双葉文庫の「活動寫眞の女」

浅田次郎さんの文庫本『活動寫眞の女』を読んだ。

昭和40年代の大学紛争が激しかった頃の物語。

京都大学に入学した「三村」が、アルバイトを始めた京都太秦の

映画撮影現場で、妖しく美しい大部屋女優の伏見夕霞の姿を見た

のだが、実は その伏見夕霞は、愛していた映画監督が出征した後

の昭和13年に、すでに自殺をしていた女性だった。

 

そんな物語なのだが、しかし この話しは浅田さんの架空の物語の

はずで、大部屋女優の伏見夕霞も 架空の人物のはずなのだ。

ところが この物語の重要な登場人物の中には、マキノ省三さん

とか溝口健二さん、山中貞雄さんなどの戦前に活躍されていた

実在の監督たちや、その当時に撮影され 配信されていた実在する

映画などが登場する。

 

この小説の中に、溝口健二さんが監督した『祇園の姉妹』という

実在する映画が登場した。

その映画に 大部屋女優の伏見夕霞が出演しているという設定に

なっているのだ。

実在する監督が演出をした 実在する映画に、例え大部屋女優の

”ちょい役” だろうと、架空の伏見夕霞が出演しているという設定

に六兵衛は 物語自体の内容よりも、その事に興味を覚えた・・。

伏見夕霞が出演している場面は、お座敷での宴会の場面で

芸者役の伏見夕霞が 客に酒の酌をしている場面だという。

だから早速 「YouTube」で『祇園の姉妹』を探して 観た。

 

監督:溝口健二監督・1936年(昭和11年)公開

 

まずタイトルが流れた後、配役の紹介画面の1枚目は主演を

演じていた姉役の梅村蓉子さんと妹役の山田五十鈴さん。

 

そして、一画面のみの共演者の役者さんたちの名前が並ぶ。

小説の中では、芸者役で出演していたという伏見夕霞の名前は

実在する映画の この共演者の中には ない。

そして 物語の中で伏見夕霞が出演していたとされている

お座敷での宴会の場面を観ても・・

真ん中で男に酌をしているのは、姉役の梅村蓉子さん。

その他の芸者さんは横を向いているか、後ろ姿・・。

小説「活動寫眞の女」の物語の中での この場面では

伏見夕霞さんが芸者役として、ちょい役で出演しているのを

撮影所の倉庫の古いフィルムの中に三村たちは見つけるのだが

六兵衛が「YouTube」で観た「祇園の姉妹」の中では

それらしい女優さんは映ってはいなかった。

当然 だろう・・。

小説の作者である浅田次郎さんが想像で描いた女優さんが

昔の古い映画だとはいえ、実際の映画に登場してるはずはない

・・とは思いながら、何となく ナントナク、もしかして・・

などと 思ったりして・・。

 

話は少し横道にそれるが、「YouTube」で この映画を観ていて

その役者さんの声に聞き覚えがあって、もしかしたら進藤英太郎

さんではないかと思い、改めて もう一度 共演者名の場面に戻り

確かめてみると・・

あった あった、 進藤英太郎さんの名前が・・。

 

六兵衛が子どもの頃の進藤さんといえば、東映時代劇の悪役で

出演されていた印象が強く、後年 テレビの時代になってからは

頑固親父の役を演じられていたように思う。

 

戦前の 古い映画の時代の進藤さんは、当然 若かったはずだが

その独特の声や話しぶりを、忘れてはいなかった六兵衛である。

 

我が家の庭事情

昨年の春  庭の桜木が、咲いた花を散らす辺りから 元気がなくなり

その後に開くはずの葉が、いつまで経っても茂る事はなかった。

その年の秋を過ぎる頃まで様子を見ていたのだが

結局そのまま 葉が茂る事はなく、裸木のまま 枯れた証しのような

名も知らぬ「キノコ」が生えていた。

つれあいが30数年前、まだ小さかった苗木を買ってきて

庭に植えた桜木で、長い間 我が家に 潤いを与えてくれていた

のだが、他の木々に悪影響が出てはいけないと考え

昨年の初冬に思い切って伐採したのだった。

その桜木が まだ元気だった頃から、桜木の根本あたりから伸びて

きていた小さな木の枝葉が、次第に大きくなってきていた。

伐採あとの今では、伐採した桜木を覆うくらいにまで葉を茂らし

その葉は、桜木と同じように秋になると葉を落とした。

だから 桜木から枝分かれした小枝か・・とも 思っていたが

よぉ〜く その葉を見ると、桜の葉とは少し違うような気もする。

確かなことを調べようと、その「木」の葉を写真に写し

グーグルの画像検索サイトで調べてみた。

 

