芥川堤道を北へ、「塚脇橋」まで散歩に出かけた。
我が地方も昨日 梅雨が明けて、本格的な夏の到来。
しかし 今日などは、歩いていても
まだまだ耐えられない暑さではない。
・・とはいうものの、暑いことは暑いのだが。
だから、ついつい日陰を選んで歩く。
堤道には あまり日陰がないが・・
それでも ところどころに、砂漠でオアシスに出会ったような
日陰がある。

元々 六兵衛の散歩は ゆっくり歩くのだが、こんな日陰の下では
ますます 歩く速度が ゆるくなる、ゆるくなる。
昔 遊んだ仲間たちが 逢いに来てくれる・・
芥川堤道を北へ、「塚脇橋」まで散歩に出かけた。
我が地方も昨日 梅雨が明けて、本格的な夏の到来。
しかし 今日などは、歩いていても
まだまだ耐えられない暑さではない。
・・とはいうものの、暑いことは暑いのだが。
だから、ついつい日陰を選んで歩く。
堤道には あまり日陰がないが・・
それでも ところどころに、砂漠でオアシスに出会ったような
日陰がある。

元々 六兵衛の散歩は ゆっくり歩くのだが、こんな日陰の下では
ますます 歩く速度が ゆるくなる、ゆるくなる。
昨夜の夕食後、つれあいに言われて 空を見上げると
西の空に夕焼け雲が・・

しかし 真反対の東の空の雲も赤く染まり・・

おまけに、北北東の方角に浮かぶ空の雲も・・

夕焼けで赤く染まっていた。
ええーっ! こんな事 あるの?
無学な六兵衛は 夕焼けといえば、日が沈む西の空だけと
単純に思い込んでいたわけで・・ふむ。
だからネットでググってみた。
『 特に夏になると全方位の空が夕焼けに染まることがある。
言い方をかえれば、どの方向にも空が焼ける可能性がある。』
・・とあった。
なるほど そうか・・あるんだ、こういう夕焼けも・・。
75歳にして、知らなかった事を恥じるべきか・・
75歳にして、また一つ賢くなったと喜ぶべきか・・
・・75歳になっても、迷いの中の六兵衛である。
我が家のいつもの1日は、朝7時頃に起き出して
朝食らしき食べ物はとらず、「生姜湯」か「コーヒー」かの
どちらかを1杯飲むことから始まる。
昨日の朝・・。

昼前の11時頃になると、朝食と昼食を兼ねたブランチをとる。
下の写真は、昨日の「ブランチ」での六兵衛と つれあいの二人分。

つれあいが柑橘類の皮で作った「ジャム」を、フライパンで
焼いて作ってくれた自家製パンに乗せて食べる。
「ヨーグルト」には「青汁の粉」と「きな粉」とを混ぜた粉を
混ぜ合わせて食べる。
最後に「トマト」で さっぱりと口直しをする。
時に「ブランチ」では、「うどん」や「そば」の時もある。
そして この「ブランチ」が、一日の最初の食事となる。
夕方の6時前後あたりが夕食の時間になる。
晩酌として、つれあいと二人で 350mlの缶ビールを
1本ずつ飲む。
昨日の夕食。

「ナスビ」「キュウリ」「坊っちゃんかぼちゃ」や「トマト」
などは、我が家の畑で栽培して収穫した野菜。
さて、3枚の写真を見て 何か感じたかな・・。
そう、3枚の写真には、いずれも「トマト」が食卓にのぼって
いる。
我が家の裏の畑に植えた ひと畝分の「トマト」の収穫量が
半端なく、三度三度の食事どきに食べて減らしていかないと
余って腐らせそうな・・そんな贅沢を味わっているのだ。

そして それは、「キュウリ」や「ナスビ」などにも
同じようなことがいえる・・。
今朝も・・・

・・・収穫あり。
田植えの時期が終わって約1ヶ月ほどが過ぎた。
植えたばかりの頃の苗は、どこか幼なげで頼りなく見えたが
1ヶ月ほどが過ぎた今では 緑色も濃く鮮やかになり
水田にしっかりと根を張って、確実な秋の実りを想像できる。

散歩の途中にある水田の稲の成長などを見ながら歩くのも
散歩の楽しみの ひとつなのだが、毎年 今頃になると
しっかり根付き始めた稲の根元や畔(あぜ)などに
赤いブツブツのかたまりが目に付くようになる。

