今日の早朝散歩は、今城塚公園あたりを ひとまわりした。
青い空には 昨夜の月が 白く残っている・・。
そして、白い月と 白い飛行機雲。
今日も 一日が始まる・・。
昔 遊んだ仲間たちが 逢いに来てくれる・・
今日の早朝散歩は、今城塚公園あたりを ひとまわりした。
青い空には 昨夜の月が 白く残っている・・。
そして、白い月と 白い飛行機雲。
今日も 一日が始まる・・。
朝 起きて 顔を洗う頃は、空を黒い雲が覆っていたが
散歩に出かける7時過ぎ頃には、次第に黒雲も東に流れて行き
ところどころ 青空も見え始め、陽も差してきた。
東の空を見ると、昔ながらの田園風景の向こうに
わが町では数少ない高層ビルが数棟 霞んで見える。
今は 枯れ葉散る桜並木の土手にも、雨あがりの陽が差して・・。
西を見れば、まだ8時前だというのに、子供たちが登校している。
雨が上がって よかったね。
季節が冬に近づいて来るにつれ、早朝散歩の出発時間も
少しずつ遅くなり、今は朝7時を少し過ぎた頃に家を出る。
「猛暑の年の冬は寒さが厳しい・・」と聞いたことがあるけれど
今は まだ11月の終わりの頃、季節は晩秋だというのに
朝の空気は真冬並みに冷え込んでいる。
空を見上げると、まだらに浮かぶ雲が一面に・・。
陽が昇り始めた東の空も・・
西の空を見ても・・
見上げる空一面に斑の雲が浮かんでいる。
「ひつじ雲」か「うろこ雲」か、家に帰ってネットで調べてみた。
天気予報サイトによると、秋の空には様々な雲が姿を表すとある。
「うろこ雲」と「ひつじ雲」の違いは 雲の浮かんでいる高さや
雲の色、大きさなどで決まるという。
雲の塊が小さいと「うろこ雲(巻積雲)」
大きいと「ひつじ雲(高積雲)」。
どちらにしても、空は まだ晩秋のようだが
今朝の空気は 既にもう冬の寒さである。
「晴耕雨読」・・という言葉がある。
『よく晴れた日には 畑を耕して汗を流し、雨の日には家の中で
読書をして教養を深める。俗世間から離れ、自然に任せて
のんびり暮らすこと」・・そんな意味のようだ。
フト 我に返って思いついた、今の六兵衛は「晴耕雨読」の
ような暮らしを送ってる・・ みたい?。
だって、晴れた日の午前中には 毎日ではないにしても
裏の畑に出て野菜作りに汗を流し、午後の昼寝をしたあとは
まぁ 雨の日でも 晴れの日でも、とりあえず読書をする・・。
そんな毎日なのだから、やっぱり これって
「晴耕雨読」じゃ ない・・?
・・と、一応は言ってみたけれど、しかし「晴耕雨読」の意味を
よく調べてみると、その後には まだ続きがあった。
『田園に閑居する文人の生活などを云う。』と・・。
「閑居」とは、世俗を逃れて心静かに暮らすこ・・とあり
「文人」とは、学問を修め 文章をよくする人・・とある。
よく考えてみるに、いやいや、 考えるまでもないか・・
六兵衛ごときが、” 世俗を離れて 心静かに暮らしている ”
などと、とても云えたものではない・・。
ましてや 六兵衛の「読書」といえば、単純な時代小説などを
面白可笑しく読んでいるだけであって、” 学問を修め 文章を
よくする ”・・ といった文人などの読書と比べること自体が
いささか恥ずかしく、「雨読」などと とても云えたものではない。
それでも まぁ、むつかしい理屈を抜きにすれば、六兵衛は六兵衛
なりに大雑把で単純な意味での「晴耕雨読」らしき日々を送って
いるようでもあるが、決して人様に自慢出来る「晴耕雨読」では
ない事は、本人が一番 よくわかっている。
そして 戒めるべきは、手前勝手な解釈の「晴耕雨読」の日々を送る
六兵衛自身を、隠居暮らしの ごまかしや言い訳などにしてはいない
か・・と思ったりもするが、当人が そこのところを分かってさえ
いれば、それで まぁ いいか・・と、自分に言い聞かせながらの
日常である。
