あんと鮎?

100年以上も前になるというカナダの小説家・モンゴメリーが書いた「赤毛のアン」をモチーフにしたと思われる 柴田よしきさんの小説『お勝手のあん』の文庫本(第9巻目)を読んだ。

主人公の やす(あんの本名、あんは愛称)は、幼いときに父親に金で売られたが、手違いなどが幸いして、品川宿の紅屋という旅籠屋で働くことになる。
下積みを経験をしながら数年後には、紅屋の料理人を任されるまでに成長する。

そんな文庫本『お勝手のあん』の第9巻「別れの季節」(現在は文庫本で第10巻まで発売されている・・)の196ページに、突然 六兵衛には懐かしい名前が出て来て 驚いた。

その場面は、江戸時代の陰暦1月と7月の26日の夜に「二十六夜待ち」と称して、細い月の出るのを待ち、月が出る間際に光が三つに分かれ、瞬時に その光の中に”阿弥陀”、”観音”、”勢至”の三尊の姿が見え、これを拝むと縁起が良いとの風習があった。
特に高輪から品川にかけての浜で、月をみながらの「二十六夜待ち」が さかんに行われており、おやす(あん)が働く旅籠・紅屋の一行も、大旦那様に連れられて、浜の岩場で月が出るのを待っているとき・・大旦那様が話し始めた。

『 そうこうしているうちに、紅家の奉公人たちが岩場の一行を見つけて挨拶にやってくる。大旦那様はご機嫌で挨拶を受け、一人ずつにおひねりを手渡した。やがて大旦那さまが、若い頃にした旅の話を始めた。番頭さんと二人で日本中を歩きまわり、その土地その土地の名物を食べた話だった。やすはその話にすっかり魅入られた。
四万十川の鮎。玄界灘のふく。播州の山奥では熊も食べたと言う。おしげさんの故郷の保高村にも行ったことがあるらしい。保高の山々は恐ろしげに尖っていて雪深く、ずらりと連なっていて、富士の山よりもずっと険しい。だが春先に その山々に雪が溶け始める頃は、あの世かと思うほどに美しい。大旦那さまがそう言うと、おしげさんは涙を拭った。』・・と。

紅屋の旦那さんの旅での思い出話のなかに 特に美味かった食べ物として、なんと「四万十川の鮎」が登場したのだ。
「四万十川の鮎」云々の話は、この物語の その後も、再度 出る事はなかったのだが、六兵衛にとって、突然 思いもしていなかった「四万十川の鮎」の六文字に、驚くと同時に嬉しくなった。

ただ ちょっと念の為 余計な事を云わせてもらうと、この物語は、江戸時代の終わりの頃の話である。
四万十川が「四万十川」と盛んに呼ばれるようになったのは、昭和40年前後の頃からではなかったか・・。
六兵衛の頼りない記憶をたどれば、それまでは その川を「渡川」と、昔の親父さんたちは呼んでいたように思う。
六兵衛など子供の頃は、眼の前に当たり前のように、川が ゆったりと流れているものだから、ただ「川」と呼ぶだけで、親や友達などには通用したものだった。

そして「鮎」のことだが、今では 四万十川で捕れる鮎は、極端に少なくなってしまったらしい。
六兵衛が子供の頃には、初夏には登り鮎を、晩秋には落ち鮎を捕るため、赤鉄橋の下から少し上流あたりの「瀬」に、大勢の鮎捕りの人たちや舟が ごった返していたものだった。

我が家の父も、そんな夜だけは川漁師に変身して、沢山の鮎を捕ってきてくれて、一度には食べられない量だから、残った鮎は一斗缶で燻製にして、正月などに煮付けにして食べたものだった。

文庫本『お勝手のあん』が、遠い昔を懐かしく思い起こさせてくれる・・。