記憶の片隅に・・

『命美し』『南風』『自由学校』『新女性問答』『高原の月』

『懐かしのブルース』等々 とうとう、戦前や戦後すぐの

古い時代の多くの映画を、嬉しい事に今はYouTubeで

わりと簡単に観ることが出来る。

 

『 どこか・・例えば 信州あたりの高原のような場所にある

旅館か寮か、裏山側に小さな谷川が流れていて

洗濯などが出来るような 庇(ひさし)のある薄暗い通路があり

その建物で働く人達か、もしかしたら旅館の客かもしれない

何人かの若い男女が、何やら話しをしている・・。』

一場面

 

・・六兵衛が まだ子供の頃の、遠い とおい 遥かに遠い昔の

六兵衛が小学校低学年の頃か、もしかしたら それよりもっと

小さい頃だったかもしれない。

もちろんテレビなど 無い時代の映画の一場面だと思うが

そんな映像が今でも消えずに残っている。

 

太平洋戦争も終わり、軍国主義の時代から開放された

昭和20年代の、貧しくとも自由を謳歌し 青春を満喫し

将来に明るい未来がありそうに思え始めた・・

そんな時代の若者達が躍動する映画の(幼かった当時の六兵衛

には、映画に登場した若者達が 皆 大人に見えたものだが・・)

子供の頃に田舎の映画館で観たであろう一場面の記憶があり

出来る事なら もう一度、その映画を観てみたいと思うのだが

残念ながら その映画の題名も、演じていた役者さんも

監督さんさえ まったく分からないのだから探しようがない。

 

今は「You Tube」で昔の古い映画を観ることが出来るから

かすかな記憶を辿って あれこれと探しては みるものの

頼りない六兵衛の記憶に残る、そんな場面につながるような

映画には、まだ出会えていない。

 

高原の駅よさようなら

例えば、中川信夫監督の作品で1956年に制作された

新東宝映画『高原の駅よさようなら』という水島道太郎さんと

香川京子さん主演の映画など、どこかの高原での物語のようで

タイトルを見るだけなら、六兵衛の記憶する映画にぴったりだから

YouTubeで探して この映画を観たが

六兵衛の記憶に残る それらしい場面は出てこず

残念ながら違う映画のようだった・・。

 

映画・山の音

そして もう一つ、川端康成の『山の音』という小説を

成瀬巳喜男監督が1954年に、山村聡さんと原節子さんの主演で

制作した東宝映画がある。

「山の音」・・このタイトルも、六兵衛の記憶に残る一場面に

ぴったりの映画ではないかと期待をさせた。

しかし この映画、YouTubeでは観ることが出来ない。

だから他のサイトで、その映画のあらすじ等を調べてみると

「山の音」というタイトルの意味は、老いを感じ始めた初老の

主人公が、老いる事への不安を表しているということだし

初老の主人公(山村聡)が、自分の息子(上原謙)の嫁

(原節子)に淡い恋情を持つという内容のようで

六兵衛が昔 観た映画の印象とは、いささか違う内容のようだ。

 

はてさて、頼りない一場面だけが記憶に残る古い映画を

探し当てることは、どうにも難しいようである。

・・とは言え 案外 誰にでも、多かれ少なかれ形は違えど

心の片隅に、かすかに残る記憶の欠片のようなものを

持っていたりするのではなかろうか・・。

「有漏路」

芥川に架かる「大蔵司橋」東詰から その堤道を南下し

「芥川桜堤公園」を右に見て、西国街道に架かる「芥川橋」を

折り返すコース(約6km)が昨日の散歩コースだった。

 

芥川堤道の途中のフェンス越しに見える小学校のグラウンドで

祝日の昨日、子供たちがサッカーをやっていた。

その中に一人、他の子供達より一回り小さな女の子が

大きな子供達に混ざってボールを追って走り回っていた。

走る少女

それも 必死に走り、ボールの側に いつも絡んでいる。

絡んではいるのだが、まわりが皆んな大きいから

なかなかボールに足が届かない・・。

それでも諦めず、ポニーテールの髪を揺らしながらボールを

追って走っている・・。

がんばれ!