裏の畑の2番畝と3番畝に、今日「えんどう豆」のタネを植え
「芽」が出るまでは防寒や鳥よけ対策として「寒冷紗」を被せた。
1番畝と4番畝の隅っこには 既に「白菜」が植わっている。
「えんどう豆」を植えた3番畝の隅っこには、わずかながら大根が
すでに植わっていて、4番畝と5番畝には先日「玉ねぎ」を
植えたが、本数が足らなくて、新たにホームセンターで「玉ねぎ」
の苗を100本買ってきて追加で植えたのだが
流石に100本は多すぎたようで、だから 表の畑の小蕪が植わって
いる隙間を探し、残りの苗を植えた。
我が家の 表と裏の小さな畑の全てに、これから来る冬や
その冬の寒さに耐えて 来年の初夏の頃に、収穫ができるはずの
野菜がイッパイである・・。
・・イッパイ といえば、作業が終わって ふとブロック壁を見ると
やや季節外れと思える赤いトンボが、背に太陽の光をイッパイに
浴びて 日光浴か・・。
そして 隣を見ると、小さなクモが トンボの真似をしているのか
これも じっとして動かない・・。
いずれにしても、晩秋か初冬か・・中途半端な季節である・・。
エッちゃんから 六兵衛 宛に手紙が届いた。
六兵衛には勿体ないほどの嬉しい内容であり、懐かしくも 胸が
熱くなるような お便りだった。
エッちゃんと六兵衛とが、小学3年生の頃 以来となる約70年
ぶりに、お互いの現在を知り得ることが出来たのは
六兵衛とエッちゃんとの昔の事など何も知らない長女が
子育てで悩んでいる頃に、エツちゃんの講演会を聴きに行ったり
エッちゃんの書かれた本を購入して読んだりしながら・・と
以後の事は 9月30日の当六兵衛ブログ「『黙婆』を読んだ。」に
書いている。
そして 先日、長女が得意の版画で創った来年のカレンダーを
エッちゃんに お贈りしたようで、それに対するエッちゃんから
長女への礼状の手紙の中に、六兵衛 宛の手紙も入れていてくれた
らしいのだ。
それは まさに 偶然だろう・・エッちゃんの旦那さんの従兄弟さん
が、たまたま「六兵衛ブログ」を見つけられたらしい。
その中に『黙婆』を出版したエッちゃんの事が書かれていた事を
知りエッちゃんに教えてくれたのだと、手紙には書かれていた。
当然 六兵衛の現住所などは、エッちゃんは知らないはずだから
長女宛に送った手紙の中に同封してくれていて、それを長女が
六兵衛に送ってくれたのである。
そして エッちゃんには、拙い文章ながら六兵衛なりに一生懸命
感謝を込め、当時の懐かしい思い出話なども書いて
お礼の手紙を出した。
これまで 想像さえ していなかった 約70年ぶりとなる
エッちゃんとの今回の交流は、長女が云う「ささやかな繋がり
の偶然」によるものであろうし、そして 感謝あるのみである。
昨日、4番畝と5番畝に「玉ねぎ」の苗を植える作業をした後で
3番畝の「小松菜」を収穫した。
そして 今日、もう そろそろ 2番畝と3番畝に「えんどう豆」を
植え付ける準備をしたいと考えているので
晩秋ともいえる今頃まで頑張って「実」を付けてくれていた
「ナス」や「ピーマン」に、心のなかで感謝をしながら引き抜き
耕耘機で耕し直した。
そして、我が家で作った「堆肥」や「ぼかし」、「鶏糞」などを
混ぜ、畝を整えた。
数日 このまま寝かせたあと、「えんどう豆」のタネを撒く
つもりだ。
今日、4番畝と5番畝の一部に「玉ねぎ」の苗を定植した。
4番畝に116ヶ所の穴と、5番畝に21ヶ所の穴を開ける。
「籾殻くん炭」をその穴に少々入れ、「プラグトレイ」で育てて
いた苗を竹べらで取り出し、開けた穴に植えていく。
合計137本(多分・・)の「玉ねぎ」の苗を植え
昨日 作った「稲わら」のチップを「苗」の周りにまいた。
写真に写したけど、植えた「苗」が分かりにくいかも・・。
漫談家の松鶴家千とせさんのセリフじゃぁないが
