紹介しておこう・・その四

遠い昔の 子供の頃は、同じマンガを何度も 何度も

繰り返し 繰り返し、夢中になって読んだはずなのに

じーさんに なったとはいえ 今では もう

その頃読んだマンガの細かなストーリーは もちろん

登場人物など、その ほとんどを忘れてしまっている。

 

だから やはり、今回 紹介する彼らのことも

Webサイトでさえ、当時 発売されていた「別冊ふろく」

「単行本」などを古書としての販売サイトばかりで

おぼろげで頼りない きーポケの記憶を補ってくれそうな

サイトはほとんどなかった。

 

・・だから しかたなく、わずかに残る きーポケの

遠い昔の おぼろげな残像だけで 書いていく・・。

 

『さるとび佐助』

昭和31年から昭和35年まで少年画報社の月刊少年漫画雑誌

「少年画報」連載された時代物のおもしろ忍術マンガ。

作者は 福田三郎さん。

戦国時代も終わろうとする時代、太閤秀吉が亡くなったあと

天下を狙う徳川家康と石田三成を代表とする豊臣方の武将たち

関が原で戦い、徳川が勝ちをおさめた。

それから14年後に起きた大阪 冬の陣でも、徳川の勝利となり

ほぼ 天下は徳川のものとなり、家康は江戸に幕府を開く。

主君である豊臣方の武将・真田幸村の命を受けた真田十勇士の

さるとび佐助と三好青海入道は、諸国を巡り 徳川に与する

諸大名の情勢を探る旅に出る。

探索をする旅の各地で、さるとび佐助の忍術と三好青海入道の

腕自慢の怪力が、徳川方の大名たちを 面白おかしく懲らしめる。

 

 

『ジャジャ馬くん』

作者は 関谷ひさし さん。

昭和33年から昭和38年まで 秋田書店の月刊少年漫画雑誌

「冒険王」に連載された野球マンガ。

 

嵐が丘中学校に転向してきた天馬龍平は、成績は一番だが

気が強くて負けず嫌い、喧嘩ばかりする乱暴者だった。

付けられた あだ名は「ジャジャ馬くん」。

新任の若い熱血先生が天馬龍平の野球の才能を見抜き

野球部へ入部させ、ピッチャーとして大活躍をする・・。

「満州国演義 第1巻・風の払暁」

船戸与一さんの文庫本「満州国演義 第1巻・風の払暁」を

読み始めた。

タイトルにある「・・演義」の意味を知らなくて 調べてみると

「道理や事実などを わかりやすく説明すること・・」との

意味らしい。

 

 

さて  この小説は、戦前戦中の満州を主な舞台として

日本の名家に生まれた敷島四兄弟の波乱の物語・・という

文庫本にして全9巻からなる大長編のようである

 

しかし、この物語を書かれる前後の時期に、作者・船戸さんに

末期の癌が みつかる。

それでも、病と戦いながらも書き上げた船戸さんの

絶筆となった大作のようである。

 

物語の内容は 読み始めたばかりなので

詳しいことはわからないが

物語の始めのあたり(第1巻、58ページ)に登場する

主人公・敷島4兄弟の実家とされる豪邸のある場所が

きーポケには とても懐かしい住所だったのである。

 

「東京都 新宿区 東五軒町」・・・

もう50年以上も昔の、きーポケが まだ二十歳くらいの頃に

一部屋を借りて暮らしていた下宿先の住所が

「東京都文京区関口」という場所にあり、この小説に出てくる

「新宿区東五軒町」という町のすぐ近くにあって

毎日のように東五軒町の通りを歩いていたのである。

正確な事はわからないが、当時アルバイトをしたこともある

製本屋さんが、東五軒町の辺りに あったように思う。

 

 

当ブログの3月28日の記事『江戸川に架かる「立慶橋」』

にもかいているが・・

https://arukuneru.com/2018/03/28/riyukeibasi/

 

きーポケが その時 読んでいた池波正太郎さんの文庫本

『堀部安兵衛』という小説の中にも

『安兵衛が、立慶橋を東へわたりかけたとき・・』という

文章があって、50年以上も昔の まだ若かったきーポケが

毎日のように その橋を渡っていた事があったから

ついつい 懐かしく嬉しくてブログにその事を書いたのだが

今回もまた、当時 暮らした町の名を物語の中に見つけて

性懲りもなく またこうしてブログに書いているのだ。

 

