堆肥 作り

台風10号の影響なのか、午前中は曇りがちな空模様・・。

だから その間に、秋の野菜を作るのための土作りに必要な

「堆肥」を作った

ホームセンターで購入した「バーク堆肥」と・・

近くのホームセンターやスーパーなどに設置している無人の

玄米の精米機から貰ってきた「米ぬか」と・・

コイン精米機

Yahooショッピングのネット通販で購入した「米殻くん炭」とを

混ぜて作った「堆肥」で、秋野菜のための肥えた土を作る予定だ。

 

 

暑い真夏の晴れ間が続くと、野菜の畑に撒くための水も半端なく

だから我が家では、雨水を溜めて置くタンクを多く設置している。

 

表の畑用の雨水タンク。

雨水タンク2

 

裏の畑のための雨水タンクが2基。

雨水タンク1

 

うらの畑の隅に作った物置小屋の、波板屋根を利用しての

雨水バケツもある。

雨水3

 

他にも小さなバケツも数個 用意している・・。

雨水タンク4

それでも それでも 夏の時期、晴れた日が何日も続けば

せっかく溜めた雨水も、あっさりと無くなってしまう・・。

 

農業を仕事とされている方々に比べると 恥ずかしき事ながら

エセ農人の六兵衛としても、晴れの日ばかりが続き

畑の土が乾いてくると、空を見上げて ついつい雨乞いなどでも

したくなってくる・・。

 

『東京ジプシー』

当​​​​​​六兵衛ブログの7月11日の日記『古い流行歌』にも書いて

いるように、六兵衛が夜 寝る時の子守唄は

インターネットラジオ「ポッドキャスト」番組が飽きたので

古い流行歌に変えた。

 


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2012年の夏の頃に「さし絵」として掲載していた121作目のカット絵。

 

​​無料再生アプリ『OPlayer Lite』を「iPad」にダウンロードし

その中に多くの古い流行歌(昭和の戦前の歌や戦後でも

せいぜい昭和30年代頃まで・・)を保存して、朝まで流すの

だが、そんな流行歌の中に 驚くような歌が混じっていた。

 

それは、昭和29年にキングレコードで制作された

『東京ジプシー』という歌。

作詞:横井弘 作曲:江口夜詩 歌:江口泰代

「東京ジプシー」

1)

銀座の銀座の 屋根裏に

生まれてジャズが 子守唄

ビルの谷間の 青空に

親は誰かと聞いたけど

雲が流れて 行くばかり

東京ジプシー ひとり者

2)

酒場の酒場の あの娘

髪に情けの 紅薔薇(べにローズ)

同じ流れの 身だとても

寄せてくれるな 白い頬

辛い涙が 増すばかり

東京ジプシー ひとり者

3)

来る日も来る日も 鼻唄で

暮らす巷の 渡り鳥

何をくよくよ 泣いたとて

昨日は昨日 明日は明日

投げるダイスの 風まかせ

東京ジプシー ひとり者

 

この歌のモデルは、その見事な肉体と踊りの芸で戦後の混乱期

に、永井荷風や林房雄、船橋聖一といった作家達を虜にし

版画家の棟方志功も「彼女の肉体は神である」と讃えたほどで

和製モンローともいわれ、ストリップの女王といわれた

芸名をジプシー・ローズ(本名:志水敏子)という

実在したストリッパーだという。

 

音楽にはド素人の六兵衛だから、専門的な事は分からないが

この歌を歌っている江口泰代という女性、力強さを感じる声量

で、聴かせるなぁと思っていると、突然 異様な裏声に変わる。

しかも その裏声までもが力強い。

元の声に戻ったかと思えば、また 裏声になったりする・・。

六兵衛が古い流行歌を多く聴いていて、特に昔の女性歌手は

高音になると裏声で発声する人が多いように思うが

しかし、これほどの力強い裏声を聴くことは あまりない。

例えば、ブルースの女王といわれた淡谷のり子さんの裏声も

強くはっきりと歌われていたように記憶するが

この『東京ジプシー』を歌う江口泰代さんの裏声は

突然 気が狂ったか・・と思えるほどの、異様な声なのだ。

 

