術後の検査

六兵衛とつれあいが、二人揃って受けた白内障の手術は

それぞれ1週間の間隔を空けて、まず右目の手術をし

その1週間後に左目の手術を行った。

そして 右目 左目それぞれの術後の翌日と、術後2日目

術後4日目に検査をして、異常がないかを調べてもらった。

その後の術後検査も、徐々に間隔を開けての検査になるようだ。

 

そんな今日の検査は、右目は術後18日目、左目は術後11日目

となる検査の日で、午前中 つれあいと二人で眼科医院へ行った。

手術を受ける前の六兵衛の視力検査では、右目は「0.4」

左目は「0.3」の視力しかなく、そのままでは運転免許の更新

には通用しないまでに視力が落ちていたのだが

白内障手術後の現段階では、右目は「1.2」、左目は「1.0」

にまで視力は回復しているという。

嬉しい限りである。

 

次回の検査は2週間後の予定である。

 

裏の畑の六月・・その3

初夏の今の時期は、それなりに する事の多い畑作業なのだが

白内障の手術を受けたことで、2週間 何も出来なかったから

裏の畑の六月・・は 今日も続くのだ。

・・とは云っても、たかが六兵衛とつれあいの後期高齢者夫婦

二人が、せいぜい午前中の2~3時間の畑作業で

昼食後は昼寝の時間もあって、楽しい農作業でもある。

 

さて、「ぶどう」は雨に濡れると病気になりやすいとのこと。

梅雨の時期が近づいて来ているので 今日は 

裏の畑の隅に、小さな棚を作り植えている「ぶどう」に

雨よけのビニールシートを被せる作業をした。

もちろん 寄せ集めのビニールシートである。

 

市販の園芸支柱と竹を合わせて作った棚だから

あちこち壊れかけているのだが、まだ使えると判断した。

とは云っても 我が家の「ぶどう」、まだ 花も咲いてなければ

もちろん「実」も付いていないのだ。

ネットで調べて見ると、もう花が咲いて 実がなり始めていても

おかしくない時期だというのだが・・さて。

 

裏の畑の六月・・その2

白内障の手術で、やや遅れ気味の裏の畑の野菜づくり・・。

 

5月に「えんどう豆」の収穫を終え

その後に「サツマ芋」を植えるべく、多少の肥料を与えて

休ませていた4番畝と5番畝の、とりあえず 今日、草むしりを

したあとに、「サツマ芋」の苗(挿し穂)を植えた。

 

園芸店で購入した「サツマ芋」の”苗”だけでは 数が足らず

つれあいが、その”苗”から増やして作った”苗”も 合わせて

植え付けをした。

そして 数日後には、「ジャガイモ」の収穫をした後の1番畝にも

「サツマ芋」を植え付けようと、昨年と同じように

どうやら つれあいは 目論んでいるらしい・・。

 

 

「キウイフルーツ」の着果は、植えてから少なくても4,5年は

掛かるだろうとネットなどで聞いていたのだが、つれあいから

『実が 一つ なってる!』と云うので よく見ると

確かに まだ2cm程度の大きさなのだが、確実に着果している。

嬉しい!・・と思いつつ、先の「グミ」の実の経験があるから

ぬか喜びにならないように・・と 気を引き締めている。

2023年5月19日の日記『落ちてしまった・・。』

https://arukuneru.com/2023/05/19/post-9417/

 

その「キウイフルーツ」、裏の跡地に畑を作り始めた2020年

の10月に、園芸店で購入した「オス」と「メス」の2本の「苗」

を植えたが、「メス」の苗が枯れてしまったので

昨年の3月に「メス」の苗を再度 購入して植え直していたのだ。

 

六月の裏の畑

裏の畑の3番畝に植えている「トマト」も、黄色い花が咲き

なかには まだ青く小さいながら「実」を付け始めたものもある。

しかし「トマト」は、雨に濡れっぱなしだと「実」が割れて

しまうらしいので、今年も簡単ながら 支柱パイプで枠を組み

その上から薄いけれど「ビニールシート」で、雨除けのための

カバーを施した。

 

苗が大きくなり始めた2番畝の「ナス」に、枝を張り「実」が

大きく重くなった時のための支柱として「逆ピラミッド式」で

支え棒を組み立てた。

 

