画像サイズを別枠で拡大しよう

「六兵衛ブログ」が、下手で 独りよがりなブログ日記とはいえ

掲載した画像(写真)の、出来れば その画像のサイズを大きく

して、細かいところまで見てもらいたいと思う事がある。

しかし、日記を書くべき部分の横幅サイズに限りがあって

これまでは 大きくならないまま 画像を掲載していたのだが

今回 思い切って画像を拡大出来るようにしようと

独りよがりながら、一度 挑戦してみることにした。

 


《この画像は 拡大しないよ。》

 

どうせ六兵衛の事だから 簡単には出来ないだろう・・と自分

でも思いながら、2,3のサイトを参考にして挑戦した。

ところが、サイトの説明が良かったのだろう、案外 思って

いたよりも簡単に「拡大する設定」が出来たのである。

そして、最初に拡大できる画像に挑戦したのは二つ前の日記

8月27日の『二つの「堀内源左右衛門の道場」に掲載

した江戸時代の地図であった。

そして 8月29日『一足早く 空に・・』の日記にも

さほど拡大する必要のない写真だったけれど

これも勉強や・・と思い、「空の写真」を拡大できる形で

掲載した。

またひとつ  カシコクなった六兵衛ではあるが

ひとつカシコクなっても、ふたつ忘れてしまう この頃だから

何処かに「拡大の操作方法」を、メモっておかなくっちゃぁ。

 

一足早く 空に・・

暑い夏の日中には、とても散歩など出来る状況には ない。

だから 6月の後半あたりから、日差しが さほど強くない

朝早くに、つれあいと一緒に早朝散歩に出かける。

 

8月の、暑い夏も そろそろ終わろうかという この頃・・。

朝の早い時間だけだが、空は どこか 秋の気配がする。

 

8月25日の早朝の空・・。
《下の写真はクリックすると別枠で大きくなる》

 

そして 今日、8月29日の早朝の空・・。
《クリックすると別枠で大きくなる》

 

何故だか今日は涼しく、このブログを書いている時間になっても

現在の気温は約27℃ 。

冷房など付けなくても、十分 過ごせる・・。

 

もちろん・・

このまま 秋になってくれるほど甘くはないだろうが・・

 

二つの「堀内源左右衛門の道場」

序 お犬姫見参

『四谷の大木戸をこえて伝馬町をぬければ、江戸城の外堀に

つきあたる。左へ折れ、満々と水をたたえた濠にそって北へ

むかう。 牛込御門を横目で見ながらしばらく行くと江戸川だ。

橋を渡り、片側に武家屋敷がつらなる川沿いの道を左へ進む。

秋もたけなわ、河原では葦が涼風に たなびいて・・・』

と、文庫本『元禄 お犬姫』の書き出しである。

諸田玲子さんの文庫本『元禄 お犬姫』(中公文庫)の

書き出しの文章に、六兵衛には懐かしい土地などの名前が

出てきて嬉しくなり、性懲りもなくブログに書きたくなった。

五代将軍・徳川 綱吉が発した「生類 憐みの令」。

例え 野犬でも「お犬様」と呼ばれ、大切にされた時代。

中野村に作られた大規模な お犬小屋「中野御用御屋敷」

(お囲)で、犬小屋支配の助役を勤める森橋弾正右衛門と

その家族。

しかし母親の佐知が病がちなため 療養を兼ね、小石川で

剣術道場を営む堀内源左衛門の離れを借りる事になり

父親と兄は仕事で中野村を離れるわけにはいかないので

母の佐知、祖父の善右衛門、弟の善次郎、そして どんな

犬でも たちどころに手なずけてしまう事から「お犬姫」と

呼ばれている知世らの一行が、中野村の役宅から小石川に移り

住むための移動中に起きる出来事から 物語が始まる。

《下の地図はクリックすると別枠で大きくなる》

 