 

「芥川橋」を折り返した後の帰り道は堤道から逸れる。

昔からの住宅が並ぶ路地の途中にあるお寺の掲示板に

今年 最初の「言葉」が貼られていた。

有漏路1

「有漏路」は「ウロジ」と読むらしい。

赤矢印の先に、この「詩」の説明が貼り付けてある。

「漏」は「ロ」または「ロウ」と読み「煩悩」のことらしい。

「有漏路」は「煩悩の有る、私たちが生きているこの世」の

ことで、「無漏路」とは、「死んで煩悩が消え去った あの世」

の事だという。

この「詩」を現代的に訳せば・・

「人の一生とは、この世から あの世へ行く短い旅の途上に

過ぎず、その旅の途上で一休みしているのが今の自分である。

雨も嵐も、好きなだけ降りつけよ。

豪雨も暴風も旅の途上の一休みの間の出来事に過ぎず

たいしたことではない」という一休禅師の「詩」・・だと

書いている。

「有漏路」とか「無漏路」とか、仏教言葉だと思うが

それにしても、六兵衛は 知らない言葉が多すぎる。

 

 

仮に今 六兵衛に、重くのしかかっている苦しみがあったとして

例え それが、「旅の途上の一休みの間の出来事・・」だと

あの有名な一休さんに諭されたとしても

「雨も嵐も、好きなだけ降りつけよ!」などと悟る事など

決して出来ないだろう・・。

六兵衛は結局、今の軽薄短小のままで「無漏路」になる・・。

 

鳥曇り

杉本章子さんの文庫本『信太郎人情始末帖・第3巻 狐釣り』

(文春文庫)を読んでいる。

文庫本 全7巻からなる連作短編小説の3巻目で、捕物帖の要素

を取り入れた、江戸の町に暮らす人たちの人情ばなしである。

いま読み始めた その第3巻には、5話の短編がおさめられて

いるが、2話目の「きさらぎ十日の客」という話の書き出しに

『鳥曇りの ある夕方・・信太郎が家に戻ると

上がり端に見慣れぬ茶盆が出ていた。

空になった湯呑みがひとつ、のっている』・・とある。

書き出しの「鳥曇り」という言葉、六兵衛には初めて聞く言葉

である。

ネットで調べてみた・・。

「鳥曇り」とは 晩春の季語で、寒くなる前に日本に渡ってきた

渡り鳥が、北の繁殖地に帰っていく頃の曇り空のことを云う。

また「鳥風」とも言う・・とある。

俳句の「季語」のようだ・・勉強になる・・。

 

そして もう一つ、中途半端な疑問がわいた。

「鳥曇り」の「曇」と「雲」とは、どこがどう違うのだろう。

やっぱり ネットで調べてみると・・

「雲」は その大きさに関係なく空に浮かんでいる「くも」で

「曇」は日の下に雲と書くから、雲が日を遮っている空全体の

様子・・だという。

なるほど、言われてみれば その通りだ。

「曇る」とは書くが、「雲る」とは書かない。

「雲が出た」とは書くが、「曇が出た」とは書かない。

完全に「曇」と「雲」とは意味も使い方も違うということか。

 

・・・しかし こんな「雲」や「曇」の違いなんて

これまで深く考えたこともなかった。

・・六兵衛の これまで大雑把に生きて来たゆえの証だろう。

 

それにしても、今日は雲り空・・いや 曇り空。

今日の散歩は 芥川堤道を南下し、芥川橋で折り返すコース。

例え 真冬の寒さの中でも、晴れた青空の下を歩くのはいいが

曇り空での散歩は、気分的にも寒さが増すのだ。

 

薄 氷

今朝も 寒い。

やっぱり北国の人たちからすれば

『この程度の寒さで、何 云うてんねん!』と怒られそうやけど

慣れない寒さに身体が固まるヮ〜・・。

 

裏の溜池も、今朝は池一面に薄氷が張ってた。

凍る2

昨日も寒かったけど、それでも 池の1/3くらいしか

氷は張ってなかったで〜・・。

 