以前にも当ブログで取り上げた事があったと思うが

六兵衛の大好きな ちあきなおみさんが歌う『夜へ急ぐ人』

(作詞・作曲:及川かずきさん)という歌も、気が狂ったのか

と思わせる 奇妙な笑い(叫び)には驚いたが・・

「夜へ急ぐ人」

 

今回の『東京ジプシー』を歌う江口泰代さんも

それとは また別の異様さを感じさせる歌声である。

この江口泰代という歌手が どういう人なのか、ネットで

ググってみたが、残念ながら分かった事は わずかしかない。

 

昭和8年 東京生まれ、この歌(東京ジプシー)の作曲家でも

あり、生涯4000曲を超える作曲をし、古賀政男とは

終生のライバル関係にあったという作曲家・江口夜詩とは

父娘だとの情報もあるが、確かなことはわからない・・。

江口泰代さんの他の歌を調べてみたが『大島むすめ』という

昭和31年にキングレコードから発売されている曲 以外を

見つけることは出来なかった。

大島むすめ

「大島むすめ」

 

 

余談だが・・

2002年に桑田佳祐さんが、「ROCK AND ROLL HERO」

というアルバムの中に『東京ジプシーローズ』という曲を

入れている。

「東京ジプシーローズ」

英語の歌詞が多くて、ほとんど意味は分からないし

こういうタイプの歌は、どうにも苦手だし

名前はジプシーローズだが、同じ女性なのかどうか

わからない・・。

 

F1種のタネには「雄シベ」が無い という・・。

ホームセンターで購入した「坊っちゃんカボチャ」のタネを

春になってポットに蒔き、芽が出て苗に育ち

裏の畑のフェンスのそばに植えたのが初夏のころ・・。

数個の収穫をすでに終えて、最後に残っていた一つが

9cmほどの大きさになったので、今日 収穫をした。

 

下の写真の 小さい方の「カボチャ」だ。

かぼちゃ大小

 

今日の話は、隣に写っている大きい方の「カボチャ」のことだ。

15cmほどで、そこそこの大きさがある。

 

当 六兵衛ブログの6月27日の日記『今日は曇り空』の中でも

触れているが、スーパーで買ってきた「かぼちゃ」を料理すると

余計なタネの部分が出るから、それは庭のコンポストに入れる。

 

コンポストの中で適度に堆肥化したら、肥料として畑の土に

混ぜる・・だから 春になると、我が家の表の畑には

あちらこちらから「かぼちゃ」の芽が自然に出てくる。

 

しかし、スーパーで買ってきた「かぼちゃ」は

「種苗法」で決められた『F1種』のタネのはずで

その「一代交配種」のタネからは実は生らないはずだと

分かってはいたが、今回 つれあいの言を取り入れて

表の畑に自然に出てきた「カボチャ」の苗も

「ぼっちゃんカボチャ」の苗と並べて育ててみることに

したのだった。

 

・・その本来なら 実らないと思っていた『F1種』のタネから

一つだけ実のり、15cmの大きさにまで育ったこの「カボチャ」

すぐにでも食べてみたいと思うが、収穫後すぐには食べない。

数週間 そのままにして追熟させると、ますます美味くなると

つれあいが言うので・・待つ事にした。

 

トマトマトマト・・マトマト

当 六兵衛ブログの7月16日の日記『トマトマトマト?』を

書いた辺りから、裏の畑でのトマトの収穫量が

大きい物から小さい物まで 半端なく

つれあいと二人で、毎食ごとに食べているし

隣の義弟の家族にも分けて食べてもらっているが

それでも なかなか追いつかない・・。

トマト1

 

昨日までの収穫分が、まだ これだけ残っていて

 

トマト2

 

 

・・だから 今朝の収穫は、やめておく事にした・・。

 

今朝もコーヒーを飲む前に、つれあいが湯むきしてくれたトマトを

食べる・・。

 

トマト3

 

湯むきのトマトは、生のトマトより食べやすく、そこそこの量が

さばける・・。

「さばける」・・などと、食べることが義務的なような

もったいなく贅沢な言い方だが

毎日 毎日 食べていると、ついつい出てしまったりする・・。

 

 

毎日 毎食、トマトばかりを食べているから

もしかしたら、昼寝から目覚めると・・

六兵衛の顔がトマトになっていた・・なんて事が

ありそうな・・なさそうな・・。

 

 

