『サーバーが画像を処理出来ません。』から3日後・・

『サーバーが画像を処理出来ません。このエラーは

サーバーが忙しいか、タスクを完了するために

十分なリソースがない場合に発生します。

小さな画像をアップロードすれば解決するかも知れません。

推奨する最大サイズは2560ピクセルです。』

WordPressブログでの六兵衛のブログに画像や写真など

メディアのアップロードが出来なくなり、いささか慌てた。

その原因が分からず、様々なサイトをググったが

一向に解決の糸口が見つからないまま数日が過ぎた。

 

『推奨する最大サイズは2560ピクセルです。』・・

まず始めに疑問に思ったのはこの文言で

そもそも画像サイズ(px)とは、「ヨコのピクセル×タテの

ピクセル」の合計の筈ではないのか・・。

ヨコもタテも表さずに『最大サイズは2560ピクセル・・』

とは 如何なるものか・・。

まず最初にググったのは、その事をはっきりさせる事だった。

「サーバーが画像を処理出来ない・・」問題の解決のサイトは

沢山あったが、『最大サイズは2560ピクセル・・』の説明

をしてくれるサイトには、なかなか出会えなかった。

ただ、あるサイトのなかの文言に・・

・・幅が2500px(ピクセル)を超える画像について・・

との記事があるのを見つけた。

『・・・推奨する最大サイズは2560ピクセルです。』

最大サイズ2560ピクセルとは、画像のヨコ幅の事を

指しているのか・・。

じゃぁタテ幅は?との疑問も残るが、しかし 画像のヨコ幅を

2560pxに抑えた画像であれば問題がないのだと考えると

今回「メディアライブラリー」に拒否された画像にヨコ幅が

2560pxを超えた画像はなかったはずなので

拒否された原因は、他にあるという事なのだろう・・。

 

 

WordPressブログをシャットダウンし、再度ログインする。

WordPressブログを再起動してみる。

パソコンを再起動してみる。

ファイル名を変更してみる。

ブラウザを変えてみる。

ググった ほとんどのサイトには、上のような操作を試して

みれば大抵の場合 解決すると、云うような事を書いていたが

六兵衛のブログの場合、それらを試しても一向に解決しない。

 

だからといって諦めるわけにはいかず、これは長期戦だなと

覚悟を決め、暗ぁ〜い気持ちで昨夜、いつもなら「スリープ」

パソコンを終えるのだが、特に理由があったわけでもないが

「強制終了」でパソコンを終わり、一晩 放置した。

 

はてさて、翌日・・つまり 今日。

つれあいと早朝散歩、そして午前中は裏の畑の雑草の整理を

して、朝昼兼用の食事を食べる。

牛になる覚悟で、いつものように食事後の昼寝のあと

やおらパソコンの前に座り、電源を入れた。

これから また、WordPressの「メディアライブラリー」に

画像を拒否された原因を知るためにググらねば・・と

腹に力を入れながら、念の為 これまで拒否されてきた画像を

「メディアライブラリー」に入れて みたら・・みたら、みたら

な、何と! なんと! ナント!

 

1250×1100px

意地悪な門番に拒否される事もなく すんなり入った!

入りました! 入ってくれたやんか!やんか!やんかいサ。

ほんまか?・・ホンマにホンマか?!

 

普段通りの方法でブログの更新が出来るようになって

よかった!良かった!・・というところでなのだが

冷静になって考えてみると・・確かな原因が分からない

ままなのだ・・。

なんとも、何とも・・。

 

 

暗・中・模・索

六兵衛ブログの「メディアラブラリー」に

我が画像が受け付けてもらえなくなった問題を

昨日の日記『 只今 故障中? 』に書いた。

 

問題解決のため、いろいろな「サイト」を渡り歩き

その原因を知ろうと試みるが・・

如何せん六兵衛の 鈍くなった頭脳や、穴だらけの記憶力

斑な集中力では、解決には ほど遠いようだ。

画像を受け付けて くれなくなったときのWordPressからの

文言には・・

『サーバーが画像を処理出来ません。

・・・(中略)・・・

推奨する最大サイズは2560ピクセルです。』

・・とあった。

そもそも、「最大サイズは2560ピクセル」とは何・・

というところから始めねばならない。

 

