音声検索

隣に座っている つれあいが、何かを言った。

『えっ?・・なんや・』と きーポケが聞き返す。

 

いつ頃から だったか、二人だけの我が家の居間で

ときどき こんなやり取りが起きる・・。

特別 きーポケの耳が聞こえなくなっているわけではない。

 

 

つれあいが「iPad」を使いだして7,8年になる。

2年ほど前に「iPhone」を購入し、その後の日常に

文頭に書いたような、会話とも云えないやり取りが起き始めた。

 

今でこそ きーポケが『何か言った?』と、つれあいに聞き返す事は

その理由が分かってからは 少なくなったものの

以前には そんなやり取りが 頻繁に起きていた。

 

何のことはない つれあいは、「iPad」や「iPhone」に

「音声」での検索をしていたのだった。

 

まぁ きーポケにすれば、隣に座っている つれあいが何か喋れば

きーポケへの話しかけか、声の大きな独り言のように思っても

間違いではないだろう。

 

そんなような 間の抜けたやり取りを、何度も繰り返して

やっと この頃になって、きーポケへの話しかけではない事が

その声のトーンで分かるようになってきた。

 

 

それにしても しかし、きーポケの知らない間に つれあいが

そんなシャレた操作が出来るようになっていたなんて・・。

無機質ともいえる「iPad」や「iPhone」に

何のこだわりもなく あっさりと

語りかけられる つれあいが・・すごい。

 

Appleの「Siri」や Googleの「OK google」等などの

「音声検索アプリ」は沢山あるようだが

きーポケは いまだに音声での検索をしたことがなく

文字入力ばかりの検索なのである。

 

抜けた歯の多い きーポケが喋った言葉を「iPad」や「iPhone」が

まともに理解してくれる自信は無いし

第一、「iPad」や「iPhone」に 語りかける自分を考えると

自分自身で照れくさく思うのである。

 

つれあいは そんな きーポケに云う。

『自意識過剰よ・・』と。

 

あぁ〜、反論  出来ない・・。

 

歯の治療・・その後

昨年の6月頃から 歯医者に通い始めている。

 

何しろ、50年以上も歯医者の世話になることを嫌い

なるに任せてきた その付けが回って

今では まともに噛める歯が、ほとんど ない状態だったから

もう 歯医者先生にすがるしか 他に道はなかった・・のである。

 

今どきの歯医者事情など、まったく知らないきーポケは

多くても20日に1回 程度の予約しか取れない現状に驚いた。

はてさて、このあと 何年 通院すれば治療が終わるのだろう・・

予想もつかない。

 


きーポケが以前 作っていた『大衆娯楽小説は文庫本で』というブログの
2012年の冬の頃に「さし絵」として掲載した91作目のカット絵。

 

それは さておき、歯医者へ治療に通い始める以前から

現在 治療していると”歯”とは別に

少し不安定に グラ付いている ”歯” が1本あった。

いずれ その歯は『抜きましょう・・』と医者に言われているのだが

どうせ抜く歯なら・・と思い

暇があれば 自分の手や舌を使い、”その歯”を自分で抜くための作業

(・・このやり方で これまで きーポケはやってきたのだ・・)

に入ったのが、昨年の暮の頃であった。

 

ギコ ギコ ギコ と、時間をかけて 少しづつ 少しづ動かしながら

新年を迎え、ようやく もう少しで”その歯”が抜けると思える頃に

”その歯”の周りの歯茎が痛くなってきた。

 

だから”その歯”や”その歯茎”を庇いながら

反対側の数少ない歯で、そ〜っと ご飯を食べようとしても

痛くて 痛くて、噛むことも出来ない状態になっていた。

 

次の治療日までには 何とか”その歯”を抜くつもりだったが  叶わず

結局 歯医者に抜いてもらう羽目になってしまった。

 


きーポケが以前 作っていた『大衆娯楽小説は文庫本で』というブログの
2012年の冬の頃に「さし絵」として掲載した94作目のカット絵。

 

まず、痛み止めの麻酔注射をチクッと刺してもらい・・

さぁ!抜いてくれ!!・・と身構えようと する前に

・・えっ?!

抜けてるの・・?!

