中古本通販サイトに注文していた十数冊の中古の文庫本が届いた。
その中に 中島敦さんの短編『山月記』も入っていた。
コロナの影響で めったに会えない南草津に暮らす孫娘が
先日 遊びに来た。
久しぶりの孫娘との話のなかで、中島敦が書いた短編小説
『山月記』の話題になった。
孫娘の通う高校の国語の授業での、小説『山月記』に対する
先生のお話が、深くて 面白く、そして何より 一生懸命に
物語の人物になりきって話をしてくださる先生が
ますます好きになったと、感激した様子で話してくれた。
授業での先生の話がとても良かったという『山月記』を
六兵衛も読んでみたくなって、中古本を注文していたのだ。
60年ほど前の六兵衛が高校生の頃に、『山月記』の授業を
受けたのかどうか、まともに授業など聴いていなかった
六兵衛には、どうにも定かな記憶はない。
「山月記」・・作者は中島 敦さん。
1909年(明治42年) 〜1942年(昭和17年)
持病の喘息悪化のため、わずか33歳で病没。
『山月記』は、中島さんが亡くなる年の2月に『文學界』に
掲載され、現在の文庫本でいうと、わずか12ページほどの
虎になってしまった男の短い短い物語である。
一度 読んだだけでは理解出来ず、だから とりあえず二度
いや三度も読んだが、やっぱり どうにも六兵衛ごときには
この小説の深い意味を理解するのは いささか難しいのだが
それでも六兵衛なりの『山月記』の解釈を書いてみた。
子供の頃から秀才との評判の高かった李徴(りちょう)は
詩で名を成そうと思ったが、師事もせず、友と交わりながら
切磋琢磨して己を磨くことさえ しなかった。
それは 他人と交流で、プライドを傷つけられる事を内心 恐れ
そんな恐れを持つ己の本心を、他人に知られることを
避けるために尊大な態度を取り続けた。
( 臆病な自尊心と尊大な羞恥心 )
それにより内心では随分と悩み苦しみ、とうとう気が狂い
仕事も捨て、妻子さえも捨てて山に逃げた。
挙げ句、人々に恐れられる人食い虎となってしまった。
若い頃に唯一 李徴と親しかった古い友人が、今は偉くなり
旅の途中で偶然 虎となった李徴と出会った。
虎となった李徴の これまでの心の葛藤を、その友人に
さらけ出したあと、『見た目は もう人食い虎だが
人間の心が まだ少し残っている。しかし そのうち
完全に虎になり、人の心さえ忘れてしまうだろう。
だから まだ、人間の心が残っている今のうちに
昔 親しくしてくれた君にだけは聞いておいてもらいたい。
以前に創作した30篇ほどの詩の記録を君に頼みたい。
出来れば その詩が、少しでも世に残ってくれれば・・』
・・と頼み、虎になっても記憶していた詩を朗々と吟じた。
そのあと『そして もし出来ることなら、村に残してきた
妻子の事を気にかけてもらえないだろうか・・。』
そして李徴は続ける・・。
『何より第一に心配すべき妻子のことよりも、自分の詩の事
を先に頼むという己の愚かさが、獣に身をやつす原因でも
あったのだろう』・・と、自嘲気味に言い
『今後 君も、完全に虎になった自分に 二度と会いに来ては
いけない。その時の自分は、人の心をなくした完全な
人食い虎だから、必ず君を襲うだろう 』・・と 念を押し
二人は涙を流して別れた。
友人が その場を離れ しばらく行って振り返ると
山の上で、明るくなりかけた空の月に向かって
悲しそうに吠える虎が見えた・・。
・・・結局、この程度の大雑把な「あらすじ」でしか
表現出来ない六兵衛の、これが限界である・・。
孫娘が聞いたという高校の先生の授業を、六兵衛も拝聴して
みたかったなぁ・・。