マウス?、ペンタブレット?

我が「六兵衛ブログ」には、六兵衛が以前 描いていたカット絵などを、保存している箱から取り出しながら、賑やかしの意味で、適当にブログに載せたりしている。
それでも時々は、その日の日記の内容に合わせたカット絵を、新たに描いて載せたりもする。

その 新たに描くカット絵のほとんどは、MacBook Airにダウンロードしている「FireAlpaca」という「お絵かきアプリ」で「マウス」を使って描いている。

まぁ これまでは、六兵衛ブログでの賑やかし程度の単純な絵なのだから、色を塗ったりして誤魔化しながら、「マウス」で描いてきた。

だいぶ以前、カット絵を描くため ワコムの「ペンタブレット」を購入したものの、ものぐさな六兵衛は、その都度 いちいち「ペンタブレット」を取り出してセットをするのが面倒で、たとえ 少々 線が震えても構わないとの思いで、ついつい準備のいらない「マウス」で描く事が多かった。

・・それでも、出来ることなら 面倒くさがらずに「ペンダブレット」で描くべきではないか・・と思いながら、ついつい「マウス」で描いていたのだが・・しかし この頃、少々 心を入れ替えようかと思っている。
「ペンタブレット」を取り出してセットをするくらいの行為など、大した手間じゃぁない、面倒くさがらず「ペンタブレット」でカット絵を描く事にしよう・・と思い直そうとしている・・。

実は 昨年の春だったか、カット絵を書くとき、いちいち「ペンタブレット」を設定しなくても、「お絵かきアプリ」さえダウンロードすれば、そのまま ペンを使って お絵描きが出来るという、第9世代の「iPad」を購入した。
そして、これまでに使い慣れている「お絵かきアプリ」の「FireAlpaca」を「iPad」にダウンロードしようとしたのだが、残念ながら 「FireAlpaca」は「iPad」では使えない事が分かった。

そうなれば「iPad」で使える「お絵かきアプリ」を探そうと、いろいろな「お絵かきアプリ」を「iPad」にダウンロードして、描き具合を試してみた・・。

「Mac」で使い慣れている「FireAlpaca」の兄弟版ともいえる「MediBaing Paint」をはじめ、いろいろ試してみた。
しかし、それぞれの「お絵かきアプリ」の操作が、六兵衛には どうにもややこしい。
今の六兵衛の能力では、操作方法を理解し覚えるまでが、面倒だし ややこしい・・。
現在「Mac」で使っている「FireAlpaca」は10数年も前から使っているので、今の六兵衛でも何とか作業が出来ているのだ・・。

六兵衛なりに「iPad」で、いろんな「お絵かきアプリ」を試したけれど、結局 どの「お絵かきアプリ」も六兵衛には使いこなせそうにない・・。

そうなると、六兵衛がカット絵を描くための「お絵かきアプリ」は「FireAlpaca」だけ・・という事になる。

「FireAlpaca」は「Mac」でしか 使えない・・。

現在 我が家の主パソコンたる「MacBook Air」は、2020年の1月27日に購入したので、購入からちょうど5年を経て、6年目に入ろうとしている。
そろそろ 動きも 鈍くなりつつある。
「MacBook Air」で いつまでカット絵が描けるのだろうか・・。
六兵衛も そろそろ80歳・・いや まだ80歳前だが、賑やかしのカット絵などを入れながらのブログ日記を、いつまで更新出来るのか・・。
それ以前に、六兵衛がパソコン操作をいつまで続けられるのだろうか・・。

あれやこれや、そんな事を考えながらも、「MacBook Air」の動きが鈍くなった時のために、「iPad」での「お絵かきアプリ」に慣れておこうと思ったのだが・・。

♪ ケセラァ セラァ〜、先の事などォ〜 分からァな〜い!・・なんだよなァ〜。

 

 