まずピクセル:pixei(略してpxとも書く)とは、画素数の

単位だという。

そして、最大サイズが2560ピクセルとは、いかほどの

大きさの画像なのか・・。

しかし いくらサイトを彷徨っても、確かな結論には

達し得なかったが、今の六兵衛に考えられる

「最大サイズが2560ピクセル」とは

(ヨコの画素数)と(タテの画素数)を掛けた合計数だと

思えるのだ。

・・となると、最大サイズが2560pxの画像の場合

ヨコの画素数が 例えば100pxだとすると、タテの画素数は

約25.5pxということになり、とんでもなく小さな画像と

いうことになる・・う〜む。

前回 更新した六兵衛ブログの日記「只今 故障中?」では

試しに画像を少し小さくして「メディアラブラリー」に入れたら

やっと受け入れてくれたのだった。

 

例えば 上の画像、サイズは397 x 287 pxだ。

(ヨコ397px)✕(タテ287px)=113、939pxの

画像サイズになるが、昨日の日記『只今 故障中? での

「メディアラブラリー」は 受け入れてくれている。

 

ただ 単に、画像サイズを小さくさえすれば受け入れてくれると

いうのでは、どうにも納得できない。

何処か六兵衛の分からないところで、落ち度があるのだと思う。

 

六兵衛には 分からない事ばかりで、この問題の解決は

ほど遠いようだ・・。

只今 故障中?

『サーバーが画像を処理出来ません。このエラーは、サーバーが忙しいか、タスクを完了するために十分なリソースがない場合に発生します。小さな画像をアップロードすれば解決するかも知れません。推奨する最大サイズは2560ピクセルです。』

 

・・・・・・・・・・。

六兵衛ブログ日記を更新しようと

画像を「メディアライブラリー」に入れようとしたら

上記の文言が表示されて、画像が「メディアライブラリー」に

入ってくれないという、只今 エラー状態中である。

 

ど、どうすれば良いのか・・と、あれこれサイトで調べて・・

みようとしたが、如何せん 何だかややこしい。

専門用語も分からん!

説明の文章が頭に入ってこない!

 

時間がかかるかも・・しれ・・ない・・。

 

と、とりあえず試しに

孫たちが小さかった頃の画像を400✕400ピクセル以内

に小さくして「メディアライブラリー」に入れてみたら

オッ!・・入った。

 

だから、一番上の「エラー」を表示した画像も

400ピクセル以内に収めた画像で

文字が乱れて読みづらい・・。

 

と、とにかく、当ブログは故障中でござるヨ。

 

 

「特殊文字」も・・

MacのパソコンやiPad、iPhoneなどで文字を書く場合の

フォントは、元々 付属している「FontBook.app」を用いて

いるという。

そして他にも、数種類のフリーフォントをダウンロードして

六兵衛は使わせてもらっている。

 

そんな中、特殊な文字やマーク、絵文字などを集めた

「特殊文字」というフォント類が、「FontBook.app」の

他にも存在する事は なんとなく知っては いたのだが

これまで さほど必要にも感じることもなかったし

面倒そうでもあったので、「特殊文字」の事を

深く知ろうとしてこなかった六兵衛だった。

しかし 先日、当六兵衛ブログの8月27日の日記

二つの「堀内源左右衛門の道場」の中で

江戸の地図を掲載し、六兵衛が若い頃 暮らしていた懐かしい

その場所を古地図の中に示すのに、出来れば 「」「 」の

ように、緑丸の中に白文字を入れたかったのだが、日頃の

勉強不足ゆえの中の「イ」』とか、『の中に「ロ」』

などと表現するしかなかったのだ。

だから、下の古地図内のに「ィ」などの文字は

「フォント」ではなく、画像で合成したものである。

江戸の地図イロハ

 

 

8月31日の日記 画像サイズを別枠で拡大しようにも書いたが

「クリックで画像が拡大される方法」を遅まきながら勉強を

して出来るようになり、今回 また「特殊文字」の扱い方を

知ろうと勉強した。

特殊文字.png

 