どんな種類かはわからないが、それはカエルの卵なのだろうと
勝手に思い込んでいた六兵衛だったが、今日 念の為 散歩から
帰って「水田の赤い卵」でググってみた。

予想に反して なんとそれは「ジャンボ タニシ」の卵だという。

たしかに 水田の中にはタニシらしきものが いるにはいるが
あの派手な赤色をした「卵」が、水田の中に半分潜って
動くとも動かないとも わからないような地味な存在の
タニシの「卵」だとは 驚きである。
他の生物に見つけられて食べられないように、保護色とかなら
わかるが、赤い派手な色では保護色にはなりえないだろう。
もしかしたら、派手なケバケバしい色をすることによって
毒々しい印象を与えようとしているのか・・などと
タニシ事ながら 考えてしまう・・。
裏の畑に植えている「トウモロコシ」が、少しずつ 大きく
なってきた。

収穫するには まだまだ小ぶりのようだが、つれあいが1本だけ
収穫して すぐに茹でてくれ、それが昨日の昼の食卓にのぼった。

六兵衛にすれば『収穫するには、まだ小さいやろ・・』と
いいたいところだが、つれあい にすれば『どんな具合に育って
いるか、知りたかった』・・らしい。
その気持ち、 六兵衛にも わからないではない・・。
その1本を つれあいが すぐ茹でてくれて、昼飯時に二人で
半分コして食べたんやけど、やや貧弱な見た目とは異なり
食ってみると、ジューシーで甘くて 美味かった。

これなら、残りの「トウモロコシ」は
もう少し大きく育ててからの方が得だと考えて
収穫は、もう少し後にすることにした。
ここ数年、毎年のように「線状降水帯」とかいう積乱雲群が
日本列島の あちこちで発生し、短期間に大雨を降らし
大きな被害を起こしている。

今年に限っても、九州南部や山陰地方、静岡県などで
多くの人命に関わる被害がでている。
『早めの避難を・・』と気象庁や放送局などは簡単に言うが
早めに避難をするには、それなりに大きな決断がいる。
通りいっぺんの『早めの避難を・・』という言葉には
何となく違和感を持つ。
そして「コロナ禍」は、一向に収まる気配がない。
そんな中でも、オリンピックを行うと政府は決めた。
こんな状況下で、無理にでも開催しようとするのは
いったい 何のためか、誰かの利益になるからか・・。
誰かとは 誰や?!
こら! そこの奴! こそこそと逃げるんやない!
隠れてないで 表へ出てこい!
隠れても ケツ 見えとんぞ!

そもそも『復興オリンピック』と銘打ち、大きな税金まで使い
日本に招致したんや なかったんか。
聖火リレーの最初の土地が福島から始まった・・というだけの
ことやったんかい・・。

『お・も・て・な・し』などと、チャラチャラしやがって
恥ずかしくて町も歩かれへんやないか。
コロナで 「おもてなし」をしよう ちゅうんかい・・?
東京五輪・パラリンピック招致当時から、主な旗振り役だった
当時の安倍首相、東京オリンピック・パラリンピック組織委員
会の森会長、猪瀬都知事、竹田JOC会長・・
しかし 今は、誰ひとり その場所に立っていない。

何やかんやの問題があって、みんな辞めてしまった。
招致が決定した時の アホな面々の馬鹿騒ぎも遠いむかしヤ・・
何のために、誰のために、馬鹿面さげて喜んだんやろう?
これが国を動かす奴らかと思えば、ホンマ 恥ずかしいワ・・。

『・・・・・・・・』
そのうえにコロナや・・。
それもオリンピックが2週間後に開催されるというこの時期に
東京では今日から4回目の「緊急事態宣言」が出されるという。

