新バージョン「macOS Sonoma 14.0」

毎年 毎年 秋の今頃になると、我がマシーン「MacBook Air」の

macOSバージョンが新しくなる。

今年も昨日、​​​​Dockの「システム設定」の歯車のマークの右上に

があるのに気付いたのでクリックすると、新しいバージョン

アップの案内であった。

 

これまでの六兵衛なら、新しいバージョンアップをする場合

よく分からないくせに 一応は、ネットで新バージョンの評判を調べ

念のため、しばらくはアップしないで様子を見るようにしていた

はずなのに、今年は 何を考えていたのか、いや 何も考えて

いなかったのか、すぐに新バージョンをアップしていた。

アップをした後になって、『 アッ!すぐバージョンアップしないで

少し様子を見るんやった・・』と、毎年のアップのやり方を

思い出したのだが・・もう 遅かった。

自然の成り行きだから決して愚痴る気などないが、身体と同様に

頭の方も、少しずつ衰えて来ていることは事実なのだろう。

当然といえば当然だし、前々から分かっていた事でもある・・。

 

だからといって その結果、我がマシーン「MacBook Air」に異常

などはなく、何となくチョット 雰囲気が変わっただけのような

気がするだけである。

 

その一つ、ディスクトップ画面の4面の隅に、5mm幅ほどの

半透明の黒っぽい枠が現れるのだ。

画面をクリックすれば 即 消えるのだが、この枠の意味が今の所

よく分からないままなのだが・・。

そして、「MacOSの新機能を見る」との画面も出た。

これらの説明を読んでも、六兵衛には理解出来ない事ばかりなので

知らんぷりをしたままなのだが・・。

 

そんな 新バージョンは、「macOS Sonoma 14.0」という。

 

Sonoma(ソノマ)」とは、やはりカリフォルニア州の街の

名前で、サンフランシスコ湾を入ったその奥のサン・パブロと名を

変えた湾の北側の内陸部の街で、サンフランシスコからだと

約55kmほどの場所にあり、アメリカでは有名なワインの

生産地らしい。

 

『黙婆』を読んだ・・。

南草津に暮らす長女から荷物が届き、蜂蜜や孫からのお土産など

と一緒に、青木 悦さんが書かれた小説『黙婆』が入っていた。

「もくば」と読むらしい・・。

 

『放射線量が まだ高いと思われる真っ白な雪の中に、

真っ赤な毛布にくるまれた赤ん坊が、そっと置かれていた・・』

震災から まだ2年しか経っていない、春まだ浅い福島市郊外の

ある家の そんな出来事から、この物語『黙婆』は始まっている。

 

作者は 教育ジャーナリストの青木 悦さん。

『泣いていいんだよ』『子どものためにという前に』など

教育や子育ての本を多数執筆し、講演活動も行っているが

小説を書かれたのは初めてだという。

 

その 青木 悦さん、六兵衛とは小学校の2年か3年の頃

同じクラスの同級生でもあり、暮らしていた それぞれの家は

道路を挟んだ隣同士だった。

そして、悦さんの旧姓と六兵衛の名字とは同じなので

遠い昔のどこかで 縁戚だったのかもしれない・・。

子供の頃は「エッちゃん!」と呼んでいたように記憶している。

エッちゃんや近所の子供らが集まって「隠れんぼ」や「缶蹴り」

などをして遊んだ事や、当時は 自宅で風呂を毎日 沸かすのは

贅沢な事だったから、何度か エッちゃんの家に風呂を借りに

行った事などを思い出す。

 

 

そんな事など何も知らない長女が、20数年前に結婚をして

子供を産み育てていく中で、いろいろ悩み事があったのだろう

そんな時、教育ジャーナリストの青木 悦さんが書かれた多くの

著書を読み、ずいぶんと助けられたようだ。

ある時、青木 悦さんの講演会があって、聴きに行ったという。

その お話の中で悦さんが、自分の父親と同じ町の同じ地域の

出身だと知り、公演後のサインを貰う時『私も同じ町の同じ地域

の生まれで、そこは父の実家です』と言うと

悦さんも びっくりされて『お名前は?』と聞かれたので旧姓を

名乗ると、『お父さんは?』と聞かれ、 父の名前を答えると

『◯◯ちゃん 知ってる。一緒に学校に行った・・』と

言ってくれたという。

 

六兵衛が小学4年の頃から3年間、父親の仕事の関係で

遠くの村に引っ越し、ふるさとの町を離れた時期があって

エッちゃんの家族も、どうやら その前後に どこかの町に

引っ越しをしたらしく、それ以降  一度もエッちゃんとは会う

こともなく、その後の消息を知る機会などはなかった。

だから 長女に、青木悦さんを知ってる?・・と聞かれ

六兵衛の知らなかったエッちゃんが経験した当時の苦悩や

その後の活躍を 初めて知ったのである。

 

講演会後のサインを貰う時、悦さんの著書を数多く呼んでいた

長女には、 悦さんにとって子供の頃の記憶は 辛く

思い出したくもない事なのだろうと想像しながらも

この ささやかな繋がりの偶然に、言葉にならない気持ちがあり

何故か涙が出た・・という。

 

本2

 

そして今回、青木悦さんが初めて書かれた小説が出版されたと

知り、青木悦 著の単行本『黙婆』を20冊も購入したという。

そして 多くの人に読んでもらいたいと思っているようだ。

その1冊を我が家に送ってくれたのだ。

 

そしてそして 読み終わった・・。

歳を取ってきて 涙もろくなってきたとはいえ、 何度も 何度も

泣いてしまった・・。

悦ちゃん すごいね! すごいよ!

