよ・寅次郎相合い傘』で旅先の北海道

で再開し、2度めの出演となった旅回りの歌手・リリーと

蒸発したサラリーマン・兵藤(船越英二)を含めた3人の

旅が楽しい。

 

第17作「男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け」で

寅次郎と意気投合した芸者・ぽんた(太地喜和子)の

豪快な笑いがいい。

 

第27作「男はつらいよ・浪花の恋の寅次郎」での

大阪の美人芸者・ふみ(松坂慶子)の美しさ。

 

第44作「男はつらいよ・寅次郎の告白」での、鳥取の

料亭の女将・聖子(吉田日出子)の、人懐っこい笑顔と

やや舌っ足らずの甘えたような鳥取弁が可愛いが

酔った勢いでチラリと見せる妖艶さは、存在感があった。

 

しかし、渥美清さんも 少しずつ年齢を重ね、多分 持病の

悪化も あったのだろう、渥美さんに以前のような張りが

なくなってくる。

それでも松竹会社にすれば、寅さん人気が根強く

シリーズを辞めるに辞められなかったのかもしれない。

第41作の「寅次郎 心の旅路」(マドンナ:竹下景子)

では、渥美清さんも60歳を過ぎていて

動きや声には まだ元気があるように見えたのだが

第42作「男はつらいよ・僕の伯父さん」辺りから

(マドンナ:後藤久美子)寅さんにだんだんと覇気がなくなり

何となく老いを感じるようになって、だからだろう 少しずつ

さくらの息子・満男の出番が多くなっていった。

 

しかし満男にしても、若いがゆえか まだまだ情けなく

見苦しい行動が目立ち、親に甘え 勝手をし

結局は満男自身、ますますオロオロするばかり・・。

満男が寅次郎の代わりを務めるには、まだ若く物足りないが

それでも若い男の行動というものは、多かれ少なかれ

見っともないもの・・と決まっていて

誰でも一度は通る道では あるのだが・・。

 

♫ 祭壇の前に立ち・・

「iPhone」から、むかしの流行歌をBGMとして流しながら

昼寝をしていたら、『♫ 祭壇の前に立ち・・』という歌詞

の歌が流れてきた。

元はペギー葉山さんが歌ってヒットした「アヴェ・マリア」

という歌を、倍賞千恵子さんがカバーして歌っている。

 

そして この歌の内容だが、教会で結婚式を厳かに挙げ

嬉しさの余り、ひとすじの涙を流している・・と

そんな信仰を賛美する 単純な幸せの歌だと思っていた

六兵衛だったが、今日 昼寝中に何気に この歌の歌詞が

耳に入ってきて 驚かされた。

 

『ラ・ノヴィア』

作詞・作曲:ホワキン・プリエート 日本語詞:あらかわ ひろし

「白く輝く 花嫁衣装に

心を隠した 美しいその姿

その目に溢れる 一筋の涙を

私は知っている アウ”ェ・マリア

祭壇の前に立ち 偽りの愛を誓い

十字架に口づけをして 神の許しを誓う

私は知っている アウ”ェ・マリア」

 

「心を隠して・・」だって?!

「偽りの愛・・」だって?!

「涙の意味を 私は知っている・・」だって?!

 

これまで、この歌を 何度も聴いていた六兵衛なのに

まともに正しい歌詞を聞いていなかったようで

花嫁が流した ひとすじの涙は

嬉し涙だとばかり思って聴いていた。

愚かにも、悲しい涙だったのだと はじめて知った

六兵衛である。

 

そして・・

ひとすじの涙を 私は知っている アウ”ェ・マリア」

もちろん結婚式に参加している人たちは、花嫁の流す涙が

幸せの涙だと思っているのだろうが、しかし ひとりだけ

花嫁の「元の恋人」だった私だけは、涙の本当の意味を

知っているのだ・・と歌っている。

そういう歌 だったのか・・。

そのうえ この歌のタイトルも、「アウ”ェ・マリア」だと

ばかり思っていた六兵衛だったが

正しくは『ラ・ノヴィア』というタイトルらしい・・。

 

