「タネ」の様子・・その2

3月29日(火)、我が家の畑の 現在の野菜たちの

育ち具合をみる・・。

 

3月24日の日記『「タネ」の様子・・』・・の続き。

2月28日と3月1日のまだ寒い時期に

表の畑にタネを「直播き」した「ほうれん草」「小松菜」

「中かぶ」は、1ヶ月を経て下写真のように少しずつ

成長している。

 

「キュウリ」「オクラ」「ナス」「大玉と中玉トマト」などを

3月の中頃に、湿らせたキッチンペーパーにタネをまいた。

そのうちの 何割かのタネが「根」を出し始めたので

「種まき用の土」を入れたポリポットに植えた。

今 それらの野菜は、元気よく「芽」を出しているものもや

いつまで待っても「芽」が出そうにないものなど様々である。

 

しかし「ナス」に至っては、一つとして芽吹いてくれない。

「タネ」が古いからなのか、まだまだ寒いからなのか

原因はわからないが、もう少し このまま様子を見ようと

考えている。

 

数日前に「カボチャ」と、改めて「ゴーヤ」のタネを

湿らせたキッチンペーパーを発泡トレーの皿にのせ

「根」を出させるためにタネをまいた。

ネットなどで調べると、タネが「根」を出しやすいようにと

ペンチなどで「根」の出る部分を広げておくと良いという。

湿らせたキッチンペーパーに乗せて2,3日後に

白色の「根」が、勢いよく出てきた。

今日はそれらのタネを、「種まき用の土」を入れたポリポットに

植え替えた。

 

野菜などの害虫対策用に、「マリーゴールド」のタネも

ポリポットに植えた。

 

農作業のプロデュースは「つれあい」、ディレクターは「六兵衛」。

 

シンクの「カラン」の交換で・・

半年以上も前から我が家のキッチンのカラン(蛇口)が

水漏れをしていて、段々とそれが激しくなってきていた。

 

我が家のキッチンは混合栓なので、単にカランを替えるだけでは

済む筈もなく、だから六兵衛のような素人が下手に手出しを

しない方が無難だと、これまでは ほっておいたのだが

ここに来てますます水漏れが激しくなり

つれあいも『父さんなら出来る!』などと持ち上げる

ものだから、自信はなかったけれど つい その気になり

とりあえず我が家のキッチンに合うと思われる混合栓を

Amazonに注文していて、それが 昨日届いた。

 

前もってネットで、「混合栓」の取り替えのサイトやYou Tubeなど

見て参考にし、大まかな取り替えのイメージを頭に入れておく。

「やってみたら 簡単に出来た・・」「作業に1時間もかから

なかった・・」等など、えらく簡単に出来そうに書かれて

いたりする・・。

( 逆に それは、プレッシャーになるやないかい!。)

 

もちろん 混合栓に付属していた取り付け用の説明書にも

一応目を通しておいた。

しかし この頃 特に「説明書」と名の付く物を読んでも

そこに書かれている説明が、六兵衛の頭の中に

すーっと入ってくれないことの方が 多いのだが・・。

 

今回の混合栓の取り替え作業においても、You Tubeの映像や

サイトでの説明で使われていた混合栓は、購入した混合栓とは

微妙に形が違っていたりして、シンクの下に潜り込んでの

不自由な体型での作業の中で、想像や判断の迷いもあり

つれあいの意見も聴き、やり直しなどもあって

結局 作業は、2時間近くもかかってしまった。

 

そんなこんなで、それでも 何とか仕上げる事が出来て

『さすが!父さん!』と、つれあいから お褒めの言葉を頂戴し

内心 ホッと胸を撫で下ろす・・六兵衛で ござる・・。

 

「タネ」の様子・・

発泡トレーの皿に、湿らせたキッチンペーパーをのせ

「キューリ」「茄子」「オクラ」「ゴーヤ」「大玉トマト」

「中玉トマト」などのタネをまいたのが3月11日。

 

まだまだ寒い時期でもあるし、天気の良い昼間は

陽の当たるベランダに出し、寒くなる夜は 部屋の中に入れる

などして、出来るだけの寒さ対策はしてきた。

まず 3月15日に「キューリ」が白くかわいい「根」を出し

始めたので、「種まき用の土」を入れたポリポットに

タネを植え替えた。

翌日の16日には「大玉トマト」「中玉トマト」「オクラ」

などのタネに、ポツポツと「根」が出始めたので

これらのタネも「種まき用の土」を入れたポリポットに

植え替えた。

 

