小枝の木彫り

先日 南草津に暮らす長女と孫次男が遊びに来てくれた。

買ってきてくれた寿司でお昼を食べ、野洲市のル・シエルさんの

おいしいケーキのおやつを食べながらあれやこれやと話は尽きず

楽しい ひとときを過ごした。

 

長女がくれた木の枝である。

・・よく見ると木の枝の”小枝”に、彫刻がしてある・・。

なにげない木の枝に 地蔵さんと、キツネか それとも猫か

しっぽもある。

野洲市で洋菓子店(ル・シエル)を営んでおられる鷲田さん

(愛称:きんちゃん)の木彫りを貰った。

 

すごい発想である・・。

剪定をして、捨てるはずの切り取った枝の その枝先に

お地蔵さんと 猫かキツネか、とにかく生き物が さり気なく

掘ってある。

 

以前 長女の「facebook」に、鷲田さんご夫妻への感謝を綴った

文章があった。

『ありのまま、そのまんまでいい。

はじめから私の中に すべてはある・・ということを教えて

いただきました。

そのことが これからも、私を支えてくれると思います。

私が木版画を続けてこられたのも、きんちゃんと のりちゃんの

おかげです。』

 

この小枝の木彫りを拝見していて、長女の文章にあった

『ありのまま、そのまんまでいい。

はじめから私の中に すべてはある・・』・・を

改めて教えてくれた鷲田さんの、一見 さりげないのに

奥の深い木彫りである。

 

「警告枠」がズラ〜っと

・・・昨日のことだ。

我が家の主パソコンである「MacBook Air」を開くと・・

えっ?  これ なに・・?

 

次々と「ディスクの不正な取り出し」」への警告枠がズラ〜っと

ディスクトップ画面いっぱいに 並んでいるではないか。

 

文言を読んでみると「タイムマシンの取り出し」に対する警告

らしいが、タイムマシンを取り出す操作などは していない。

ただ これまでにも、「外付けHDD」などのディスクを取り外す

とき、その「アイコン」を左クリックし、「◯◯を取り出す」を

クリックして取り外すのだが、たまには何気に そのまま端子から

引き抜いてしまう事が多々あったりはしたが、それにしても

今回の この画面は異様である。

 

次々と警告枠を消していくと、それらの中に「USBのアクセサリ

が無効です」との文言の警告枠もある。

・・・・・・・・・・・・・

 

ナニがナニやら よう分からんもんやから、取り敢えず表示されて

いる警告枠を全て消し、「Mac」に繋げているマウスやUSB-Cハブ

など全てを外し、「システム終了」から 一旦 電源を切った。

 

我が「MacBook Air」用に、2つの「USB-C ハブ」を持っているが

ここ数日は、直接 USB端子に差し込むタイプのハブを使っていて

しかし それが、熱くなっているナ・・と 感じては いた。

確かなことは分からないが、熱くなりすぎるのは問題だと思い

もう一つのハブ(コードの付いた)を MacのUSB端子に差し込み

マウスなどを差し込み、電源を入れてみた。

 

警告枠は出てこない・・。

翌日となる今日も、こうやってMacを動かしているが

今のところ警告枠は出て来る気配はない。

 

改めて、警告枠がズラ〜っと現れた原因が何かを調べようと

サイトを開いてみたが、・・やっぱり どうにも よく分からない。

「省エネルギー」を どうとか こうとか書いたサイトがあって

我がMacの「省エネルギー」を調べてみようと、「システム設定」

から「バッテリー」に行って探したが「省エネルギー」との

項目は見つからない。

 

いつもの事だが サイトの説明は、分かる人には分かるのだろうが

分からない六兵衛には・・わからないのだ!

