やっぱり時代小説が好きだ・・

当六兵衛ブログの先日の日記に、吉川英治さんの「三国志」とか

北方謙三さんの「水滸伝」といえば、大作家さんが書かれた

中国の古典中の古典といわれる物語で、世界的にも名作でもある

わけで、一度 読み始めたら、途中で辞めるわけにはいかない・・

と、この歳になって 誠に恥ずかしい話なのだが、そんな思い込み

のようなものがあって、だから読んでいても決して楽しくはない

ものだから、結局 読み続ける事が出来ず、途中だったが 止めて

しまった・・と書いた。

 

小さな世界の お話でいい、単純な作り話でいい、最後は良かった

良かったと 胸を撫で下ろせるような、出来れば江戸の時代あたり

を舞台にした そんな小説が、やっぱり六兵衛は 好きなのだ。

 

読みかけで終わってしまった「水滸伝」は横に置いとくとして

新たに取り出したのは講談社文庫 刊・荒崎一海さんの時代小説

『九頭竜覚山 浮世綴』の第3巻目「寺町哀感」である。

子供の頃から水形流の剣と兵学を学んできた学問一筋の浪人

九頭竜覚山が、深川一の売れっ子芸者 およね(米吉)を妻にし

門前仲町の一軒家に暮らしている。

人としても剣の腕も見込まれ、深川花街の用心棒としても

頼りにされている。

日に2度 花街を見廻ることが仕事だが、何度か不逞の浪人に

襲われる。

しかし、己の決められた仕事を確実に行う日々が続く 淡々と。

 

荒崎一海さんの小説に最初に出会ったのは、徳間文庫刊の

『闇を斬る』シリーズ(全7巻)だった。

故あって新妻と今治藩を脱し、江戸で直心影流道場の師範代

として口を糊していた真九郎は、道場からの帰途、数人の侍に

襲われていた大店の主人・宗右衛門を救った。

それを切っ掛けに以後も、南の国の大藩との真剣勝負は続いて

いく。

 

この二つの小説、登場する人物や環境は違えど、妻とふたり

町家に暮らし、人を信じ 人に信頼され、与えられた己の仕事を

日々コツコツと努める・・そう 淡々と、そんな物語である。

 

中国の「四大奇書」といわれても・・

何年か前だったと思う、吉川英治さんの小説『三国志 ( 全8巻 ) 』

第1巻を読み終わったあと、第2巻 以降の続きを読む気になれず

そのままに なってしまっている。

それから数年を経た今 、改めて今度は 北方謙三さんの『水滸伝』

 ( 全19巻 ) の、まず第1巻から第3巻までの中古本を購入し

今 第2巻目の半分近くまで読み進めてきたのだが・・

今度も 今度も、続きを読むのが、どうにも しんどくなってきた。

 

「三国志」や「水滸伝」は、中国を代表する古典小説と言われ

悪い政治をする権力者に対抗して集まった国中の勇者たちの

物語とか、日本の戦国時代を 一つも二つも スケールを大きく

したような国取物語のようらしいのだが(最後まで読んでも

いないのに・・)、それにしても 古い中国の人間模様などが

今ひとつピンと来ない事もあったりして、なかなか 気持ちが

乗っていってくれない・・。

その上、中国人の名前自体が どうにも覚えにくいうえに

登場人物があまりにも多く、わけがわからなくなる。

いつまで 経っても 誰が誰やら分からないままに

ページをめくっている・・状態である

 

※「三国志」は紀元3世紀頃(日本では邪馬台国の時代)の物語

 

※「水滸伝」は紀元13世紀頃(日本では鎌倉時代)が舞台。

 「三国志」・「水滸伝」・「西遊記」・「金瓶梅」の 4つの

  名作古典小説は、中国の「四大奇書」といわれているという。

 

そんなこんなで 、「三国志」や「水滸伝」が 世界の名作・大作と

云われているのは 百も承知だし、実力のある多くの作家さんが

意欲をもって書かれた大作なのだろうに、どうにも六兵衛には

続きを 読む意欲が湧いてこない・・湧いてこない・・

 

童謡『手のひらを太陽に』

『手のひらを太陽に』という童謡がある。

制作は1961年(昭和36年)、翌1962年にNHKの

「みんなのうた」で放映されたという。

『手のひらを太陽に』

作詞:やなせ たかし 作曲:いずみ たく

歌:宮城まり子さんとビクター少年合唱隊

1)

ぼくらはみんな 生きている

生きているから 歌うんだ

ぼくらはみんな 生きている

生きているから かなしいんだ

手のひらを太陽に すかしてみれば

まっかなに流れる ぼくの血潮(ちしお)

ミミズだって オケラだって

アメンボだって

みんな みんな生きているんだ

友達なんだ

 

2)

ぼくらはみんな 生きている

生きているから 笑うんだ

ぼくらはみんな 生きている

生きているから うれしいんだ

手のひらを太陽に すかしてみれば

まっかに流れる ぼくの血潮

トンボだって カエルだって

ミツバチだって

みんな みんな生きているんだ

友達なんだ

 

3)

ぼくらはみんな 生きている

生きているから 踊るんだ

ぼくらはみんな 生きている

生きているから 愛するんだ

手のひらを太陽に すかしてみれば

まっかに流れる ぼくの血潮

スズメだって イナゴだって

カゲロウだって

みんな みんな生きているんだ

友達なんだ

 

早朝散歩の途中で 何故か突然、この歌の一節

『♬ ミミズだって オケラだって・・』の歌が 飛び出した。

 

この童謡 いい歌だし、言ってる意味も よく分かる。

大きかろうと 小さかろうと、みんな 一生懸命 生きているんだ

から・・。

・・とは 云うものの・・なのである。

 六兵衛や つれあいの、老後の気ままな畑仕事とはいえ

汗を流し、足や腰を庇いながら 作物を作っているのに

邪魔をされては・・困るのだ。

たとえ それが、可愛い子どもたちが歌う童謡の中の虫たちや

たとえ 精一杯 生きているだろう 小さな生き物たちで

あっても・・。

 

例えば、せっかく作っている作物の土の中で

「根」食べて成長するという「コガネムシ」の幼虫たちとか・・。

 

「ナスビ」の葉を食べ尽くす「ニジュウヤホシテントウ」・・。

 

「葉物野菜」の葉を食べる「青虫」などの幼虫・・。

 

ところ構わず あちこちで、「繭」に変身する「毛虫」・・等々。

六兵衛の畑で、これまでに出会った虫たちによる被害の様子だ。

 

六兵衛の了見が 狭いと、ちょっと感じながらも、やはり

そんな虫たちを見つけたら『♬ みんな 友達なんだぁ〜』などと

呑気に歌っては いられない。

かといって 農薬などは決して使いたくはない。

だから つれあいは、そんな虫たちを見つけたら

『ごめんね!』と言いながら潰すそうだ。

六兵衛の場合は『コンチキショウ!』などと

とりあえず憎まれ口を叩きながらでないと

どうにも潰しにくいのでは あるが・・。