しかし、「茄子」と「ゴーヤ」のタネは 「根」の出る気配が

ない・・。

「ゴーヤ」のタネは硬いので写真のように「根」が出やすい

ように爪切りでカットして、湿らせたキッチンペーパーに

のせていたのだが「根」は出ないし、「茄子」も

2週間がすぎた今日になっても「根」が出る様子がない。

「茄子」や「ゴーヤ」に「根」が出ないのは、タネを蒔く

時期が早すぎたのか、それとも古いタネだったからか・・。

「茄子」や「ゴーヤ」も、新しいタネは買っているので

もう少し暖かくなったら、改めて種を蒔こうと考えている。

 

六兵衛の下手な写真では よく見えないのだが

「オクラ」は3つほど 薄黄色の「芽」が出始めているし

「大玉トマト」と「中玉トマト」も多くのポットで

かわいい「芽」が出てきている。

「キュウリ」は、何より一番早く元気な双葉を出してくれた。

後は、それぞれの芽生えた新芽が大きくなってくれるのを

待つばかりである。

 

サムネイル画像が・・

パソコンは「Windows98」の頃から使い始めて

すでに20年が過ぎている六兵衛なのだが、使用年数は

長くても、いまだにパソコン理解力は初心者という

六兵衛の現実で、例えば  IT用語などに関しても その意味や

使い方も よく分かっていないのである。

だから、事物の正確な名称や状況名など よくわからない

ままでの説明になるが、 想像力を期待して話を続ける。

 

六兵衛の「Macパソコン」のデスクトップ画面や

各フォルダー内のファイル画面を開くと、上図のような

「アイコン プレビュー(サムネイル?)」が表示されていて

これまでは、それが何のファイルなのかが

ひと目でわかっていたのだが、いつの間にか下図のような

表示状態になってしまっていた。

 

何故 突然そんな状態になってしまったのか・・

その原因は よくわからないのだが、まぁ 多分 六兵衛が

余計な何かを してしまった・・のだろう。

 

やっぱり、 プレビュー画像(サムネイル?)でないと

それが何のファイルなのかが、見ただけでわからないから

困るのだ・・。

 

だから、だから・・

アイコンプレビュー(サムネイル?)を、再度 表示する

ための方法をネットで調べてみた。

 

六兵衛としては、ひとつやふたつのサイトでの説明では

なかなか理解出来ないので、いくつかのサイトの説明の

わかりやすい部分を重ね合わせて、それらの指示に従い

操作を行っていった。

そのようなサイトの指示に従い・・

「option」キーを押しながら「Finder」をクリックし

「再度開く」を選び・・

 

フム フム・・再起動をすれば、解決することが多い・・

との事らしい・・。

 

六兵衛のパソコン操作は相変わらずの、右や左に 上や下に

ウロウロと、あれや これやと 迷いながら・・

・・それでも 何とか、デスクトップ画面やフォルダー内の

ファイル画面に、「アイコン プレビュー(サムネイル?)」

戻ってきてくれたのだった。

 

 

一・件・落・着 ! ・・でござる。

 

力 及ばず・・

「HP」を作るうえでの約束事が、難しくて覚えられない。

そのうえ 器が小さく、持ち合わせの少ない六兵衛なのに

いくら「老化防止」のためとはいえ、ブログ以外に「HP」

まで作ろうなんて、・・。

何より、飽きっぽい性格なのだから・・。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2013年の春の頃に「さし絵」として掲載していた151作目のカット絵。

 

「六兵衛の老化防止」のため!と、大見得を切り

『ボケ防止大作戦』とのタイトルで始めた「ホームページ」

だったが、作りかけのまま 更新を止めて 久しい・・。

 

今年の1月18日の日記にも書いたが

『ホームページ作りを・・』

ホームページ作りは どう 足掻いてみても

今の六兵衛には荷が重い・・。

「老化防止」以前の問題だとの結論に達していたのに

それでも 作りかけの「ホームページ」は

更新しないままの状態で、ネット上に残っていた。


以前に遊びで作った「gifアニメ」が、パソコンの隅っこに残っているので
懐かしシリーズで掲載する。

 

六兵衛の能力以上を期待してしまい、結局 無様な屍を

晒してしまっている・・。

だから思い切って、ねんごろに弔ってやり

「HP」の登録を解除した。

 

小さい春が・・

目が覚めてしまうほどの強い雨が、夜中に突然降り出し

あれは春の嵐だったのかも・・と思いながら

今城塚公園辺りに散歩に出かけた。

 

上着を脱いで歩くほどに暖かく、今日は春である。

散歩途中の畑にも、菜の花の黄色が うれしい・・。

我が家の小さな庭にも・・

よく見ると・・

小さい春が・・

 

先日 まいた「小松菜」と「小カブ」の種が、かわいい芽を

出し始めている・・。

 

別冊ふろく「横綱 吉葉山」

今日も今日とて 相も変わらず、遠い昔の独りよがりの

思い出ばなしを、だらだらと書く・・。

 

