市兵衛さん!

 六兵衛自身にも説明はむつかしいのだが、歳を重ねるごとに 興味を持って読みたいと思う文庫本が 少なくなってきた・・。
極端な言い方をすれば、今は 市兵衛さんの小説しか読む気がしないのである。
小説『風の市兵衛』シリーズの作者は辻堂魁さん。

 2010年に祥伝社文庫から第1巻の「風の市兵衛」が出版され、 第20巻の「架け橋」まで(物語としては18話の物語)が最初のシリーズで、第21巻の「暁天の志」から 少し設定が変わって『風の市兵衛 弐』のシリーズが始まっている。
現在は第35巻の「みこころ」まで出版されている。

 2025年10月10日に発売になったばかりの第35巻「みこころ」は、中古本専門の六兵衛としては、 まだまだ安くはならないので 未購入なのである。
それまでの、すでに既読の第1巻から第32巻までの『風の市兵衛』は、寝室横の再読のための本棚に並べていて、第33巻の『うつ蝉』と第34巻の『蝦夷の侍』は、まだ未読のまま(簡単に読むのが勿体なくて・・)未読用の本棚で 毎日のように六兵衛の熱い視線を浴びながら、六兵衛が手に取ってくれるのを待っている。


 そんな六兵衛だから、数日前から 再度・・いや3度目だったか、もしかしたら4度目になるかも・・それにしても、
再読用の本棚から市兵衛さんを取り出して、第1巻目から順番に読み始めている。

 残り数日となった年末と、新しく迎える新年での六兵衛は、つれあいと市兵衛さんと一緒に過ごそう・・。

『字下げ』・・

 文章の その内容の一区切りとなる「段落」の後は、行を変えた上に『字下げ』という「文頭の一文字分を空ける」形をとることが多いという。 六兵衛が何気に読んでいる娯楽時代小説の文章なども「段落」の後は、行を変えた上に『字下げ』という「文頭の一文字分を空ける」文体となっている。

 文章を書く場合、最初の一文字分を空けるというやり方は、以前から 何となく知ってはいたのだが、大して問題にしようとも思わないままブログ日記を書いてきた。 ところが六兵衛は 何を思ったか、今年の10月の初め頃から我がブログ日記の文章に、この「文頭の一文字を分空ける」という『字下げ』の方法を取り入れ始めたのだ。

 ところが・・である。 それからの日記を振り返って見てみれば、『字下げ』をしているブログ日記も あるにはあるが、なかに「文頭は一文字を分空ける」との そんな考えなど忘れたかのように、『字下げ』をしないままの文章もあったりして・・。

所詮 六兵衛のする事など、この程度の 単なる思い付き なのである・・。

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 蛇足ながら・・​​文章の「段落(パラグラフ)」とは、意味や内容が一つのまとまりになった文章の区切り(ブロック)のこと。文頭の一文字を空ける事を字下げ(じさげ)やインデントといいます。 これは主に、文章の段落の始まりを示すための一般的な表記規則です。小説や記事などで、新しい話題や視点の変化を示すために用いられます。

 

夕日と朝日

2025年12月16日(火曜日)夕方 4時39分。
つれあいが 今月受けていた7日間の点滴治療を終えて 病院の外に出ると、西に沈む夕日が 眩しかった。

 

2025年12月18日(木曜日)早朝 7時03分。
我が家のベランダ越しに見る生駒山系の山並みに昇る朝日が、異様に燃えていた。

 

池に波紋が・・

 いつものように 朝食後の歯を磨きながら、ベランダ越しに農業用ため池を眺めていたら、さほど風も強くないのに 波紋が・・。

 視線を左に移すと、水鳥が2羽 盛んに水中の水草を啄んでいた。

 そもそも 10月の終わりの頃に、池の全部の水を抜く作業をしていた。

池の水抜き

 だから 水を抜いて、長い間の池の底に溜まっているゴミや泥の掃除でもするのかと思っていたのだが、何かの作業をした様子もないまま、いつの間にか再び水を入れ始めた。

 とにかく一度は水を抜いたという意味が、六兵衛ごときに分かるはずもない。
そして 穏やかに水を満たした農業用ため池に、冬になり渡り鳥がやってきて、来年の春頃まで、餌を啄む姿が眺められる。

 

ドングリの木

 裏の畑の片隅に、それなりに大きな木が植わっている。
多分 「ドングリ」の木だろうと思ってはいたのだが、今年 初めて「実」がなって、やっぱり「ドングリ」の木だったと分かった。

 あれ?はて、「ドングリ」って落葉樹だっけ? 常緑樹だっけ?
我が家の「ドングリ」は、秋になっても葉を落とさへんけど・・。

 ネットで調べてみると、「ドングリ」の木にも数多くの種類があって、その上、落葉樹もあれば常緑樹もあるのだという。
そして 葉っぱなどで調べてみると、我が家の「ドングリ」は、常緑樹の「シラカシ」という名前の種類らしい。

 秋も深くなり、「ドングリの実」が 下の畑の1番畝や2番畝に、コロコロと落ちてくる。
芽が出たばかりの「ニンニク」の畝や、「玉ねぎ」の苗の畝に落ちてくる。

 『♫ ドングリ ころころ どんぶりこ
おいけにはまって さあたいへん

ドジョウがでてきて こんにちは
ぼっちゃん いっしょに あそびましょ』

 畑にドジョウはおらへんけど、ニンニクや玉ねぎの苗が、落ちてきたドングリに『遊ぼう!』って云ってるんかも・・。

マルジナリア

 誰かが書いた本を読む。
あらゆる本には 上下左右に余白がある。
そして その余白に、ノート代わりの書き込みをする。
そんな、本に直に書き込みをする行為を「マルジナリア」という・・らしい。

 本を読むという事は、知らなかったことを教えられたり、なにかを連想したり、別の考えが浮かんだり、泣いたり笑ったりドキドキしたり・・等々を得たりする。
ましてや 他人の書いた本ゆえに、時として分かりづらい内容や表現などがあった時など、読み手の馴染みある言葉に言い換えて置いたりする・・。

 そして その本に書き込まれた「マルジナリア」は、その本が存在し続ける限り残り、そして後になって、書いた当人が見直す事があったり、また 別の誰かの目に触れた時でも、その誰かの参考になる事があるかもしれない。

 六兵衛が夜 寝ながら、子守唄代わりに聴く「ポットキャスト」から流れてきた「マルジナリア」という言葉。
聞き慣れない言葉だし、一度では覚えられそうもないカタカタ言葉だったから、側に置いていた「iPhone」にメモし、翌日 その意味を調べてみたら、上に書いたような意味だと分かったのである。

 但し・・である。
六兵衛が読む文庫本は、すべてが気楽に読める娯楽時代小説ゆえに、六兵衛自身が「マルジナリア」をする必要もないし、中古本で購入した小説にも「マルジナリア」らしきメモ書きなどは ほとんどない。
ただ これまで、本屋のレシートとかコンサート入場券のレシート、食堂の引換券などが、栞 代わりに使われていたくらい・・なのである。