二つの灯り・・その2

今日は朝から雨・・12月の雨は、何となく 寒々しい・・。

 

・・・気を取り直して、前回の続きを書こう。

 

とりあえず「Google ストリートビュー」で

鉄塔が建っている辺りの画像を保存することにした。

 

遠くの山のふもと辺りには、赤と白の鉄塔が3基()と

グレーの鉄塔が2基()建っている。

1・2・3・4・8赤白の鉄塔の建つ辺りpng

 

「ストリートビュー」の人型のアイコン(ぺグマン)で

目的の2基の鉄塔を探す・・。

ペグマン

 

インターチェンジ付近に 赤と白の鉄塔が3基 建っている。

1.2.4.3鉄塔

 

赤い光が点滅する赤と白の鉄塔は、まず間違いなくインター

チェンジの料金所手前の の鉄塔だと思う。

問題なのは もう一つの、右側のやや低い場所で

白い灯りを放つ鉄塔なのだが、もしかしたらの鉄塔とも

考えられなくもないが・・。

 

 

・・・突然 思い出した!

六兵衛は望遠機能の付いたカメラを持っていたのだ・・。

カメラ

 

2015年に購入して、散歩の時などに使ったのは最初だけで

結局 六兵衛が写す写真は、iPhone7のカメラ機能で十分・・

ということで、ここ何年も箱に入れて ほったらかしたまま

その存在さえ忘れていたのだった・・。

このカメラで写せば、鉄塔の周りの詳しいことが

もっとはっきり分かるのではなかろうか・・。

 

今回 使うのは 5,6年ぶりになるわけで、箱から取り出すと

電源は切れているし、そのカメラの使い方さえ忘れていて

説明書を探し出し、一から読み始めねばならない始末だった。

それでも何とかトイレの窓から望遠を使って写した。

カメラでの写真

 

「iPhone 7」での写真に比べ、多少は鮮明に写っているものの

だからといって鉄塔が建つ場所の決め手になるような

確かな手がかりは、見つかりそうもない写真であった。

 

望遠機能付きのカメラでも さほど役に立たなかったわけで

さて どうして白い灯りの鉄塔を探し当てようか・・。

 

まず、我が家のトイレの窓と北東方面に建つ鉄塔に直線を引き

その直線の近くに建つ鉄塔を「ストリートビュー」で探し出す。

 

全鉄塔

 

赤い光が点滅する赤白の鉄塔は、多分で間違いないように思う。

そして 白い光の鉄塔は・・これが どうにも決めつけられない。

からの鉄塔の内のどれかだと思うのだが・・。

5・6・7番鉄塔写真

 

参考にすべく、「ストリートビュー」などの いろいろな画像を

ディスクトップに一時保存し、あれやこれやと試みた・・が

デスクトップ

 

・・が、鉄塔が余りにも多くあり、地図上に直線を引いても

遠近や高低の問題があったりして、六兵衛の ものぐさな能力では

正確な答えは どうにも出そうにない。

 

これ以上、地図上で目的の鉄塔を『これだ』と決めるのは

無理のようで、どうにも あきらめざるを得ない・・。

それでも 随分と日にちを掛けて、あれやこれやと無い知恵を

絞り、六兵衛にしては手間を掛け、世間様を騒がせて?きたが

六兵衛の独りよがりのまま、この探索は終わることになる・・。

 

・・と、いつものように夕食後、トイレに用足しに入った

六兵衛に、『お疲れさん!』と ルーバー窓の向こうの2基の

鉄塔が、優しく光を揺らしながら声を掛けてくれるのではと

期待したのだが・・

相変わらず2基の鉄塔は 赤い光の点滅と白い光を

ただ 放っているだけなのであった・・チャン チャン。

 