・・いや、この言い方は誤解されそうだ。
世界的な大きなイベント「オリンピック」を開くのに
「緊急事態宣言」を出すのは おかしい・・と
言っているのでは決してない。
「緊急事態宣言」を出さざるを得ない この時期に
オリンピックを強行することが 間違っているのではないか・・
と言いたいのだ。
「緊急事態宣言」・・4回目やで、4回目!。
おかしいと思わへんか?
へんやろ、へんやで・・。
いくらアホな六兵衛でも、同じ失敗を4回も繰り返さへん。
政府は いったい どうしたいんやろな?
わからんわ・・。
六兵衛とは別の意味でアホな奴らの考えることは
まともなアホの六兵衛には、ホンマ わかりましぇ〜ん!!
もうすぐ梅雨が開けそうな 今朝、上の池公園あたりから
奈佐原の田園風景の中を、「iPhone」に保存した
昔の流行歌を聴きながら歩いて来た。
夜の睡眠時の子守唄として、これまでは「ポッドキャスト」の
番組を「iPad」で流しながら寝ていた六兵衛だが
この頃 何となく「ポッドキャスト」も、あまり面白くなく
なってきたから、散歩のときと同じように寝る時も
古い流行歌を子守唄代わりに流しながら寝る事に決め
まず 古い流行歌を「iPad」に保存するために
無料の再生アプリ「OPlayer Lite」をダウンロードした。

もちろん、散歩のときに聴く「iPhone」に保存している
流行歌とは別の古い流行歌を、「YouTube動画」から
あらためて探しだし、「YouTube動画」の拡張子「mp4」を
一旦「m4a」に変換したのち、最後に もう一度 音声ファイルの
拡張子「mp3」に変えて・・等々、それなりに手間をかけて
「iPad」に保存する作業が、数日 かかった。
結果 数え間違いがなければ 212曲を、とりあえず「iPad」に
保存した。
そんな古い流行歌の中には、戦前に作られた歌も入っていて
戦後生まれの六兵衛にすれば、戦前の暮らしや その情景などに
接したこともないし、その頃の流行歌も ほとんど聴いた事は
ないのだが、 一見 不器用そうな雰囲気の戦前に作られた
流行歌に、何故か不思議な魅力を感じるのだ・・。
それらに混じって、もちろん戦後に作られた流行歌も
多く保存した。

それも ほとんどが、昭和20年30年代に作られ歌われた
流行歌で、六兵衛が子供の頃のラジオや白黒テレビなどで
一度は聴いたことがあるような気がする歌などだが
今では そんな流行歌も古い歌の中に入るようで
しかし これらの歌にも、六兵衛が老いたからなのか
何となく味わいがあって、心 惹かれる・・。
会費さえ払えば「Apple Music」や「Google Play Music」
といった音楽配信サービスから、いつどこでも 好き放題の
音楽を聴く事が出来るのだろうが、それらの中に六兵衛好みの
流行歌は、残念ながら ない・・。
講談社文庫から2010年に出版されている 垣根 涼介さんの
『真夏の島に咲く花は』を 読み始めたところだ。

世界一早く朝を迎え 世界一遅く夜が更ける・・という
フィジー諸島はビチレブ島の「ナンディ」という町に暮らす
日本人や現地の若者たちが、クーデターを体験するという内容
のようなのだが、その物語の初めに「スーベニア マハラジャ」
という土産物などを売っている店の名前が出てきた。

「スーベニア マハラジャ」という土産物店の存在が
この物語で、さほど大きな意味があるとは思えないが
先日、当 六兵衛ブログで「スーベニア」という言葉の意味を
勉強したばかりだったので、その偶然?に 少々 驚いたのだ。
( 7月6日の当ブログ『スーベニヤって?』・・参照 )
その『スーベニヤって?』に書いたが、「スーベニア」とは
「お土産、記念品」という意味で、「マハラジャ」は「大王」
という意味だそうだから、物語に出てくる土産物店の名前の
「スーベニア マハラジャ」は「土産物店の王様」・・とでも
訳すのだろう・・。
そして このフィジー共和国は、イギリスの植民地だったため
(1970年に独立)言葉は英語も使われているようだ。
土産物店の名前が「スーベニア マハラジャ」という名前で
日本語に訳すと、「土産物店の王様」となる というだけの
些細な話で、垣根涼介さんの『真夏の島に咲く花は』とは
直接 関係のない話をダラダラと、相変わらず六兵衛のする
ことは、まぁ こんなん ばっかりや・・。
いつも散歩時に聴く昔の流行歌の中の、上原敏さんが歌う
「秋の女」という歌の話を、先日(6月25日)の 当日記で
取り上げたばかりだが、今日もまた 上原敏さんの別の歌の
歌詞の中に、聞き慣れない言葉があった・・。