 

 

きーポケの最初の思惑とは違う工程になったけれど

歯を抜いた その後の痛みも さほどなく

何より 痛くない”歯”で食べる食事の美味しさと喜びを

改めて 噛み締めている きーポケなのである。

 

 

無茶の勘兵衛 第18巻

お待たせしました。 無茶勘 再開!! 第18巻

三年の闘病を潜り抜け、「無茶勘」執筆を再開!

あの感動が よみがえる。

 

物語が途中のまま、4年ちかくも続刊が出版されなかった

二見時代小説文庫の『無茶の勘兵衛日月録シリーズ』だから

もう続巻は出ないのだろう・・と諦めかけていたが

2017年12月に第18巻目となる

『風花の露・無茶の勘兵衛日月録』が 約3年半ぶりに出版された。

最初に記した文言は、第18巻の文庫本の”帯”に書かれていた

キャッチコピーである。

 

 

どうやら 作者の浅黄 斑さんは、長い闘病生活を克服して

再び 創作活動に戻られたようだ。

 

「第17巻・玉響の譜」以来、3年半ぶりに発売されていた

「第18巻・風花の露」の中古本が、昨年の末ころに

やっと中古本らしい価格にまで下がったので購入できた。

しかし、第17巻を読んでから 4年ちかくもの年月が過ぎていて

それまでの内容のほとんどを忘れてしまっている現状である。

だから今回購入した「第18巻」を読む前に

再度「第17巻」を読み直し、物語の大まかな記憶を取り戻す

必要があった。

 

 

江戸時代の初期、徳川家康の次男・結城秀康を祖とする越前福井藩

の支藩・越前大野藩や越後高田藩などの、相続や分藩問題

一族重臣らの権力争い、その上に大和郡山藩の内紛劇へも及び

幕府の大老・酒井忠清の身勝手な権力の横暴 等々

様々な紆余曲折や激しい変転を経ながら

後に「越後騒動」とも呼ばれた大騒動になってしまうのだが

そんな歴史の動きの中で、越前大野藩士・落合勘兵衛の

爽やかな活躍の物語なのである。

 

この小説は、作者自身も認めているように

直接物語の進展には関係のないような「薀蓄話」を随所に挟み

やや横道に逸れてしまいがちになるのだが

それもまた 読者の楽しみの一つとなっていたりする。

 

作者の浅黄 斑さん、無理をせず お身体を労りながら ゆっくりと

「無茶勘」の物語を続けていってもらいたいと 願う・・。

 

初 春

昨夜 孫たちは 南草津へ帰っていった。

孫たちの成長ぶりに、嬉しく 頼もしく・・。

 

日常の日々に戻った今朝、初散歩に出かける。

初 芥川堤道散歩。

 

昨年の秋頃から この堤道を通るたびに見かける釣り人・・。

枯れすすきが風に揺れる中 ひとりたたずみ

何を釣る・・せいぜいが「ハヤ」や「オイカワ」だろうに・・。

 

気持ちよく晴れた青空に・・

 

水鳥が・・・。

今年も 芥川に 感謝!

 

 

政治の実践に関わるものは・・

葉室麟さんの文庫本『霖雨』(PHP文芸文庫)を読み初めている。

 

主人公は江戸時代後半の儒学者・広瀬淡窓(たんそう)という

実在した人物。

幕府天領の豊後日田(現・大分県日田市)で

私塾・咸宜園(かんぎえん)を主催する教育者で漢詩人でも

あった。

 

徳川時代も終焉を迎えつつある そんな大きな時代のうねりの中

権力者の横暴や役人の執拗な嫌がらせなどに耐えながらも

清冽な生き方を貫こうとする淡窓と、その兄を敬い慕う

弟・久兵衛の物語のようだ・・。

 

この小説『霖雨』を30ページほど読み進めたあたりに

「まことに・・」と納得してしまう文章があったので

記しておきたい。

 

淡窓が主催する咸宜園への、天領・豊後日田の代官や役人達が

繰り返す横暴や嫌がらせに 淡窓は思うのである。

 

『政治の実践に関わるものは、時に道徳を なおざりにして

功利損得へと流れる・・。

そのことが 政治の堕落へと つながる』・・と。

 

昔に限らず いつの時代でも、為政者は この事を

肝に銘じておくべきであろうに

残念ながら現在の政治も、東でも西でも

功利損得に流れっぱなしの状況のようである。

 