二つの灯り

夜 用足しのためにトイレに入り便器の前に立つと

正面に少し開けたままのルーバー窓があり

用を足しながら その窓から遠くを見ると

遠い山のふもと辺りで、2基の鉄塔に光が灯っているのを

目にするようになった。

昨年までは、そのトイレの窓側になる北東側には

うっそうと茂った竹藪があって、ある意味 少し 世間と隔離

された感じがしていて暮らしやすかったのだが

今年の春、その竹藪が全部伐採され 見晴らしが良くなり過ぎ

いささか戸惑いさえ感じながらも、そんな北東側の景色を

用を足しながら、ルーバー窓から見るとはなしに見ている・・。

ルーバーの窓から

 

夜の暗がりの中に、やや高い位置で点滅している赤い光と

その右側の少し低い位置に もうひとつの点滅しない白い光も

灯っている。

夜の鉄塔

 

どうやら鉄塔の灯りのようで、小便をしながら 毎夜2基の

鉄塔の灯りを眺めていると、何処の どんな鉄塔なのか?・・

と、興味が湧いてきた。

次の芥川堤道へ散歩に出かけたとき 同じ方向なので

調べてみよう・・と小便をする度に思うのだが

いざ 芥川堤道へ散歩に出ても、その事をコロッと忘れたまま

散歩から帰ってくるのが日常の六兵衛だったから

とりあえず 夜間の鉄塔の写真と同じように、昼間のトイレから

見える鉄塔の写真も写しておいた。

昼100・夜0

 

昼間に写した写真をみると、遠い山のふもとあたりに鉄塔が

4基ほど写っている。

赤と白でペイントした鉄塔が、多分 赤い点滅の灯りだろう。

その右側に やや低い鉄塔が2基あり、夜の写真と見比べたが

はっきり決められないので、昼と夜の写真をアプリ上で

合わせてみた。

昼と夜の割合3例

 

やはり、赤い光が点滅する鉄塔は、赤と白の鉄塔だろう。

一方の白い光の鉄塔は、赤と白の鉄塔から右へ小さな鉄塔を

一つ挟んだ右隣の高い鉄塔のようだが、ここで新たな疑問も

出てきた・・。

昼と夜の合成写真でも分かるように、この鉄塔の灯りの場所は

鉄塔の最上部ではなく、塔の途中あたりで光っているように

見えるが、それはどういう事か・・?

もしかしたら、大小の鉄塔が偶然にも重なって見えていて

こちらから見ると1基の様に見えるのか・・とも想像する。

いずれにしても、夜になると光りだす2基の鉄塔の建っている

場所がはっきりすれば、六兵衛の疑問は解ける・・。

 

そんな下準備?をしたことで、六兵衛のふやけた意識が

鉄塔に残っていた所為だろうか、先日 散歩に出かけた時

やっと、2基の光る鉄塔の場所を調べる事を思い出し

我が家のトイレから見える鉄塔の方向(北東)を考え

まず 散歩途中の見晴らしの良い第二中学校の高所から

北東の方角の 鉄塔が多く建ち並ぶ山並みを見たのだが

目的の鉄塔が どれだかまったく分かず

とりあえず その方向の写真を写した。

2中より

 

そして 芥川堤道を歩き、それらしい鉄塔を探してみたのだが

まともに鉄塔を望む事ができる場所は ほとんど無い・・。

結局 家に帰り、第二中学校 近くで写した写真と、トイレから

写していた鉄塔の写真とを見比べ、目指す鉄塔を探したが

それらしい鉄塔が分からない・・。

方角が微妙に違うかもしれないし、我が家と鉄塔との間には

小高い山もあり、土地の高低もあり、遠くなればなるほど

条件は厳しくなってくるのだろう。

 

そこで、残された手段として思いついたのは、「Google マップ」

「ストリートビュー」を参考にすることだった。

 

・・・・続きは 後日 。

 

電柱の支線にぶら下がる「袋」?・・

世の中には、六兵衛の知らないことが いっぱい ある。

芥川堤道への散歩からの帰り道、第2中学校横を通っていて

道路脇の電柱の支線の途中に、袋のような「物」が

ぶら下がっている。

袋?1

何だろう・・と思い、下から覗いてみても・・

袋?下から覗く

特別 何かが入ってる様子もない・・。

家に帰って、「それが何か・・」をネットで調べてみた。

 