昨日 つれあいが、1番畝の「ジャガイモ」の一部を試し掘りし

その 試し掘りの蒸した「ジャガイモ」を、今日の昼食の食卓に

上った。

大きさは バラバラで統一性はないが、塩をふりかけて美味しく

頂いた。

 

 

こすもす・すもも

つれあいが、裏の農業用ため池のそばに植えた「コスモス」が

秋でもないのに一輪 桃色の花を咲かせた。

やっぱり桃色が、一番「コスモス」らしくていいね。

「すもも」の実もしっかりと大きくなってきていて

もうすぐ赤く熟れてくるだろう。

 

 

そんなこんな、白内障手術後の畑の作業は、そこそこ 忙しい。

 

白内障手術 無事終了

右眼は手術後2週間、左眼も術後1週間を無事に過ぎ

やっと「保護メガネ」を外せた。

目に映る景色やパソコン画面などを見ると、スッキリと透明度が

増して見え、それまでが やや ぼんやりと、そして少し黄色味

がかって見えていたのだということを改めて感じさせてくれる。

 

再び ブログを書いたり文庫本を読んだり、畑仕事をしたりの

単調だが普段の六兵衛の日常が戻って来つつある。

 

 

先月22日に右眼の手術、1週間後の29日に左眼の手術と

両眼の白内障の手術をした。

手術時間は約10分程度、時々 眼に「圧」が掛かるような気は

したが、特に痛くもなく終わった。

手術中には、手術している方の眼に3つの丸い光が映っていて

ときに応じて いろいろに変化するのを見ていた。

 

そして術後 翌日までは「眼帯」で過ごした。

 

翌日の検査で異常がなければ、その後1週間は「保護メガネ」

を着用した。

手術の傷跡が ごく小さいとはいえ、傷口を圧迫しないように

とか、傷口からホコリ等が入らないようにとかの理由で

左右 それぞれ、術後の1週間は昼夜を問わずプラスチック製の

「保護メガネ」を着用したが、いささか鬱陶しい代物だった。

 

 

もちろん その間、パソコンやスマホの使用、文庫本を読んだり

畑仕事などの埃っぽい仕事など、六兵衛の日常の ほぼ全てが

制限されたから、だから毎日ただ ただ スマホから流れる

「ポッドキャスト」のラジオ番組を聴きながら

読みもしないのに六兵衛専用の「読書コーナー」のソファーに

一日中 座りっぱなしで過ごした2週間だった。

 

メガネ屋へ行ったら・・

六兵衛、77歳の誕生日が来ると 運転免許証の更新である。

このところメガネが 何となく合わなくなっていて

免許更新での目の検査に やや不安があって、更新前に新しい

メガネを購入しようと思い 眼鏡屋に行った。

 

眼鏡屋の店員さんが、目の検査台に座った六兵衛の目をみて

即 云ったのだ。

『白内障のようですから、メガネをつくる前に まず眼科医に

行って 診てもらってください』・・と。

我が家に帰り、つれあいに その事を云うと『私も眼科へ行く』

というので、二人そろって 近くの眼科医院へ行った。

眼科医院で検査をしてもらうと、やはり両眼とも「白内障」との

診断であったし、ついでに行った つれあいも「白内障」との

診断を受けた。

 

 

「白内障」とは、レンズの役割をしている水晶体が白く濁る

病気のようで、加齢による原因が ほとんどだという。

手術は、濁った水晶体を取り除き、新たに人工の水晶体を

挿入するそうで、10分程度で終わる簡単な手術だという。

 

・・とは云うものの、一どきに両眼の手術は出来ないようで

まず片方の目の手術をして、1週間の間隔を開けてから

もう片方の目の手術をする事になるという。

もちろん入院する必要はなく、2〜3時間で帰れるらしい。

術後は 目を圧迫したり、ホコリの中に目を晒さず

顔を洗う際は目に水が入らないように気をつけ

車の運転はもちろん、テレビやパソコン・スマホの使用

文庫本などの読書も出来るだけ控える・・等々

術後の検査などをも含めると、しばらくの間は おとなしく

瞑想(メイソウ)の日々を過ごす事に なりそうな六兵衛と

つれあいである。

・・・・・・・・。

 

落ちてしまった・・。

無い!