六兵衛が小学校の1年生か2年生の頃の 遠い遠い昔のこと。

学校の帰りに、仲良くなった友達の家に寄って遊んだとき

『横綱 吉葉山物語』という月刊漫画雑誌の「別冊付録」を

見せてもらった記憶がある。

当時の「月刊 少年漫画雑誌」には、数冊の「別冊ふろく」が

付いていた。

 

遠い 遠い昔の事ゆえ、その友達の事も、立ち寄った友達の

家も場所も、付録が付いていた漫画雑誌の名前も

漫画を描いていた作者も、そして何より その漫画の正確な

題名さえ忘れてしまっている六兵衛ではあるが

それが 漫画雑誌の別冊付録で、横綱 吉葉山の事を描いた

漫画だったという事だけは 記憶に残っている。

 

いつ頃だったか、大人になって その事を思い出し

特にパソコンを使い始めて以降、ネットの検索サイトに

『別冊ふろく、横綱 吉葉山』などと打ち込んで

何度も 何度も検索したり、それらしい昔の漫画のサイト

などを調べたりしていたのだが、結局 見つけることは出来ず

半ば 諦めかけていた六兵衛だったが、しかし ここにきて

ついに 遂に、「その姿」を見つける事が出来た! 

 

インターネット オークションサービスの「ヤフオク」に

『横綱 吉葉山』という別冊ふろくの漫画本が

昨年の年末に出品されていた・・という事を見つけたのだ。

写真も残っている。

1冊目は、「冒険王」昭和31年2月号ふろく。

作者の前谷惟光さんは『ロボット三等兵』というギャグ漫画を

描かれていた記憶がある。

 

2冊目は、「少年画報」昭和31年3月号のふろくだ。

作者の小林一夫さんのことは、六兵衛の記憶にない・・。

 

それら付録の付いた漫画雑誌が出版されたのが

昭和31年ということは、当時の六兵衛が小学1年生から

2年生になる頃で、六兵衛の頼りない記憶と一致するのだが

しかし 同時期に「冒険王」と「少年画報」との2冊の漫画雑誌

付録として出版されていた・・となると

果たして 六兵衛が、遠い昔に見た「横綱 吉葉山」という

付録の漫画は、どちらの雑誌の付録だったのだろうか・・

今となっては 分かりようもないのだが・・。

 

 

そんな こんなで、「ヤフオク」に出品されていた

「横綱 吉葉山」の別冊付録の漫画の落札価格が

2冊で1900円 だったようだ。

残念ながら その別冊付録は、落札された後のようだが

その程度の金額で買えるのなら、ぜひとも六兵衛も

入札に参加したかった・・と思うが

落札後に その事を知ったのでは、いかんともならず・・

誠に まことに 至・極  ・・でござる。

 

またまた、神楽坂 横寺町 辺りのこと・・

特別 楽しかったという記憶があるわけでもないのに

遠い昔の若い頃の事だからだろうか、何度も何度も

その頃の事を しつこいほどにブログ日記に書くのは

六兵衛が東京の3畳一間の安アパートで暮らしていた

20歳の頃の日々のことだ。

 

西条奈加さんの時代小説『まるまるの毬(いが)』

(講談社文庫)を読んだ。

その物語の中に、若い頃に六兵衛が暮らしていた

神楽坂を上りきった辺りの横寺町の、3畳一間の安アパート

があった近くの二つの寺が登場した。

武士の身分を捨て、菓子屋になった主の治兵衛

出戻り娘のお永、孫娘のお君の親子三代で菓子屋を商う

「南星屋」は、売り切れ御免の繁盛店・・。

「カスドース」「若みどり」「大鶉」「梅枝」など

様々な菓子の名前にちなんだ7編のタイトルからなる

連作短編集で、連作の第5話「梅枝」の206ページに

下記の文章がある。

 

『神楽坂というと、牛込御門の辺りだったな・・

門前町とはどの寺の門前であろうか』

『たしか正蔵院だったかと・・あら、三光院だったかしら?

どちらにしても、あの辺りは門前町だらけですから、

わかり辛いかもしれません』

『だったら、お君、また おめえが案内してやんな、

今から行けば、昼の店開きの前に戻って来られるだろう』

 

孫娘のお君に、平戸藩の若い武士が縁談を申し込み

三人が それぞれの想いで その縁談の申込みに悩む話だが

愛情にあふれ、ゆるぎない人の心の暖かさがあり

六兵衛の涙を誘う・・吉川英治文学新人賞受賞作である。

 

小説に出てきた寺のことを思いだそうと

六兵衛の20歳の頃の遠い記憶を呼び起こそうとしたが

2つの寺の記憶はない。

嘉永4年(1851年)の江戸切絵図(板元・尾張屋清七)