その 袋みたいな「物」は、「野ネズミ返し」という意見や

「ヘビ返し」という意見、蔦などの植物が支線を伝って

伸びて行くのを防ぐための「蔦返し」という意見 など・・

いろいろあった。

要は、電線を伝って登ってくる何かからの「防御」の為の

設備らしい。

種類も、いろいろと あるようだ。

返し

 

野ネズミが支線を伝って登るとは、ちょっと考えにくいが

ヘビや植物の蔦などなら、電線のあたりまで登って行き

ショートを起こす危険が 十分 考えられるのだろう。

 

一見 ヘンテコに見える物にも、それなりに ちゃんとした

存在理由が・・あるようである。

 

「ナスビ」の想い・・

表の庭の小さな畑に、1本だけ残っている「ナスビ」に

いまだに小さな「実」がなっている。

茄子2

 

・・とはいっても、季節はもう冬・・。

 

そもそも この「ナスビ」、今年の3月の始め頃に

つれあいが、湿らせた料理用の紙ナプキンに「ブロッコリ〜」

「キューリ」などと一緒に「ナス」のタネをまき

1週間ほどで「ナス」も芽を出したので、種まき培土を入れた

ポットに植え替え しばらく育て、5月には苗に育った3本を

表の畑に直植えをしたものだ。

 

この「ナスビ」、夏場での収穫は期待したほど 多く実らず

「秋ナス」用にと枝葉を切る剪定をして期待して待ったが

これも 思ったほどの収穫はなかった。

9月後半には、まだ小さな実をつけている1本だけを残し

2本は「キューリ」などと一緒に引き抜いて撤去した。

 

茄子1

 

残した1本の「ナス」から、11月の始めに3個の「ナス」の収穫

が最後になったが、しかし今も そのナスの木に5,6個の

小さな「ナス」が実っているのだ・・。

明日から12月、本格的な冬になる。

もう これ以上 「実」を大きくするのは無理だろうとは思うが

かといって、ここまで頑張ってきた「ナス」を

無下に引き抜き徹去するのも忍びないとも思い、だから もう少し

様子を見ようか・・と思案中なのだ。

 

わら囲い

2日ほど前に「えんどう豆」の棚を作り終え

目の前まで迫っている寒い冬を乗り越えるための「わら囲い」の

4列分を、昨日と今日との2日をかけて、のんびり作った。

わら囲い1

 

昨年の「えんどう豆」作りでは、「わら棚」がないままの状態で

ひと冬を頑張って越してもらったのだが

今年は南草津に暮らす長女が農家の友人から「稲わら」を貰って

くれていたので、寒さに耐える確実性と それらしい雰囲気を出し

たいと思い、散歩の途中の通り道そばの畑や「YouTube」などの

映像を参考に、見様見真似で「わら棚」を作った。

わら囲い2

 

もうすぐ12月・・冬が来る。

いつでも 来い!

 

それにしても、寒さとコロナ禍と、もともと出不精の性格と・・

「冬眠のススメ」が 揃ったんと ちゃうか・・。

えんどう豆の棚作り・その2

雨が上がった今日、えんどう豆の「棚作り」の続きを行った。

3日ぶりの作業になる。

棚自体の補強をした。

えんどう豆の棚2

 

これから訪れる冬場の寒さ対策としての「わら囲い」のために

物置の中にあったPSロープ(ポリプロピレン製)を張り終えた。

そのロープに稲わらをくくり付ける予定なのだが

その作業は、また後日ということにして、今日の作業は・・

ここまで。

「藁囲い」の見本

 

申し訳ないほど、気楽な作業ぶり・・。

 

えんどう豆の棚作り

今年も「えんどう豆」の季節だ。

「直まき」していたタネから、芽が出初めた。

今年は昨年より倍の、2畝 4列に植えた。

えんどう豆の芽が出た1

 