その歌は、昭和12年3月に制作された『若き日の思い出』と
いうタイトルの曲だ。
『若き日の思い出』
作詞:島田磐也さん 作曲:長津義司さん 歌:上原敏さん
1)
二度とこないよ 若い日は
だまっていても その胸に
みんな抱いてる スーベニヤ
ハッピーエンドの 恋もあろう
ほんに涙の 恋もあろう
2)
花のさかりは ひとときよ
流れる水は とまらない
夢の浮世の スーベニヤ
笑ってすごした 人もありゃ
泣いて別れた 人もある
3)
若いあの日は 二度とない
愛と涙で その胸に
みんな秘めてる スーベニヤ
思えば楽しい 恋もあろう
ほんに切ない 恋もあろう
歌詞の中に何度も出てくる『スーベニヤ』 とは何だろう。
散歩のとき この歌を何回も聴き、『スーベニヤ』という言葉も
何度も耳にしてはいたが、何事にも中途半端な六兵衛ゆえ
そんな疑問など すぐに忘れてしまい、意味など わからないまま
深くも考えず 適当に流して来たが、しかし今回『スーベニヤ』
とは何かとの疑問を持ったまま家に帰り着いたので
やっと調べる気になった六兵衛である。
単純な六兵衛が『スーベニヤ』という言葉で まず浮かんだのは
「スロバキア」という東欧の国の名前だが、語呂は似ていても
歌詞の内容を考えれば、何となく それは違うだろうと思った。
とりあえずネットで、この歌『若き日の思い出』を調べてみた。
この歌も、先日 調べた『秋の女 』という歌と同様
ネット上には ほとんど その情報がない・・。

そこで「スーベニヤ」という言葉をGoogle翻訳で調べてみると
「Souvenir」とのスペルが表示され、その「Souvenir」を再度
Google翻訳に入れて日本語に翻訳してもらうと
「お土産」、「記念品」、「思い出」などの意味があるようだ。
発音も「スーベニヤ」ではなく「スーベニア」とある。
英語、フランス語、ドイツ語でも、同じスペルを使うともいう。
若い頃の思い出は大切にしよう・・そんな歌のようである。
六兵衛の小さな疑問は解決したのだが
その後の上原敏さんの事を簡単に書いておきたい・・。
昭和12年の戦争前の時代に制作された流行歌にしては
先日 取り上げた「 秋の女 」という歌と同じように
日本が暗い時代へと突き進んでいく中での、若い人達への
青春応援歌の感もあったりする。
戦争当時には、他の歌手達と同様 上原敏さんも、国の進める
戦意高揚とか愛国精神の発揚などを目的とした「戦時歌謡」を
多く歌わされている。
上原さん自身も1942年 召集令状が来て入隊した。
入隊後はニューギニア戦線に赴き、上原が歌手であることが
知れると、現地では様々な先での慰問に気軽に応じ歌をうたい
前線の兵士たちを励ましたという。
1944年7月、ニューギニア島での連合国軍との激しい戦いで
上原敏さんは消息を絶った・・と、伝えられている。
詳しい事は知らないまま、ホームセンターでタネを買ってきて
植えた「坊っちゃんカボチャ」だが、実が10cmほどの大きさ
に成長したら収穫の時期らしいと知り、5個の実が育っている
うちの4個を収穫した。
手に取ってみると、坊っちゃんという名前のとおり「実」は
小さい・・。

六兵衛の好きなカボチャの煮付けにするには、いささか小さい
ように思われる。
どんな食べ方があるのか、「坊っちゃんカボチャ」の料理法を
ネットで調べてみると、「チーズフォンデュ」とか「グラタン」
とかの洋風料理の名が並んでおり、なかには「クリームペンネ」
という聞き慣れない料理名もある。

我が家では、その「坊っちゃんカボチャ」で つれあいが
「スープ」を作ってくれて、夕食時に飲んだ。
「スープ」も、案外に 美味い。
しかし、何といってもカボチャ料理で六兵衛が食いたいのは
つれあいが作ってくれる「煮物」だ。

それと、カボチャを5mmほどの厚さにスライスし
フライパンで焼いた「焼きカボチャ」も、甘くて美味い。
「トマト」が赤く色づき始め、とりあえず2個を収穫した。
「キュウリ」は毎日のように3,4本の収穫がある。

「とげなし千両二号」という名の、やや小ぶりの鳥卵形をした
「ナス」も、つれあいが「キュウリ」と一緒に糠漬けの漬物
に作ってくれており、すでに 毎夕食時には食卓にのぼり
六兵衛の腹に収まっている・・。
アリガタイ、アリガタイ・・。