を見ると、横寺町への登り坂を挟んで2つの寺の名がある。

 

現在の地図でも 2つの寺を調べてみた・・。

「正蔵院」は地図に載っていて、今でも存在しているが

「三光院」は載っていなかった。

寺自体がなくなったのか、それとも何処かに引っ越を

したのか・・。

 

昭和45年(1970年)3月と、昭和48年2月に

撮影したという横寺町の入り口付近の2枚の写真がある。

『新宿歴史博物館 データベース「写真で見る新宿」』参照

「​​Super ARAI(スーパー アライ)の手前に「正蔵院」の

4角看板がある。

昭和45年(1970年)3月のころの朝日坂。

昭和48年(1973年)2月の頃の朝日坂。

 

「六兵衛が東京を離れたのは、昭和45年(1970年)の

2月で、1枚目の写真は昭和45年(1970年)3月の

撮影というから、六兵衛が暮らしていた頃の横寺町の

そのままの風景である・・。

 

単行本・・

先日の六兵衛ブログに、佐々木譲さんの小説「雪に撃て」を

文庫本のつもりで購入したら、届いたのは単行本だった

・・と書いた。

「娯楽小説を読むには単行本は不向きだ」

 

六兵衛ごときが読むには勿体ないような重厚さの単行本を

読み始めてみると、単行本は 重いし、硬い表紙の角が

持つ手のひらに食い込み痛いのだ・・と書いた。

 

しかし しかし、 老いたりといえども まだ六兵衛にも

考える知能は わずかだが残っていたようで

単行本の重さは どうしようもないとしても

硬い表紙が 痛いほど手のひらに食い込む事だけは

避けることが出来るようになった。

 

ナニ・・簡単なことなのだ。

『・・・・・』

 

自慢するほどの事じゃあないけど、単行本の表紙だけじゃあなく

頭も固く融通の効かない六兵衛にしてみれば

上出来の発想かも・・しれない。

 

小津映画を iPadシアターで・・

「外付けHDD」に保存している映画の一部を

Macパソコンを用いて4GBの「マイクロ SD」にコピーし

手軽に持ち運びが出来るiPad(無印・2017年3月発売

の第5世代)を 布団の中に持ち込み、iPadシアターとして

夜 寝る前に再生して観ている。

 

『男はつらいよ』全48作を 先日 観終わって、さて 次は何を

観ようか・・と考えたが、やっぱり次は 小津映画だろうと思い

「外付けHDD」に保存している小津安二郎監督の10数作品

の映画を4GBの「マイクロ SD」にコピーし

夜ごと1作品ずつを観始めて 数日が過ぎた。

 

戦前の作品『戸田家の兄妹』と『父ありき』をまず観たあと

1950年代に制作された『お茶漬の味』と『お早よう』を

観た。

 

 

小津監督の映画は、低い位置からの独特のカメラアングルで

日本の ごくありふれた家庭生活における細やかな関係や

家族の崩壊など、そこら辺りにいる人々の悲喜こもごもを

淡々と表現している。

 

そんな小津さんの映画の中に、懐かしい子供の役者さんが

出演していた。

六兵衛が子供の頃は、まだ週刊漫画雑誌など出版されて

おらず、月刊の漫画雑誌が全盛の時代だった。

その当時、「赤胴鈴之助」や「まぼろし探偵」などの

人気漫画が掲載されていた「少年画報」の表紙は

​​​​設楽 幸嗣(したら こうじ)さんが されていて

「少年画報」を愛読していた六兵衛とすれば、設楽さんの

顔には馴染みがあったのだが、当時の六兵衛には

「少年画報」の表紙の設楽さんが、小津監督の映画

『お茶漬の味』や『お早よう』などの多くの映画に子役

として出演されていたことなど、知る由もなかったのだ。

設楽さんは六兵衛とは同年代で、現在は作曲家であり

音楽プロデューサーとしても活躍されているという。

 

 

ついでに もう一つ・・。

映画『お茶漬の味』に、主人公(佐分利 信さん)の

元戦友で、パチンコ屋の親父の役で笠 智衆さんが出演

されているのだが、主人公と偶然 再会し酒を飲む場面で

笠 智衆さんが『良かったぁ〜、ほんに 良かった!』

と言う場面があった。

映画『お茶漬の味』のあと、少なくても2〜30年を経て

創られた映画『男はつらいよ』で、今度は出来の悪い

寅次郎に対し『困ったぁ〜、ほんに 困った!』との

台詞を御前様役の笠 智衆さんに言わせたのは

『男はつらいよ』の監督・山田 洋次さんの意識の中に

過去の映画の中で笠 智衆さんが

『良かったぁ〜、ほんに 良かった!』と 台詞を言った

意識があったから・・だろうか、それとも、それとも・・。