芽が出たばかりで いささか気が早いけど、棚を作り始める。

杭を打ち込み、基本となる柱や横棒を取り付け、ネットを張った。

えんどう豆の芽が出た21日2

作業は まだまだ補強が必要だが、今日は ここまで・・。

明日は雨っぽい1日になるらしいから

続きは 雨が上がってからになるだろう。

 

最終的には、南草津に暮らす長女が 農家の友人から貰って

くれていた「稲ワラ」を、寒さ対策のために「苗」に被せる作業が

終わるまで、六兵衛の のんびり作業は あと数日続きそうだ・・。

 

堆肥作りでの1回目の「切り返し」

つれあいの進めで 先月、「堆肥箱」作りの事は日記に書いた。

10月1日の日記「雑草などで堆肥を作ろう」

10月7日の日記「堆肥箱」

 

その後、落ち葉や雑草、さつま芋の茎や葉などを堆肥箱に入れ

米ぬかで作った「ぼかし肥料」や「土」、「水」などを混ぜて

約1ヶ月ほどが過ぎた。

「YouTube」などの堆肥作りによると、月に一度か二度ほど

落ち葉や雑草をかき混ぜて(切り返し)、新鮮な酸素を

取り入れる必要があるという。

・・ので、今日は堆肥箱を開けて「切り返し作業」をした。

 

堆肥作り1

フタを開けて中を覗くと、表面は多少 発酵らしき状態になって

いるものの、まだまだ・・

 

堆肥作り2

2つ並べた右側の堆肥箱から左側の空いている箱の方へ移して

いく方法で、切り返しをする・・。

 

堆肥作り3

青いままの葉などが残っていて、発酵は まだまだだ。

 

堆肥作り4

寝ているミミズを起こしてしまった。

ミミズがいるのは多分 よい傾向だと思う。

 

最初に落ち葉や雑草を入れたとき、「ぼかし」や「土」を混ぜ

ジョロで「水」も入れたのだが、どうやら「水」の量が

少なかったようで、所々 乾燥した部分もあった。

だから今回、改めて多めに「水」を与え、念の為「ぼかし」も

少々混ぜ、1回目の「切り返し」は終了した。

堆肥作り5

 

やはり さつま芋の蔓(つる)は硬そうで、簡単に「堆肥」には

なりそうもなく、時間がかかりそう・・。

 

「落暉に燃ゆる」

8月に辻堂 魁さんの新しい時代小説『落暉(ゆうひ)に燃ゆる

大岡裁き再吟味』(講談社時代小説文庫)が発売されていて

その中古本が、先日 手に入り・・読み終わった。

落暉に燃ゆる

 

大岡越前守忠相(ただすけ)は還暦を迎え、寺社奉行となったが

なぜか突然 気鬱に襲われた。

その原因とも思えるのが、南町奉行時代の自分の行った事件の

裁きが、本当に正しかったか どうか?・・との疑念が芽生えた

からだ。

 

この物語のタイトルに「大岡裁き再吟味」との副題が付いてい

るように、今は寺社奉行となった大岡越前守が、南町奉行時代

に扱った数々の事件のうち、今になって気になりだした事件の

洗い直しを、千駄木組鷹匠組頭・古風昇太左衛門の十一番目の

息・古風 十一(さきかぜ じゅういち)に命じることになる。

 

物語の主人公は、当然 大岡越前守と、実際に事件を洗い直す

ために動く古風 十一(さきかぜ じゅういち)である。

辻堂 魁さんの作品らしく、古風 十一の 奢らず 慌てず丁寧に

進める調査の過程での、心情や情景、風情などが たっぷりと

描かれていて、古風 十一という若者には、六兵衛が大好きな

市兵衛さんに どこか似た印象があって、嬉しく 楽しい・・。

 