「グミの実」が 無い!

 

お、落ちたんか?

落ちてしまったん・・か。

 

昨夜の深夜に降り出した雨は、今日も時折 強く降りながら

まだ今も 降っている。

そんな中 昼過ぎに、宅配便の荷物が届いたので

受け取りに玄関に出たついでに、何気にグミの「実」を確かめに

行ったら、果梗(かこう)だけが残って「実」が消えていた。

消えていた・・のだ。

 

昨日のうちに摘み取っておけば良かった・・と 悔いたところで

今更 遅い。

・・遅い。

「ツワブキ」の乱立する林の中に落ちたのか・・

メダカの水槽の中に 落ちたのか・・

その辺りを探したけれど、見つからない・・。

 

♪ グミちゃん ころころ どんぶりこ

 お池にはまって さぁたいへん

 メダカが出てきて こんにちは

 グミちゃんいっしょに 遊びましょ

♪ グミちゃん ころころ よろこんで

 しばらく一緒に 遊んだが

 やっぱりロクベが こいしいと

 ないてはメダカを 困らせた

 

残っていた果梗(かこう)だけを写しても

詮無いことなんやけど・・

果梗(かこう)

あぁ〜あ・・

 

 

ぐみの実

植えてから20年以上にもなるのに、一度も赤く熟れた「実」を

付けてくれたことのない我が家の庭の「グミ」の木に、今年

赤く熟れてくれそうな・・そんな期待をさせる「実」が

 たった一つ 残っているのに気がついた・・と

4月22日の当ブログ『グミの実・・その後』に書いた。

https://arukuneru.com/2023/04/22/post-9062/

 

その後も 強い雨は何度も降ったし

夜空に唸り声を上げて強風が吹いた夜もあった。

ただ一つ残っている貴重な「グミの実」が落ちてしまわないかと

心配もしたのだが

落ちることもなく、貴重な一粒の「実」は残ってくれている。

 

そして 少しずつ赤く熟れ始め、今では もう食べられそうな

ほどに真っ赤な「実」になった。

 

 

な、何しろ 貴重な一粒の「実」だから、完璧に熟れた状態で

食べたい・・。

となれば、あと 3日待つか・・いや2日で・・

あぁ〜 その決断が むつかしい・・。

 

 

余談だが・・

1957年(昭和31年)高野公男さん作詞、船村徹さん作曲

青木光一さんの歌で発売されたらしいが

なにより、ちあきなおみ さんが1995年(平成7年)に

リリースして歌っている『男の友情』の1番の歌詞の中に・・

(1)

昨夜(ゆうべ)も君の 夢見たよ、なんの変りも ないだろね

東京恋しや 行けぬ身は、背のびして見る 遠い空

段々畑の ぐみの実も、あの日のままに 潤(うる)んだぜ。

 

我が家は農繁期?

裏の畑の2番畝に植えていた「ニンニク」と3番畝の「玉ねぎ」を

収穫した後、堆肥などを混ぜて耕耘機で耕し、少し休ませていたが

数日前に 次の野菜を植えるための2列の畝を作っておいた。

 

4番畝と5番畝の「えんどう豆」は これまでに、南草津の長女や

隣の義弟の家庭、つれあいの友人などにも収穫してもらった。

もちろん我が家の分も十分確保し、一昨日 全ての収穫を終えた。

今年も かなりの豊作になった。

そして その日のうちに、堆肥などを混ぜて耕耘機で耕し直した。

 

タネから育てようとしたけど うまく行かず、結局 今年も園芸店で

購入することになった「ナスビ」の苗を、2番畝の一部に植え

3番畝には タネから我が家で育てた、大玉と中玉「トマト」

苗を定植した。

4番畝と5番畝には、今年も「さつま芋」の苗を定植した。

園芸店には5・6本の苗しか残っていなかったので

この数本の苗を植え、苗が伸びてきたら それを切って根を付かせ

追々に 本数を増やしていくつもりだ。

 

 

表の畑には「キューリ」のための棚を作り、ネットを張った。

園芸店で買ってきた「ゴーヤ」の苗2本を、「キューリ」の

横に ちょっと間借りさせてもらう格好で植えた。

 