こんな小説が書けるなんて・・。

 

『黙婆』

著者:青木 悦

発行:坂本鉄平事務所

発売:壱生舎

定価:2000円+税

 

「区切り」は大切・・?

早朝散歩に出かける前の習慣となりそうな・・

今朝も 歯を磨きながら東の空を見る。


昼間はともかく、朝夕は もう秋の気配である・・。

 

 

裏の畑へ降りていく道と、植木などを植えている花壇のような

場所との区別を はっきりさせようと、使い古しのブロックを

敷き詰めて 区切りを付けた。

寄せ集めの 古ブロックでも 仕上がってみると

何となく 締まった 感じになった。

 

一個の「どんぐり」

何気に ポケットに手を突っ込んだら、「どんぐり」が一個

入っていた。

 

そういえば 数日前、早朝散歩で阿武山の長い階段を息を切らし

ながら上っていたとき、階段の「踏板」に落ち葉などに混じって

落ちていた一個の「どんぐり」を拾った。

何故か捨て難く ポケットに入れ、そのまま忘れていたようだ。

 

老人になった今も、落ちている「どんぐり」を手に取ると

何となく 子供の頃の感覚に戻れるから 不思議だ・・。

 

 

雑 草 ?

春や秋には、庭や畑の雑草を引き抜いたり刈り取ったりする事が

六兵衛の仕事だが、そんな作業を六兵衛ブログに書く場に

この『雑草』という言い方に多少の引っ掛かりを覚えながら

他に言いようがないものだから、ついつい「雑草」と云って

しまう・・。

 

植物学者・牧野 富太郎をモデルにした、NHkの朝の連続ドラマ

『らんまん』の物語が終盤にさしかかっている。

そのモデルとなった牧野富太郎さんの言葉を借りれば

『雑草という草はない』・・のだという。

 

また、当ブログの2022年9月20日の日記『草むしり』に

2016年の NHK総合TVで『足元の小宇宙』とのタイトルで

85歳の現役 絵本作家の甲斐 信枝さんの日々が放送された事を

書いている。

「雑草の、楽しく 美しく、そして驚きの生き方に惹かれ・・

そんな草花を絵本に描き続けて60年 ・・とあった。

 

2022年9月20日の日記『草むしり』

 

『草花には どれにも名前があり、雑草という草はない』と

いう牧野 富太郎さんと、言葉などにはこだわらないのか

ただ 草花の楽しい生き方に惹かれて描き続けた甲斐 信枝さん。

人それぞれに、想いや感じ方があるのだろう・・。

 

そこで 少し、「雑草」という言葉について調べてみた。

江戸時代 後期(1828年)の小西篤好という人が書いた

『農業余話』(1828年)という書物の中に​​​​​​、日本で最初かも

しれない「雑草」という言葉が出てきた・・と書いている

サイトもあったが、その『農業余話』中で「雑草」が

どう表されているか などは、わからないようだ。

 

現代の「デジタル大辞典」で、「雑草」を調べてみた。

1)自然に生える いろいろな草、また 名も知らぬ雑多な草。

2)農耕地や庭などで、栽培目的の植物以外の草。

3)例えば「雑草のようにしたたかである」と あるように

  生命力・生活力が強いこと。

 

やはり「デジタル大辞典」で「雑」の意味を調べてみると・・

「いろいろな物が入り混じっている様、大まかでいい加減な様、

粗雑 などなど」とある。

 

六兵衛なりの結論とすれば、「雑(草)」は「害(草)」では

なく、農耕において「雑(草)」は「外(目的以外の草)」と

いう事だろう。

 

「ヒヨドリ」か・・

今朝も早朝散歩を終え、一休みしてから2時間ほど

表の畑の収穫の終わった「ゴーヤ」や「カボチヤ」「しそ」

そして「モロヘイヤ」などを引き抜き

秋冬の野菜を育てるために古い土を耕し、コンポストで作っていた

「堆肥」を その上から撒いた。

数日このまま寝かせておいて、つれあいの指示どおりに

野菜のタネを撒く予定だ。

 