「江戸切絵図」などを合成し、名前や矢印などを入れる。

独りよがりだが、そんな作業が なんとも楽しい。

「立慶橋」や「神楽坂」の近所のの中の「イ」の場所は

六兵衛が若い頃、初めての東京で暮らし始めた「後楽」

の中に「ロ」は1年半ほど暮らした「関口」という町

の中に「ハ」は「横寺町」、ここも1年ほど暮らした。

そこで思い出すのは 4年ほど前、2018年3月28日の

当ブログ「江戸川に架かる「立慶橋」」にも書いたが

その頃 読んだ、池波正太郎さんの文庫本『堀部安兵衛 上・

下 巻』の下巻の 11ページ目あたりに・・

小石川の水戸屋敷の北から西へかけて、江戸川が流れて

いる。この川は神田上水の枝流であって、北から西へ

いくつもの橋がかけられているが、江戸川が江戸城の濠へ

合流しようとするあたりに舟河原橋があり、その一つ手前

の橋を立慶橋とよぶ。

中略

堀内道場は立慶橋の東詰、松平讃岐守下屋敷と通りを

へだてた南側にあった。

このあたりは幕臣の邸宅が多く、堀内道場も以前には

斎藤長十郎という旗本の屋敷だったという。

中略

広沢と安兵衛が、立慶橋を東へわたりかけたとき、

向こうから来た武士が立ちどまり、にこにこ とこちらへ

笑いかけてきた。

その武士は、奥田孫太夫であった。』・・・とある。

 

『元禄 お犬姫』と『堀部安兵衛』、この二つの物語には

赤穂浪士の話が登場する。

そして、多くの赤穂藩の武士が通っていたとされる

「堀内源左右衛門の道場」の場所がどちらにも登場するが

『元禄 お犬姫』では「小石川龍門寺門前町」とある。

 

『堀部安兵衛』では、立慶橋の東詰「松平讃岐守下屋敷と

通りを隔てた南側・・」とある。

 

「堀内源左右衛門の道場」の場所が、二つの物語で違っていた

としても 大した問題ではなく、短い間だったけれど六兵衛が

若い頃に暮らした懐かしい場所が、江戸の元禄の頃を描いた

二つの物語に登場したのは、懐かしく うれしい。

六兵衛が住んでいたのは、それらの物語より はるかに後の

昭和の、それも わずか数年の間の事なのだが・・それでも

ひとり 悦に入るのである。

 

文庫本「天保図録」

朝日新聞出版が発行する週刊誌「週間朝日」に

昭和37年(1962年)4月から昭和39年(1964年)

12月まで連載され、週刊朝日での連載終了後に朝日新聞出版や

光文社のカッパノベルズ、角川文庫や講談社文庫など

多くの出版社から文庫本が出版されている松本清張さんの

時代小説『天保図録』の角川文庫版 上・中・下の3巻を

読み終えた。

 

 

異国船が日本近海に相次いで出没し、日本の海防を脅かし

始めた江戸後期、財政逼迫にあえぐ幕府を救うべく

「天保の改革」を打ち出した老中筆頭の水野 忠邦。

目付・鳥居耀蔵は、その水野忠邦に言葉巧みに取り入り

自らの野望のため、家来の本庄茂平次らと共に

悪どく事件をでっち上げ、自分らの邪魔になる人たちを

追い落とし、己の野望を実現しようとする。

しかし、水野忠邦の政策は庶民からは憎まれ

水野や鳥居に対抗するべく旗本・飯田主水正が立ち上がる。

大奥、幕閣内の反水野派、そして親藩の紀州藩までもが

反水野に固まり、「天保の改革」を強引に推し進めてきた

水野忠邦と鳥居耀蔵の野望は、わずか三年足らずで挫折に

追い込まれ、水野は老中を罷免されて失脚した。

一方 鳥居耀蔵は、身柄を四国丸亀藩京極家にお預けのまま

その後の明治維新の際に恩赦を受けるまでの20年間以上も

軟禁状態に置かれていた・・という。

 

 

だいぶ以前、宮部みゆきさんの小説『孤宿の人、上・下巻』を

読んだことがある。

その内容は もうほとんど忘れているが、丸亀藩に軟禁状態と

なった鳥居耀蔵は、「天保図録」で描かれている鳥居耀蔵とは

少し印象が異なっていて、身寄りのない下働きの幼い娘との

心の通い合う物語だったような記憶がある。

そして もうひとつ、まだ読んだことはないのだが平岩弓枝さんも

小説『妖怪』というタイトルで鳥居耀蔵を書いているらしい。

ここでの鳥居耀蔵は、いくら妖怪と罵られても

官僚という立場を貫き通し、仕事一筋に打ち込む耀蔵の目を

通して書かれた物語だったという。

 