 

それに もう一つ、話しは大きく変わるが・・

この文庫本「満州国演義 第1巻・風の払暁」の「解説」を

書かれている馳 星周さんの文章の一部に、現政権の危うさを

ハッキリと書かれているので 、少し長くなってしまうが

その部分を ここに転載しておく。

 

『「満州国演義」の前半は、太平洋戦争に突入する前の日本を

描いて、その様相は現在の日本と あまりにも酷似している。

理性ではなく情緒に流れる世論。

声の大きいものの意見が まかり通り、目的のためには手段を

選ばずという輩が跋扈(ばっこ)する。

「在特会」や「ネトウヨ」といった声のでかい反知性主義が

大きな顔をし、目的達成のためには数の力に頼って憲法解釈を

無理やり変えて恥じることのない安倍政権。

まるで双子を見ているかのようではないか。

70数年前の情緒に支配された日本は 破壊へと ひた走った。

現代の日本は どこに向かおうとしているのだろう・・。』

 

「我が家の主パソコン」の主張

我が家の主パソコンたる立場の「MacBook Pro(13インチ)」も

購入から 丁度5年が過ぎて 6年目に入った。

そのためだろうか、多少の疲れが見え始めている。

 

だいぶ以前から、メニューバーにある電源マークをクリックすれば

「バッテリーの交換修理!」の表示が出る状態が続いていて

この頃では 電源プラグを差し込んだままで使用している。

 

我が家の主パソコンとはいえ、特別 難しい事をさせる訳でもないし

また そんな操作を きーポケに出来る訳でもないので

多少 動きが鈍いかなぁ〜・・と 感じる程度では

さほど大きな支障に なるわけではない。

・・とはいうものの やはり、きーポケの我がままだとは思うが

我が家の主パソコンとしては、速さと正確さを求めてしまう。

 

少なくても あと10年、老いた きーポケとはいえ パソコンくらい

何とかカンとか、もがきながらでも使うことは出来るだろう・・と

想像すると、今の「MacBook Pro」に この後 10年ほども

主パソコンたる立場を任せるのは荷が重すぎるだろう。

 

だから何となく、次の主パソコンの座に お付きになる お方を

どなたにしょうか・・などと、折々に考えたりしている・・。

 

昨夜の就寝中に、子守唄替わりに流している「Podcast」の

『Rebuild』という番組で「Mac mini」の話をしていた。

Apple社の「Mac mini」という製品のことは

名前を聞いたことがある程度しか知らない きーポケだから

朝食後に早速どんなものなのか調べてみた。

 

 

・・・・と、ここまでは、今日のブログ記事への入り口となる

あくまでも「まくら言葉」である。

 

いろいろと サイトを参考に「Mac mini」の事を調べていた。

 

・・・と、突然 それは現れた!

・・見ていたサイト画面の上に被さるように

『ブラウザ ユーザーの皆様』と書かれた小窓が現れた。

 

小窓には『本日のラッキーな訪問者は あなたです・・・

HD Streaming Moviesが当たるチャンスです』と書かれている。

『えっ きーポケが ラッキー?』

・・・・・

危ない! 危ない!

そんな甘言に騙されるほど まだまだ きーポケは

ボケちゃあ おらんぞ!!と、怒っているうちに

またまた小窓が現れて・・『警告』の通知があり

コンピュータへのウイルスの侵入を防いでくれたのである。

 

多少 衰えたとはいえ 我が家の現「MacBook Pro」は

こんな具合に まだまだ働けるぞ!・・とでもいいたげに

「我が家の主パソコン」の立場を主張するのである。

 

音声検索

隣に座っている つれあいが、何かを言った。

『えっ?・・なんや・』と きーポケが聞き返す。

 

いつ頃から だったか、二人だけの我が家の居間で

ときどき こんなやり取りが起きる・・。

特別 きーポケの耳が聞こえなくなっているわけではない。

 

 

つれあいが「iPad」を使いだして7,8年になる。

2年ほど前に「iPhone」を購入し、その後の日常に

文頭に書いたような、会話とも云えないやり取りが起き始めた。

 

今でこそ きーポケが『何か言った?』と、つれあいに聞き返す事は

その理由が分かってからは 少なくなったものの

以前には そんなやり取りが 頻繁に起きていた。

 

