先日 再読し終えた文庫本『嶽神列伝・逆渡り』の奥付後に、講談社が出版している出版物の宣伝のページがあり、その中に『神楽坂』という小説の広告があった。
前回のブログ日記は 本来なら、この小説『神楽坂』の事を書こうと思って始めたのだったが、長谷川卓さんの「嶽神シリーズ」の話が長くなってしまったので、今日 改めて『神楽坂』という本の話をすることにした・・とは云っても、この小説の感想などではない。
まず、『神楽坂』とのタイトルに興味を持った・・。
これから書くのは 60年ほど昔の、これまでに 何度も何度も 当ブログに書いてきている話で 誠に恐縮するが、六兵衛が20歳くらいの頃に、僅か3~4年ほど暮らした東京は神楽坂界隈の懐かしい町の独りよがりの思い出話である。
小説『神楽坂』を書かれたのは 矢田津世子さん( 明治40年6月 ー 昭和19年3月 )という。
戦前の昭和11年に、文芸雑誌「人民文庫」の3月号に掲載され、第3回 上半期の芥川賞の候補作になった短編小説だという。
無料の電子書籍サービス「青空文庫」で、この小説『神楽坂』を探して読んだ。
ネットの画面で28ページほどの短編である。
『 夕飯をすませておいて、馬淵の爺さんは家を出た。いつもの用ありげな せかせかした足どりが通寺町の露地をぬけ出て神楽坂通りへかかる頃には大部 のろくなってゐる・・』
・・こんな書き出しで始まる小説『神楽坂』は、神楽坂界隈に本宅と妾宅を構え、その2軒を行ったり来たりしている金貸しで吝嗇家(りんしょくか:ケチ)の馬淵の爺さんが、「無駄使い」専門の妾と、「決して無駄使いをしない」本妻と 、その本妻に歩調をあわせる身よりの無い女中の女性3人を見つめていく・・といった内容の短編小説である。
単純な六兵衛としては、芥川賞候補に選ばれるような小説に さほどの興味もないのだが、ただ ただ 馬淵の爺さんが歩く神楽坂界隈の通りの名や町名が、懐かしかったのである。
通寺町に住んでいる爺さんが、妾の家のある袋町に行く道中の描写に、懐かしい神楽坂界隈の通り名や町名が出てくるのだ。
『・・・(略)
通寺町(現在の神楽坂6丁目)の露地をぬけ出て神楽坂通りへかかる頃には・・・(略)
肴町(現在の神楽坂5丁目)の電車通りを突っ切って真っ直ぐに歩いていく。・・・(略)
灯がはいったばかりの明るい店並へ眼をやったり、顔馴染の尾沢の番頭へ会釈をくれたりする。・・・(略)
毘沙門の前を通る時、爺さんは扇子の手を停めて ちょっと頭をこごめた、そして袂へいれた手で懐中をさぐって財布をたしかめながら若宮町の横丁へと折れて行く。・・・(略)
すれちがいになった雛妓に危うくぶつかりそうになりながら、振り返って雛妓の後ろ姿を見ていた爺さんは、思い出したように扇子を動かして、何となくいい気分で煙草屋の角から袋町の方へのぼって行く。
閑な家並みに挟まれた坂をのぼりつめて袋町の通りへ出たところに最近改築になった鶴の湯というのがある。
その向こう隣の「美登利屋」と小さな看板の出た小間物屋へ爺さんは「ごめんよ」と声をかけて入って行った。・・・(略)・・』
当時の町名も現在は変わっていて、「通寺町」は神楽坂6丁目、「肴町」は神楽坂5丁目と、味も素っ気もない町名に変わっている。
この小説の主人公の馬淵の爺さんは、何をか言わんや・・だが、
当ブログの六兵衛爺さんも、相変わらずの独りよがりで、何をか言わんや・・である・・。