そして何より、六兵衛のいつもの昔話になるが・・

この物語にも、遠い昔の六兵衛が暮らしていた頃の懐かしい

東京の町の名前が出てくるので、ブログに載せる事にした。

神楽坂地図

 

物語 第二章「高間騒動」の118ページに・・

『 ところで、と雄次郎左衛門は言った。

「田無までのいき帰りで、疲れておるだろうし腹も減っておる

だろうが、おまえに合わせたい男がおるのだ。

これから出かけるのでも、かまわぬか」

「わたくしは慣れておりますので、大丈夫です。どちらへ」

「牛込御門外の、神楽坂の先の肴町だ」

牛込御門から神楽坂をのぼって通寺町への往来を隔てて

肴町の向かいは行徳寺などの門前の町家が続き

肴町内へ曲がる角の自身番の前には高札がたっていた。

暗くなって冷え込みが激しく、弓張月が巽の空に冴えざえと

輝いていた。

武家屋敷が続く狭い通りを挟んで、肴町の町家が軒を並べ

通りから路地へ入った二階家が三戸並ぶ奥の一戸が金五郎の

店だった。

台所のある勝手にいた女房が、台所から寄り付きにきて

「おや、岡野さま、おいでなさいやし」と、あがり端に手を

ついて雄次郎左衛門を迎え、隣の深編笠をとり才槌頭を見せて

いる十一に 笑みを向けた。

四畳半の寄付きに二階へあがる階段があって、その板階段を

軋ませ、声を聞きつけた金五郎がすぐに降りてきた。』

【注】
雄次郎左衛門:性は岡野、大岡越前守の番頭各の家来
田無:たなし(現在の西東京市)
肴町:さかなまち(現在の神楽坂5丁目)
通寺町:とおりてらまち(現在の神楽坂6丁目)

 

江戸時代の善国寺付近
この物語の年代は江戸時代中期で、江戸末期の嘉永年間に出版された 「江戸切絵図」(金鱗堂・尾張屋 清七 版)では、時代的に正確とはいえないが 雰囲気は伝わるかもしれないと思い掲載した。 物語文中の「行徳寺」という名前の寺は切絵図にはないが 「行元寺」という寺があり、別の「切絵図」には 同じ場所に「行願寺」と彫られているものもあった。 天明3年(1783年)、この「行元寺」の境内で百姓の富吉が親の仇の甚内を 討ち取った事件があり、「天明の仇討ち」として有名になった寺だともいう。

だらだらと長くなるが、書きたいことが もう一つある。

若き主人公の名前が「古風 十一」とある。

この名字「古風」が「ふるかぜ」とか「こふう」とかではなく

小説内では「さきかぜ」とルビが振ってある。

未熟な六兵衛ゆえに、「古」の文字を「さき」と読むのは

初めてで、だからWebで その辺の事を調べてみたけれど

「古」の文字を「さき」と読むなどの、そんな記述は何処にも

見つけられなかった。

六兵衛などより はるかに学識のある作者の辻堂さんが

そう付けられたのだから、間違いなどないはずなのだ。

 

・・と、もしかしたら・・の考えが六兵衛に浮かんだ。

例えば 例えばのはなし、数分前に吹き去っていった風は

今 現在 吹いてる風に比べると、過去の「古い風」ということ

になる。

「今」より「先」に吹いた風は、もう「古い風」だ。

先(サキ・サッキ)の出来事は現在に比べると古い・・

となると、「古」は「サキ・サッキ」ということだ。

ちょっと理屈っぽいけど、「古風」と書いて「サキカゼ」と

読めなくもない・・と、了読後に思い至った。

六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2012年の秋の頃に「さし絵」として掲載していた140作目のカット絵。

 

ただ この物語を読むあいだ中は、フルカゼ・・と読みそうに

なるのを、その都度 サキカゼ・・と口の中で言い直しながら

その名前「サキカゼ」に慣れるための 努力を要した・・。

もし・・この物語がシリーズ化されるのなら

第2巻、第3巻と続いていくうちに、迷いもなくキット

「サキカゼ」と読めるようになると思いますョ、辻堂さん。

 

