エプロン

20年ほど前から、我が家の夕食後の食器洗いは

六兵衛の仕事と決めている。

料理は 全く出来ない六兵衛には、その程度の事くらいしか

出来ることはない・・。

 

先日 たまたま気が付いたのだが、食器を洗う時

流し台の縁(ヘリ)にズボンの下腹部が擦れて

小さな毛玉のようなものが出来て、生地が荒れていた。

気が付かなければ 別にいいことなんだが

気が付いてしまうと、やっぱり気になってしまう・・。

つれあいに『エプロンが欲しい』と云ったら

作ってくれると云う。

 

えぷろんジーさん

早速 次の日、作ってくれた「エプロン」が これである。

どうだ! おしゃれだろう。

元は「のれん」だったとは、とても思えないよね・・。

 

1番畝から5番畝まで・・

裏の畑の4番畝のエンドウ豆の収穫も終わったので

耕耘機で耕し直し、肥料や堆肥・苦土石灰などを混ぜ

夏野菜栽培のための畑作りをした。

耕す

 

そして、2番畝で育てていた ほうれん草や大根・蕪などの葉野菜は

「虫除けネット」の掛け方が悪かったのか

激しく虫に食われていたから、それらの野菜を引き抜いた後の土を

ついでに耕し、肥料を与えた。

もちろん 引き抜いた野菜は、つれあいが虫に食われた部分は

取り去って、食べれる部分を冷凍保存して少しずつ食べる予定だ。

 

ちなみに 1番畝、2番畝・・・5番畝と書いているが

六兵衛とつれあいが それぞれの畝の事を話し合うとき

『南の池側から2番目の畝・・』などと云うのは

めんどうで ややこしいし、しかも 歳をとると スッと言葉が

出てこないから、南側の池のある方から1番畝、2番畝・・・

5番畝と名前を決めて 呼ぶ事にしたのだ。

 

収穫のよろこび・・

昨年の秋から新しく耕作を始めた裏の畑の、冬の初めにタネを

蒔き、ひと冬を越して 大きく成長した「エンドウ豆」が

収穫の時期を迎えた。

 

5月1日に第1弾として、とりあえず笊いっぱいに収穫した

エンドウ豆の一部を、つれあいが 筍と一緒に煮物にしてくれて

もう すでに美味しくいただいた。

5月1日分

 

 

4日にも 再び 笊に2杯を収穫し、とりあえず我が家の冷凍庫に

保存した。

我が家分

 

その同じ4日に、草津に暮らす長女家族にも宅配便で送った。

少しでも長持ちをするだろうと、鞘のままで送り

隣りに住む義弟の家族にも 少し分けた。

ナナ分

 

まだまだ「エンドウ豆」は残っていて、つれあいの友人にも

声をかけて、つれあいと一緒に収穫した。

その時の我が家の収穫分がこれ、最後の収穫になる。

5月6日最後の収穫

 

 

収穫のあと、エンドウ豆の枝葉を支えていた「支え棒」や

「ネット」などを外し、枝葉を畝から引き抜き撤去した。

収穫のあと

 

後日 この畝を耕し直し、夏野菜を育てる段取りである。

 

小鳥が・・

いつもの散歩コースを歩く。

その 帰り道、市立の「郡家テニスコート」のそばを通った時

フェンスの網に小鳥がとまっているのを見つけた。

小鳥1

少し近づいてみるが、一向に逃げる気配がない・・。

 

小鳥2

もっと 近づいても、フェンスに とまったまま 動こうとしない。 

 

もっと、もっと 近づいてみたら・・

なんと それは、枯葉だった。

枯葉かぁ

フエンスの一部が「くちばし」や「足」見えたようだし

尻尾まで付いている・・。

 

こりゃぁー、まいった まいった。

 

再度 挑戦!

『六兵衛も70歳代の半ばになって、日々 諸々の「ボケ」が

目立ち始めたゆえに、いささかの刺激を与える事で

「ボケ」を少しでも遅らせられるのではないかと

タグなどを使ったホームページを作り始めた・・』と

昨年の5月の当ブログに書いている。

今更、ホームページを作る訳・・

 

そもそも 今から15,6年ほど前になるが

パソコンを始めたばかりの六兵衛は、まだまだ未熟なまま

孫達の成長記録を主な目的にしたホームページを作り始めた。

まず参考本を買い、アメリカに暮らす次女にも教えを乞いながら

<タグ>だの<テーブル>だの<CSS>だのと

初歩的なホームページ作りとはいえ、ややこしい決まり事や

用語などに悪戦苦闘しながら、お粗末ではあるが

六兵衛が作ったホームページの第一歩だった。

キンコン家族

 

それから5,6年が過ぎて、ホームページより簡単な作業で出来る

ブログに替わり今日に至るのだが

冒頭に書いたような理由があって、1年ほど前に再び

ホームページを作り始めたのだった。

 