どうやら桜木ではなく「エノキ(榎)」という木のようだ。

サイトによると・・

北海道を除く日本各地に自生するアサ科の落葉樹で

山地や雑木林の緑、川沿いなどで普通に見られる木だが

枝分かれが多くて広く緑陰をつくる。

各地の一里塚や神社仏閣などに多く植栽されている・・とある。

その「エノキ」、今のところ 桜木に代わって勢いよく伸びていて

庭の垣根 代わりには なっているのだが、落葉樹なので冬場は葉が

落ちてしまえば、垣根の役目には なりそうもないか・・。

 

裏の畑の「すもも」の実の収穫をした。

これまでにも少しずつ、2度ほど収穫をしていたのだが

今回は 残っていた「実」の全てを収穫をした。

隣に小さくなって写っている「ズッキーニ」は、2番畝の「ナス」

植えている東側に、2本だけ植えている「ズッキーニ」に

小さいが実がなっていたので とりあえず収穫した。

 

葛(クズ)

我が家の窓から 小さな川を挟んで、小学校の裏庭や体育館が

見渡せる。

十数年前、孫たちが まだ小さかった頃 我が家に遊びに来ると

決まって その体育館横の小さな裏庭に バットやボールを持って

遊びに行き、みんなで野球遊びをした思い出がある。

 

そんな小学校の裏庭の木々に、葛(クズ)が覆い被さっている。

 

孫たちと遊んでいた その当時、小学校の裏庭の木々には

今のように沢山の葛(クズ)が 覆い茂っていたのか どうか

定かな記憶はないが それにしても、この頃では 散歩をしていて

川の土手や小さな林、道端のフェンス など、どこを歩いても

葛(クズ)が我が物顔に繁茂しているのを見る。

 

葛(クズ)は、マメ科クズ属のつる性の多年草で

その「根」を用いて食材の葛粉(くずこ)を作ったり

発汗や解熱、鎮痛作用もあるとされ、風邪や胃腸不良などの

例えば「葛根湯」などの漢方薬として用いられている。

また 「つる」の繊維で織ったものを葛布(くずふ)と呼び

狩衣(かりぎぬ)などに仕立てられていて

万葉の昔から「秋の七草」の一つにも数えられている。

このように 葛(クズ)は、有用な植物である反面

荒れ地や河川敷、林縁(りんえん)などの日当たりの良い

環境に群生し、他の植物に絡み覆い被さり

植栽した苗木などを枯死させてしまう厄介な雑草でも

あるわけで、現在では昔のように利用管理が行われなく

なった結果、里山などでの繁茂が目立つようになっている。

一旦 はびこると駆除が困難なため、今や内外で”強害雑草”として

厄介者扱いをされている現状である。

 

これが ネットで調べた、日本における 葛(クズ)に関する

大雑把な現状のようだ。

 

昔から有用とされてきた葛(クズ)も、放っておけば

手のつけられない厄介者となってしまう・・。

さて、それを知ってか 知らずか、人間とは身勝手なものだが

そんな人間の世が、本当に豊かになったのか、はたまた

見かけとは異なり 実は益々、貧しくなっているのでは

なかろうか・・と 思ったりする、誠に身勝手な六兵衛である。

 

「iPad」は辞書代わり

いろいろな文庫本を読んでいると、物語の中には難しい言葉や

知らない土地、昔の人物、物事の ” しきたり ” や ” ことわざ ”