テレビドラマ・団地のふたり

昨年の9月にNHK BSで放映された「 団地のふたり」(全10話 )は、久しぶりに面白いドラマだった。

主演は ノエチこと太田野枝(小泉今日子さん)と、なっちゃんこと桜井奈津子(小林聡美さん)。

団地に暮らす二人は、団地の保育園時代からの幼馴染。
相手のことは言葉にしなくても分かるし、いつも一緒にいるのが自然で当たり前。
そんな55歳 独身女性2人が織り成す団地での日常のドラマは、幅広い年代の視聴者の共感を呼び、「もう一度見たい」との声に押されて、昨年の年末に 再放送される事を知り、つれあいが その再放送分を録画をしてくれた。

くれた・・のだが、 何かが間違っていたようで、10話のうち5話までしか、残念ながら録画出来ていなかった・・。
それでも 録画されていた5話分を、食事時などに つれあいと二人で 何度も観る。その都度 笑ったり ホロリとさせられたり・・。
藤野千夜さんの同名小説を原作に、脚本は吉田紀子さん。
原作本を読んでいないから確かなことは分からないけど、原作が良いのか、脚本が面白いのか、とにかく主役のふたりの会話が楽しい・・。

六兵衛たち家族も40年ほど前の まだ若かった頃、我が町の それなりに大きな団地群の68棟の4階で、10数年 暮らしたことがある。
ドラマ「団地のふたり」の主人公たちの親の世代になるわけで、だから ドラマの中での団地の雰囲気は、何となく分かるような・・。

 

花の名前が分からない

トイレで暇つぶしにカレンダーを見ていたら、今日は1月23日。
1、2、3と続いている。

1月11日とか2月22日、11月11日など、数字が並んだ日は他にもあるやろけど、1から始まって2、3、4と数字が順番に続く月日は、今日しかない・・よね。

今日も つれあいと散歩に出かけた。
冬とはいえ、いろいろな草などが茂っている土手道の途中に、安全手摺に絡まりながら 小さな白い花を咲かせている野草があった。

冬なのに、茶色の葉でも 小さな白い花を咲かせている。
名前が分からない・・。

とりあえずその花を写真に撮り、帰ってグーグルの「画像検索サイト」で調べてみた。

いろいろ調べたけれど、結論は どうやらクレマチス(仙人草)という花のようだ。
クレマチスにもいろいろあるらしく、冬に花が咲くクレマチスもあると書いてあった・・。

上の写真は・・
①:花屋のサイトに載っていた原種型クレマチス(仙人草)。
②:あるサイトで茶色い葉のクレマチス(仙人草)を見た。
③:アメリカに暮らしている次女が だいぶ昔、つれあいの誕生日プレゼントにと贈ってくれたクレマチス(仙人草)を、今は庭に植え直しているのだが、冬なので 葉などは ほとんど枯れて落ちてしまっている。

結局、分かったような 分からないような・・六兵衛らしい中途半端な結論で・・終わりにしよう。

 

薄い墨・・

いつものように つれあいと二人で散歩に出かけた。

その途中、つれあいが 突然「YouTubeを見ていたら、西郷隆盛が山岡鉄舟に渡した「書」は、薄い墨で書いてあったらしい・・。
私も昔 学校で、お習字のおばあちゃん先生に、喪中はがきなどの悲しみの文字は、墨を薄くして書くのだと教わったよ・・』と言う。
つれあいから西郷隆盛や山岡鉄舟のような維新の英傑の話はともかくとして、”薄い墨”の話とは何のことだか、六兵衛には分からなかったので、散歩から帰って、”薄い墨”のことを調べてみた。

明治維新から10年後、薩摩の西郷隆盛らが明治新政府に対して反乱(西南戦争)を起こそうとしていた。
無駄な争いを止めさせるべく、新政府側の山岡鉄舟が西郷に面会を申し出た。

その会談で 西郷の書いた「書」を見せられた山岡鉄舟は、薄い墨で書かれていた その「書」を見ただけで、その戦いに西郷は”死”を覚悟していると気付き、説得を諦めた・・といわれている・・らしい。

 西郷隆盛の書

 

このように 書道では、薄い墨で書いて 悲しみの感情を表すのだという。
悲しみの涙で黒い文字が滲んでしまった・・とか、墨を摩っても磨っても、流れる涙のせいで濃くならない・・などの意味合いがあるのだという。
「喪中のはがき」なども悲しみの感情を表して、薄い墨で書くようだ。

悲しみの書は薄い墨で書く・・70歳代も もう終わりに近づきつつある六兵衛なのに、そんな知識は初耳だった。

狐の嫁入り

今日は1年で 最も寒い季節だといわれる「大寒」だが、昨日も今日も 割と暖かい。

しかも 昼頃には、日は照ってるけど 雨が降った。

「狐の嫁入り」だ。

雨は小一時間ほどで やんだが、雨の少ないこの時期、畑には ありがたい お湿りになった。

 

運動会だ!