何もかも 六兵衛が、いい加減に歌を聴いていたという証で

ある。

世間様は当然知っている事だろうから、知らぬは六兵衛

ばかりなり・・と、まさに軽薄短小な六兵衛の「面目躍如」

というか、「本領発揮」なのである。

 

六兵衛がパソコンを始めて20年が過ぎた今も・・

今年 最初のブログにも書いたが、Macパソコンから

「外付けHDD」に保存している映画の中の

渥美清さん主演の松竹映画『男はつらいよ』全48作品を

手軽に持ち運びが出来るiPad(無印・2017年3月発売

の第5世代)を 布団の中に持ち込んで、年明け早々から

夜 寝る前に観ている。

 

ゆうべ現在で、第45作目の「寅次郎の青春」までを

見終わった(マドンナは 風吹ジュンさん)。

残りは あと3作・・さびしい。

 

・・が それは ともかく、我が家のiPad 無印(2017年

3月発売の第5世代)では、Macパソコンで保存した

「外付けHDD」のUSB端子と変換アダプターを使って

iPadの​​​​​​​​Lightning端子に接続してみたのだが

「外付けHDD」のランプが点灯せず、ウンともスンとも

反応しないのだ。

念の為に我が家にあった4GBの「マイクロ SD」に

Macパソコンを用いて「外付けHDD」から寅さん映画を

コピーし、SDカードリーダーを用いてiPadの​​​​​​​​Lightning端子

に差し込んでみたら、iPadの「ファイル」アプリに

寅さん映画が表示され、観る事が出来たのだった。

 

なんか よう分からんけど「マイクロ SD」なら

Macパソコンはもちろん、六兵衛の持ってるiPadでも

どちらでも使える・・ということか。

 

なんか よう分からんまま、よかった! よかった!なのだが

たった4GBの「マイクロ SD」だから、せいぜい多くても

一度に5~6作品しか保存ができない。

それを見終わったら、改めて「マイクロ SD」から

見終わった寅さん映画を消し、新たな次の映画を保存

することになる。

1日1作品を観るとして48作だと・・・・。

これから何度、保存と消去を繰り返す必要があるのか・・。

そのうえ、次の映画を「マイクロ SD」に入れるためには

見終わった映画の消去も、ただ「削除」すればいいと

いうわけではなく・・

 

「ファインダー」から「ユーティリティ」へ進み

そこから「ディスクユーティリティ」を開けて

「マイクロ SD」を指定し、そこの「消去」で映画を消して

「マイクロ SD」の容量を”0” にしないと、次の映画の

保存ができないのだ。

 

「2020年3月にiPadOS 13.4にアップデートされ

パソコン用の外付けのアクセサリーも使えるようになった」

との記事を あるサイトで見たのだが、残念ながら我が家の

iPad(無印)では、パソコン用の「外付けHDD」は

使えない・・ようなのである。

 

何や かんやと、いろいろ ややこしく

パソコン歴 20年の六兵衛だが、ちょっと込み入ってくると

訳がわからんようになる。

それにしても、残りの寅さん映画も あと数日で

見終わってしまう・・。

 

・・次は、何の映画を観ようか、それとも 当分は映画

など観ずに、夜は静かに眠る生き方も・・。

 

寒い日に・・

真夏には、1年で一番きつい時期は『そら やっぱ 夏やろ!』

と思うし、真冬になると『そら 寒いのが一番こたえるで』と

思う・・。

70数年も生きてきていながら、成長も達観も することなく

毎年 毎年 そんなふうに思いながら 季節を過ごしている。

六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2012年の晩冬の頃に「さし絵」として掲載していた99作目のカット絵。

 