 

表と裏 畑の七月。

表の畑、夏の強者たちを ご覧あれ・・。

例えば この先、今 収穫している「キュウリ」に

収穫の終わりが来ても、その後も 続いて収穫が出来るようにと

敢えて時期を遅らせて植えた「キュウリの苗」2本でござる。

 

秋を待つ「柿」や、何より 慎ましく 出しゃばらず

目立つこともなく 葉の影に隠れて その日を待つ「すだち」。

「セミの抜け殻」は御愛想でござるが、上の写真の「かぼちゃ」

蔓が思いがけない場所まで伸びて行って

思いがけない場所で「実」を付け、育ってござる。

その成長に、特に期待している六兵衛でござる・・。

何故?と 問われるか・・

下の収穫写真の「かぼちゃ」でござるが

侍に例えるなら、まだ元服前の子供という時期なのに

間違って切ってしまったのだ・・。

残念! 無念! 申し訳なく・・

その元服前の子供のためにも この「かぼちゃ」

大きく育ってほしいので・・ござるよ。

 

 

裏の畑、1番畝から3番畝の勇者たちでござる!

4番畝・5番畝の強者たち・・。

 

1番畝、4番畝、5番畝の「サツマイモ」も

ますます蔓葉を伸ばし・・。

6月の頃、「二ジュウヤホシテントウ」という

てんとう虫の一種に 葉を食べられて弱りかけていた

3番畝の「ナス」も、その後 「二ジュウヤホシテントウ」を

見つける度に潰してきて、少し元気を取り戻しつつあるので

ござるヨ。

 

「イチジク」のように沢山の「実」を付けた果実も あれば

ただ一つだけ「実」を付けた「キウイフルーツ」が

今も その一つが 落ちる事なく、少しずつ 確実に 大きく育っている

姿が、実に イチジク・・いや いじらしい。

「イヌムギ」か「カラスムギ」か、正確な名前は知らない雑草

だが、土の​​​​​​​​乾燥防止や通気性を良くし、防寒、降雨時の土の

跳ね返りを防ぎ、作物が直接土壌に触れないので 病害の発生を

抑えるなどの他に、栽培後には土に混ざって堆肥にもなるため

「稲わら」と同じように これを天日干して乾かしたあと

3~4cmほどの長さに切り、「苗」を植えた廻りなどに

散りばめたり、土に混ぜたりする。

 

免許証の更新

75歳以上の後期高齢者の運転免許更新は、更新期間が満了する

日より前の6ヶ月以内に、「認知機能検査」と「高齢者講習」

を受けて合格していなければ、免許の更新は出来ないことに

なっている。

それに合格していた六兵衛は、免許更新日が近づくにつれ

視力の衰えが心配になり、前もって眼科で診察を受けたら

「白内障」だと診断され、左右の目の手術を受けた・・と

以前 当六兵衛ブログに書いた。

 

術後は特に問題もなく順調に回復し、何回かある術後検査も

日が経つにつれ その間隔も開いていき、次回の検診は今月末と

言われている。

術後 最初の1ヶ月は、3種類の目薬を1日4回さしていたのだが

今では1種類の目薬を朝と夕の2回だけに減ってきている。

 

そんな状況の術後1ヶ月半を経た 先日、免許更新のため警察署へ

行ってきた。

先ず、免許証に添付する顔写真を撮影してもらうために

警察署 裏の「交通安全協会」へ行ってみると

事務所が閉まっていて、少し離れた場所の仮事務所で受付を

しているとの張り紙があった。

後で分かった事だが、警察署の移転計画があるらしい。

それはともかく、まごつきながら やっと仮事務所を探し当て

写真を写してもらい、警察の交通課へ行き更新を申し込んだ。

 

書類に2~3の書き物を済ませると、目の検査に移った。

『右』『下』『左』・・例の、円の一部が途切れているヤツ。

 

視力検査測定器?を覗きながら、一部の欠けた円が5つか6つ

出てきたが・・即答!

良く見える!