何のことはない つれあいは、「iPad」や「iPhone」に

「音声」での検索をしていたのだった。

 

まぁ きーポケにすれば、隣に座っている つれあいが何か喋れば

きーポケへの話しかけか、声の大きな独り言のように思っても

間違いではないだろう。

 

そんなような 間の抜けたやり取りを、何度も繰り返して

やっと この頃になって、きーポケへの話しかけではない事が

その声のトーンで分かるようになってきた。

 

 

それにしても しかし、きーポケの知らない間に つれあいが

そんなシャレた操作が出来るようになっていたなんて・・。

無機質ともいえる「iPad」や「iPhone」に

何のこだわりもなく あっさりと

語りかけられる つれあいが・・すごい。

 

Appleの「Siri」や Googleの「OK google」等などの

「音声検索アプリ」は沢山あるようだが

きーポケは いまだに音声での検索をしたことがなく

文字入力ばかりの検索なのである。

 

抜けた歯の多い きーポケが喋った言葉を「iPad」や「iPhone」が

まともに理解してくれる自信は無いし

第一、「iPad」や「iPhone」に 語りかける自分を考えると

自分自身で照れくさく思うのである。

 

つれあいは そんな きーポケに云う。

『自意識過剰よ・・』と。

 

あぁ〜、反論  出来ない・・。

 

歯の治療・・その後

昨年の6月頃から 歯医者に通い始めている。

 

何しろ、50年以上も歯医者の世話になることを嫌い

なるに任せてきた その付けが回って

今では まともに噛める歯が、ほとんど ない状態だったから

もう 歯医者先生にすがるしか 他に道はなかった・・のである。

 

今どきの歯医者事情など、まったく知らないきーポケは

多くても20日に1回 程度の予約しか取れない現状に驚いた。

はてさて、このあと 何年 通院すれば治療が終わるのだろう・・

予想もつかない。

 


きーポケが以前 作っていた『大衆娯楽小説は文庫本で』というブログの
2012年の冬の頃に「さし絵」として掲載した91作目のカット絵。

 

それは さておき、歯医者へ治療に通い始める以前から

現在 治療していると”歯”とは別に

少し不安定に グラ付いている ”歯” が1本あった。

いずれ その歯は『抜きましょう・・』と医者に言われているのだが

どうせ抜く歯なら・・と思い

暇があれば 自分の手や舌を使い、”その歯”を自分で抜くための作業

(・・このやり方で これまで きーポケはやってきたのだ・・)

に入ったのが、昨年の暮の頃であった。

 

ギコ ギコ ギコ と、時間をかけて 少しづつ 少しづ動かしながら

新年を迎え、ようやく もう少しで”その歯”が抜けると思える頃に

”その歯”の周りの歯茎が痛くなってきた。

 

だから”その歯”や”その歯茎”を庇いながら

反対側の数少ない歯で、そ〜っと ご飯を食べようとしても

痛くて 痛くて、噛むことも出来ない状態になっていた。

 

次の治療日までには 何とか”その歯”を抜くつもりだったが  叶わず

結局 歯医者に抜いてもらう羽目になってしまった。

 


きーポケが以前 作っていた『大衆娯楽小説は文庫本で』というブログの
2012年の冬の頃に「さし絵」として掲載した94作目のカット絵。

 

まず、痛み止めの麻酔注射をチクッと刺してもらい・・

さぁ!抜いてくれ!!・・と身構えようと する前に

・・えっ?!

抜けてるの・・?!

 

 

きーポケの最初の思惑とは違う工程になったけれど

歯を抜いた その後の痛みも さほどなく

何より 痛くない”歯”で食べる食事の美味しさと喜びを

改めて 噛み締めている きーポケなのである。

 

 

無茶の勘兵衛 第18巻

お待たせしました。 無茶勘 再開!! 第18巻

三年の闘病を潜り抜け、「無茶勘」執筆を再開!