 

とにかく 清張版「天保図録」は、長い長い小説だった。

なにしろ 昔の文庫本の文字は、今と違って小さいうえに

上、中、下巻の、例えば上巻だけで510ページほどもあり

中巻・下巻も同じようなページ数で、3冊 重ねた文庫本の

厚さが6.5cmもあった・・。

 

歌手 新川二朗さん

演歌歌手の新川二朗さんが亡くなったとYahoo!ニュースで

知った。

新川二朗さんの 渋く通る声が好きになり、六兵衛が散歩する

ときの友達の一人になった。

・・とは云うものの もちろん、六兵衛が歩く その横で

新川さんが歌ってくれている訳ではないものの

彼が歌う『オホーツク岬』は大好きだった。

演歌や歌謡曲、そしてポップやロックなどの歌が

盛んにテレビやラジオで流れていた六兵衛が若い頃は

歌自体に さほど興味は もっていなかったが

六兵衛が60歳代後半あたりになって、何故か古い歌謡曲が

沁みるようになってきて、散歩をしながらイヤホンで

iPhoneに保存した古い歌謡曲を聴くようになった。

新川さんは、そんな六兵衛が聴く歌謡曲を歌われていた一人で

あった。

 

 

 新川 二朗 さん 本名:沢田 幸雄 石川県 出身

1939年(昭和14年)11月生まれ

1962年『君を慕いて』でデビュー

2年後の1964年には『東京の灯よいつまでも』が

大ヒットした。

「1942年生まれ」だと 長く公称していたらしいが

5,6年前に、実は1939年生まれだったと公表して

ファンを驚かせたという。

 

 

お疲れ様でした。

安らかにお休みください

 

 

神、我を見捨てず

昨日、当ブログに、『問題が発生したためコンピュータを

システム終了しまた。』とのタイトルの日記を書いた。

Appleアプリの「メモ」を使って文庫本の購入記録やブログの

下書きなどのメモ書きをする際「MacBook Air」だけではなく

「iPhone」や「iPad」でもメモ書きが出来るように

それらデバイスの共有を目指し、設定に挑戦していたのだ。

ネットので説明を読んでも、なかなか理解できず

半日 以上も右往左往していたら、『問題が発生した・・』云々

の小窓が現れてしまったのだった。

 

とりあえず昨日は、そこで「悪あがき」は止めにしたのだが

それでも、せめて その日の最後くらいは強がって終わろうと

『まぁ! 今は これくらいで我慢しといてやるが

その内 落とし前 付けてやるから 待ってろヨ!!』

とブログに書いて、その日は終わったのだった。

 

そして今日、再度「共有」設定に挑戦した。

一日 過ぎれば 気分も変わるヤロ・・。

昨日より 少しは落ち着いて 挑戦出来るカモ・・。

・・・などと、都合の良いことを考えて始めたのだが

やっぱり一日経ってもネットの参考書は、ややボケ始めた

六兵衛の頭に、スムーズに入ってくれない・・。

アレやコレやと 試す・・。

懲りずに 試す・・。

 

 

ところが ところが である・・神は我を見捨てず。

偶然か必然か、自分で 設定作業をしておきながら

何が どうして そうなったのかの訳も分からないままに

「iPad」の「メモ」が「MacBook Air」の「メモ」と共有

出来たのである・・そう、神は我を見捨てなかった。

 

 

「iPhone」との共有が残ったままだが、今はちょっと疲れた。

それは また後日と しようか・・。

 

『問題が発生したためコンピュータをシステム終了しました。』

我が家の主パソコンたる立場の「MacBook Air」に

またまた新たな問題が起きた。

少し大げさな言い方だが、その問題が解決できるまでは

やはり面倒な問題でもある・・。

先日の六兵衛ブログにも書いたように、サンタクララに住む

アッくんが勧めてくれたAppleの「メモ」アプリに

「MacBook Air」を用いて「文庫本の購入記録」や

「六兵衛ブログ」の下書きなどを書き始めている。

そして、出来ることなら・・と考えた。

六兵衛が持っている「MacBook Air」以外の、「iPad」や

iPhone」などからでも、「共有」という方法で「メモ」

アプリへの同じ作業が出来るはずだと思った。

自分の実力も考えないで、身の程知らずだったとはいえ

根が単純な六兵衛だから、早速 ネットの情報を参考に

作業にかかった。

・・・・・・・・・・

ネットの参考意見など、六兵衛には確かな理解も出来ないまま

クリックを続けて行くものだから

しまいには 訳が分からなくなって・・その過程の説明など

出来そうにもない。

・・・・・・・・・・

 