これもサイトで調べてみれば、さほど難しい作業でもなく

「画像の拡大・・」で、ひとつカシコクなった六兵衛が

今回の「特殊文字」の扱い方を勉強して、またまた ひとつ

カシコク! なりました。

画像サイズを別枠で拡大しよう

「六兵衛ブログ」が、下手で 独りよがりなブログ日記とはいえ

掲載した画像(写真)の、出来れば その画像のサイズを大きく

して、細かいところまで見てもらいたいと思う事がある。

しかし、日記を書くべき部分の横幅サイズに限りがあって

これまでは 大きくならないまま 画像を掲載していたのだが

今回 思い切って画像を拡大出来るようにしようと

独りよがりながら、一度 挑戦してみることにした。

 

拡大
《この画像は 拡大しないよ。》

 

どうせ六兵衛の事だから 簡単には出来ないだろう・・と自分

でも思いながら、2,3のサイトを参考にして挑戦した。

ところが、サイトの説明が良かったのだろう、案外 思って

いたよりも簡単に「拡大する設定」が出来たのである。

そして、最初に拡大できる画像に挑戦したのは二つ前の日記

8月27日の『二つの「堀内源左右衛門の道場」に掲載

した江戸時代の地図であった。

そして 8月29日『一足早く 空に・・』の日記にも

さほど拡大する必要のない写真だったけれど

これも勉強や・・と思い、「空の写真」を拡大できる形で

掲載した。

またひとつ  カシコクなった六兵衛ではあるが

ひとつカシコクなっても、ふたつ忘れてしまう この頃だから

何処かに「拡大の操作方法」を、メモっておかなくっちゃぁ。

 

一足早く 空に・・

暑い夏の日中には、とても散歩など出来る状況には ない。

だから 6月の後半あたりから、日差しが さほど強くない

朝早くに、つれあいと一緒に早朝散歩に出かける。

 

8月の、暑い夏も そろそろ終わろうかという この頃・・。

朝の早い時間だけだが、空は どこか 秋の気配がする。

 

8月25日の早朝の空・・。

写真をクリックで拡大

 

そして 今日、8月29日の早朝の空・・。

写真をクリックで拡大

 

何故だか今日は涼しく、このブログを書いている時間になっても

現在の気温は約27℃ 。

冷房など付けなくても、十分 過ごせる・・。

 

もちろん・・

このまま 秋になってくれるほど甘くはないだろうが・・

 

二つの「堀内源左右衛門の道場」

序 お犬姫見参

『四谷の大木戸をこえて伝馬町をぬければ、江戸城の外堀に

つきあたる。左へ折れ、満々と水をたたえた濠にそって北へ

むかう。 牛込御門を横目で見ながらしばらく行くと江戸川だ。

橋を渡り、片側に武家屋敷がつらなる川沿いの道を左へ進む。

秋もたけなわ、河原では葦が涼風に たなびいて・・・』

と、文庫本『元禄 お犬姫』の書き出しである。

諸田玲子さんの文庫本『元禄 お犬姫』(中公文庫)の

書き出しの文章に、六兵衛には懐かしい土地などの名前が

出てきて嬉しくなり、性懲りもなくブログに書きたくなった。

五代将軍・徳川 綱吉が発した「生類 憐みの令」。

例え 野犬でも「お犬様」と呼ばれ、大切にされた時代。

中野村に作られた大規模な お犬小屋「中野御用御屋敷」

(お囲)で、犬小屋支配の助役を勤める森橋弾正右衛門と

その家族。

しかし母親の佐知が病がちなため 療養を兼ね、小石川で

剣術道場を営む堀内源左衛門の離れを借りる事になり

父親と兄は仕事で中野村を離れるわけにはいかないので

母の佐知、祖父の善右衛門、弟の善次郎、そして どんな

犬でも たちどころに手なずけてしまう事から「お犬姫」と

呼ばれている知世らの一行が、中野村の役宅から小石川に移り

住むための移動中に起きる出来事から 物語が始まる。

《下の地図はクリックすると別枠で大きくなる》

 