今年も ​​​​すでに立春(2月4日頃)が過たので、冬の底の

寒い時期も終わり、少しずつ春に向かっているのだろうと

思うのだが、2月も後半になった今でも

実際に身体に感じる寒さは真冬並みに寒い。

 

芥川堤道を散歩していても、土手道には まだ春の気配を

感じることは ほとんどない。

寒い日に、どこかに春を感じられたりするのは

まだまだ先の よう・・。

 

六兵衛んちの入り口に張ってあるポスターは・・

国民の投票で選ばれ、その国民のために「政治を司る」べき

国会議員が、いっこうに国民に向き合う気がないようだ。

「己らによる 己らのための政治」を繰り返してばかりいる。

 

建前だけの きれい事を並べ、やっているフリはするが

実際は何もせず ウソばかり つき、己らの利益につながること

にしか動こうとしない。

己等に与えられた責任を全うしない そんな今の政治に

六兵衛は時々 不満を言いたくなってくるのだ・・。

 

国民に対して責任感のない状況が長く続いている 現在の自民党

政治に、勝手なことばかりしていると 次は無いんだぞ!とか

常に国民に目を向けた政治を行わなければ 明日は無いんだぞ!

とかの、強く反省をさせるべき立場の野党が

どうにも頼りないのだ・・。

 

野党第1党である立憲民主党の新代表に泉健太氏が決まって

1ヶ月半が過ぎたが、いっこうに顔が見えてこない。

前代表の枝野氏も、始めこそ勢いを感じて期待したのだが

いつの間にか 消え失せてしまった。

新しい顔となった泉氏だが、野党第1党としての存在感を

示せる雰囲気を、これまでのところ まったく感じない。

 

その上、経営者側の子分となり下がった「連合」の・・

共産党との選挙共闘に不満を述べる「連合」の・・

たかが700万人程度の組合員しかいない「連合」の・・

そんな「連合」の顔色をばかりを見ながらの立憲民主党の

立ち居振る舞いは情けない。

 

労働者側の視点のはずの連合の友野会長だが、自民党の広告塔

なのではないかとの噂も、あったり なかったり・・。

もう うんざりである。

 

選挙時に限り、立憲民主党と共産党との共闘については

『小異を捨てて大同につく』との、ことわざにもあるように

党名が異なるのだから多少の主張の違いはあって当たり前で

目の前のダメ自民とダメ公明の連立与党を蹴落とすために

力を合わせる心構えが必要なのだ。

 

それにしても・・だけど、六兵衛の家の入り口には

上のようなポスターを張ってるんです・・ヨ。

 

荒城の月

今日も「iPhone」に保存している古い流行歌をBGMにして

聴きながら歩いている六兵衛だが、それらの歌の中に

伊藤久男さんが歌う『荒城の月』がある。

日本中の誰もが知っているだろう滝廉太郎の文部省唱歌だ。

『荒城の月』

 

いつもなら 深く考えもせず、軽く聴き流しながら歩くのだが

今日は何故だか じっくりと、その歌の歌詞を聴いてみる気に

なった。

いかんせん、中学時代は漫画ばかりに夢中になって過ごし

高校時代は、旅をしながら気楽に暮らしたいなどと

現実から逃避する夢ばかりを見て過ごし

まともに勉強などしてこなかった六兵衛ゆえに

その『荒城の月』の歌詞を改めて聴いてみると

難しい言葉ばかりが並んでいて、意味がさっぱりわからない。

だから我が家に帰り、ネットで『荒城の月』を調べてみた。

 

名曲『荒城の月』は、1901年(明治34年)に

土井 晩翠が作詞、滝 廉太郎が作曲した文部省唱歌だという。

(但し、現在 歌われているのは、後年 山田耕筰が編曲した曲だという)

1)

春高楼の 花の宴

巡る盃 かげさして

千代の松が枝 わけ出でし

昔の光 いまいずこ

2)

秋陣営の 霜の色

鳴きゆく雁の 数見せて

植うる剣に 照りそいし

昔の光 いまいずこ

3)