 

交通課の係の女性が、『免許の条件として眼鏡等』との記載の

ある今の免許証を見て、『視力が良くなりましたね。』と

笑顔で言ってくれたので、『白内障の手術をしたんです。』と

こちらも笑顔で答えたものだ・・。

 

『免許の条件として眼鏡等』との記載のあった六兵衛の免許証が

さぁ これで 新しい免許証には、その文言は 無い・・ハズである。

 

伊豆を歩いた遠い日・・

当 六兵衛ブログの、前回の日記 『只見川エレジー』では

三橋美智也さんが歌っている歌謡曲の事を書いたが

その「只見川」とは、伊豆地方を流れる川ではなく

福島県会津地方に流れる川だったと、六兵衛が勘違いしていた

事を書いた。

その勘違いとなる原因を作る切っ掛けになったのだろう

今では 消えてしまうほど 遠い昔の、若い頃の六兵衛の

ささやかな思い出話を、その 言い訳として書いてみたい。

 

六兵衛が 東京で暮らし始めて、やっと1年が過ぎあたり

ちょうど20歳になったばかりの頃、伊豆半島を一人で旅を

したことがあった。

「旅」などといえるほど、大袈裟な話ではないのだが

その数年前、1963年に公開された吉永小百合さんの日活映画

『伊豆の踊子』を、高校生のとき観た印象が強く残っていた事や

天城峠の情景みたいなものに ちょっと憧れなどもあり

深く考えもせず、踊り子たち一行が歩いたであろう道を

2泊か3泊のつもりで、歩いてみたくなったのだった。

 

決して楽しかった訳でもなかったはずの「 伊豆の旅」が終わって

それでも記念のつもりか、下手なイラストと歩いた伊豆の地図を

大学ノートに書き、それが 今でも 手元に残っている。

そこには「1966年10月5日、6日」とあるので

昭和41年、今から57年前の 六兵衛がちょうど20歳になった

ばかりの 秋の頃だった事になる。

 

何を思って そんな形(なり)で 伊豆へ出かけようとしたのか

若かった六兵衛の、馬鹿なりの思惑があったのだろう。

頭はボサボサ、丸い伊達メガネを掛け、足は草履、服を敢えて

汚し 破り、それをズボラに着て、毛布の入った袋だけを持ち

朝早く アパートのある飯田橋から東京駅に行き

電車を乗り継いで 伊豆半島の入り口・修善寺に着いた。

電車を降りて 天城へ向かって ぶらぶらと歩き始めた・・と

大学ノートの書き出しにある。

 

まず 修善寺から、立野、松ヶ瀬、出口、月ヶ瀬、市山、

三十三観音、湯ヶ島(浄蓮の滝)等々、通り過ぎた地名が

大学ノートに書かれているが、今の六兵衛には ほとんど記憶に

残っていない。

 

そして「天城トンネル」・・。

トンネル内は 暗くジメジメしていて、道は ぬかるみ

 天井からは水滴が落ちてくる。

200mほど先に小さな出口の明りが見えた・・

ノートにはある。

「天城トンネル」・・イメージとは異なり、情緒の欠片も

なかったようだ・・。

 

余談になるが、六兵衛が歩いた その年から4年後の1970年

(昭和45年)に、その「天城トンネル」の西側に

新しく「新 天城トンネル」が開通し、踊り子や六兵衛が歩いた

当時の「天城トンネル」は「旧 天城トンネル 」となり

別名「天城山隧道」と名を変えた・・という。

 

大学ノートの続きを読んでいく・・

「暗くジメジメしたトンネルを抜けて、早く野宿する場所を

探さねばならない・・」とある。

ただ一つ持っていた袋には、野宿用のための毛布を入れていた。

 

「野宿する場所を探すために、寒天橋や地獄谷を過ぎた辺りで

本道を外れ、谷川(河津川のこと)のそばのハイキングコースを

歩いた。

宗太郎事業所(山林関係の仕事場か・・)の 近くの河原に

適当な場所があったので、そこで野宿することに決めた。

川石がごろごろしている(河原だから 当たり前・・)

大きな岩の影になる場所を見つけ、横になれるように小枝を敷き

すぐ 暗くなったてきたので毛布を被った・・が、寝られない。

川の流れの音がヤケに大きく聞こえ、辺りは真っ暗で 少し寒い。

時計は持っていないので 時間はわからない。

寝ようと すればするほど、寝られなくなる。

 

・・・それでも うつらうつら していたらしい・・。

気がついたら 辺りが少し明るくなっている、オッ!朝か・・と

一瞬 喜んだが、半月が雲間に浮かんでいるだけだった。

朝は まだまだ先・・と いうことらしい。

ポツリポツリと雨が降ってきて、急いで 林に逃げ込んだが

幸い すぐに止んだ。

 

