荒城の月

今日も「iPhone」に保存している古い流行歌をBGMにして

聴きながら歩いている六兵衛だが、それらの歌の中に

伊藤久男さんが歌う『荒城の月』がある。

日本中の誰もが知っているだろう滝廉太郎の文部省唱歌だ。

『荒城の月』

 

いつもなら 深く考えもせず、軽く聴き流しながら歩くのだが

今日は何故だか じっくりと、その歌の歌詞を聴いてみる気に

なった。

いかんせん、中学時代は漫画ばかりに夢中になって過ごし

高校時代は、旅をしながら気楽に暮らしたいなどと

現実から逃避する夢ばかりを見て過ごし

まともに勉強などしてこなかった六兵衛ゆえに

その『荒城の月』の歌詞を改めて聴いてみると

難しい言葉ばかりが並んでいて、意味がさっぱりわからない。

だから我が家に帰り、ネットで『荒城の月』を調べてみた。

切手・荒城の月

 

名曲『荒城の月』は、1901年(明治34年)に

土井 晩翠が作詞、滝 廉太郎が作曲した文部省唱歌だという。

(但し、現在 歌われているのは、後年 山田耕筰が編曲した曲だという)

荒城の月

1)

春高楼の 花の宴

巡る盃 かげさして

千代の松が枝 わけ出でし

昔の光 いまいずこ

2)

秋陣営の 霜の色

鳴きゆく雁の 数見せて

植うる剣に 照りそいし

昔の光 いまいずこ

3)

いま荒城の 夜半の月

替らぬ光 だがためぞ

垣に残るは ただ葛

松に歌うは ただ嵐

4)

天上影は 替らねど

栄枯は移る 世の姿

写さんとてか 今もなお

嗚呼 荒城の 夜半の月

 

・・と、この”歌詩”を文字にして読んでみても

何となく雰囲気は伝わって来るが、難しい言葉も多く

六兵衛ごときには どうにも正確な意味が わからない・・。

だから その意味を知ろうと 再度ネットに頼った。

 

 

『毎年 春になると、この城の領主は「高楼」(やぐら)で
桜の花見の宴を催していた。
しかし、年毎に めぐりくる花の宴も、少しずつ盛大ではなくなり
それでも、茂り栄えている枝の向こうからは
月の光が照っている。
そのような領主の威勢も、今はもう過ぎ去った遠い過去の
出来事である。
領主が盛んな頃の 秋の白い霜がおりる夜などには
鳴きわたる雁も
多くいたし、領主が抜き放つ日本刀に照る月光も
かがやくほどに
威勢もあったが、今はもう返らぬものとなって
しまった。』

 

・・・等々。

銘菓・荒城の月

美味そうな「銘菓・荒城の月」という名前の饅頭のことは

とりあえず 見ぬふりをするとして・・

大雑把な言い方をすれば『月夜の晩に荒れ果てた城の前に立ち

今は昔の栄枯盛衰の感慨に耽(ふけ)る・・』という意味の

歌のようで、昔の人の言葉は 格好良くて魅力的だが

六兵衛ごときには、どう足掻いても難しすぎる歌詩である。