いま荒城の 夜半の月

替らぬ光 だがためぞ

垣に残るは ただ葛

松に歌うは ただ嵐

4)

天上影は 替らねど

栄枯は移る 世の姿

写さんとてか 今もなお

嗚呼 荒城の 夜半の月

 

・・と、この”歌詩”を文字にして読んでみても

何となく雰囲気は伝わって来るが、難しい言葉も多く

六兵衛ごときには どうにも正確な意味が わからない・・。

だから その意味を知ろうと 再度ネットに頼った。

 

 

『毎年 春になると、この城の領主は「高楼」(やぐら)で
桜の花見の宴を催していた。
しかし、年毎に めぐりくる花の宴も、少しずつ盛大ではなくなり
それでも、茂り栄えている枝の向こうからは
月の光が照っている。
そのような領主の威勢も、今はもう過ぎ去った遠い過去の
出来事である。
領主が盛んな頃の 秋の白い霜がおりる夜などには
鳴きわたる雁も
多くいたし、領主が抜き放つ日本刀に照る月光も
かがやくほどに
威勢もあったが、今はもう返らぬものとなって
しまった。』

 

・・・等々。

美味そうな「銘菓・荒城の月」という名前の饅頭のことは

とりあえず 見ぬふりをするとして・・

大雑把な言い方をすれば『月夜の晩に荒れ果てた城の前に立ち

今は昔の栄枯盛衰の感慨に耽(ふけ)る・・』という意味の

歌のようで、昔の人の言葉は 格好良くて魅力的だが

六兵衛ごときには、どう足掻いても難しすぎる歌詩である。

 

『雪に撃つ』

六兵衛が大衆娯楽小説を読む場合は、重くて持ちづらい単行本

などではなく、手軽な文庫本を読む事にしている。

しかも中古本に限って購入するので 安く手に入る。

ところが 六兵衛が軽薄ゆえだろう、ときどき ほんの時々だが

文庫本を注文したつもりなのに、届いた本は単行本だったり

することがある。

 

 

先日 ネットの中古販売で佐々木譲さんの『雪に撃つ』の文庫本

を注文したつもりだったのだが、手元に届いた『雪に撃つ』は

単行本であった。

未読の本棚に並んだ様は 一冊だけ異様である・・。

 

佐々木譲さんの小説『雪に撃つ』は、第1作『笑う警官』から

始まる「道警シリーズ」の第9作目となる。

過去に現役警察官の拳銃不法所持や覚醒剤の売買など不祥事が

連続して起きた後の、北海道警察署内での事件の真相を闇に

葬ろうとする警察組織に対し、正義を取り戻そうと立ち上がる

北海道警察署の佐伯警部補、津久井刑事部長、児島百合巡査ら

心ある警察官たちの物語なのだが、ネット中古販売から届いた

『雪に撃つ』は単行本であったのだ・・。

 

今更 遅い・・とはいうものの、どこで間違ったのか調べてみると

『雪に撃つ』は単行本が2020年12月に発売されていて

どうやら まだ、文庫本は出版されていないらしいのだ・・。

なんとも なんとも、軽薄としか言いようがない・・。

 

六兵衛の思い込みでいえば、まず単行本として出版した本は

少なくても2年間くらいは、高価な単行本だけで売り

(風の市兵衛シリーズなどのような「文庫書き下ろし」小説など

は別にして・・)いつまでも人気が続く場合は2年が3年でも

単行本のままで売り、そのうち単行本として世間に行き渡って

売れ行きが落ちる頃に、改めて安くて手軽な文庫本を出版する

のだろうと思っている。

六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2013年の冬の終わりの頃に「さし絵」として掲載していた153作目のカット絵。

 

だから六兵衛のように、中古の文庫本ばかりを購入する者は

出版されてから、早くても 2年半か3年以上後に読む事になる。

そりゃぁ出版社も 商売だものね、仕方がない・・か。

 