意見は さまざま・・

オリンピック大会が始まって数日が過ぎた。

テレビやネットのニュースなどでは、オリンピックの競技の

模様や結果を盛んに伝えている。

だから オリンピックは観ないと公言した六兵衛などは

目のやり場に困る・・。

 

そんな中、ある野党議員のTwitterが炎上しているとか・・

また、大会前には東京五輪に反対していたワイドショーが

五輪の結果に熱狂しているとか・・

特にネットを見ている、そんなニュースが 伝わってくる。

『あれだけ中止を求めていたのに、開幕後は選手たちの活躍

に一喜一憂し、歓喜している』『五輪を中止すれば選手の活躍

もなかった』『ダブルスタンダード』『すごい手のひら返し』

・・等などのコメントが寄せられているという。

 

この様な批判に対し その野党議員は・・

『開催そのものへの反対は変わらない。

政府や日本五輪委員会の国民を守る危機管理の問題なのだ。

選手の活躍には心から敬意を表する。

五輪に反対するなら応援するな・・ではない。』と反論した。

 

そして この野党議員の反論に対しても、再反論もあったりする

らしい・・。


孫たちが まだ小さかった頃に、遊びで作った「gifアニメ」が
パソコンの隅っこに残っているので、 懐かしシリーズで掲載する。

 

日頃、この野党議員のサイト上での いろいろな意見を見るに

付け、『何にでも噛み付いて、ちょっと了見が狭いなぁ・・』と

思う事もあったりするが、この野党議員の云う「今回の五輪開催

は あくまでも反対だが、大会が開かれる事が決まり競技が

行われる以上は、自国の選手の活躍を応援するのは 当たり前の

ことだ」との意見に六兵衛も基本的に同意する。

それのどこが「手のひら返し」や「ダブルスタンダード」だと

いえるのだろう。

批判をする輩も、なんだかんだ言ったって やっぱり了見が狭い。

 

観ない!

『2020東京五輪・パラリンピック』の「五輪大会」が

始まっている。


孫たちが まだ小さかった頃に、遊びで作った「gifアニメ」が
パソコンの隅っこに残っているので、 懐かしシリーズで掲載する。

 

コロナ禍の厳しい状況の中での開催・・というだけではなく

その開催に至るまでの大会の運営面でも、さまざまな問題が

浮き彫りになったが、責任や基本的解決を図ろうともせず

一部の権力者たちの やや強引ともいえる思惑で

『2020東京五輪・パラリンピック』大会の開催が始まった

・・そんな不愉快なままな印象の 大会開催である。

 

だから 六兵衛は 観ない。

開会式も観ずに寝たし、それぞれの競技の試合も観ない。

アホ面さげてテレビは盛んに大会の放映をしているようだが

六兵衛は そんな放送局にも しらけているから 観ない!

 

競技をする選手には、大会前のゴタゴタなど関係ないのだから

応援する・・という国民の意見や、日本がメダルを取れば

自然と盛り上がるはずだ・・との意見もあったりする。

・・が、六兵衛は 観ない。

 

選手自身も「日本のために頑張る」などと言うのを よく聞く。

しかし 運動嫌いの六兵衛でも分かる事だが

選手は国のために 厳しい練習を繰り返したり、競い合い

勝ち抜いてきたのでは 決してないはずだ。

あくまでも それは、自分の為に頑張ったんだと思うし

当然 それで いいのだと思う。

大会での勝ち負けは、今後の選手自身の生き方にも大きく

関係してくる問題でもあるのだろうし・・。

 

大会は まだ始まったばかり・・。

このままスムーズに進み、無事 五輪が終わっても

そのあとには「パラリンピック大会」もある。

大会が始まる前から、あれやこれやとゴタゴタが続き

しかし、トカゲの尻尾切りをしただけで、だれも責任を取らず

基本的な問題を解決しないまま、うやむやに そして強引に

大会を進めようとするのは、税金という形で集めた国民の金を

少しでも多く食い散らすことのみを企む一部の輩(やから)の

思惑としか思えなく、このままオリンピックが進み終わって

しまえば、国民はそれらの行為を認めた事になる。

 