なかなか寝られない。

 

それでも それでも、必ず朝は来る。

朝が来た。

朝は 嬉しい。

 

毛布を袋に仕舞い、すぐに 歩き出す。

川のそばのハイキングコースから本道に戻り

少し歩くと「梨本」という集落があった。

ちょうど朝の通学時間と重なり、その子どもたちに聞いた。

『今 何時頃なか?』『8時に10分くらい前だよ』

『君ら 湯ケ野の学校まで行くの?』『うん!』

可愛く答えてくれる・・。

 

湯ケ野は小さな町だった。

道の側に小さな映画館があって、坂本九さんの『坊っちゃん』の

ポスターが掛かっていた。」

 

「伊豆の下田まで行く予定だったのだが、下田町と河津町との

分かれ道に来て考えた。

昨夜のような夜を また今夜も過ごすのは 懲り懲りだったので

そこから5Kmほど先の河津町から、伊豆急の電車に乗って

東京に帰る事に決めて、河津町の方へと向きを変えた。

途中の小さな食料品屋に寄って、パンとミルクコーヒーを買い

朝飯とした・・のだが、少し歩きだして、腹具合が怪しくなり

模様してきた。

どうやら さっき飲んだミルクコーヒー、変な味がしていた。

古かったの?・・。

河津駅まで行って駅のトイレで用を足そう・・と

急いだのだが、途中 それが 周期的に襲って来る。

駅まで、あと200mくらいの所まで来たのに我慢は限界!

取り敢えず 道端の畑の影にしゃがみ 出すものを出した・・。」

 

・・どうにも お粗末としか云いようのない 天城越えの歩き旅は

忘れてもいいはずの50数年前の小さな旅だったが

その後の六兵衛の日々の折々に、ちょっぴり思い出す事もあったり

する情景ゆえに、今でも 僅かながら残っている そのイメージが

妙に なつかしい気持ちにさせてくれるのも事実である・・。

 

『只見川エレジー』

当 六兵衛ブログでは、これまで何度も書いてきているが

六兵衛が散歩や昼寝のときなどには、iPhoneに保存している

昭和の戦前や 戦後30年代頃まで、ラジオやテレビなどから

流れていていた歌謡曲を聴くのだが、それら歌謡曲の中に

三橋美智也さんが歌う『只見川エレジー』という歌謡曲がある。

どことなく 切なく哀愁をおびた歌詞と、三橋さんの魅力的な

低い歌声が 心に残るのだ・・。

只見川エレジー

 

iPhoneに保存した多くの歌謡曲を、何度も何度も繰り返し聴いて

いる六兵衛だが、この『只見川エレジー』という歌の「只見川」

という川は、これまで 伊豆半島を流れている川だとばかり思い

込んで聴いていた。

 

ところが先日 昼寝の時、何気に この歌の歌詞が 改めて耳に入り

どうも伊豆地方とは違うような歌詞があるのに気がついた。

だから念のためにGoogle地図で伊豆地方を調べてみた。

伊豆半島には二つの大きな川が流れている。

一つは「河津川」、天城連山を水源とした小さな流れが

半島の南側斜面を、少しずつ大きな流れになりながら

半島東側の河津町あたりで太平洋に流れ込んでいる。

もう一つの「狩野川」も、天城連山を水源として北側斜面に

流れ出し、「大見川」「船原川」などの支流と合流しながら

沼津市の駿河湾に流れ込んでいる・・と、えっ、あれ?・・

「大見川?」・・「只見川」じゃあなく

狩野川 支流の「大見川」だったかぁ〜。

 

どうやら六兵衛は、「大見川」と「只見川」とを間違えて

いたらしい・・。

六兵衛には よくある 勘違いである。

 

ならば この歌の「只見川」は、何処を流れている川なのだろう。

やっぱりネットで調べてみると、「只見川」は 福島県や新潟県を

流れる阿賀野川水系の一つの河川だといい、福島県駒ケ岳あたり

の山峡を水源とし、福島県喜多方市あたりで「阿賀川」に合流

している。

新潟県に入って名前が「阿賀野川」と変わり、日本海へと流れ

込んでいるのだという。

 