紹介しておこう・・その参

子供の頃の仲間の紹介する3回目は、まず『朱房の小天狗』だ。

作者は「うしお そうじ」さん。

秋田書店から出版されていた月刊少年漫画雑誌「漫画王」(のちに

雑誌名を「まんが王」に改題)に、昭和28年から昭和34年まで

連載された時代物の捕物帳マンガであった。

 

「漫画王」という漫画雑誌は同じ秋田書店から出版されていた

「冒険王」より 少し低学年向けに作られていたように思う。

主人公の少年の名は「百太郎」。

朱房の十手を持った少年目明しである。

 

このマンガは 当時の少年漫画に有りがちな活劇マンガというよりも

頭の良い百太郎の知恵と推理で悪い奴のトリックを解き明かし

事件を解決していくというものであった。

 

 

また、百太郎の父親の千吉などは「私が目明しの千吉で、これは

助手の百太郎です」などと公言していたが、実際は父親の千吉が

息子の百太郎の手足となって動いているのが実情であった。

 

 

続いて紹介するのは『ビリーパック』。

昭和29年から昭和37年まで 月刊少年漫画雑誌「少年画報」に

連載されていた人気マンガだった。

 

 

作者は「河島 光弘」さん。

『ビリーパック』は「赤胴鈴之助」や「まぼろし探偵」などと

並んで「少年画報」の代表作として人気を博した。

 

 

戦時中の日本で、アメリカ人の「ウイリアム・パック」と日本人の

との間に 青い瞳を持つ混血児としてビリーは生まれた。

戦争も激しくなり、両親がスパイ容疑で殺されてしまい

孤児となったビリーは、叔父に引き取られ終戦を迎える。

終戦後 ビリーはアメリカへ渡り、数年後に 探偵の修行を積んで

日本へ帰ってくる。

ビリーが幼い頃に 混血児ということで虐められた話など

初め頃は やや暗い印象で、戦中戦後の当時の時代性が色濃く

反映されていた設定であったが

成長して日本へ帰って来た 成年探偵・ビリーパックが正義を貫く

ため さまざまな悪者たちと戦う痛快探偵マンガであった。

 

しかし 残念ながら、作者の河島さんは 結核の病のかかり

連載途中の昭和36年3月に30歳という若さで

亡くなってしまう。

助手をしていた矢島利一さんが そのあとの1年間の連載を

担当し、昭和37年に連載は終了した。

 

天皇陛下のお言葉

平成天皇として最後のお誕生日を お迎えになられる天皇陛下の

記者会見の お言葉を映像でみた。

 

 

きーポケなりに大雑把だが まとめてみた。

 

『大地震、集中豪雨、台風などの自然災害に遭われて、不幸にも

亡くなられた方々や被災された方々が、今も 不便な生活を

強いられているのを見るにつけ、被害を受けた方々が 一日も早く

元の生活を取り戻せるように願っています。』

 

 

 

原因となる そのほとんどは、大国の身勝手によって始まったで

あろう そんな『世界各地で起きている民族紛争や宗教によって

起きる対立が、多くの犠牲者を生み、多数の難民が

苦難の日々を送っているのに心が痛みます。』

そしてそれは

今の日本政治が そんな身勝手な大国の片棒を担いでいる

状況に、お心を痛めておられるのではないか・・。

 

 

『先の大戦を含めた長い苦難の歴史をたどってきた沖縄の人々の

耐え続けて来た犠牲や、その歴史や文化に対して

理解し心を寄せていく必要がある。』

改めて沖縄の心を強調されている。

 

 

『我が国の戦後の平和と繁栄が、多くの犠牲と国民の たゆみない

努力によって築かれたものであることを 決して忘れず

戦後生まれの人々にも このことを正しく伝えていくことが

大切だと思う』とも述べられている。

戦後生まれの人々・・とは

現政権のほとんどの政治家をも含んだお言葉だと 思う。

 

 

『昔 海を渡った外国で 苦労を重ねながらも

それぞれの国で助けを受けながら

その社会の一員として 今 活躍している多くの人々が

いることを思うにつけ、今 各国から我が国に来て仕事をする人々

社会の一員として私ども皆が 暖かく迎える事ができるよう

願っています。』

 

現政権や現政権を支持する人達の、どこか危なげな方向へ

向かいそうな政策や、数だけに頼った問答無用の傲慢な国会運営を

見るにつけ、象徴天皇のお立場としての お言葉は柔らかいとはいえ

一人の人間として 最後に どうしても一言

おっしゃりたかったのではないだろうか。

 

