『南の花嫁さん』

今年の秋は、裏の畑の開墾や、それが終わっての野菜作り等が

結構忙しく、その分 あまり散歩に出かける機会が少なくなくて

それでも時々は、芥川堤道や上の池公園あたりへ出かけている。

 

そんな時は いつもの様に、iPhoneに保存した昔の流行歌を

聴きながら歩くのだが、そんな繰り返し流れてくる流行歌の

中に高峰三枝子さんが歌う『南の花嫁さん』という歌がある。

 


                     若い頃の 高峰 三枝子さん

 

昭和18年(1943年)頃

「ニッチク」制作(日本コロムビア レコードの前身らしい)

作詞:藤浦 洸

作曲:古賀 政男 ( 原曲は 中国の任光さんが創られた

「彩雲追月」という曲だという。)


任光さん

歌:高峰 三枝子

1)

ねむの並木を  お馬のせなに  ゆらゆらゆらと

花なら赤い  かんなの花か

散りそで散らぬ  花びら風情(ふぜい)

隣の村へ  お嫁入り

『おみやげは なあに?』

『 籠のオウム』

言葉もたった一つ  いついつまでも

2)

椰子の葉かげに  真っ赤な夕日が  くるくるくると 

まわるよ赤い  ひまわりの花

たのしい歌に  ほほえむ風情(ふぜい)

心はおどる  お嫁入り

『おみやげは なあに?』

『籠のオウム』

言葉もたった一つ  いついつまでも

3)

小川のほとり  お馬をとめて  さらさらさらと 

流れにうつす 花嫁すがた

こぼれる花の  花かんざしに

にっこり笑う  お月さま

『おみやげは なあに?』

『籠のオウム』

言葉もたった一つ  いついつまでも

 

高峰三枝子さんは、戦前戦後を通じて日本を代表する大女優で

歌手としても「湖畔の宿」など多くのヒット曲を発表している。

高峰さんが熟年になった頃、同じ熟年の上原謙さんとの

国鉄(JR)のCM「フルムーン夫婦グリーンパス」が

大きな話題となったことは、六兵衛の記憶に まだ新しい。

 

「南の花嫁さん」は、戦中時代に作られた高峰さんの歌で

戦後になってからも、ラジオやテレビなどから流れているのを

子供の頃の六兵衛も聴いた事がある。

 

そんな「南の花嫁さん」のサビの部分・・

『おみやげはなあに?』

『 籠のオウム』

言葉もたった一つ  いついつまでも 

・・と繰り返す この部分を、六兵衛はこれまで

お嫁に行く娘が、いつか里帰りをする時

家族へのお土産は何がいいかと聞いたら

籠に入ったオウムで、しかもオウムが喋る言葉は

『いついつまでも』の一つでいいと家族が答えた・・と

そんなイメージを単純に考えていたのだが

先日、今城塚公園を散歩していて

その歌がiPhoneから流れてきた時

その繰り返されるサビの部分の歌詞に疑問が湧いた。

 

この歌が作られた時代といえば・・

昭和初期のあたりから続く世界的大不況のなか

勢いを増した日本軍部は、その不況を打開するため

「大東亜共栄圏」という名目で、東アジア(東亜)から

欧米諸国の植民地政府を追い出し

彼らの人種差別に苦しむ時代を終わらせ、日本を中心とした

「大東亜共栄圏」という共同体を構築しようと目論んだ

それは、日本軍部に都合の良いように、武力でアジアを支配

する事を 正当化しようとしたものに他ならない。

 

そんな時代に、高峰三枝子さんの明るい歌声で

『おみやげはなあに?』

『 籠のオウム』

言葉もたった一つ  いついつまでも ・・と歌う。

 

籠の中のオウムは人に教えられた言葉を

ただ意味もわからず喋るだけ・・

それも 覚えさせるのは『いついつまでも』の 一言。

そのあたりに 何か意味がある?・・と思い 考えた。

 

「大東亜共栄圏」を成立させ、日本が東南アジア各地から

得られる甘い汁(お土産)が、いつまでも続くことを期待する

日本軍部の身勝手な発想を歌に込めた・・ともとれる。

 

また 別の見方も出来る・・。

当時の「大東亜共栄圏」という、軍部の身勝手な思惑に対し

批判と皮肉を込めて歌にした・・とも とれるのだ。

 


                           藤浦 洸 さん

作詞をされた藤浦 洸という人は、六兵衛が まだ子供の頃の

ラジオやテレビの草創期に、NHKの「二十の扉」や「私の秘密」

などの番組に出演されていた詩人で、怒り肩の頑固そうな

おじいさんの印象があって、当時の軍部への反骨精神があり

批判や皮肉を込めた歌詞を書いたとしても不思議ではない

・・とも思える

 

それにしても 単に思いつきの発想で

六兵衛ごとき者には・・何とも よう分からへん。

 

コメントする