とりあえず、終わったような気になって

パソコンの電源を入れる。

「パスワード」を求める画面が出る。

 

パスワードを入れると・・

・・の画面になった。

 

以後この画面が必ず現れるのだ。

「スリープ」から起動する場合以外の、「システム終了」や

「再起動」などから行う起動では、この小窓が必ず現れる。

この小窓の「キャンセル」か「開く」をクリックすれば

本来のディスクトップ画面が出てきてくれるのだが

ワンクリック増えた形になってしまった・・。

パソコン歴20年になる六兵衛だが、やはり やはり

初心者のごとき下手な有様をさらけ出す。

しかし「共有」などと、今はまだ 叶いもしない夢だが・・

それでも、強がりだけは云わせてもらう。

まぁ! 今は これくらいで我慢しといてやるが

その内 きっちり、落とし前 付けてやるからナ!

・・・待ってろヨ!!

日陰を・・

2年前のちょうど今頃、家の裏に畑を作り始めた。

つれあいと二人 老体に むち打ち・・いやいや

互いの老体を庇い合いながら、焦るつもりなどないから

ゆっくりと無理をせず、出来る範囲の作業を続けた。

 

ツルハシ、スコップ、クワ などなど・・元々 持っていた

道具もあったが、どうしても電動の「耕うん機」の助けが

必要に感じ、思い切ってネットで購入した。

 

そんなとき 夢は広がるもので、つれあいが「キウイ」を

育てたいという、

苗はともかく、「オスの木」用と「メスの木」用の

2つの組み立て式の「棚」が必要になった。

そして それまでは、鉢に植えて庭に置いていた「藤」の木を

裏の畑に地植えしようとも考えた。

だから「藤」の木用の「棚」も必要になり、「キウイ」用の

「棚」と一緒に、3つの「棚」をネットで注文したのだった。

それより何年か前、サンタクララに暮らす次女夫婦が

つれあいの誕生日にと贈ってくれた「藤」の鉢植えである。

 

その鉢植えの「藤」を 裏の畑の片隅に地植えし

「棚」に茂らせ、その下に 簡単な椅子とテーブルを置き

農作業をする際の、日陰の休憩場所にしようと考えたのだ。

 

・・あれから2年が過ぎた。

その「藤の木」も 大きく育ち、今では蔓が伸び放題・・。

窓や樋(とい)などに絡みつくほどに、のびのび育っている。

ECヴィトーリア

六兵衛が着ていたTシャツを見て つれあいが

『そのTシャツどうしたの?』と聞く。

どうしたの?と聞かれても、とっさに何を聞かれたのか分から

なかったのだが、どうやら つれあいは 六兵衛が見たこともない

Tシャツを着ていると思ったようだ。

六兵衛が着る衣服は、自分で買うことは ほとんどなく

つれあいと二人で出かけて買ってくるか、つれあいが一人で

出かけて行って、買って来てくれるかの どちらかだ。

 

洗ってもらったTシャツが、タンスの抽斗に積み重ねられていて

それを上から順番に取り出して着ている訳で、どうしたの? と

聞かれても、聞かれた意味が 一瞬 分からないのだった。

ただ六兵衛自身も そのTシャツは、初めて袖を通すような

気が してはいたのだが・・。

 

少し経ってから、『私が買って来たかもしれへん・・』と

つれあいが云う。

どうやら自分で買ったのに、はじめて六兵衛が着ているのを

見て 見慣れないTシャツなので、買ったのを忘れていたと

いう事らしい・・。

それはさておき、このTシャツの胸に マークが付いている。

多分 つれあいが、このTシャツを購入するときには

このマークの事など、特に意識していなかったのだろうが

『そのTシャツどうしたの?』との つれあいの問いかけで

六兵衛は改めて、このマークの意味に興味を持ち

ネットで調べてみることにした。

 