あの感動が よみがえる。

 

物語が途中のまま、4年ちかくも続刊が出版されなかった

二見時代小説文庫の『無茶の勘兵衛日月録シリーズ』だから

もう続巻は出ないのだろう・・と諦めかけていたが

2017年12月に第18巻目となる

『風花の露・無茶の勘兵衛日月録』が 約3年半ぶりに出版された。

最初に記した文言は、第18巻の文庫本の”帯”に書かれていた

キャッチコピーである。

 

 

どうやら 作者の浅黄 斑さんは、長い闘病生活を克服して

再び 創作活動に戻られたようだ。

 

「第17巻・玉響の譜」以来、3年半ぶりに発売されていた

「第18巻・風花の露」の中古本が、昨年の末ころに

やっと中古本らしい価格にまで下がったので購入できた。

しかし、第17巻を読んでから 4年ちかくもの年月が過ぎていて

それまでの内容のほとんどを忘れてしまっている現状である。

だから今回購入した「第18巻」を読む前に

再度「第17巻」を読み直し、物語の大まかな記憶を取り戻す

必要があった。

 

 

江戸時代の初期、徳川家康の次男・結城秀康を祖とする越前福井藩

の支藩・越前大野藩や越後高田藩などの、相続や分藩問題

一族重臣らの権力争い、その上に大和郡山藩の内紛劇へも及び

幕府の大老・酒井忠清の身勝手な権力の横暴 等々

様々な紆余曲折や激しい変転を経ながら

後に「越後騒動」とも呼ばれた大騒動になってしまうのだが

そんな歴史の動きの中で、越前大野藩士・落合勘兵衛の

爽やかな活躍の物語なのである。

 

この小説は、作者自身も認めているように

直接物語の進展には関係のないような「薀蓄話」を随所に挟み

やや横道に逸れてしまいがちになるのだが

それもまた 読者の楽しみの一つとなっていたりする。

 

作者の浅黄 斑さん、無理をせず お身体を労りながら ゆっくりと

「無茶勘」の物語を続けていってもらいたいと 願う・・。

 

初 春

昨夜 孫たちは 南草津へ帰っていった。

孫たちの成長ぶりに、嬉しく 頼もしく・・。

 

日常の日々に戻った今朝、初散歩に出かける。

初 芥川堤道散歩。

 

昨年の秋頃から この堤道を通るたびに見かける釣り人・・。

枯れすすきが風に揺れる中 ひとりたたずみ

何を釣る・・せいぜいが「ハヤ」や「オイカワ」だろうに・・。

 

気持ちよく晴れた青空に・・

 

水鳥が・・・。

今年も 芥川に 感謝!

 

 

政治の実践に関わるものは・・

葉室麟さんの文庫本『霖雨』(PHP文芸文庫)を読み初めている。

 

主人公は江戸時代後半の儒学者・広瀬淡窓(たんそう)という

実在した人物。

幕府天領の豊後日田(現・大分県日田市)で

私塾・咸宜園(かんぎえん)を主催する教育者で漢詩人でも

あった。

 

徳川時代も終焉を迎えつつある そんな大きな時代のうねりの中

権力者の横暴や役人の執拗な嫌がらせなどに耐えながらも

清冽な生き方を貫こうとする淡窓と、その兄を敬い慕う

弟・久兵衛の物語のようだ・・。

 

この小説『霖雨』を30ページほど読み進めたあたりに

「まことに・・」と納得してしまう文章があったので

記しておきたい。

 

淡窓が主催する咸宜園への、天領・豊後日田の代官や役人達が

繰り返す横暴や嫌がらせに 淡窓は思うのである。

 

『政治の実践に関わるものは、時に道徳を なおざりにして

功利損得へと流れる・・。

そのことが 政治の堕落へと つながる』・・と。

 

昔に限らず いつの時代でも、為政者は この事を

肝に銘じておくべきであろうに

残念ながら現在の政治も、東でも西でも

功利損得に流れっぱなしの状況のようである。

 

紹介しておこう・・その参

子供の頃の仲間の紹介する3回目は、まず『朱房の小天狗』だ。

作者は「うしお そうじ」さん。

秋田書店から出版されていた月刊少年漫画雑誌「漫画王」(のちに

雑誌名を「まんが王」に改題)に、昭和28年から昭和34年まで

連載された時代物の捕物帳マンガであった。

 

「漫画王」という漫画雑誌は同じ秋田書店から出版されていた

「冒険王」より 少し低学年向けに作られていたように思う。

主人公の少年の名は「百太郎」。

朱房の十手を持った少年目明しである。

 

このマンガは 当時の少年漫画に有りがちな活劇マンガというよりも

頭の良い百太郎の知恵と推理で悪い奴のトリックを解き明かし

事件を解決していくというものであった。

 

