浅黄 斑 様
我が家の再読用のための本棚に並べていた、あなたが書かれた
時代小説『無茶の勘兵衛日月録』シリーズ20巻のうち
とりあえず第1巻からの10巻分を取り出し、読書コーナーの
テーブル脇に置いて、今 第1巻の「山峡の城」から順次 再読を
始めました。

我が家の未読用の本棚には、まだ読んでいない中古の文庫本が
10数冊も残っているのですが、それよりも 何故だか 今
あなたが書かれた小説『無茶の勘兵衛日月録』を 再読したく
なったのです。
二見時代小説文庫から出版された『無茶の勘兵衛日月録』は
2006年に第1巻の「山峡の城」から始まりましたね。
越前 大野藩士、落合孫兵衛の嫡子・落合勘兵衛は
幼い頃より2度も3度も死にかけるほどの無茶な事をして
世間から「無茶勘」と渾名されるほどの少年時代を過ごした。
徳川家康の子や孫が藩主の越前福井藩で起きた〈越前騒動〉や
その親藩である越後高田藩での〈越後騒動〉、勘兵衛が仕える
越前大野藩でも、老いた藩主や その嫡子を巻き込んでの
重役たちの権力争いが起きていたし、また大和郡山藩での
〈九・六騒動〉をも起きている。
そんな厳しい状況に翻弄されながらも、毅然として正義を
貫こうとする落合父子。
元服の後、父親の後を継ぎ落合家の当主となった勘兵衛は江戸
に呼ばれ、越前大野藩の江戸留守居役・松田与左衛門 配下の
「耳役」として働くことになる。
第3巻目の「残月の剣」では、道端に倒れていた一人の老剣客
を助けたが、医師によれば重い肝の臓の病で、余命は一ヵ月
との診立てだった。

この老剣客の名を「百笑火風斎」といういいましたね。
そして この「百笑」と云う名前、物語の中で「ひゃくわらい」
とは読まさず、「どうめき」でしたよね。
漢字も その読み方も、四国は四万十川流域の 六兵衛が生まれ
育った小さな集落と同じ名前なのです。
我が故郷の集落の名前くらいでしか、めったに耳にする事も
ない「百笑」という言葉なので、驚くと同時に嬉しい喜びでも
ありました。
流石に蘊蓄(うんちく:蓄えた知識)の深い浅黄さんでしたね。
そして この後も勘兵衛の活躍は続きますが、浅黄さんご自身が
身体を壊され、多分に無理をされて執筆活動を続けられていた
のだろうと想像されます。
これまでにも当 六兵衛ブログには、2019年1月6日の
無茶の勘兵衛 第18巻 とのタイトルでの日記に
『お待たせしました。無茶勘 再開! 第18巻、3年間の
闘病生活を潜り抜け「無茶勘」執筆を再開!
あの感動が よみがえる。』・・と書きました。
また、2020年4月30日の日記には
一人で 懐かしんでいる・・ とのタイトルで
六兵衛が50年以上も前に、数年間 暮らした事のある東京の
懐かしい町名や橋などが物語の中に登場し、江戸と昭和との
時代の違いがあるとはいえ 嬉しくて、 一人で悦に入っている
と書きました。
そして、2020年10月17日の日記には
浅黄 斑さん・・とのタイトルで
新聞のWeb版で『作家・浅黄 斑 さん 死去』を見て
浅黄さんが亡くなったことを知りました。
『無茶の勘兵衛日月録』シリーズは第20巻で、未完のまま
終わることになってしまいました。

まだまだ 「無茶の勘兵衛」の活躍は続くはずでしたのに
誠に残念に思いますが、何より 作者の浅黄 斑さん御自身が
一番 無念であったろうと推察いたしております。
物語は終焉を迎えずに終わってしまいましたが
無茶の勘兵衛の活躍は 今も これからも、六兵衛の記憶の中に
強く大きく残ります。
ありがとうございました。
六兵衛 拝