いつものように つれあいと二人で散歩に出かけた。
その途中、つれあいが 突然「YouTubeを見ていたら、西郷隆盛が山岡鉄舟に渡した「書」は、薄い墨で書いてあったらしい・・。
私も昔 学校で、お習字のおばあちゃん先生に、喪中はがきなどの悲しみの文字は、墨を薄くして書くのだと教わったよ・・』と言う。
つれあいから西郷隆盛や山岡鉄舟のような維新の英傑の話はともかくとして、”薄い墨”の話とは何のことだか、六兵衛には分からなかったので、散歩から帰って、”薄い墨”のことを調べてみた。
明治維新から10年後、薩摩の西郷隆盛らが明治新政府に対して反乱(西南戦争)を起こそうとしていた。
無駄な争いを止めさせるべく、新政府側の山岡鉄舟が西郷に面会を申し出た。
その会談で 西郷の書いた「書」を見せられた山岡鉄舟は、薄い墨で書かれていた その「書」を見ただけで、その戦いに西郷は”死”を覚悟していると気付き、説得を諦めた・・といわれている・・らしい。
西郷隆盛の書
このように 書道では、薄い墨で書いて 悲しみの感情を表すのだという。
悲しみの涙で黒い文字が滲んでしまった・・とか、墨を摩っても磨っても、流れる涙のせいで濃くならない・・などの意味合いがあるのだという。
「喪中のはがき」なども悲しみの感情を表して、薄い墨で書くようだ。

悲しみの書は薄い墨で書く・・70歳代も もう終わりに近づきつつある六兵衛なのに、そんな知識は初耳だった。