今夜から明日にかけて 雨が降るらしい。

植えた野菜たちには 恵みの雨となってくれそうだ・・。

 

再 読

浅黄 斑 様

我が家の再読用のための本棚に並べていた、あなたが書かれた

時代小説『無茶の勘兵衛日月録』シリーズ20巻のうち

とりあえず第1巻からの10巻分を取り出し、読書コーナーの

テーブル脇に置いて、今 第1巻の「山峡の城」から順次 再読を

始めました。

 

我が家の未読用の本棚には、まだ読んでいない中古の文庫本が

10数冊も残っているのですが、それよりも 何故だか 今

あなたが書かれた小説『無茶の勘兵衛日月録』を 再読したく

なったのです。

二見時代小説文庫から出版された『無茶の勘兵衛日月録』は

2006年に第1巻の「山峡の城」から始まりましたね。

 

越前 大野藩士、落合孫兵衛の嫡子・落合勘兵衛は

幼い頃より2度も3度も死にかけるほどの無茶な事をして

世間から「無茶勘」と渾名されるほどの少年時代を過ごした。

徳川家康の子や孫が藩主の越前福井藩で起きた〈越前騒動〉や

その親藩である越後高田藩での〈越後騒動〉、勘兵衛が仕える

越前大野藩でも、老いた藩主や その嫡子を巻き込んでの

重役たちの権力争いが起きていたし、また大和郡山藩での

〈九・六騒動〉をも起きている。

そんな厳しい状況に翻弄されながらも、毅然として正義を

貫こうとする落合父子。

元服の後、父親の後を継ぎ落合家の当主となった勘兵衛は江戸

に呼ばれ、越前大野藩の江戸留守居役・松田与左衛門 配下の

「耳役」として働くことになる。

 

第3巻目の「残月の剣」では、道端に倒れていた一人の老剣客

を助けたが、医師によれば重い肝の臓の病で、余命は一ヵ月

との診立てだった。

 

第3巻

この老剣客の名を「百笑火風斎」といういいましたね。

そして この「百笑」と云う名前、物語の中で「ひゃくわらい」

とは読まさず、「どうめき」でしたよね。

漢字も その読み方も、四国は四万十川流域の 六兵衛が生まれ

育った小さな集落と同じ名前なのです。

我が故郷の集落の名前くらいでしか、めったに耳にする事も

ない「百笑」という言葉なので、驚くと同時に嬉しい喜びでも

ありました。

流石に蘊蓄(うんちく:蓄えた知識)の深い浅黄さんでしたね。

そして この後も勘兵衛の活躍は続きますが、浅黄さんご自身が

身体を壊され、多分に無理をされて執筆活動を続けられていた

のだろうと想像されます。

 

これまでにも当 六兵衛ブログには、2019年1月6日の

無茶の勘兵衛 第18巻 とのタイトルでの日記に

『お待たせしました。無茶勘 再開! 第18巻、3年間の

闘病生活を潜り抜け「無茶勘」執筆を再開! 

あの感動が よみがえる。』・・と書きました。

 

また、2020年4月30日の日記には

一人で 懐かしんでいる・・ とのタイトルで

六兵衛が50年以上も前に、数年間 暮らした事のある東京の

懐かしい町名や橋などが物語の中に登場し、江戸と昭和との

時代の違いがあるとはいえ 嬉しくて、 一人で悦に入っている

と書きました。

 

そして、2020年10月17日の日記には

浅黄 斑さん・・とのタイトルで

新聞のWeb版で『作家・浅黄 斑 さん 死去』を見て

浅黄さんが亡くなったことを知りました。

 

『無茶の勘兵衛日月録』シリーズは第20巻で、未完のまま

終わることになってしまいました。

 

まだまだ 「無茶の勘兵衛」の活躍は続くはずでしたのに

誠に残念に思いますが、何より 作者の浅黄 斑さん御自身が

一番 無念であったろうと推察いたしております。

物語は終焉を迎えずに終わってしまいましたが

無茶の勘兵衛の活躍は 今も これからも、六兵衛の記憶の中に

強く大きく残ります。

ありがとうございました。

                      六兵衛 拝