2012年7月1日(日) 雨
芥川は・・・ 大阪府高槻市と京都府亀岡市との境をなす明神ヶ岳を源とし、名勝として知られる摂津峡を流れ、高槻市内を南に縦断して、 高槻市南部の淀川に合流する、延長 25 km程の一級河川。


これから始まる 芥川 散歩。
今日は雨・・。


12年ほど前、上記のような書き出しで始めた我がブログ。
「きーポケ」という管理者名、タイトルを『きーポケじーさん お昼寝中』とし、「ココログ」のブログサービスを利用して ささやかなブログを作り始めたが、2018年3月からブログサービスを「WordPress」に変更し、管理者名を「六兵衛」と改め、タイトルも『六兵衛じーさん お昼寝中』と変えたのだが、その内容は 相も変わらず 独りよがりのままで、今日に至っている。

利用するブログ会社、タイトル名、管理者名などを変えてはみたものの、想像力や表現力といった豊かな感性、そして豊富な経験など、どう望んでも 足掻いても、そんなモノ 六兵衛にはない。
むしろ「軽薄短小」で「ものぐさ者」、そのうえ「出不精」という性癖なれば、どうにも 中味のある 濃ゆい話など書けるはずもない・・。

そして、ちょうど70歳になった2016年の誕生日を境に、完全に仕事をやめて年金生活に入ってからは、なおさら 世間様へ出歩くことも少なくなり、ゆえに 日々の暮らの変化は ますます小さくなって、昨日も今日も そして明日も、 同じような暮らしの繰り返しである。

ところが、六兵衛としては 根本のところで、平々凡々の 代わり映えのしない そんな日々を、案外 望んでいたりするものだから、ブログを書こうとすれば、まぁ 矛盾しているなぁ・・と、常々 思っていたりする・・。

世間様へ向けて これといった知恵や経験、意見や情報など 何もないのに、只々 独りよがりの下手な文章を、日記と称して更新しているだけのブログ。
何を 今更 こんな ”言い訳じみた” 文言を・・と思いながら、「六兵衛の 六兵衛による 六兵衛のためのブログ」でいいじゃぁないか・・と、開き直ったりもしている。
「言い訳」と「開き直り」の運動会だ。

 

 

あんと鮎?

100年以上も前になるというカナダの小説家・モンゴメリーが書いた「赤毛のアン」をモチーフにしたと思われる 柴田よしきさんの小説『お勝手のあん』の文庫本(第9巻目)を読んだ。

主人公の やす(あんの本名、あんは愛称)は、幼いときに父親に金で売られたが、手違いなどが幸いして、品川宿の紅屋という旅籠屋で働くことになる。
下積みを経験をしながら数年後には、紅屋の料理人を任されるまでに成長する。

そんな文庫本『お勝手のあん』の第9巻「別れの季節」(現在は文庫本で第10巻まで発売されている・・)の196ページに、突然 六兵衛には懐かしい名前が出て来て 驚いた。

その場面は、江戸時代の陰暦1月と7月の26日の夜に「二十六夜待ち」と称して、細い月の出るのを待ち、月が出る間際に光が三つに分かれ、瞬時に その光の中に”阿弥陀”、”観音”、”勢至”の三尊の姿が見え、これを拝むと縁起が良いとの風習があった。
特に高輪から品川にかけての浜で、月をみながらの「二十六夜待ち」が さかんに行われており、おやす(あん)が働く旅籠・紅屋の一行も、大旦那様に連れられて、浜の岩場で月が出るのを待っているとき・・大旦那様が話し始めた。

