がんばろう!

2023年12月31日。

今年最後の一日は 朝からどんよりとした曇り空。

時々 小雨が降ったりしたが、午後からは少し陽が差したりして

夕方になって、雲の間から太陽が ちょっと顔を出した。

 

今年最後の入り日を西の空に見送って、ひとりだけの年越し・・。

つれあいも病院で ひとりだけの年越し・・。

 

さびしくても、がんばれ!

さびしくても、頑張ろう!

 

「芽」が出たよ〜!

11月の終わり頃、裏の畑に「えんどう豆」のタネを植えたが

植える時期が遅かったためか、なかなか「芽」が出てくれず

やっと「芽」が出始めたと思ったら、蒔いたタネの4/1程度しか

芽吹いてくれない・・。

小さな「芽」が疎ら状態では 寂しい・・。

 

このままでは来年の「えんどう豆」の収穫は 出来そうにない。

だから、年末の寒い時期になってしまったが 数日前に

新たに「えんどう豆」のタネを買ってきて、30個ばかりを

濡れたキッチンペーパーに浸し、暖房の効いたリビングに置き

「根」が出るのを待った。

3日ほどして、タネに白い舌のような「根」が出始めてきた。

ほとんどのタネに「根」が出てきたので、ポットに育苗の土を入れ

「根」の出たタネを15個のポットに2個ずつ植えた。

それが昨日の作業だった。

そして今日、淡い緑色の可愛い「芽」が、まだ 1ヶ所だが芽吹いていた。

 

かぁさーん!

「芽」が出たよ〜。

 

エアコン クリーニング

今日は孫娘が つれあいの面会に行ってくれた。

つれあいの病室はクリーンルームだから、面会者は側まで行く事は

出来ず、透明ビニールのカーテン越しに会話をすることになる。

不便な面会だが 仕方がない・・。

 

1週間ほど前に、つれあいの寝室とリビングで使っているの

エアコンの掃除を専門家に頼んでいて、今日 来てくれた。

2台のエアコン掃除で 約4時間。

 

きれいになったはずで、これで つれあいが いつ退院しても

綺麗な空気の部屋で過ごしてもらえる・・。

 

はやく 帰ってコ!

 

さて、今日は・・

朝 6時30分に起きられるよう、念のためスマホの目覚ましを

設定しているが、いつものように ベルが鳴る前に起きる。

古い本箱で作った簡易神棚の水を替える。

簡単な柔軟体操を兼ねた「笠智衆 体操」で、固くなっている

老いた身体を、少し 柔らかくしたつもりのあと、着替える。

 

誰も居ない居間に入り・・台所に立つ。

つれあいが入院する前に教えてくれていたとおり

まず ヤカンに水を入れ、取り敢えず 湯を沸かす。

沸いたら卓上ポットに入れるのだが その前に

今日の飲み水を入れる携帯ポットに、昨日の卓上ポットの残りの

湯冷ましを入れ、卓上ポットを空にしておく。

湯が沸いたら、空になった卓上ポットに沸いた湯を入れる。

残った熱い湯は、昨日の湯冷ましを入れた携帯ポットに

適度に混ぜて入れ、今日の飲み水とする。

 

 

そのあとは・・さて、今日 する事は・・

つれあいの洗濯物も今日はないし、10時頃に朝昼兼用の食事を

摂るくらいで、つれあいの面会に病院へ行く午後2時すぎまでは

特に することもない・・。

こんな時は つい、ひとりである事を考えてしまう・・。

 

することがない・・などと云うが、部屋の掃除など その気さえ

あれば する事は沢山あるのだし、第一 ひとりだから寂しいなどと

甘えた事を考える前に、何かをやりながら気を紛らわせればいい

ものを、ものぐさゆえか 矛盾していると自分でも・・思う。

 

 

でも 昨日は、つれあいに頼まれていた台所のレンジフードの

掃除やタイル面の汚れを落とす作業をした。

そうやって作業中は、寂しさを感じる事もなく過ごせるのに

どうにも ものぐさな六兵衛は、出来るだけ動こうとは しない。

 

やまもも

高田 郁さんが書かれた文庫本『あい、永遠に在り』を読んだ。

つれあいが入院中ゆえか、一人での読書は、何かが足りない

・・そんな想いの中での文庫本ではあったが・・。

 