「YouTube」にアップ

映像は暗く、焦点は ぼけて、おまけに四隅が切れていて

その全体を観ることは出来ない・・。

そんな見にくい映像ながら、六兵衛が望んでいた映画が

「YouTube」にアップされた。

 

川端康成さんの小説が原作で1963年(昭和38年)制作の

吉永小百合さん主演、日活映画『伊豆の踊子』である。

六兵衛が高校生の時、田舎の映画館で観た懐かしい映画だ。

たとえ見にくい映像でもアップしてくれた方に感謝である。

踊子ポスター

 

その映画から3、4年後の六兵衛が二十歳の頃に、踊子たちが

歩いた天城の道を歩いてみたくなって 歩いた事がある。

東京から電車に乗って修善寺でおり、そこから下田方面へ歩く。

天城峠の山道を過ぎた辺りで、日も暮れ始めたので

河津川の河原に下り、石のゴロゴロした河原の大石の影で

野宿をした。

次の日の早朝、歩き出して少しすると、ちょうど湯ケ野の

小学校へ登校中の小学生たちと一緒になり、何気ない話を

しながら学校近くまで歩いた記憶がある。

 

思えば映画の中では、「物乞い 旅芸人 村に入るべからず」との

立札のある集落を旅芸人たちが通るとき、子供たちが寄って来て

『太鼓を叩け』と旅芸人をからかう、そんな場面もあった。

差別の厳しい時代だったのだろう・・。

 

軽薄で単純で、何もなかった六兵衛の若い頃には

日活時代の吉永小百合さんの青春映画は

光って見えたものだ。

『愛と死をみつめて』や『泥だらけの純情』など

田舎の映画館に何度も通った。

明るい青春映画『青い山脈』や『赤い蕾と白い花』等々

吉永さんが出演された多くの映画の中には

当時の六兵衛からみると、輝く青春があって

単純に そんな世界が憧れの対象であった。

浜田光夫さんとの共演が特に多かったと思うが

たまに、吉永さんの相手役が変わることがあった。

その中の一つに、「伊豆の踊子」があった。

相手役の旧制 一高の学生は 高橋英樹さんだった。

 

映画の中のワンシーン・・

旅の途中で親しくなった旅行中の学生と旅芸人一座。

学生が泊まった宿に、親しくなった旅芸人の一座が風呂を

借りに来た・・

踊り子と学生が約束をする・・。

「風呂から上がったら碁をやりましよう」

 

碁の場面

風呂もそこそこに、急いで出てきた踊り子が学生の部屋に

戻ってくる。

踊子が部屋の真ん中に碁盤を運び・・

「私は白、あなたは黒」

「碁なんて何処で覚えたの」

まず踊り子が盤面の真ん中へ白石を置く、それを見た学生が

「なんだ、五目並べか・・」

「(当然のように・・)そうですよ」

 

『伊豆の踊子』の映画は、これまで数多く制作されていて

戦前には田中絹代さん、戦後になると美空ひばりさん

鰐淵晴子さん、内藤洋子さん、山口百恵さんなど

多くの女優さんたちが踊り子役を演じておられるが

六兵衛には やはり、吉永小百合さんの踊子が一番だと

思えるのである。

歴代の踊子

 

有料動画配信サイトの会員になれば、きれいな映像で

好きなだけ観られるのだろうが、それでも六兵衛は

会員になろうとは思わない・・。

六兵衛の、お粗末な こだわり?である・・。

 

そして あと1本、「YouTube」にアップされるのを心待ちに

している映画がある。

吉永さんと浜田光夫さん主演の『泥だらけの純情』だ。

泥だらけの純情

 

真美(吉永)が、好きになったチンピラの次郎(浜田)に言う

セリフがある・・

『やめられません? ヤクザ 。』

 

『泥だらけの純情』・・乞う アップ!

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