この池を住処にして暮らしている水鳥たちは

凍った水面では泳ぐことも出来ず、どうしてるんやろ・・。

 

もう少ししたら六兵衛は、上の池公園の方へ散歩に出かける・・。

それにしても、春は まだまだ先やろなぁ・・。

 

 

宅配買取り

厳しい寒さや雪に覆われて冬を過ごされている北国の方々には

申し訳ない言い草になるが、我が家の裏の農業用溜池が

珍しく凍るほど、今日は めったにない寒さだ。

凍る

 

六兵衛が毎日読む中古の文庫本は ネット通販で買う。

そして 読み終わった文庫本は、もう一度 読みたくなりそうな

本以外は、ある程度まとまってから、市内の中古本屋に持参し

買ってもらうのが常である。

但し、その場合の買取価格は、ネット通販で中古本を購入した

 1/10程度の金額にしかならないが・・。

 

新型コロナ騒ぎが始まって以来 人混みを避けるため

市内の中古本屋に読み終えた文庫本を売りに行く事を

控えていた。

コロナ騒ぎ以前からの文庫本も含めて、いまでは

読み終えた本が、だいぶ溜まっている。

正確には数えていないが、一枚の買い物袋に約40冊ほどの

文庫本を入れたら、6枚のビニール袋を使った。

大雑把な計算だが、約240冊ほどの文庫本を処分する必要が

ある。

 

不要の外出を避けるため、溜まっている文庫本は

まだ しばらくは、中古本屋さんへ持って行けない状況が

続きそうで、だから思い切ってネット通販の「宅配買取り」

システムを利用することにした。

 

まず1月4日に、中古ネット通販の「宅配買取」にメールで

申し込み、とりあえず本を入れて送るための段ボールの空箱を

2箱 送ってくれるよう依頼した。

予定より早く、翌日の昼頃には「空箱」が我が家に届いた。

早速 その日のうちに、送るべき約240冊の文庫本を

2つの段ボール箱に収めた。

ネット通販から届いた段ボールの空箱は無料だったからか

なんとなく薄い作りの 頼りなげな段ボール箱だったから

必要以上にガムテープで貼り付け、念のために紐でも

きつく縛って強くした。

 

・・・ところが、ところが、やっぱり六兵衛は軽薄である。

「宅配買取」から指示があった「申込み書」に

直筆の署名をする必要があったのに、その事を忘れたまま

箱に収めてしまったあとで、その事に気づいた。

やや薄めの頼りない段ボールの箱だったゆえに

ガムテープも多く貼り、念のために紐まで使って縛ったのに

もう一度 開け直して「申込み書」に署名する必要がある。

『クッソ! やっぱ オレは アホや・・。』

 

そんなこんな 無駄な作業もあって、荷造りはスムースに進ま

なかったが、何とかかんとか荷造り作業を終える事が出来た。

 

「宅配買取」を申し込んだときに決めた集荷日よりも

3日も早く送れる段取りが整ったので

集荷を早めにして欲しいとの旨を、「宅配買取」にメールを

したが、集荷日を早める変更は出来ないという返事が来た。

 

そして今日が予定の集荷日、夕方 4時頃に宅配業者さんが

荷物を引き取りに来てくれて、これで何とか無事文庫本を

送り出す事が出来た。

 

見積もり金額の報告は5、6日 後になるという・・。

まぁ 金額云々よりも、「宅配買取」でのメールのやりとりや

荷造り、集荷待ち 等々、慣れない事ばかりで緊張していたらしく

六兵衛は ちょっと疲れました・・。

 

独りよがりの回顧録?