上総(かずさ・現 千葉県)の貧しい農村に生まれた ”あい” は

18歳の時 ひとりの男と結ばれる。

男の名は 関 寛斎 。

苦労の末に医師となった寛斎は、立身出世には目もくれず

患者の為に医療の堤となって生きたいと願う。

”あい” はそんな夫を誰よりも よく理解し、寄り添い、支え抜く。

やがて老いてから二人は、 一大決心をし、北海道開拓の道へと

踏み出して行く・・。

幕末から明治へと激動の厳しい時代を生きてきた、実在した夫婦

の物語だ。

 

この物語では、「山桃(ヤマモモ)」の木が 大きな存在として

登場している。

主人公の”あい”が子供の頃には、家のそばに植わっていた

山桃の木に触れながら 願い事をした・・。

のちに 結婚をすることになる夫・寛斎を初めて見たのも

その「山桃」の木のそばだったし

家庭を持ってからも、二人の思い出の「山桃」の木を庭に植えた。

 

第3章、201ページに・・

『「ほう」。

夜遅く、疲れた顔で城より戻った寛斎は、膳の上のものを

認めて軽く目を見張った。

笊に盛った山桃の実に、小皿の塩が添えてある。

盃には冷えた酒。

「親父殿が好きな呑み方だな」寛斎は呟いて、

山桃の実に塩をちょいちょい、と付けて口に運んだ。』

・・とある。

 

六兵衛がフーテンもどきをしていた二十歳前後の若い頃

今 思えば、ちょっとした気まぐれで申し訳なかったと思うが

母方の祖母が農作業をしながら一人暮らしをいていたので

畑仕事を手伝いながら、わずか一ヶ月たらずの短い期間だったが

婆と孫との二人暮らしをした事があった。

 

そんな祖母の山には「山桃」の木が植わっていて

6月の初夏の頃になると、婆さんながら器用に木に登り

熟れた実を取って食べさせてくれたりした。

赤黒く熟れた実に、塩をまぶして5、6個を一度に口に放り

噛んで甘みがなくなれば、口の中に残ったタネを「ぺっ!」と

吐き出すのだ。

 

しかし、しかし・・

「山桃」の木は ” はそい ” (おれやすい)  から 気をつけて登れと

祖母は何度も云っていたのに、そう云っていた祖母自身が

年老いてから山桃の木に登り、実を取ろうとして枝が折れ

落下し、足腰を強く打ち 入院をする羽目になってしまった。

結局 祖母は、それから寝たきりになり、数年後には亡くなった。

 

この高田 郁さんの文庫本『あい、永遠に在り』を読んで

「山桃」の木が登場し、六兵衛には とても懐かしく

その「実」の食べ方も同じだったので

つい嬉しくなって、まとまりのないまま

日記に書いてしまった・・。

 

散髪

いつもなら 電気バリカンを使って、つれあいが六兵衛の

伸びてきた丸刈り頭を、短くカットしてくれるのだが・・。

 

当ブログの2021年4月3日の日記『散髪』に

日頃の散髪の様子を書いている・・。

『 つれあいが、我が家の居間で電気バリカンを使って
散髪をしてくれるのだ。
切り取った髪が服に付かないようにパンツ一丁になり
『お願いします』と云って木製の丸椅子に座り
つれあいの前に頭を委ねる・・。
ブーンと電気バリカンが唸り始めると、バサっと5,6cm
ほどに切られた白い髪が、六兵衛の膝の上に落ちてくる・・。

まぁ そんな具合に、つれあいが散髪をしてくれる・・。
その散髪用の電気バリカンやハサミや櫛、カミソリなど諸々の
道具は、以前 六兵衛の両親が使っていた物で
その両親も すでにない・・。』

 

しかし、つれあいは今 病院にいる・・。

だいぶ伸びてきて鬱陶しくなった六兵衛の丸刈り頭のカットを

つれあいには頼めないのだ・・。

 

だから、十数年ぶりに近所の床屋さんへ行って 散髪をして

もらってきた。

久しぶりに顔を剃ってもらう時は、いささか緊張したが

仕上がったら さっぱりした。

 

初体験

つれあいが以前 友達から、小型の「かぼちゃ」を貰っていた。

つれあいが入院する前に、その「かぼちゃ」の煮る方法を教えて

くれていたはずなのだが、今夜 作ろうとしたら、何をどうする

のだったか 忘れてしまっていた。

仕方ないから、ネットで「かぼちゃ」の煮方を調べたら

サイトによって様々な煮方があるらしい。

だから、最も簡単そうなやり方で煮ることにした。

 