1964年10月10日、高校3年生の六兵衛が四国の片田舎で

白黒テレビに映る開会式の晴れやかさや、選手たちの活躍を

観ていたのと同じように、秋田県の田舎に暮らす高校1年生

だった義偉少年も、やはりテレビで観ていたのかもしれない。

先日 行われた日本代表選手団の壮行会では、今は日本の首相に

なり、少年時代に感激して観たオリンピックの思い出話しを

ビデオメッセージにして流すという演出だったのだろう。

ビデオメッセージ

 

東洋の魔女の話など、昔の東京五輪の思い出話を含め

いかにもオリンピックは、強く心に残るすばらしい大会だから

今回の大会も、これまでのゴタゴタは忘れて それらを乗り越え

皆んなで立派な大会にするよう頑張ろう・・と、自分たちに

都合の良い思惑を長々としゃべり、強引にでも今回の大会を

終わらせたい魂胆から、官僚か誰かが作った見えすいた作文を

義偉少年の思い出話として読んだのだろうと想像する。

 

六兵衛は、「2020東京五輪・パラリンピック大会」の

テレビ放送は、観ない!!

 

「若宮八幡宮」への小さな坂道・・

『牛込御門を過ぎた辺りから、つけられているような気配を

感じていた。

堀沿いの坂道を もう少し行けば市ヶ谷御門である。

西の空に残っていた赤味はすっかり消えて

近辺の武家屋敷の屋根が、黒々と影を作っている。・・・』

 

これは 小学館文庫の時代小説『付添い屋・六平太』の第2巻

(作:金子成人さん)「虎の巻 あやかし娘」に収められている

第2話「武家勤め」における書き出し部分の文章である。

表紙

 

主人公の秋月六平太は、元 信州十河藩の武士だったが

故あって浪々の身となり、裕福な家庭の娘の外出時などでの

用心棒のような「付き添い仕事」に雇われながら

糊口を凌ぎ暮らしている。

この小説自体は、可もなく不可もなくといった感じなのだが

最初に書いた「書き出し部分の文章」の中に出てきた

「牛込御門」や「市ヶ谷御門」などの名前には

50数年前の六兵衛の昔が、懐かしく蘇ってくるのである。

 

『六平太は ふいに庾嶺坂(ゆれいざか)へと右に折れた。

若宮八幡の方に延びる坂道だ。

「やはりな」

背後から ほどなく幾つもの足音が駆け上がって来た。

立ち止まった六平太を七、八人の侍が取り囲んだ。』

 

江戸時代の この辺りの、今で言う「外堀通り」を

「牛込御門」から「市ヶ谷御門」の方へ歩いていたとき

主人公の六平太は、後ろに大勢の人の気配を感じ

とっさに 若宮八幡宮に向かう小さな坂道へと折れた・・と

物語は続いている。

その とっさに折れたという坂道の名前が、小説の中では

「庾嶺坂(ゆれいざか)」となっている・・。

六兵衛の独りよがりの記述を長々と書いて恐縮なのだが・・

その坂道は何処だろうと興味が湧いた・・。

 

江戸若宮

国会図書館のインターネットに公開されている「江戸切絵図」

(版元:尾張屋清七、出版年:江戸後期の嘉永2年〜文久2年)

では「若宮八幡宮」への坂道は「シンサカ」とカタカナで

彫られている。

しかし、この物語では庾嶺坂(ゆれいざか)となっている。

 

『御朱印神社メモ』というブログ内の「神楽坂若宮神社」に

掲載されれている「その坂道」の説明によると・・・

『当社への登り道に「シンサカ」と記された坂がある。

これが当社を由来とした「若宮坂」とも「庾嶺坂」とも

呼ばれた坂。

「庾嶺坂(ゆれいざか)」の由来は、江戸初期に

この坂の辺りが美しい梅林であったため、2代将軍・徳川秀忠が

中国江西省の梅の名所「大庾嶺(だいゆれい)」にちなみ命名

したと伝えられている。』

若宮八幡神社

若宮八幡神社

 

・・なるほど、「庾嶺坂(ゆれいざか)」とか「シンサカ」とか

呼び方が異なるのは、年代の違いによるということか・・。

 

50数年前の、六兵衛がまだ20歳くらいの頃に

JR飯田橋駅西口を降りて、早稲田通り(神楽坂通り)を上り

「毘沙門天の善國寺」を少し過ぎた辺りの横寺町のアパートに

2年ほど暮らしたことがある。

毎日のように神楽坂通りを歩いたりしていたのだが

少し脇に入った「若宮八幡宮」という神社のことは

その当時には まったく知らないことだった。

 

