黙(しじま)・介錯人 別所龍玄始末より・・

六兵衛の大好きな「風の市兵衛シリーズ」の作者・辻堂魁さんが、光文社文庫から出版されている時代小説『黙(しじま)・介錯人 別所龍玄始末』(光文社 刊)を読み始めた。
牢屋敷の首打役と刀の試し斬り御用、そして武家からの依頼を受け 切腹の介錯を務めるなどを生業とする浪人、別所龍玄 22歳。
凄腕の首斬人を描く「介錯人 別所龍玄始末シリーズ」3作目になる。

これまでにも 何度か六兵衛は、「江戸古地図」を取り出し、登場人物が歩いた道を辿ったりしているが、今回も まだ幼い龍玄と父親が歩いた道を辿ってみた。

読み始めてすぐの9ページ~10ページあたり、主人公の龍玄が まだ七歳の幼き頃、当時は 目的もその理由も知らず、父・勝吉の大きな背中に遅れまいと歩いた道が 蘇る場面がある・・。
それは
、牢屋敷で首を打った僧侶の末期の声を聞いた龍玄に、幼い頃 父親と訪ねた母子の店のことを思いださせた・・。

『7歳の頃の龍玄に、「すずろ歩きによい天気だ。龍玄、出かけるぞ。おいで」と、父親の勝吉が声をかけ、どこに行くのかも知らぬままに龍玄は、父親の背中を見ながらついていく・・』 そんなくだりから・・。

『勝吉と龍玄は、講安寺門前の小路を無縁坂に出た。無縁坂から、秋色の濃い不忍池が、坂下の茅町の家並の向こうに見下ろせた。池中に浮かぶ弁財天の赤い屋根が、昼下がりの陽射しに照らされて映え、寛永寺の甍を覆う御山の樹林にも、紅葉や黄葉の艷やかな色づきが始まっていた。
無縁坂を茅町へくだり、茅町の往来を南の切通町へ曲がった。
勝吉は、苔色の小袖と朽木縞の半袴を着け、紺足袋に草履の歩みはゆるやかだった。
一歩ごとの踏み出しのたび、懐手をした苔色の袖がひらひらとそよぎ、腰に帯びたごつい黒鞘の大小がわずかに上下し、壁のように大きな背中と広い肩が、のどかな晩秋の風を切っていた。』
略)
『もっとも、勝吉の歩みはゆるやかながら、歩幅はとても大きく、七歳の龍玄は懸命について行かなければならなかった。
勝吉はとき折り龍玄へ見かえり、龍玄が息をはずませてちゃんとついてきているのかを確かめると、いたか、と目を細めて頷いて見せるけれど、倅の歩みに合わせる気遣いはしなかった。
龍玄は、物心がつき始めたころから父親とはそうしてものだと思っていたから、ゆくあてを承知しているかのように、切通町、湯島天神下同朋町とすぎて行く、あの日の勝吉の背中を訝しく感じなかった。
ところが、小普請手代の組屋敷地の往来をとって、妻恋坂下の町家の角を妻恋町のほうへ折れたときは、なんだ、と少しがったりした。界隈の武家屋敷の組合辻番の前を通って妻恋坂を上がれば、二年前まで住んでいた妻恋町だった。』
略)
『妻恋坂中腹の右手に、三十段ほどの高い石段を上がる妻恋稲荷がある。その手前より、稲荷の石垣沿いに妻恋坂から分かれる路地のような立爪坂が、三組町の御駕籠町へ上がっていた。芥坂(ごみざか)とも呼ばれていて、坂の崖下が芥捨て場になっていた。勝吉は妻恋坂の途中を芥坂へ折れるとき、龍玄ではなく坂の上を見やり、呟くような口ぶりで言った。
「ここだ」』
略)

赤丸部分の「湯島」辺りを拡大した「江戸古地図」で見る。
主人公の龍玄が まだ七歳の幼き頃、当時は その理由も知らず、父・勝吉の大きな背中を追いかけながら歩いた道が よみがえる・・。