小型の「かぼちゃ」だから割と切りやすい。

4分の一ほどの大きさに切り タネを取り出し、電子レンジで

3分ほどチンした後、食べやすい適当な大きさに切りナベに入れ

「水」と「砂糖」、「醤油」と「ミリン」を入れた。

 

とりあえず10分ほど煮込んだ後、箸で突っつくと

それなりに柔らかく出来ているが、「醤油」が強く臭う・・。

「醤油」を入れすぎたのだろうか・・。

 

この 初めての経験である「かぼちゃ煮」造りを、ブログに書こう

としていたとき、つれあいが云っていた言葉を思い出した。

「油揚げ」も入れてね・・と。

そうだった、そうだった。

さて、「油揚げ」は 何処にあると言ってたっけ?

・・・・・

見つけた!

冷凍庫の中に入っていた。

 

とにかく 今夜は、「油揚げ」を「かぼちゃ煮」のナベの中に入れて

おいて、後は明日 明日・・。

 

『あれ?』・・

「かぼちゃ」を切っている時 飛んだ「タネ」だろう・・

冷蔵庫の前まで飛んでいたのに、気づかなかった・・。

 

おやすみ・・。

 

味気なかろう・・

隣に住む義弟のつれあいが、今  一人暮らしの六兵衛を不安に

思ってくれて、 何かと声をかけてくれる。

今日も「釜揚げしらす」と「即席みそ汁」を持ってきてくれた。

「しらす」は大好物である。

早速 夕飯の一品に決め、「大根おろし」を添えるために

裏の畑へ行って、1本 大根を引き抜いてきた。

さほど長さはないが、大きさは そこそこである。

 

大根の「葉」は 細かく切り塩を入れ、「塩こんぶ」も少し入れて

よく揉んだ。

漬物代わりには最高である・・と、気持ちだけはあるのだが

数日前にも「カブ」の葉を塩もみして食べたら、塩を入れすぎた

ようで、えらく辛かった。

だから今回は、塩は控えめにした。

 

これで、つれあいが作り置きしてくれている「おでん」と

「しらす」と「大根の葉の塩もみ」、今日の夕食である。

 

・・とは云っても、一人のめしは どうにも味気ない・・。

つれあいも病室で、一人 めしを食ってる・・やっぱり

味気なかろうよ・・。

 

「幸運の前兆」なら・・

今日は朝から曇り空で、お昼前 頃から雨が降り始めた。

入院中の つれあいへの面会には車で行こうと考えていたら

病院へ行く頃になると、雨も止んできたので歩いて行った。

 

つれあいは 頑張っている。

 

病院からの帰り、吹田の万博記念公園の観覧車のある西南の方角

を見ると、厚い雲間から かすかだが、光線が放射状に地上に

降り注いで見える。

そんな光線を、俗に「天使の梯子(はしご)」とか言って

幸運の前兆だと云われているらしい・・。

 

・・なら なら、「幸運の前兆」を つれあいに届けてくれ!

 

 

祈る・・

初めての事で慣れないものだから、入院に必要な衣類や身の回り

の物など 直ぐには分からず、持って行ったり 持って帰ったりと

しばらくは あれこれ迷いながら、洗濯物や身の回りの物などを

リュックに背負って散歩がてら、つれあいに会いに病院へ行く。

片道 約30分、出来るだけ歩いて行くようにしている。

 

入院病棟へ行く途中に、小さな神社があった。

「阿武山神社」と掲示板に書いてある。

本来は 無信心者の六兵衛なのだが、神社を見つけ つい

手を合わせ、つれあいの病気平癒を 願った。

 

掲示板によると、今の「日本赤十字病院」という名前になる前の

昭和16年の病院設立当時は「阿武野勝景園」という病院名で

この神社は その頃に、患者さんや職員の方々の守り神として建立

されたという。

 

お社には、太陽・光・慈愛・真実・秩序などを象徴する最も尊い

神様とされる「天照大神(アマテラスオオミカミ)」

因幡の白兎を助けた心優しき神様で、医療・病気平癒の神様の

「大国主神(オオクニヌシノカミ)」

国造りの神であり・医療・温泉・まじない などの多様な性質を

持つ「少名彦神(スクナビコノカミ)」の 三人の神様をお祀り

しているという。

 

何卒 よろしく お願いします・・。