「江戸切絵図」などを合成し、名前や矢印などを入れる。

独りよがりだが、そんな作業が なんとも楽しい。

「立慶橋」や「神楽坂」の近所のの中の「イ」の場所は

六兵衛が若い頃、初めての東京で暮らし始めた「後楽」

の中に「ロ」は1年半ほど暮らした「関口」という町

の中に「ハ」は「横寺町」、ここも1年ほど暮らした。

そこで思い出すのは 4年ほど前、2018年3月28日の

当ブログ「江戸川に架かる「立慶橋」」にも書いたが

その頃 読んだ、池波正太郎さんの文庫本『堀部安兵衛 上・

下 巻』の下巻の 11ページ目あたりに・・

小石川の水戸屋敷の北から西へかけて、江戸川が流れて

いる。この川は神田上水の枝流であって、北から西へ

いくつもの橋がかけられているが、江戸川が江戸城の濠へ

合流しようとするあたりに舟河原橋があり、その一つ手前

の橋を立慶橋とよぶ。

中略

堀内道場は立慶橋の東詰、松平讃岐守下屋敷と通りを

へだてた南側にあった。

このあたりは幕臣の邸宅が多く、堀内道場も以前には

斎藤長十郎という旗本の屋敷だったという。

中略

広沢と安兵衛が、立慶橋を東へわたりかけたとき、

向こうから来た武士が立ちどまり、にこにこ とこちらへ

笑いかけてきた。

その武士は、奥田孫太夫であった。』・・・とある。

 

『元禄 お犬姫』と『堀部安兵衛』、この二つの物語には

赤穂浪士の話が登場する。

そして、多くの赤穂藩の武士が通っていたとされる

「堀内源左右衛門の道場」の場所がどちらにも登場するが

『元禄 お犬姫』では「小石川龍門寺門前町」とある。

牛天神

 

『堀部安兵衛』では、立慶橋の東詰「松平讃岐守下屋敷と

通りを隔てた南側・・」とある。

「江戸川にかかる・・・」

 

「堀内源左右衛門の道場」の場所が、二つの物語で違っていた

としても 大した問題ではなく、短い間だったけれど六兵衛が

若い頃に暮らした懐かしい場所が、江戸の元禄の頃を描いた

二つの物語に登場したのは、懐かしく うれしい。

六兵衛が住んでいたのは、それらの物語より はるかに後の

昭和の、それも わずか数年の間の事なのだが・・それでも

ひとり 悦に入るのである。

 

文庫本「天保図録」

朝日新聞出版が発行する週刊誌「週間朝日」に

昭和37年(1962年)4月から昭和39年(1964年)

12月まで連載され、週刊朝日での連載終了後に朝日新聞出版や

光文社のカッパノベルズ、角川文庫や講談社文庫など

多くの出版社から文庫本が出版されている松本清張さんの

時代小説『天保図録』の角川文庫版 上・中・下の3巻を

読み終えた。

天保図録各文庫本

 

 

異国船が日本近海に相次いで出没し、日本の海防を脅かし

始めた江戸後期、財政逼迫にあえぐ幕府を救うべく

「天保の改革」を打ち出した老中筆頭の水野 忠邦。

目付・鳥居耀蔵は、その水野忠邦に言葉巧みに取り入り

自らの野望のため、家来の本庄茂平次らと共に

悪どく事件をでっち上げ、自分らの邪魔になる人たちを

追い落とし、己の野望を実現しようとする。

しかし、水野忠邦の政策は庶民からは憎まれ

水野や鳥居に対抗するべく旗本・飯田主水正が立ち上がる。

大奥、幕閣内の反水野派、そして親藩の紀州藩までもが

反水野に固まり、「天保の改革」を強引に推し進めてきた

水野忠邦と鳥居耀蔵の野望は、わずか三年足らずで挫折に

追い込まれ、水野は老中を罷免されて失脚した。

一方 鳥居耀蔵は、身柄を四国丸亀藩京極家にお預けのまま

その後の明治維新の際に恩赦を受けるまでの20年間以上も

軟禁状態に置かれていた・・という。

 

 