 

また、百太郎の父親の千吉などは「私が目明しの千吉で、これは

助手の百太郎です」などと公言していたが、実際は父親の千吉が

息子の百太郎の手足となって動いているのが実情であった。

 

 

続いて紹介するのは『ビリーパック』。

昭和29年から昭和37年まで 月刊少年漫画雑誌「少年画報」に

連載されていた人気マンガだった。

 

 

作者は「河島 光弘」さん。

『ビリーパック』は「赤胴鈴之助」や「まぼろし探偵」などと

並んで「少年画報」の代表作として人気を博した。

 

 

戦時中の日本で、アメリカ人の「ウイリアム・パック」と日本人の

との間に 青い瞳を持つ混血児としてビリーは生まれた。

戦争も激しくなり、両親がスパイ容疑で殺されてしまい

孤児となったビリーは、叔父に引き取られ終戦を迎える。

終戦後 ビリーはアメリカへ渡り、数年後に 探偵の修行を積んで

日本へ帰ってくる。

ビリーが幼い頃に 混血児ということで虐められた話など

初め頃は やや暗い印象で、戦中戦後の当時の時代性が色濃く

反映されていた設定であったが

成長して日本へ帰って来た 成年探偵・ビリーパックが正義を貫く

ため さまざまな悪者たちと戦う痛快探偵マンガであった。

 

しかし 残念ながら、作者の河島さんは 結核の病のかかり

連載途中の昭和36年3月に30歳という若さで

亡くなってしまう。

助手をしていた矢島利一さんが そのあとの1年間の連載を

担当し、昭和37年に連載は終了した。

 

天皇陛下のお言葉

平成天皇として最後のお誕生日を お迎えになられる天皇陛下の

記者会見の お言葉を映像でみた。

 

 

きーポケなりに大雑把だが まとめてみた。

 

『大地震、集中豪雨、台風などの自然災害に遭われて、不幸にも

亡くなられた方々や被災された方々が、今も 不便な生活を

強いられているのを見るにつけ、被害を受けた方々が 一日も早く

元の生活を取り戻せるように願っています。』

 

 

 

原因となる そのほとんどは、大国の身勝手によって始まったで

あろう そんな『世界各地で起きている民族紛争や宗教によって

起きる対立が、多くの犠牲者を生み、多数の難民が

苦難の日々を送っているのに心が痛みます。』

そしてそれは

今の日本政治が そんな身勝手な大国の片棒を担いでいる

状況に、お心を痛めておられるのではないか・・。

 

 

『先の大戦を含めた長い苦難の歴史をたどってきた沖縄の人々の

耐え続けて来た犠牲や、その歴史や文化に対して

理解し心を寄せていく必要がある。』

改めて沖縄の心を強調されている。

 

 

『我が国の戦後の平和と繁栄が、多くの犠牲と国民の たゆみない

努力によって築かれたものであることを 決して忘れず

戦後生まれの人々にも このことを正しく伝えていくことが

大切だと思う』とも述べられている。

戦後生まれの人々・・とは

現政権のほとんどの政治家をも含んだお言葉だと 思う。

 

 

『昔 海を渡った外国で 苦労を重ねながらも

それぞれの国で助けを受けながら

その社会の一員として 今 活躍している多くの人々が

いることを思うにつけ、今 各国から我が国に来て仕事をする人々

社会の一員として私ども皆が 暖かく迎える事ができるよう

願っています。』

 

現政権や現政権を支持する人達の、どこか危なげな方向へ

向かいそうな政策や、数だけに頼った問答無用の傲慢な国会運営を

見るにつけ、象徴天皇のお立場としての お言葉は柔らかいとはいえ

一人の人間として 最後に どうしても一言

おっしゃりたかったのではないだろうか。

 

そして 談話の締めくくりとして・・

『振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく

現在の皇后と出会い、深い信頼のもと 同伴を求め、爾来(じらい)

この伴侶と共に これまでの旅を続けてきました。

天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで

象徴としての私の立場を受け入れ、(中略)自らも国民の一人で

あった皇后が、わたしの人生の旅に加わり

60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を

真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく

思います』・・と おっしゃられている。

 

誠に 誠に 目頭が熱くなります・・。

素敵な素敵な ご夫婦であります。