2022年2月10日(木曜日) 今朝の散歩

 2022年2月10日(木曜日)AM9時 散歩に出る。

 今朝の散歩コースは、上の池公園から奈佐原の田園を

折り返して帰るコースだ。

 

 名神高速道路に架かる歩行者専用の跨道橋(こどうきょう)

を渡るための階段を、駆け足で上る。

  れぞれの散歩コースには 当然 それなりに階段がある。

以前には階段を歩いて上っても、途中で息切をしていた六兵衛

だったが、数年前に 思い切って階段を駆け足で上ってみたら

案外な事に、最後まで上りきることが出来た。

以来、とりあえず目の前に 階段があれば駆け足で上る事を

義務付けている。

駆け足で階段を上れている間は、例え多少 頭はボケても

まだ足腰は、当分自分で歩けそうだと思えてくる・・。

それでも、駆け足で上りきった後の息切れの回復は

徐々に時間がかかってきている感じが しなくもないが・・。

 

 今日の散歩コースには、この跨道橋に上るための階段の他に

上り坂や・・

 中の池の遊歩道への上り下りの階段・・

 そして 上の池にも階段がある。

 

 

「市立阿武山図書館」や「北消防署阿武山出張所」の建物を

横に見ながら、下り坂を ゆるゆると降りてくると

奈佐原の田園を望む開けた風景が飛び込んでくる。

 

 但し 今は、稲作の農閑期・・ゆえに全体が枯れ葉色・・。

歩きながら「iPhone」に保存している古い流行歌の中の

ちあきなおみさんが歌う「冬隣」が聴こえてきた・・。

 

『あなたの真似して お湯割りの

焼酎のんでは むせてます

つよくもないのに やめろよと

叱りにおいでよ 来れるなら

地球の夜更けは 淋しいよ

そこからわたしが 見えますか

この世にわたしを 置いてった

あなたを怨んで 呑んでます

 

写真のあなたは 若いまま

きれいな笑顔が にくらしい

あれからわたしは 冬隣

微笑むことさえ 忘れそう

地球の夜更けは せつないよ

そこからわたしが 見えますか

見えたら今すぐ すぐにでも

わたしを迎えに きてほしい

 

地球の夜更けは 淋しいよ

そこからわたしが 見えますか

この世にわたしを 置いてった

あなたを怨んで 呑んでます』

 

 若い二人だろうと、長年 連れ添ってきた老いた二人だろうと

つれあいを失えば・・と想像すると、鼻の奥がツンとなり

歩きながら 目頭が熱くなる。

年を経るに従い、涙腺が脆くなってきている六兵衛である・・。

 

 水の流れが少なくなった女瀬川に沿って南に下る・・。

阿武野中学校のグラウンドでは・・

生徒たち走っている中で、なぜだか一人の生徒だけが

砲丸投げの練習をしていたり・・と、そんなグラウンドを

左に見ながら、今日の散歩は終わるのである。

 

「男はつらいよ」・・iPadシアター

  当六兵衛ブログの1月2日の日記「謹賀新年」にも書いたが

「外付けHDD」に保存している松竹映画「男はつらいよ」の

全48作を、ほとんど毎夜のように 寝る前に1作品ずつ順番に

「iPad」で再生して観ている・・昨夜は 第33作目を観た。

 

 第2作目以降の『男はつらいよ』は、基本的にパターン化され

た場面も多く、それが 内容によっては やや食傷気味に感じる

こともあったりするが、何より寅次郎と 個性豊かで魅力的な

多くのマドンナとの絡み具合が、寅さん映画の面白さとなって

飽きられもせず、50作品 近くも 長く続けられてきたのだろう

と思う。

 

そんな寅さん映画には、名の知れた主役級の役者さんの出演も

さる事ながら、名前さえ知られていないような俳優さんも

数多く出演されている。

 