「神楽坂近辺」や「牛込御門」、「市ヶ谷御門」辺りの

現在の地図に、短い期間だったけれど六兵衛が暮らした

昭和40年代ころの写真を貼り付けてみた・・。

今の若宮

写真①:昭和40年頃の「外堀」の水も、ヘドロで汚れていた。

写真②:昭和40年頃の「毘沙門天・善國寺」。

写真③:昭和40年頃の「外堀通り」には、まだ市内電車が

    走っていた。

写真④:三畳一間のアパートがあった 昭和40年頃の横寺町。

 

例えば・・

例えば、夕食後に・・

つれあいが作ってくれたエプロンを付け忘れることなく

食器を洗い始めることが出来た日など

オレもまだまだ大丈夫だと思えて、ちょっと嬉しくなる。

 

金魚ツンツン
孫たちが まだ小さかった頃に、遊びで作った「マンガ絵」が パソコンの隅っこに残っているので、 懐かしシリーズで掲載する。

 

例えば、その食器洗いのとき・・

洗剤を泡立たせた「キッチン スポンジ」を持った手の

何気ない動きに、小さなシャボン玉が ひとつ生まれ

シンクの辺りをフワ〜っと漂い流れていったりすると

・・ちょっと嬉しくなる。

 

例えば、六兵衛が愛読する文庫本の・・

新刊本の出版を一番楽しみにしている小説が、辻堂魁さんの

『風の市兵衛 弐』シリーズ(祥伝社文庫)である。

弐シリーズの第7巻「残照の剣」が 2020年9月に発売され

2021年1月には第8巻の「乱れ雲」も発売されている。

そして それら2冊の中古本も売り出され、すでに もう

それら2冊は六兵衛の手元に購入済なのだが

どうしても読みたくなったときのためにと まだ我慢をして

未読の本棚に並べたまま眺めている。

市兵衛さん

 

そして つい先日の14日、市兵衛さんシリーズの新作 第9巻

「寒月に立つ」が発売された。

当然の様に 今年の年末頃になれば、第9巻「寒月に立つ」も

中古本として買える金額になる目処がたつ。

少なくても これで3冊、それぞれの物語の中で市兵衛さんに

会えると思うと 嬉しくなる・・。

 

このような、小さくて ささやかな事に喜びを感じられるのも

つれあいを始め、娘たち夫婦や孫たち、友人や知人たちに

支えられながら、穏やかに老後を送れているからだろう。

みんなへの感謝を忘れないように・・と思う 六兵衛である。

 

夏の木陰

芥川堤道を北へ、「塚脇橋」まで散歩に出かけた。

 

我が地方も昨日 梅雨が明けて、本格的な夏の到来。

しかし 今日などは、歩いていても

まだまだ耐えられない暑さではない。

・・とはいうものの、暑いことは暑いのだが。

 

だから、ついつい日陰を選んで歩く。

堤道には あまり日陰がないが・・

それでも ところどころに、砂漠でオアシスに出会ったような

日陰がある。

日陰

元々 六兵衛の散歩は ゆっくり歩くのだが、こんな日陰の下では

ますます 歩く速度が ゆるくなる、ゆるくなる

 

 

迷いながら・・

昨夜の夕食後、つれあいに言われて 空を見上げると

西の空に夕焼け雲が・・

西の空七月十六日pm7時20分

 

 しかし 真反対の東の空の雲も赤く染まり・・

東の空七月十六日pm7時20分

 

おまけに、北北東の方角に浮かぶ空の雲も・・

北北東の空七月十六日pm7時20分

夕焼けで赤く染まっていた。

 

ええーっ! こんな事 あるの?

 

無学な六兵衛は 夕焼けといえば、日が沈む西の空だけと

単純に思い込んでいたわけで・・ふむ。

だからネットでググってみた。

 

『 特に夏になると全方位の空が夕焼けに染まることがある。

言い方をかえれば、どの方向にも空が焼ける可能性がある。』

・・とあった。

なるほど そうか・・あるんだ、こういう夕焼けも・・。

 

75歳にして、知らなかった事を恥じるべきか・・

75歳にして、また一つ賢くなったと喜ぶべきか・・

・・75歳になっても、迷いの中の六兵衛である。