・・『わっかるかなぁ〜』。
松鶴家千とせさん・・て、わっかるかなぁ〜。
次女の「Instagram」を観ると、アッくんと二人が暮らす
バッファローも 寒くなってきたようだが
六兵衛とつれあいが暮らす「ココ」も、今朝は冬のように寒く
朝の散歩に出たものの 小雨まで降りはじめたので
歩くコースを変えて 近場を10分ほど歩いて帰ってきた。
さて、10月の半ば頃に「さつま芋」を収穫し、その後「堆肥」
や「ぼかし」「牛糞」「鶏糞」「有機石灰」などを撒いて
耕し直し、少し寝かせておいた4番畝と5番畝に
ベランダでタネから育てた「玉ねぎ」の苗を、数日中に植える
予定だ。
その前に 昨日、先日 長女が信楽町で農家をやっている友人に
貰ってきてくれていた「稲わら」を、「押切機」でチップ状に
裁断する作業をした。
「籾がら」や、裁断した「稲わら」を「苗」の根元に撒くと
土が硬くならず、保湿や保温も良くなり、それらが いずれ土に
混ざって 水はけの良い土になるという。
取り敢えず、これで準備は よし!
70歳代も後半の年齢に入った六兵衛である。
50歳代 60歳代と歳を重ねるにつれ、その年齢なりの体力の
衰えを感じては来ていたのだが、70歳代も後半になった 今
特に それまでと違った ”老い” とやらを 感じ始めている。
いつの間にか年月が過ぎ去り、そんな年齢になったのだから
いつまでも若く元気で いられない事くらい分かってはいるし
当然といえば 当然なのだろうが、これが ”老” いというものか・・
との実感である。
六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2013年の秋の頃に「さし絵」として掲載していた159作目のカット絵。
そもそも 若い頃から運動嫌いな六兵衛であったし、その上 身体も
硬かったからだろうか、2回もギックリ腰で腰を痛めている。
今は「膝」に痛みも感じ始めた。
年齢を意識し過ぎて、無理やり自分を「老化」に追い込むつもり
はないが、以前には感じなかった「疲れた感」は、老いた証なの
かもしれないと・・思ったりも するのだ。
そして「老い」は、体力だけに限った事ではなく
記憶力や理解力さえも、徐々に衰えさせているように思う。
六兵衛が初めてパソコンに触れたのは、2000年の秋
まだ50歳代半ばの初孫が産まれる2ヶ月ほど前のことだった。
これまでにも当ブログに 何度も書いてきているが
それから およそ20数年間、パソコンやスマホなどの「IT機器」に
触れてきたはずなのに、未だに六兵衛はパソコン初心者のレベルの
まま、一向に上達する気配はない。
その上に この頃は、「数」が覚えられず すぐ忘れてしまう。
「カタカナ言葉」も覚えられない、何しろ頭に入ってくれない。
パソコンやスマホなどを扱っていると、何かの説明文の中に
カタカナ言葉や数字などが多く出てくるし、ちょっと理屈っぽい
文言などで表現されると、もう お手上げなのである。
その説明の意味を 何とか別のネットで調べようとしても
その説明文が また理屈っぽく ややこしいので、ますます理解
出来なくなってくる・・。
感覚も鈍くなり、尚更 理屈とやらも頭に入って来てくれず
仮に いっとき 何となく 分かったつもりでいても
何日かが過ぎてしまうと もう、肝心な事を忘れてしまっている。
老いた・・と感じてはいても、つれあいと二人で毎朝の散歩で
40分ほどは歩く。
その先にある100段の階段も、ゆっくりとだが 登っている。
「畝」作りなどの畑作業、草むしりや植木の伐採作業など
以前に比べると 長時間の作業は、やはり しんどくなくなってきた
とはいえ、老いたなりのやり方で、まだまだ作業は出来ている。
今年も、今頃の季節になると行う 庭の木々の伸びた枝の伐採作業も
数日をかけて、やっと終わったところだ。