だいぶ以前、宮部みゆきさんの小説『孤宿の人、上・下巻』を

読んだことがある。

宮部・平岩

その内容は もうほとんど忘れているが、丸亀藩に軟禁状態と

なった鳥居耀蔵は、「天保図録」で描かれている鳥居耀蔵とは

少し印象が異なっていて、身寄りのない下働きの幼い娘との

心の通い合う物語だったような記憶がある。

そして もうひとつ、まだ読んだことはないのだが平岩弓枝さんも

小説『妖怪』というタイトルで鳥居耀蔵を書いているらしい。

ここでの鳥居耀蔵は、いくら妖怪と罵られても

官僚という立場を貫き通し、仕事一筋に打ち込む耀蔵の目を

通して書かれた物語だったという。

 

 

天保図絵

とにかく 清張版「天保図録」は、長い長い小説だった。

なにしろ 昔の文庫本の文字は、今と違って小さいうえに

上、中、下巻の、例えば上巻だけで510ページほどもあり

中巻・下巻も同じようなページ数で、3冊 重ねた文庫本の

厚さが6.5cmもあった・・。

 

歌手 新川二朗さん

演歌歌手の新川二朗さんが亡くなったとYahoo!ニュースで

知った。

yahoo

新川二朗さんの 渋く通る声が好きになり、六兵衛が散歩する

ときの友達の一人になった。

・・とは云うものの もちろん、六兵衛が歩く その横で

新川さんが歌ってくれている訳ではないものの

彼が歌う『オホーツク岬』は大好きだった。

新川さん

演歌や歌謡曲、そしてポップやロックなどの歌が

盛んにテレビやラジオで流れていた六兵衛が若い頃は

歌自体に さほど興味は もっていなかったが

六兵衛が60歳代後半あたりになって、何故か古い歌謡曲が

沁みるようになってきて、散歩をしながらイヤホンで

iPhoneに保存した古い歌謡曲を聴くようになった。

新川さんは、そんな六兵衛が聴く歌謡曲を歌われていた一人で

あった。

 

 

 新川 二朗 さん 本名:沢田 幸雄 石川県 出身

1939年(昭和14年)11月生まれ

1962年『君を慕いて』でデビュー

2年後の1964年には『東京の灯よいつまでも』が

大ヒットした。

「1942年生まれ」だと 長く公称していたらしいが

5,6年前に、実は1939年生まれだったと公表して

ファンを驚かせたという。

 

 

お疲れ様でした。

安らかにお休みください

 

 

神、我を見捨てず

昨日、当ブログに、『問題が発生したためコンピュータを

システム終了しまた。』とのタイトルの日記を書いた。

Appleアプリの「メモ」を使って文庫本の購入記録やブログの

下書きなどのメモ書きをする際「MacBook Air」だけではなく

「iPhone」や「iPad」でもメモ書きが出来るように

それらデバイスの共有を目指し、設定に挑戦していたのだ。

ネットので説明を読んでも、なかなか理解できず

半日 以上も右往左往していたら、『問題が発生した・・』云々

の小窓が現れてしまったのだった。

 

とりあえず昨日は、そこで「悪あがき」は止めにしたのだが

それでも、せめて その日の最後くらいは強がって終わろうと

『まぁ! 今は これくらいで我慢しといてやるが

その内 落とし前 付けてやるから 待ってろヨ!!』

とブログに書いて、その日は終わったのだった。

 

サイト

そして今日、再度「共有」設定に挑戦した。

一日 過ぎれば 気分も変わるヤロ・・。

昨日より 少しは落ち着いて 挑戦出来るカモ・・。

・・・などと、都合の良いことを考えて始めたのだが

やっぱり一日経ってもネットの参考書は、ややボケ始めた

六兵衛の頭に、スムーズに入ってくれない・・。

アレやコレやと 試す・・。

懲りずに 試す・・。

 

 

ところが ところが である・・神は我を見捨てず。

偶然か必然か、自分で 設定作業をしておきながら

何が どうして そうなったのかの訳も分からないままに

「iPad」の「メモ」が「MacBook Air」の「メモ」と共有

出来たのである・・そう、神は我を見捨てなかった。

 

 

「iPhone」との共有が残ったままだが、今はちょっと疲れた。

それは また後日と しようか・・。