待合室横の中庭

3月25日(月曜日)

つれあいの退院後の点滴治療のために日赤病院へ行く。

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つれあいが点滴治療を受けている間、待合室で待つ。

待合室の横には、四隅を建物や通路に囲まれた中庭がある。

そこには3本の古い桜木が植わっている。

その桜木の蕾は雨に濡れて、しかし まだ硬い。

今日は 生憎の雨なのだ。

 

桜木の廻りには「ヤツデ」や「山グミ」などが植わっている。

「ヤツデ」・・と云う名前だから、手の指を広げたような葉が

8枚に分かれているのだろうと、浅はかにも思っていたのだが

実際の葉は、7枚とか9枚とかに分かれているものばかり。

8枚に分かれているのは見当たらない。

家に帰って その事を調べてみた。

「若葉のときは卵型をしていて、次に3枚に分かれ

次第に分かれる数を増して、7・9・11と奇数に裂けて

分かれる」・・とあった。

そうか、もしかしたら「ヤツデ」の名前の由来は

9枚に分かれた葉の「裂け目」の数だったのか・・。

9枚の葉の裂け目は8つになる・・

 

 

3月26日(火曜日)・・今日も雨。

つれあいの点滴治療、今日は6日目。

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3月27日(水曜日)。

昨日までとは うってかわって、今日は青空、春・・暖かい。

点滴治療の7日目。

とりあえず 今月の点滴治療は 今日で終わり・・。

 

ヒヨドリ?.jpg

待合室横の桜木に、「ヒヨドリ」が飛んできた。

花の蜜でも吸いに来たのか・・辺りをキョロ キョロと見廻して

『・・なんだ、まだ 花は咲いてねぇのか・・』・・とでも

云いたそう。

 

 

小さな若葉が・・

水を入れた小瓶に挿した「小枝」から、かわいい薄緑の若葉が

2枚、3枚と芽吹いてきた。

キウイの水差し.jpg

 

当ブログの2024年3月13日の日記『春が来た・・』に書いた

ように、裏の畑に3本目となるメスの「キウイ」を植えた。

新しく植えたキウイ.jpg

 

https://arukuneru.com/2024/03/13/post-10687/

どうやら つれあいが、買ってきたメスの「キウイ」を

畑に植える前に、切り取った小枝を小瓶に挿していたらしい。

その小枝に 健気にも「芽」が出て、つれあいと六兵衛を

楽しませてくれている・・。

 

『CleanMyMac X』の契約更新?

我が家の主パソコンたる「MacBook Air」には

不要なファイルやウイルスなどを削除して、Mac内を整理し

高速化するためのクリーンアップ ソフト『CleanMyMac X』と

契約をしている。

マーク.jpg

 

1年ごとの契約で、今回 契約が切れるはずの2月には

更新を済ませたばかり。

いや・・済ませた つもり  なのだが・・しかし

指示.jpg

Macのクリーンアップのために「CleanMy Mac X」を開く度に

その画面に「サブスクリプションを更新」の指示が

出てくるのだ。

更新は済ませたばかりなのに、なぜ いつまでも

「サブスクリプションを更新」の指示が出てくるのだろう。

「CleanMy Mac X」の「登録の管理」画面を出して

六兵衛の契約がどうなっているのか調べてみた・・。

登録の管理.jpg

 

六兵衛の「CleanMyMac X」の契約状況を見てみる。

失敗?.jpg

『決済に失敗しました。』と書いてある。

しかし その下には、『有効期限は残り352日です。』とも

書いている。

今から1年の有効期限という事だろう。

決済の失敗・・と書いていながら、今後の1年間の更新は

出来ている・・という。

はてさて、六兵衛の受け取り方が おかしいのか

どうにも 先方の言いたい意味がよく分からないけど

どうやら今後1年間の契約は終わっているのだろうと

そう受取ることにした。

今後、クリーンアップをしようと「CleanMyMac X」を開く度に

「サブスクリプションを更新」との派手な黄色文字の文言を

見るのは いささか煩わしいなぁ・・と思う 六兵衛である。

 

 

春が来た・・その2

少しずつ、少しずつ、春の気配が近づいて来て

我が家の小さな畑でも、春の野菜作りの準備が始まっている。

数日前にホームセンターで買っていた「ジャガイモ」のタネ芋を

今日 つれあいと二人で裏の畑に植えた。

3番畝の東側の一部と4番畝の これも東側の一部・・そして

1番畝の東側「アスパラガス」の手前の一部の

3ヶ所に分けて植えた。

 

・・その 1番畝の「ジャガイモ」のタネ芋を植えた手前に

「小蕪」のタネが余っていたので 蒔いた。

 

先日 植えた 表の畑も合わせて、あれこれ 小分けして植えたので

何処に何を植えたのか・・忘れてしまいそうだが

「芽」が出て 葉も茂ってくれば、自然と分かると思う・・。

 

 