いつもどおり 2時間ほどの作業で疲れてしまうので

今日の作業を終えて2階の部屋に戻って 外を見ると

先程まで 作業をしていた畑のとなりにあるメダカの水槽に

鳥がとまっていた。

「ヒヨドリ」だろうか・・池の水を飲みに来たのかも・・。

 

水くらいしか あげられる物はないが・・

せめて 腹いっぱい 飲んでくれ。

 

 

その後の「ノブドウ」

毎朝通る散歩道の途中に、何処かの会社の資材置き場があり

その周りを仮囲い鋼板で囲っているが、その仮囲い鋼板の下に

頼りなげだが健気にツル科の草が生えていて、後でネットで

調べてみると「ノブドウ」だと分った。

 

仮囲い鋼板の わずかにある土に芽生え始めた「ノブドウ」だが

しかし 周りは仮囲いの鋼板があるのみで、しかし ツル科の習性

ゆえに、支えになる物に頼らねば倒れてしまう・・。

そんな厳しい状況の中で、せっかく生え始めた葉を3匹の毛虫に

全て食べられてしまい、茎だけの裸になってしまった。

その上、台風の強風で茎が根元から折れてしまい枯れるか・・と

思われたが、なかなかどうして野生の植物は強い!

 

その辺りの事を、当六兵衛ブログの8月19日の日記に書いた。

2023年8月19日の日記「ツル科の草」

 

 

その後も、早朝散歩で「ノブドウ」の側を通る度に

様子を見てきた。

 

相変わらず環境は厳しいが、それでも少しずつ緑の葉を増やし

勢いを増してくる感がある。

 

上に伸びるための支えになる物もなく、これ以上 枝葉を伸ば

そうと思えば、道の中央へと伸びていくしかない。

 

そうなれば車や人に踏みつけられてしまうかも・・と

心配していたのだが・・・

 

 

9月22日の早朝散歩で・・ アッ! な、ない!

「ノブドウ」が ない・・。

刈り取られた。

 

辺りを見て分ったことだが、どうやら この資材置き場の人が

仮囲い鋼板の周りに生えていた雑草?を全て刈り取ったらしい。

六兵衛が そこを通る度に気にして見ていた「ノブドウ」だった

けれど、所詮は道端に生えた雑草だったのだろう。

我が家の庭や畑でも、名も知らぬ草花を雑草として あっさりと

刈り取ってしまうように・・・。

 

しかし 切られたといっても、引き抜かれたワケではなく

ノブドウの「根」はまだ地中に残っているだろうから

案外 来年には そこから新しい芽が出てくるかも・・

いや きっと 出る!

 

来年 また会おう!

秋の剪定・・第1段!

表の庭の垣根代わりに なっていた2本の木の枝が伸び過ぎて

きたので、今日 それらの枝を思い切って剪定した。

8月頃に写した2本の木。

 

この道路に面した場所には、元々「レッドロビン」という

垣根に適した木を 一応は植えてはいるのだが、そこに

「名前も知らない木」が1本と、「榎」とが自然に生えてきて

いつのまにか垣根の役目をしてくれていた。

しかし その「名も知らぬ木」と「榎」とがダントツに大きくなり

前の道にはみ出すようになってきたので

思い切ってバッサリと枝葉を刈り取る作業をした。

2本の木を思い切り剪定したら、もともと垣根のつもりで植えて

いた「レッドロビン」は、歯抜け状態のありさまで 弱々しく

あまり垣根の役目は果していない現状である・・。

 

いずれにしても 垣根に限らず 秋になれば、1年間で伸びた

庭の木々の剪定をするつもりにはしているが

垣根の2本の木の剪定だけで これだけの枝葉が出た。

明日は「粉砕機」で、これらの枝葉を粉砕して庭の隅に撒く。

いずれは土に帰ってくれるだろう・・。

 

それにしても、いつまでも 暑いゾ!

 

Fur-mily

初夏の頃、サンフランシスコからニューヨーク州のバッファロー

へ引っ越したばかりの次女とアッくん達が、アメリカ大陸を

西から東へ数日かけて 車で移動した道中での事や

新居へ移るまでの仮住まいの生活、そして新しい家での様子など

『 Fur-mily Life』とのタイトルを付けたブログを発信している。

 

 

詳しく聞いた訳ではないが、「Family(家族)」ではなく

「Fur-mily」とタイトルにあるのは、犬や猫などの動物たちとも

家族の一員として一緒に暮らす・・との意味があるようだ。

 

引っ越しでのあれこれも、やっと この頃 落ち着いてきたようで

ときおり鹿や小鳥などが遊びに来る広い芝生の庭があって

アッくんが仕事の合間に芝刈り機で、伸びた芝を刈っている動画

などが、次女の「Instagram」に掲載されたりしている。

 

そんな同じ頃・・・

・・地球の反対側ともいえる日本の大阪に暮らす六兵衛じーさんも

狭い畑の 夏の間 放っておいたから伸び切ってしまった雑草を

軍手の指先に穴を開けながら、引き抜く毎日が続いている。