 例えば・・「とらや」の裏の「朝日印刷」で働く職工役の

笠井一彦さん。

この俳優さんは、山田洋次監督の映画によく出演されていて

『幸せの黄色いハンカチ』では、島勇作が運転する車を止めて

寒そうな仕草で検問する警官の役だったり

『遙かなる山の呼び声』では、涙なくしては語れない この映画

の最後のシーン、主人公の田島耕作が二人の刑事に汽車で連行

される場面の、若い方の刑事役で出演もされている。

 

 例えば もうお一人、谷よしのさんという女優さんがいる。

ご近所さん、行商の花屋さん、通行人、寅さんが旅先で泊まる

安宿の中居さん 等々、数多くの役で寅さん映画に出演されて

いて、台詞はあったり無かったりである。

 

 そして もう一つ 気になるのは、「とらや」の真向かいにある

「江戸家」という店だ。

時に 「とらや」のおばちゃんが、「江戸家」の店番をしている人

と『暑いねぇ』などと、日常の挨拶をしたりするが

それ以外は ほとんど「江戸家」が物語に絡むことはない。

店先には白文字で「江戸家」と書いた赤い暖簾が掛かっていて

団子や煎餅などを売っている店のようだ。

 

 そして「とらや」の店先での場面などには、向かいの「江戸家」

で店番をしている様子のおばさんや、時には おっちゃんが映って

いて、そして いつもの様に「とらや」の店先で騒動が起きると

やや遠くだからか ぼやけた映像ながら、店番をしている「江戸家」

の住人が、その騒動の成り行きを見ていたりする・・。

 

その「江戸家」の事については、映画の中では ほとんど語られて

いないが、ただ1度 第30作目の「花も嵐も寅次郎」のなかで

朝丘雪路さんが「江戸家」の娘(桃枝・寅次郎の幼馴染)役

出演し、『寅ちゃんは いいわね 気楽で、私も一人になりたい』

などと、寅次郎との再会を喜ぶ場面があったが

物語の進行とは あまり関係がなかった。

 

 但し、実際の帝釈天参道には「江戸家」という店はないようで

映画の中の架空の店舗らしい・・。

 

 六兵衛は今夜も iPadシアターで、寅さんと一緒に

素敵なマドンナに出会える夢を 見るのだ・・。

 

2022年2月6日(日曜日) 今朝の散歩

 名神高速のそばの大蔵司橋から芥川堤道を南下(川下へ)し

西国街道に架かる芥川橋を折り返すコースを歩く。

 

 2月4日の立春も過ぎ、暦のうえでは春かもしれないが

現実は まだまだ寒い日が続く・・。

 

 『1月 住ぬる、2月 逃げる、3月 去る』・・そんな

ことわざがある。

正月から3月まで、いろいろな行事が重なり忙しく

あっという間に過ぎ去っていく・・との意味らしい。

しかし まだ、芥川堤道に春の気配は感じられない・・。

桜の蕾はもちろん、コブシの芽も まだ小さく硬い・・。

 

 天気予報では今日は 曇り空のはずだったのに

良い方に外れて、空は青く晴れ渡っている。

 

 ・・散歩日和で、ありがたい。

 

 それでも、川面に さざ波が立つほどの北西の風が吹くが

それにも負けず 強い日差しがあり、歩くには助かる。

 

 帰り道の途中にある寺の掲示板には、お言葉(標語)が・・

多分、2月になったので 変わっていた。

 

 『生のみが 我らに あらず

  死もまた 我らなり』

自分の周りで また己自身にも、”死”が身近に感じるように

なってきて、決して ”死”は「他人事」ではなく

どこかで死を感じながら、今を精一杯 生きている・・。

若い時には ”死”は、どこか他人事だったのだが・・。 

 

 清沢満之(キヨサワ マンシ)という人は、明治期に活躍した哲学者・宗教家・僧侶で
手掛けた著書は多く、大谷大学の初代学長を務めたという。