春が来た・・

2020年の秋、裏の土地を開墾して畑を作り始めたとき

畑となる周りに、実のなる木などを 追々に植えてきた。

元々 表の庭に植わっていた「スモモ」の木を裏の畑の隅に

移殖したり、「ブルーベリー」の苗木を数本買ってきて植えた。

オスとメスの「キウイ」を2本購入して植えたりもした。

しかし その「キウイ」のメスの方が、2022年の春には

芽が出ないまま枯れてしまい、新しいメスの「キウイ」を

新たに買ってきて植え直していたのだが

ところが この春(2024年)、オスの「キウイ」は まだ硬い

けれど力強い「芽」が出始めているのに、メスの「キウイ」は

蕾らしきものもなく、一向に「芽」の出る気配がない。

どうやら 今度もまたメスの「キウイ」は、枯れてしまったのか。

だから枯れたかもしれないメスの「キウイ」の 枝を小さく切って

その切り口(断面)を見ると、やはり枯れているように見える。

それでも念の為、様子を見ることにして、新しいメスの「キウイ」

を、再々度 買ってきて、今度は 少し離れた場所に植えた。

わずかの間に、これで3本目のメスの「キウイ」を植えた

事になる。

 

 

昨年の夏頃までの 畑の草や木々の枝葉をブルーシートで

カバーした堆肥箱に集めて「堆肥」を作っていたのを取り出した。

想像していた通り、今年もやはり「コガネムシ」の幼虫が

数え切れないほどに見つかった。

成虫の「コガネムシ」は一見かわゆいが、その幼虫は「根くい虫」

とも云われれる 野菜などの根を食べてしまう害虫なのだ。

このコガネムシの幼虫のことは、2023年1月16日 の当ブログ

『堆肥つくり』にも書いている。

 

それでも、「土ふるい」で幼虫や小石や枝などを取り除き

とりあえず出来上がった「堆肥」は6袋。

今後の土作りに役に立つ。

 

・・そんな 出来上がった「堆肥」とか、知人から貰った「稲わら」

その他 諸々の「道具」を入れている物置の前に立て掛けている

作業用の一輪車(ネコ)に、動物の物らしい足跡が付いているのを

見つけた。

 

我が家の裏の土地には、以前から猿やアライグマなど

思い掛けない動物が餌を求めて やって来ては いた。

その足跡をGoogleの画像検索で調べて見たが・・

はて さて これは、何の動物の足跡だろうか・・・・

やっぱり無能な六兵衛には、動物を確定することは

出来そうにない・・。

 

スナップエンドウ・・だって?!

昨日は、1番畝を耕し「ジャガイモ」を植えるための準備を

したが、少し時間があったので、となりの2番畝と3番畝に

植えている「えんどう豆」のためのネット張りをした。

 

今日は その続きで、冬の間に伸び放題になっていた

「えんどう豆」の苗のまわりの草を引き抜く作業をした。

 

 

今日 つれあいに言われて初めて気がついたのだが

2番畝と3番畝に植えている「えんどう豆」の半分ほどは

どうやら「スナップエンドウ」が混ざっている・・らしい。

 

昨秋にタネを植えた「エンドウ豆」なのだが

思うように「芽」が出てくれないものだから

昨年の暮頃に、新たにホームセンターで「タネ」を購入して

「芽」が出ていない場所に植え直したものだが

今日 つれあいが、その残った「タネの袋」を見て

『これは スナップエンドウよ・・』と言われ

間違いらしい・・と気がついた六兵衛である。

ただ それまで、「えんどう豆」と「スナップエンドウ」との

違いを知らなかった六兵衛だったのである・・。

初夏になって、収穫する頃には「えんどう豆」と

「スナップエンドウ」とが・・実るのか・・。

 

昨日、「白菜」を収穫した時に捨てた白菜の「外葉」と

今日 引き抜いた「草」などは、いずれ堆肥箱に入れて

来年には「堆肥」として、また 土に返ってもらう予定だ。

 

 

「ジャガイモ」の畝つくり

そろそろ春の野菜作りの季節だ・・。

この春 最初の畑作業は、裏の畑の1番畝に「ジャガイモ」を

植える作業だ。

昨日 その「種芋」をホームセンターで購入してきた。

 

現在 裏の畑の1番畝には「白菜」を育てていて

すでに その半分ほどの収穫は済んでいるのだが

まだ12株ほどが残っている。

 

今年の「白菜」の出来具合といえば、何しろ素人作業だし

第一 農薬などは使いたくないものだから、外葉は 結構 虫に

食われていて 見栄えは悪かったのだが、何枚かの外葉を外せば

結球している内葉は、それなりに出来上がっていた。

 

「白菜」の全てを収穫したあと、草を抜き、耕耘機を出してきて

畝を耕し、我が家で作った「堆肥」と「ぼかし」を混ぜ

畝を作った。

これで数日 寝かせたら、「種芋」を植えていくつもりだ。

 

「畝作り作業」終了の後、少し時間があったので

その横の2番畝と3番畝の、秋の間にタネをまき 芽が出て

ひと冬を越した「えんどう豆」が、だいぶ成長してきたので

枝葉を伸ばすための「ネット張り」や「草取り作業」を

することにしたのだが、途中で昼が近くなったので

今日の作業は終わることにした・・。


六兵衛が畑作業にかかれる時間は、午前中の3時間ばかりが

体力的に限度なのである。

 

あれの充電は したっけ?