ところで この『只見川エレジー』という歌、三橋美智也さんが

歌った曲の全てが載っていると思える「ウィキペディア」の

三橋美智也さんの項で調べてみたが、このタイトルの歌は

見つけられなかった。

 

この『只見川エレジー』という曲を「YouTube」に載せてくれて

いる ユーチューバーの還暦杉太郎さんという方の説明によると

このレコードはテスト用の見​​本盤だとの事。

もしかしたら、発売されなかったレコードかもしれない・・。

 

ちなみに、このレコードのB面で、加藤嘉津子さんという方が

「柳津慕情」という曲を歌っておられるので 調べてみたが

歌手・加藤嘉津子さんに関するサイトは見つからなかった。 

(この「柳津」という土地も会津地方の温泉地らしい・・)

見つけられたのは、還暦杉太郎さんが「youtube」にアップされて

いる『柳津慕情』のレコードの歌詞と楽譜の画像だけである。

 

加藤嘉津子さんが歌う『柳津慕情』を「YouTube」で・・。

柳津慕情

 

『 い・ち・べ・え  さぁ〜ん!』

北方謙三さんの小説「水滸伝」を、第2巻目の途中で読むのを

止めて、荒崎一海さんの時代小説『九頭竜覚山 浮世綴』第3巻目

「寺町哀感」を読んだと、前回のブログ日記に書いた。

 

やっぱり 江戸時代を背景にした時代小説は 、理屈抜きに楽しい!

そうなると、六兵衛の思いは 行き着くべき所に 行き着く。

1年以上も市兵衛さんの新刊は出ていないのだ。

こんなことは、これまで一度も なかった。

市兵衛さんの新刊は いつ出るのか・・そこで Googleの検索枠に

「風の市兵衛」の新刊はいつ出るのかと、文字を入れてみた。

 

我が家の未読の本棚には「風の市兵衛 弐 第29巻・寒月に立つ」

「第30巻・斬雪」そして「第31巻・春風譜」の3冊がある。

 

これら市兵衛さんの文庫本が3冊も手元にあるからとはいえ

読んでしまうと、読んだ後が 寂しくなる。

せめて新刊が出るまでは・・と、この3冊は読まずに我慢をして

未読の本棚に並べていたのだが、先日 読んだ 荒崎一海さんの

『九頭竜覚山 浮世綴』が、改めて時代小説の楽しさを

思い出させたものだから、もう 辛抱が効かなくなり

未読の本棚に並べている市兵衛さんを取り出し

第29巻「寒月に立つ」を読んでしまった。

 

越後 津坂藩の跡継ぎ騒動の内偵中に、親友の返弥陀ノ介が

瀕死の重傷を負った・・市兵衛さん 修羅となる!

 

市兵衛さんや仲間たちの活躍にわくわくさせてもらいながら

お世継ぎ騒動は解決して、第29巻は終わったのだが

しかし 未読の本棚に並ぶ 市兵衛さんの文庫本は

残り 第30巻と第31巻の あと2巻である。

だから少しでも早く、第32巻目となるはずの新刊が出版されて

ほしいのだが・・。

 

既刊 最後の第31巻「春風譜」(まだ 読んではいないが)が

出版されたのが、昨年の年6月10日のことで

もう すでに1年以上が過ぎたというのに、第32巻目となる新刊が

まだ出版される気配がない。

 

これまでにも 何度か、祥伝社文庫の新刊の発表や

Amazonでの新刊の発売状況などを調べたりしているのだが

一向に 新刊の出る気配はない。

 

これまでの「風の市兵衛」全31巻の出版状況を、六兵衛なりに

調べてみたのだが、それによると これまでは1年に2冊か3冊の

新刊が出版されていて、2017年と2020年の2度だけは

1年に1冊しか出版されていないのだが、それでも その前後の

間隔は、今回のように1年以上も開いてはいないのだ。

 