このマークを写真に写し、Googleの「画像検索」に入れた。

便利なもので、あっという間に このマークに関するサイトが

表示されてくる。

それらによると、ブラジルのバイーア州サルヴァドール市を

本拠地とするサッカークラブ「ECヴィトーリア(Vitória)」

のロゴマークのようらしい。

 

ブラジル国内のサッカーリーグ「ブラジレイロ」には

1部リーグから3部リーグまでがあり

このマークのチーム「ECヴィトーリア」は1部リーグから

3部リーグを行ったり来たりしているクラブチームのようだ。

とはいえブラジルのチームだ、そこそこ強いチームだろうと

思うのだが、野球のことなら ともかく サッカーの事は

何も分からない六兵衛なのである・・。

 

ついでだから付け加えると、ネットでブラジルチームのグッズが

買えるらしい。

例えば「ECヴィトーリア」チームの旗など・・買うかい?

 

三百代言野郎!

先日 つれあいが 、『一月万冊』というインターネットの

You Tube番組で、「サンビャクダイゲン」という言葉を

聞いたけど『知ってるか?』と六兵衛に聞いてきた。

サンビャクダイゲン?・・と云われても、何や それ・・?。

漢字では「三百代言」と書くという。

初めて聞く言葉だ。

 

だから とりあずYou Tube番組「一月万冊」を見た。

8月9日のYou Tube「一月万冊」、その時のゲストは

元朝日新聞記者で現在はジャーナリストの佐藤章さん。

https://www.youtube.com/watch?v=A7J1h6PSkhQ

 

まず事の起こりは、先日 行われた旧統一教会の名称変更の

経緯をめぐる野党の合同ヒアリングで、前川喜平さんが

『平成9年に旧統一教会から名称変更に関しての相談が

寄せられたが、当時の宗務課長を務めていた私は「宗務課で

議論をした結果、実態が変わっていないのに名前だけ変える

ことはできないとして、認証はできない」と伝え

「申請は出さないでください」という対応をした。

そして18年間も そのままきているのに、平成27年になって

再度の名称変更の要請でも反対したが叶わず、当時の下村文部科学

大臣の意思が働いていたことは間違いない・・』と述べた。

 

この合同ヒアリングでの前川さんの発言に対し

フジテレビの「日曜報道」という番組で、橋下徹さんが

『前川さんがやった申請書を受け取らないっていうやり方は

ズルズルと引き延ばしていく手法で、こんなやり方が横行する

のでは、これはもう法治国家じゃないだろうということで

1993年に行政手続法というのが定められたんです。

これは認可する際、基準をはっきりさせましょう

官僚に自由裁量与えない、それから申請書の受け取り拒否もダメ。

受け取り期限を決めた上で結論をちゃんとださないと・・」と

解説した。

さらに宗教法人法には「社会に害悪があるからとかで名称変更を

拒絶してもいいなんて、一切 ルールには書いていません。

名称変更の問題とトラブルの問題は分けて考えて

トラブルについては きちっと対処しないといけないけど

名称変更については前川さんの胸先三寸、判断だけで勝手に

拒否しちゃいけないんです』と指摘をした。

 

この橋下徹さんのテレビ番組での発言に、ジャーナリストの

佐藤章さんがTwitterした。

 

『ナニ言ってんだ、橋下の大バカヤロウ! 

霊感商法でどれだけの悲劇を生んだと思ってるんだ? 

前川氏の申請拒否は、さらなる悲劇を生まないための

良識だろう。

統一教会の お友達の安倍・下村 体制になって、名称変更を

果たし、新たな被害者が続いた。

被害拡大がよかったのか、三百代言野郎!・・と。

 

【三百代言】とは・・明治初期に 無免許で訴訟や裁判を扱う

代言人(だいげんにん)を軽蔑して呼んだ言葉。

「三百」は「銭 三百文」の略で、価値のないこと。

「代言」は代言人のことで、現在の弁護士のこと。

 

 

そして、You Tube番組「一月万冊」でも

ジャーナリストの佐藤章さんと一月万冊の清水有高さんが

力を込めて云う。

 

橋下徹さんは統一教会応援団なのか?

安倍晋三元総理の銃撃事件と関連する統一教会の名称変更で

重要な証言をした前川喜平氏を事実誤認の上で攻撃をして

いくらなんでも、あいつは おかしい!

 

弁護士失格である。