『 そうこうしているうちに、紅家の奉公人たちが岩場の一行を見つけて挨拶にやってくる。大旦那様はご機嫌で挨拶を受け、一人ずつにおひねりを手渡した。やがて大旦那さまが、若い頃にした旅の話を始めた。番頭さんと二人で日本中を歩きまわり、その土地その土地の名物を食べた話だった。やすはその話にすっかり魅入られた。
四万十川の鮎。玄界灘のふく。播州の山奥では熊も食べたと言う。おしげさんの故郷の保高村にも行ったことがあるらしい。保高の山々は恐ろしげに尖っていて雪深く、ずらりと連なっていて、富士の山よりもずっと険しい。だが春先に その山々に雪が溶け始める頃は、あの世かと思うほどに美しい。大旦那さまがそう言うと、おしげさんは涙を拭った。』・・と。

紅屋の旦那さんの旅での思い出話のなかに 特に美味かった食べ物として、なんと「四万十川の鮎」が登場したのだ。
「四万十川の鮎」云々の話は、この物語の その後も、再度 出る事はなかったのだが、六兵衛にとって、突然 思いもしていなかった「四万十川の鮎」の六文字に、驚くと同時に嬉しくなった。

ただ ちょっと念の為 余計な事を云わせてもらうと、この物語は、江戸時代の終わりの頃の話である。
四万十川が「四万十川」と盛んに呼ばれるようになったのは、昭和40年前後の頃からではなかったか・・。
六兵衛の頼りない記憶をたどれば、それまでは その川を「渡川」と、昔の親父さんたちは呼んでいたように思う。
六兵衛など子供の頃は、眼の前に当たり前のように、川が ゆったりと流れているものだから、ただ「川」と呼ぶだけで、親や友達などには通用したものだった。

そして「鮎」のことだが、今では 四万十川で捕れる鮎は、極端に少なくなってしまったらしい。
六兵衛が子供の頃には、初夏には登り鮎を、晩秋には落ち鮎を捕るため、赤鉄橋の下から少し上流あたりの「瀬」に、大勢の鮎捕りの人たちや舟が ごった返していたものだった。

我が家の父も、そんな夜だけは川漁師に変身して、沢山の鮎を捕ってきてくれて、一度には食べられない量だから、残った鮎は一斗缶で燻製にして、正月などに煮付けにして食べたものだった。

文庫本『お勝手のあん』が、遠い昔を懐かしく思い起こさせてくれる・・。

 

「Instagram」に・・

2日前の我がブログに、わが町にも 珍しく雪が舞ったと書いたが、次女一家が暮らしているニューヨーク州のバッファローの町では、今年 何度目かの雪が積もったと、日本の家族や友人知人向けの「Instagram」に投稿があった。

カナダに近い北米バッファローでは、2022年のクリスマスが終わった26日に、死者が多数 出るほどの大寒波に襲われるなど、これまでに何度も、大寒波に襲われているという寒い地域だ。

次女たちが暮らしている町でも、気温は氷点下の日が続いているようだが、幸いなことに、今年は まだ 大雪に見舞われることもなく、雪も 少し積もっては すぐ とけてしまうような事を繰り返しているようだ。

多少の寒さはいいから、出来れば このまま大寒波などに襲われることがないよう、遠く離れた日本の片隅で、ただ祈るしかない六兵衛である・・。

 

初雪か・・。

山陰や北陸、東北などの日本海側の地方では、警報が出るくらいの大雪だという。

そんな日本海側の雪が流れてきたのか、わが町にも雪が舞った。

どうやら わが町での初雪になるか・・。

しかし、降っていた時間は わずか30分ほど。

あっさりと止んでしまった。

北国の方々には申し訳ないような・・。

 

 

セミの門番の その後・・

昨年の10月6日の当六兵衛ブログに、セミの抜け殻が階段入口横の壁に、夏の時から2ヶ月も3ヶ月も止まったまま、まるで六兵衛家を守ってくれている門番のようだ・・と書いた。

「門番のように・・」

その門番の「セミ兵衛」が、その後 どうなったか・・というと、


今日も六兵衛家を しっかり守ってくれている。

激しい雨の日だろうと、風の強い日だろうと、夏の強い日差しでも、そして厳しい寒さの冬を迎えても、揺るぐことなく六兵衛家を守ってくれる、生真面目すぎるセミの門番なのである。