そんな そんな、六兵衛の知らない あらゆる事々が出てくる。

元々が いいかげんな六兵衛だから、分からない事も そのまま

適当に流したりもするのだが、しかし 興味のある小説などでは

物語上 やはりその意味などの詳しいことを知りたくなる。

そんなときは、読書コーナー横に置いている「iPad」を手に取り

辞書代わりに 分からない事を調べたりする。

 

変わり朝顔

例えば 今回 読んだ 樋口有介さんが書かれた珍しい時代小説

『船宿たき川捕物暦・変わり朝顔』(祥伝社文庫)の文中に

『倩一郎は綾乃からの包み紙を開いて、五枚の南陵を確かめ

頭をかきながら懐に戻す。・・』とあった。

 

これまでに読んできた時代小説の中でも、何度か出てきた事の

ある ” 南鐐 ” は、江戸時代の通貨の一種だとは分かっているが

少なくても この小説の中で、” 五枚の南鐐 ” が どれだけの金額に

値するかを知りたくなって「iPad」を開いた。

調べてみると、「南鐐」とは江戸時代の貨幣の一種で

「南鐐二朱銀」と言い、その「南鐐二朱銀」8枚で1両の値打ち

があったと云われている。

包み紙を開いて出てきたのは「南鐐五枚」だったから

5/8両という事で、1両の約6.2割ほどになるようだ・・。

 

まぁ、浪人の身の倩一郎の長屋暮らしで、五枚の南鐐二朱銀が

あれば、しばらくは食うに困らないかもしれない。

無駄な飲み食いさえ しなければ・・・。

 

裏の畑の六月・・その6

裏の畑に植えている「ナス」の葉が虫に食われ、哀れな状態に

なっている。

 

葉の裏や表を調べてみると、一見「てんとう虫」に似た虫が

ウヨウヨと蠢いている。

とりあえず その「てんとう虫」に似た虫を写真に写してから

その虫を全て潰し 撤去した。

部屋に帰りその写真を、ネットのGoogleの「画像検索」に入れて

調べてみた。

 

「二ジュウヤホシテントウ」という てんとう虫の一種で

28の黒斑があり、主に「ナス」や「ジャガ芋」などのナス科の

植物の葉を食べる害虫だという。

 

害虫だとはいっても、出来れば 農薬などは使いたくない。

だから 時々 注意しながら、その都度 指で潰して駆除していく

しかないだろう・・。

 

「無茶勘」シリーズ 再読終了

たとえ読み終えた文庫本でも、いつか再び読み返したくなる

だろうと思えるような小説は、我が家の再読用の本棚に並べて

置いてある。

そんな文庫本の一つに『無茶の勘兵衛 日月録』シリーズがある。

しかし、シリーズ途中の2020年に作者の浅黄斑さんが 病気で

亡くなられ、未完のまま 第20巻目で終わってしまっている

二見時代小説文庫『無茶の勘兵衛 日月録』を、再読用の棚から

取り出し、第1巻から読み始めたのは 5月の始めの頃だった。

2023年5月11日の日記「 再 読」

 

その間には、六兵衛も左右の目の白内障の手術を受け

術後2週間は 目を酷使することを控える必要があって

パソコンやスマホの使用や、文庫本を読むことなども

出来るだけ休んでいたのだが、6月の中頃の先日 全20巻を

読み終えた。

 

これまでにも 無茶の勘兵衛シリーズの文庫本を

途中で1度か2度ほど、再読した事があったようだが

如何せん何度読んでいたとしても、物語の大雑把な雰囲気くらい

しか記憶になく、そのほとんどを忘れてしまっていたので

再読のたびに、2度も3度も 新しい気持ちで物語を楽しめた

のだから、案外 忘れることは 有り難い・・とも云えるだろう。

 

そういえば、そういえば・・

祥伝社文庫の『風の市兵衛』シリーズの『風の市兵衛 弐』の

第31巻 「春風譜 」が2022年6月に発売されて以降

1年以上も経つのに 未だに その後の新刊の発表がない・・。

どうしたん? 作者の辻堂魁さん。

どうなってるんや? 出版社の祥伝社さん!

新しい市兵衛さんに 逢いたいんや!

逢わせて! お願い!! 

