ポンポンとスイカを叩く・・

スイカを手で叩くのは、 熟れ具合や実の詰まり具合を調べる

方法の一つだが、スイカを叩いた ” 音 ” で、その出来具合の

良し悪しを判断するのだとばかり思っていた六兵衛だったが

専門のスイカ農家の方の話によると、「スイカを軽く手で叩き

もう一方の手で その振動の大小を感じて、その出来具合を

見分けるのだ」という。

 

そんな まぁ、たわいもないテレビ番組を見ていたら・・

そういえば昔 六兵衛の父親は、夏になったら 畑でスイカ

を作っていて、大きく実ったスイカを手で叩いて

熟れ具合を確かめ、熟れていそうなヤツを収穫して

井戸水で冷やし、大きな包丁で割って みんなで食ったなぁ・・

と、そんな遠い昔のことを フッと思い出した・・。

父親・・といっても、もう 亡くなって すでに長い

まだ父親が 若く元気だった頃に、そんな事もあったなぁと思う

遠い昔の話である・・。


戦後7~8年が過ぎた頃の 農作業衣姿の父親。

 

父親は勤め人だったが、若い頃の本人の希望は営林署のような

ところに努めて、山仕事をしたかったらしい。

しかし 事情があって仕方なく公務員になった・・と

六兵衛も小さい頃に何となく聞いた記憶がある。

 

当時の田舎には、家のそばに そこそこの広さの畑があって

自分の家で食べる程度の野菜は、六兵衛の祖母が 曲がった腰を

ますます曲げながら、畑仕事をしていた。

父親も、努め仕事が休みなどの日には、祖母の出来ない力仕事

などをしていたように思う。

それでも、そんな ささやかな畑仕事が、親父には 何より楽しみ

だったようにも・・。

 

今でも 思い出す場面がある・・。

当時の便所は、住居と離れた場所に独立して建っていて

当時は みな「汲み取り式」だった。

便槽に溜まった排泄物は、定期的に「長い柄杓」で汲み取り

「肥桶(こえおけ)」に入れて運び、肥料として畑に撒くのだが

六兵衛が近所の子供たちと缶蹴りなんかの遊びをしている

そばを、肥桶を担いで畑に行く親父の後ろ姿からは

「臭い」から嫌だとか「汚い」から嫌だとかの雰囲気はなく

肥桶を天秤棒で肩に担ぎ 、ゆれながら黙々と歩く

親父の後ろ姿が、今でも 目に浮かぶ・・。

 


NPO法人 「日本下水文化研究会」のブログの中に
漫画家の滝田ゆうさんの「寺島町奇譯」(筑摩書房)の中の
昭和時代の墨田区東向島あたりの便所汲取りの情景を紹介した
マンガが掲載されていた。

 

親父は、畑仕事が 好きだったんだ・・と思う。