では 1年以上も新刊が発売されない理由は 何だろう。

作者の辻堂 魁さんが 少し疲れ気味で、あえて 執筆を控えて

おられるとか・・・。

これまで全31巻もの市兵衛さんの物語を執筆されてきて

少々 飽きてきたとか・・・。

他の主人公の物語(例えば、介錯人 別所龍玄始末など)に

忙しく掛かり切りになっていて、市兵衛さんを振り向く暇が

今は ないとか・・。

そんな こんな、六兵衛なりに あれこれと考えてみたが

確かなことはわからない。

 

そして、最初に書いた《「風の市兵衛」の新刊はいつ出るのか》

との文言を、Googleの検索枠に入れてみた。

 

検索すると、二つのサイトが 興味を引いた。

市兵衛さんの新刊が、なかなか出版されないことに

六兵衛と同じように「何故?」と 思われた人がいるという事か。

 

何かが分かるかも・・と 期待を込めて二つのサイトを覗いたが

新刊が いつ出るのかは分からないとの事。

出ることが分かれば「お知らせする」という、そんな内容である。

結局 これらサイトも、六兵衛と同じ程度・・ということか。

 

 

 

やっぱり時代小説が好きだ・・

当六兵衛ブログの先日の日記に、吉川英治さんの「三国志」とか

北方謙三さんの「水滸伝」といえば、大作家さんが書かれた

中国の古典中の古典といわれる物語で、世界的にも名作でもある

わけで、一度 読み始めたら、途中で辞めるわけにはいかない・・

と、この歳になって 誠に恥ずかしい話なのだが、そんな思い込み

のようなものがあって、だから読んでいても決して楽しくはない

ものだから、結局 読み続ける事が出来ず、途中だったが 止めて

しまった・・と書いた。

 

小さな世界の お話でいい、単純な作り話でいい、最後は良かった

良かったと 胸を撫で下ろせるような、出来れば江戸の時代あたり

を舞台にした そんな小説が、やっぱり六兵衛は 好きなのだ。

 

読みかけで終わってしまった「水滸伝」は横に置いとくとして

新たに取り出したのは講談社文庫 刊・荒崎一海さんの時代小説

『九頭竜覚山 浮世綴』の第3巻目「寺町哀感」である。

子供の頃から水形流の剣と兵学を学んできた学問一筋の浪人

九頭竜覚山が、深川一の売れっ子芸者 およね(米吉)を妻にし

門前仲町の一軒家に暮らしている。

人としても剣の腕も見込まれ、深川花街の用心棒としても

頼りにされている。

日に2度 花街を見廻ることが仕事だが、何度か不逞の浪人に

襲われる。

しかし、己の決められた仕事を確実に行う日々が続く 淡々と。

 

荒崎一海さんの小説に最初に出会ったのは、徳間文庫刊の

『闇を斬る』シリーズ(全7巻)だった。

故あって新妻と今治藩を脱し、江戸で直心影流道場の師範代

として口を糊していた真九郎は、道場からの帰途、数人の侍に

襲われていた大店の主人・宗右衛門を救った。

それを切っ掛けに以後も、南の国の大藩との真剣勝負は続いて

いく。

 

この二つの小説、登場する人物や環境は違えど、妻とふたり

町家に暮らし、人を信じ 人に信頼され、与えられた己の仕事を

日々コツコツと努める・・そう 淡々と、そんな物語である。

 

中国の「四大奇書」といわれても・・

何年か前だったと思う、吉川英治さんの小説『三国志 ( 全8巻 ) 』

第1巻を読み終わったあと、第2巻 以降の続きを読む気になれず

そのままに なってしまっている。

それから数年を経た今 、改めて今度は 北方謙三さんの『水滸伝』

 ( 全19巻 ) の、まず第1巻から第3巻までの中古本を購入し

今 第2巻目の半分近くまで読み進めてきたのだが・・

今度も 今度も、続きを読むのが、どうにも しんどくなってきた。

 