折角 ボケ防止のために・・と作り始めたホームページだったが

それから1年、いつの間にか ほとんど更新する事もなくなり

ほったらかしの状態が続いてきた。

弁解になるが、「ボケ防止」のためにだけに始めた

ホームページだから、特別 書きたい内容が ある訳でもなく

軽薄短小で飽きっぽい性格の六兵衛ゆえに

いつの間にか更新も しなくなって

ほったらかしの状態になってしまったのだ。

 

つま先だって わざわざ明日を見なくても、もうすぐ 国が定めた

「後期高齢者」という枠組みに入れられる六兵衛である。

” 後期 ” などとは要らぬ世話だし、いかにも 『もう あんたには

後がないよ!』と云われているようで

追い詰められたごとくの老人の感じがしないでもなく

『ほっといてくれ!』と、せいぜい胸の内で 反発するくらいが

関の山の六兵衛なのだが・・・と、話が横道に逸れてしまった。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2011年の初夏の頃に「さし絵」として掲載していた52作目のカット絵。

 

1年間 ほったらかしだったボケ防止のためのホームページを

改めて今回 作り直そうと思い、六兵衛にとって飽きがこず

続けられそうなテーマは ないものかと考える。

六兵衛のする事に「テーマ」などとは いささか大袈裟だが

ボケ防止に役に立つ何かが肝心なのだ。

 

六兵衛の「散歩」や「文庫本読み」、「昼寝」や「畑仕事」

「孫達のこと」などは、今も進行中の当ブログで十分 足りる

わけで、他にホームページにわざわざ書くような話など

薄っぺらな六兵衛には、持ち合わせがない・・。


孫達が まだ小さかった頃に作ったgifアニメ。

 

・・と、ここで ちょっと閃いた。

このホームページこそ、ボケ防止を考える

「六兵衛の、六兵衛による、六兵衛のためのホームページ」

なのだから、ホームページ作りの 悪戦苦闘を そのままを記事

するのはどうか・・。

果たして どこまで続けられるかは自信はないのだが

タイトルを『五兵衛のボケ防止大作戦』と1発 大袈裟に かまし

とりあえず「index.html」を「FC2」サーバーに「Cyberduck」

でアップロードした。

サーバーの「FC2」も、転送ソフトの「Cyberduck」も

もちろん無料のを使わせてもらう。

『五兵衛のボケ防止大作戦』

 

とりあえず 出来ているのは ここまで・・続きは 後日だ。

 

早速 エンドウ豆の煮物が・・

一昨日(5月1日)の日記『えんどう豆の収穫・・その1』で

収穫したエンドウ豆と、タケノコとの煮物を今日の夕食に

つれあいが作ってくれて、食卓にのぼった。

食卓に

 

その横には、食べかけの写真で申し訳ないが

鮎の塩焼きが2尾と冷奴、写真には写っていないが

かぼちゃの煮物と、裏の畑から取りたての蕪の浅漬けもある。

ほんま 今日の夕食は、ごっそー(ご馳走)やで。

 

魚(今日の場合 鮎の塩焼き)の食卓への配膳の仕方は

魚の腹を手前に向けて置くのが本当だと つれあいは云うが

六兵衛は魚の腹が嫌いなので、ついつい腹を向こうに向けて

食べたくなるのだ・・。

 

えんどう豆の収穫・・その1

暦の上では5月になったというのに、今年は春は まだ 時々

ひんやりと肌寒い日があったりする。

 

裏の畑の「えんどう豆」も、その一部が黄土色に変色し

支え棒から垂れ下がってきて、そろそろ 収穫の時期になった。

エンドウ豆1:2021.5

 

さぁ 収穫だ!・・と意気込んだ六兵衛だが

『一度に全部収穫しても、保存する場所がないから

少しずつ収穫して』・・と つれあいの一言で

今日のところは、とりあえず小笊分の収穫だけにした。

エンドウ豆2:2021.5

 

まだまだ たくさん実っていて、南草津に暮らす長女の家庭や

隣の義弟の家、つれあいの友人などに お裾分けするつもりの

つれあいらしい。

サンタクララに暮らす次女やアッくんのところには

遠くて持っていけない・・。

何ヶ月か前に、長年一緒に暮らしてきた愛犬を亡くし

理屈では分かっていても、どうにも心が その事を認めたくない・・

そんな状況を乗り越え、少し今を取り戻して

それらの事を文章に書けるまでになった・・らしい。

 

・・それは ともかく、六兵衛とつれあいが作ったエンドウ豆が

食いたかったら、アッくんと一緒に たまには大阪に帰っておいで!