そして 談話の締めくくりとして・・

『振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく

現在の皇后と出会い、深い信頼のもと 同伴を求め、爾来(じらい)

この伴侶と共に これまでの旅を続けてきました。

天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで

象徴としての私の立場を受け入れ、(中略)自らも国民の一人で

あった皇后が、わたしの人生の旅に加わり

60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を

真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく

思います』・・と おっしゃられている。

 

誠に 誠に 目頭が熱くなります・・。

素敵な素敵な ご夫婦であります。

 

霧の朝

 

中国・桂林とかの 山水風景を写した写真ではない・・。

 

我が家の裏の農業用溜池の今朝を映した写真だ。

 

非常に珍しく、霧に包まれて幻想的な朝を迎えた・・。

 

 

こんな雰囲気の霧にけむる芥川の堤道を 歩いてみたいが

散歩に出られる頃合いまで この霧がもってくれるか どうか・・。

 

庭に植えている小さな柿の木に 今年も多くの実がなった。

八百屋などに並んでいる柿とは違い、見た目は あまり良くないし

小さい実の割に種が多くて 食べるのに難渋するのだが

味は割りと良いので、毎年 実るのを楽しみにしている。

 

先月に、実った柿の ほとんどを収穫した。

小さい枝が折れ曲がるほど実っていた。

鳥が食べにくるだろうと思って全部は収穫せず

3,4個を残しておいた。

 

 

昨日 窓のカーテンを開けようとしたら

鳥が柿の木に止まっているのが眼に入った。

鳥を驚かせないように そーっとカーテンを開き

ポケットからスマホを取り出してシャッターを・・押した。

 

多分 鳥はヒヨドリではないか・・1羽は桜の木に飛んでいったが

残った1羽が熟れた柿の実を ついばんでいる・・。

 

 

本来なら きーポケは

硬めの柿を皮をむかずに食べるのが好きなんやけど

今は歯の治療中のため硬い柿は食べられない。

だから つれあいが

少し柔らかくなった柿の皮を食べやすいようにむいてくれた。

ごちそうさん!

 

紹介しておこう・・その弐「絵物語」

当ブログのタイトルバックに登場している懐かしき友人たちを

紹介する2回目の今日は『砂漠の魔王』だ。

 

『砂漠の魔王』は昭和24年から昭和31年まで、秋田書店から

発行されていた『少年少女 冒険王』(のちに『冒険王』と

雑誌名変える)に連載されていた絵物語である。

作者は福島鉄次さん、きーポケが まだ小さかった頃の

連載絵物語で、当時の子供雑誌は漫画よりも絵物語や小説

記事物などが主流だった。

 

物語の舞台はアラビアかアフリカか、そんな感じの何処か異教の

地で、魔王はターバンを巻き 赤いマントを身にまとい

ブーツをを履き 腰には大剣を差した アラブ風のコスチュームで

登場する。

どうやらアラビアンナイトの「アラジンと魔法のランプ」に

ヒントを得たと思われる。

 

ランプから巨大な魔王が現れて、空を飛び 無敵の力を発揮する

そんな物語だったように思うが

きーポケは まだ小学校低学年の頃のことだから

物語の内容については ほとんど記憶にない。

「福島鉄次」という印象に強い名前と、全てのページが

色付きだったような そんな記憶が かすかにある。

但し、細かな部分についてはWebサイトの数少ない情報で調べた。

 

Webサイトの情報で知ったことだが、連載を始めた頃のタイトル名

『沙漠の魔王』と「沙」の字を使っていたらしいが

この字が当用漢字から外れた事によって「沙」を

当用漢字の「砂」に変えて『砂漠の魔王』にしたという。

 

 

当時の子供雑誌は、漫画よりも絵物語や小説、記事物などが主流

だったと前記したが、その頃の主だった絵物語の作家には

「少年ケニア」などで人気のあった山川惣治さん。

未来や宇宙を舞台にした作品が多かった小松崎茂さん。

 

紙芝居や雑誌で大ヒットした「黄金バット」の永松建夫さん。

当時の東映時代劇の俳優を真似た主人公が活躍する植木金矢さん。

 

そして「砂漠の魔王」の福島鉄次さん。

 

 

他にも沢山の絵物語作家はおられたし

伊藤彦造さんを始めとする小説の挿絵を描かれていた作家も

数多くおられたと記憶している。