「三国志」や「水滸伝」は、中国を代表する古典小説と言われ

悪い政治をする権力者に対抗して集まった国中の勇者たちの

物語とか、日本の戦国時代を 一つも二つも スケールを大きく

したような国取物語のようらしいのだが(最後まで読んでも

いないのに・・)、それにしても 古い中国の人間模様などが

今ひとつピンと来ない事もあったりして、なかなか 気持ちが

乗っていってくれない・・。

その上、中国人の名前自体が どうにも覚えにくいうえに

登場人物があまりにも多く、わけがわからなくなる。

いつまで 経っても 誰が誰やら分からないままに

ページをめくっている・・状態である

 

※「三国志」は紀元3世紀頃(日本では邪馬台国の時代)の物語

 

※「水滸伝」は紀元13世紀頃(日本では鎌倉時代)が舞台。

 「三国志」・「水滸伝」・「西遊記」・「金瓶梅」の 4つの

  名作古典小説は、中国の「四大奇書」といわれているという。

 

そんなこんなで 、「三国志」や「水滸伝」が 世界の名作・大作と

云われているのは 百も承知だし、実力のある多くの作家さんが

意欲をもって書かれた大作なのだろうに、どうにも六兵衛には

続きを 読む意欲が湧いてこない・・湧いてこない・・

 

童謡『手のひらを太陽に』

『手のひらを太陽に』という童謡がある。

制作は1961年(昭和36年)、翌1962年にNHKの

「みんなのうた」で放映されたという。

『手のひらを太陽に』

作詞:やなせ たかし 作曲:いずみ たく

歌:宮城まり子さんとビクター少年合唱隊

1)

ぼくらはみんな 生きている

生きているから 歌うんだ

ぼくらはみんな 生きている

生きているから かなしいんだ

手のひらを太陽に すかしてみれば

まっかなに流れる ぼくの血潮(ちしお)

ミミズだって オケラだって

アメンボだって

みんな みんな生きているんだ

友達なんだ

 

2)

ぼくらはみんな 生きている

生きているから 笑うんだ

ぼくらはみんな 生きている

生きているから うれしいんだ

手のひらを太陽に すかしてみれば

まっかに流れる ぼくの血潮

トンボだって カエルだって

ミツバチだって

みんな みんな生きているんだ

友達なんだ

 

3)

ぼくらはみんな 生きている

生きているから 踊るんだ

ぼくらはみんな 生きている

生きているから 愛するんだ

手のひらを太陽に すかしてみれば

まっかに流れる ぼくの血潮

スズメだって イナゴだって

カゲロウだって

みんな みんな生きているんだ

友達なんだ

 

早朝散歩の途中で 何故か突然、この歌の一節

『♬ ミミズだって オケラだって・・』の歌が 飛び出した。

 

この童謡 いい歌だし、言ってる意味も よく分かる。

大きかろうと 小さかろうと、みんな 一生懸命 生きているんだ

から・・。

・・とは 云うものの・・なのである。

 六兵衛や つれあいの、老後の気ままな畑仕事とはいえ

汗を流し、足や腰を庇いながら 作物を作っているのに

邪魔をされては・・困るのだ。

たとえ それが、可愛い子どもたちが歌う童謡の中の虫たちや

たとえ 精一杯 生きているだろう 小さな生き物たちで

あっても・・。

 

例えば、せっかく作っている作物の土の中で

「根」食べて成長するという「コガネムシ」の幼虫たちとか・・。

 

「ナスビ」の葉を食べ尽くす「ニジュウヤホシテントウ」・・。

 

「葉物野菜」の葉を食べる「青虫」などの幼虫・・。

 

ところ構わず あちこちで、「繭」に変身する「毛虫」・・等々。

六兵衛の畑で、これまでに出会った虫たちによる被害の様子だ。

 

六兵衛の了見が 狭いと、ちょっと感じながらも、やはり

そんな虫たちを見つけたら『♬ みんな 友達なんだぁ〜』などと

呑気に歌っては いられない。

かといって 農薬などは決して使いたくはない。

だから つれあいは、そんな虫たちを見つけたら

『ごめんね!』と言いながら潰すそうだ。

六兵衛の場合は『コンチキショウ!』などと

とりあえず憎まれ口を叩きながらでないと

どうにも潰しにくいのでは あるが・・。