「ガジェット」とか「デバイス」などと 云うのか・・

ちょっと堅苦しく云えば「情報通信機器」とでも云うような機器を

時代の進歩についていけない六兵衛でも、それなりに持っている。

 

まずは「スマホ」、そして 電話の契約を破棄してSNSだけしか

使わなくなった「旧 スマホ」、パソコンの補助的役割の「iPad」

散歩の時に「スマホ」に刺して使用する「ワイヤレス イヤホン」

時間と歩数などを知るための「スマート ウォッチ」等々。

 

しかし それらは常に、“ 充電残量 ” を気にしながらの使用となる。

その充電作業も「ガジェット」によって 1日毎とか2日毎とか

5~6日に一度とかで済む場合もある。

 

今では もう これらの「ガジェット」なしでは、日々の暮らしは

考えられないのだが、しかし  “ 充電残量 ” を毎日のように

気にしながらでは、案外「ガジェット」に遊ばされているようにも

思えたりする六兵衛である・・。

 

但し パソコンの「MacBook」は、居間のテーブルの上での作業

ばかりだから、それが「MacBook」の電源のために良いことか

悪いことかなどは 分からないまま、常に電源コードを差し込んで

使っているので、充電を気にする必要はないのだが・・。

 

 

夢は今も巡りて 忘れがたき故郷・・

最後の清流といわれて久しい四万十川が、四国西部の山間いを

蛇行しながら流れる その、四万十川中流域の津野川集落で

愛媛県 滑床(なめとこ)渓谷方面から流れてきた目黒川が

四万十川に合流している。

その合流する目黒川に沿って、県道8号線を10kmほど上流に

進んだ辺りに、小さな小さな集落がある。

 

歳を重ね、日々に老いを感じ始めたからなのか

それとも 元々、後ろを振り返りたがる性格だからか

過ぎ去った 遠い遠い昔を、事あるごとに・・いや、事が無くても

懐かしく思い出す六兵衛である。

 

その集落は、遠い遠い昔の 六兵衛が まだ子供の頃の

小学校4年生・5年生・6年生の3年間を過ごさせてもらった

思い出深い山河の地である。

六兵衛が60歳を いくつか過ぎた頃に、その小さな集落の

最後の見納めになるだろうとの想いから、四万十市の実家に

墓参のために帰省した折に、車で少し足を伸ばし

つれあいと二人で その集落の山河を訪れた。

それも もう、20数年も前のことになってしまった・・。

 

六兵衛が暮らしていた昭和30年代の始めの頃

県道8号線の集落の中心部あたりのバス停から

切り開いた小高い山の上に上ると、その小さな小学校はあった。

当時は、職員室と教室を合わせても4室だけの平屋の木造校舎で

運動場も小さく狭かったが、それは 終戦後すぐの頃に

この村の青年団の若者たちが、これからは学校教育が大切だとの

強い思いから、休日を返上して4年間もの長きにわたって

力を合わせ山を切り開き、校地造成の努力をされた結果なのだと

教えてもらったことがある。

 

3つの教室は1・2年生、3・4年生、5・6年生が

それぞれ 1つのクラスで勉強をする複式学級で

全校生徒は50人足らず、先生は校長先生を入れて4人の

小さな小学校だった。

秋になると小学校の運動会が小さな校庭で行われたが

それは校区内の村人総出の お祭りでもあった。

夏は目黒川がプール代わりで、岩の上から飛び込んだり

魚を捕ったりして、真っ黒になって遊んだものだ。

六兵衛が卒業した数年後には、時代の変化と共に狭かった校庭を

少し広げて「僻地集会所」を併設し、給食も始まり

平屋だった校舎の一部が2階建となり、プールも出来たという。

 

そして六兵衛の卒業から25年後の昭和59年

新たに大きく山を切り開き、老朽化した旧校舎を見下ろす

高台に12の教室と体育館やプールもある立派な新校舎が

建設され、翌年には 小さい学校ながら開校百年という節目を

迎え、『百年誌』を出版して 「開校百年祭」を祝ったという。

 

                     Googl地図 参照〉

白色点線:昭和59年に新しく出来た校舎とグラウンドとプールの学校全景
     (残念ながら現在は 休校になってしまった・・
黄色点線:昭和30年代の六兵衛が通っていた頃の小学校の校舎とグラウンド
青色点線:その当時の木造校舎部分
桃色点線:六兵衛家族が暮らしていた住宅

 

しかし それでも結局、児童数の減少が続き

平成23年度(2011年度)の卒業を最後に休校となり

今では10数キロ離れた​​江川崎にある小学校に統合され

子供達はバスで通学しているという。

 

六兵衛の第2の故郷ともいえる山河は 遥かに遠く

しかし いつになっても懐かしく、想いは消える事はない・・。

『♬ 追いし かの山  小鮒  釣りし かの川 夢は今も巡りて 

忘れがたき故郷・・』

まさに小学唱歌『故郷』の歌詞 そのままである・・。