 

裏の畑の六月・・その5

昨日 収穫した、裏の畑の1番畝の「ジャガイモ」の

そのあとには「サツマイモ」を植えたいと

つれあいの希望で、そのため今日 耕し、畝を整えた。

これで「サツマイモ」は4番畝、5番畝に続いて1番畝も

加え3畝となる。

 

 

1番畝を耕しながら隣の農業用ため池を見ると

「アオサギ」が池の岸辺に佇んでいる。

まるで仙人の如く、じっと動かない。

 

” 花より団子 ” に戻れば・・小さいが「ナス」の実が

チラッと見える。

「トマト」も まだ青いが、 確実に成長している。

 

昨年は さほど多くは実らなかった「すもも」だったが

今年は鈴なりに実っている。

赤く熟れて、すでに食べられそうな実を収穫した。

そして、昨日の1番畝の「ジャガイモ」の収穫時に

見逃していたらしい「ジャガイモ」が、今日 耕したとき

・・これだけ 出てきた。

 

裏の畑の六月・・その4

表の庭の、まだまだ続くだろう「草むしり」だが

昨日は雨のために休んだ。

 

六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2013年の夏の頃に「さし絵」として掲載していた162作目のカット絵

 

今日も相変わらずの どんよりとした梅雨空だったが

日差しがない分 作業がやりやすいだろうと始めた・・のだが

湿気が多くて、返って疲れる・・。

 

裏の畑の1番畝では、つれあいが「ジャガイモ」の収穫中。

数日前に、畝の一部の試し掘りを済ませていて

その畝の残りの収穫になる。

掘り起こした「ジャガイモ」の大きさは大小様々だが

それなりに まずまずの収穫だろう。

 

 

草取り

裏の畑の作業ばかりに気を取られている間に、表の庭の雑草が

伸び放題になっているから草むしりを始めた。

昨日は雨が降り、今日はやや曇りがち・・。

草むしりに適した天候のようだ。

 

『ホー ホケキョ!』

草取り作業をしている六兵衛の上空から、やけにはっきりとした

ウグイスの鳴き声が聞こえてきた。

見上げると電線に止まって、ウグイスが盛んに鳴いている。

『ホー ホケキョ!』

『ホー ホケキョ!』

6月も半ば近くになるというのに、まだ お相手が見つからない

のだろうか。

 

庭の一角に植えている「キューリ」。

少しずつツルを伸ばし、小さいながら 可愛らしいキュウリが

出来つつある。

 

もう一度 逢いたい・・

南草津に暮らす長女の「facebook」を見ると、7年前の思い出と

して、「シエスタ ユウジ」とのタイトルを付け、以前 一緒に

暮らしていた愛犬・ユウジの思い出をシェアしている。

 

「シエスタユウジ」のシエスタの意味が分からなかったので

調べてみると、「シエスタ」とは「休憩」とか「昼寝」とかの

意味らしい。

昼寝の事なら六兵衛など、昼食後の1時間から2時間ほどを

毎日の日課にしているくらいの昼寝のベテランなのだが

長女の想う愛犬への「シエスタ」とは、そんな軽い想いでは

ないのだろう。

『ゆうじさん いまどこ? トミのとなりで寝てるかもね』

・・との長女の言葉を添えていた。

現在は、犬のトミオと猫のヨルとが長女家族の一員だが

数年前に亡くなったユウさん、今もどこかで昼寝をしている

かも・・そんな 思いなのだろう・・。

 

時を同じくして、Buffaloに引っ越しをしたばかりの次女の

「Instagram」を見ると、以下のような文言の掲載があった。

『 A house is not a home without pets .

I’m sure everyone is different but to us it is true. 』

〈 ペットの いない家は家ではありません。

人はそれぞれ違うと思いますが、私たちにとっては

それが真実です。〉

 

先に逝ってしまったChu-chuとPumpkin が

今でも ときどき次女の「Instagram」に登場する事があって

思い出しては 泣けてくる・・とも、次女が以前に書いていた

ように記憶している。

 

偶然だとは思うが、我が娘たちが同じ時期に

先に逝ってしまった家族への想いを、それぞれの方法で

表現している

出来ることなら もう一度 逢いたかろうなぁ・・

切なかろうなぁ・・。