筍と一緒に煮たら 美味いでぇー。

・・とは いうものの、コロナ禍の今では それも無理か・・。

しょうないなぁ・・。

 

感傷・・てか

ときどき散歩をしながら・・

ときどき畑で仕事をしながら・・

ときどき文庫本を読みながら・・

ときどき昼寝をしながら・・

そのような日々を過ごしながら、六兵衛は ときどき考える。

 

70歳代 半ばという年齢になって、

しかし まだまだ元気だと思う一方で、物忘れや体力の衰えなど

何かにつけて老いを感じる事が多くなった。

決して、後ろ向きに考えるつもりはないが

残された日々は、確実に少なくなっているだろう事を実感する。

 

「感傷的」、別の言い方をすれば「センチメンタル?」・・

そんな言葉があるが、それは青春時代を過ごす若者の

代名詞のように使われる印象が強い。

しかし、人が老いて老人となり、残りの人生を考える時

若い人などより はるかに現実的に「感傷的」になっても

不思議ではないのだろう・・などと

六兵衛は この頃、たわいもなく想ったりする。

 

共に老いてきた六兵衛と つれあいの二人。

これからも、それぞれに互いの衰えを補い合いながら

心穏やかに ささやかな日々を過ごしていきたいと願う

今日この頃である。

 

反 語?

散歩のとき、iPhoneに保存している昔の流行歌を繰り返し

イヤホンで聴きながら歩くのだが、保存している そんな

流行歌の中の1曲に『誰(たれ)か故郷を想わざる』という

霧島昇さんが戦時中に歌っていたという流行歌がある。

 

『誰か故郷を想わざる』

西條八十:作詞 古賀政男:作曲 霧島昇:歌

1940年(昭和15年)

「誰か故郷を想わざる」

1)

花摘む野辺に 日は落ちて

みんなで肩を 組みながら

唄をうたった 帰りみち

幼馴染みの あの友この友

あゝ誰か故郷を想わざる

2)

ひとりの姉が 嫁ぐ夜に

小川の岸で さみしさに

泣いた涙の なつかしさ

幼馴染みの あの山あの川

あゝ誰か故郷を想わざる

3)

都に雨の 降る夜は

涙に胸も しめりがち

遠く呼ぶのは 誰の声

幼馴染みの あの夢この夢

あゝ誰か故郷を想わざる

 

軽薄短小で 何事にも大雑把な六兵衛だから

いつもは適当に聞き流してきたiPhoneから聴こえてくる

流行歌だが、ところが今日は 何故だかこの歌を聴きながら

「・・想わざる」の言葉に疑問を持った。

 

歌詞を聴くと、戦地に赴いて厳しい日々を送る兵隊さんが

子供の頃の故郷を 懐かしく思い出す歌のように思うのだが

「・・想わざる」との文言だけを聴くと

「故郷など懐かしくは思わない」と、そんな否定的な

意味合いに取れるのだ。

全体的な歌詞の意味と「・・想わざる」とが真逆のように

思えるので、ちょっとネットで調べてみた。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2012年の春の頃に「さし絵」として掲載していた102作目のカット絵。

 

「・・想わざる」の ”ざる”の言い回しを「反語」といい

『自分の故郷を懐かしく思わない人はいないだろう・・』と

言いたい事と反対の内容を疑問の形で述べる表現だという。

 

70歳を過ぎて、「反語」という言葉と その意味を

初めて知った六兵衛だが、いささか ややこしそうで

何となく、分かったような、でも分かっていないような

そんな感じで、多分 明日になったら 忘れていると思う。

 

薫香の礼状

六兵衛の散歩コースのひとつに、「上の池公園」を経由して

「奈佐原元町」の広々とした田畑風景の辺りで折り返し

「阿武野中学校」の前を通って帰ってくるコースがある。

そのコースの「上の池公園」を過ぎて、北の方へ少し行った

辺りに「奈佐原公園」という広場がある。

 

公衆便所

その「奈佐原公園」にある公衆便所の入り口に

「お礼」と題した張り紙が貼ってあった。

用足しを済ませた後、その張り紙の文言を読んでみた。

どうやら この公衆便所に名も告げぬ誰かが

『使えるものがあったら使ってください』と

掃除道具一式を置いていってくれていたようで

その名も分からぬ送り主への、お礼の張り紙らしい。

お礼

 

精一杯 掃除をしても、トイレを利用される方が望むようには

行き届かず、不快な思いをさせているかもしれない・・と

トイレ利用者への詫びの言葉とともに

名も知れぬ掃除道具一式の贈り主への 感謝の気持ちが文面に

表れている。

その感謝の気持ちが「今盛りの沈丁花を嗅ぐ思いです・・

との言葉に表れており、最後に・・

「令和三年三月吉日 沈丁花薫香の朝

        奈佐原公園 掃除管理者 拝」

と 結んでいる。

沈丁花

 

掃除道具を贈られた方はもちろんだが、この礼状を書かれた

公園管理者の方の、何とも粋な文言を読んで

何故だか嬉しく、笑顔にさせてもらった六兵衛である。