六兵衛が散歩するコースは数ヶ所あるが

そのうちの一つに、塚脇橋で折り返すコースがある。

これまでにも何度も書いている「おばあさんの畑」の前を通る

コースだ。

その「おばあさんの畑」の、芥川を挟んだ反対側の山手に

木の名前は知らないが、存在感のある大きな木が立っている。

「・・立っていた」と言うべきだろうか、現在の その木は

何年か前の台風で激しく幹を折られたあと、回復する事もなく

徐々に枝の上部が崩れていって、とうとう現在の状態になって

しまった。

大木

 

何年か前には、老木とはいえ 空高く枝を伸ばし

元気いっぱいに存在感を示していた その大木の姿を

これまでの散歩の途中に何度か写真に写し、我がブログに

載せているはずだと思い、当ブログの「写真ライブラリー」

を探したが 見つからなかった。

我がブログが、それまでの「@niftyココログ」の

『きーポケじーさんお昼寝中』から

「WordPress」の『六兵衛じーさんお昼寝中』へとタイトルも

一部 変えて引越ししたのは2018年の3月であった。

そして「@niftyココログ」ブログを始めた2012年7月

から「WordPress」ブログへ引っ越すまでの約6年間に

ブログに載せた写真は、「@niftyココログ」 の管理ページに

あるだろうと思い、当時の「ココログ」ブログにログイン

しようとクリックしたら、次の様な表示が出た。

 

どうやら 未更新が1年以上続いた場合のログインは

改めて料金を払わなければならないと書いてある。

アホらしい話や・・時間なら六兵衛には 余るほど有るわけで

「ココログ」 の2012年7月から2018年3月までの

当時のブログ『きーポケじーさん お昼寝中』を

順繰りに調べていけば、元気だった頃の「大きな木」の写真を

見つけられる・・はずである

 

以前に書いた日記とはいえ、自分が書いた日記を一つひとつ

読んでいくのも変なものだが、とりあえずブログ内に掲載して

いるはずの「大きな木」の写真を探していった。

 

しかし、「大きな木」の写真は 一向に 見つかる気配も

ないままに、それでもページをめくっていくと

次第に「禁煙」の二文字が目に付き始めた。

六兵衛が「禁煙」を始めて、悶えている旨の日記が

ブログ内に頻繁に出るようになった。

そもそも六兵衛が禁煙を始めたのは、2012年9月27日から

だが、ブログ内に最初に「禁煙」の文字が現れたのは

2012年11月15日の芥川堤道へ散歩に出かけた日の

日記の中である。

(略)『下を見れば、道端にタバコの吸い殻が捨ててある。

ここにも・・

あそこにも・・

投げ捨てられている。

どんな思いで吸ったのか・・

どんな思いで捨てたのか・・

無造作に吸って、無造作に捨てて・・

道端に捨てられたタバコの吸い殻は、禁煙者の心を乱す。』

・・とある。

禁煙してから1ヶ月半ほどが過ぎた頃の日記だ。

 

また、2013年2月20日(水)の日記には

『禁煙を初めて もうすぐ5ヶ月になるが、相変わらず「煙魔」

が襲ってくる。

毎日、毎日、襲ってくる。

命ある限り・・一生 続きそうな「煙魔」の襲撃である。

いや、しかし、ホンマ・・いつまで続くんやろ・・。』

タバコを吸いたくなる誘惑を「煙魔がくる・・」という文言で

表現している。

 

1年以上 禁煙を続けた2013年12月19日(木)には

『1年間 禁煙に成功してタバコを止められたと思う人もいれば

3年5年と禁煙を続けても、それでも まだタバコを吸いたい

欲求に悩む人もいる・・』と、「卒煙」には個人差があって

1年で禁煙に成功できた人を羨む様な文章に続いて・・

『それにつけても 禁煙は・・ただひたすらに 自分との戦いで

あり、自分一人の戦いなのだと、つくづく思う・・』

と禁煙への戦いは孤独なのだと強調している。

 

禁煙から2年と2ヶ月が過ぎた2014年11月24日(月)

の日記には・・

(略)

『 寝付けない夜が続く。

寝付けないから、タバコの事を考えるのか・・

昼寝をするから、夜 寝られないのか・・

夜 寝られないから、昼寝をするのか・・

・・・独りよがりの悩ましさだ。』と・・

いくら考えても 答えなど出ないだろうに・・。

 

また 同じ頃の日記に・・

『60歳を過ぎた頃から1年に一度、市の無料の健康診断を

受けているが、禁煙を初めて2年2ヶ月が過ぎた今と

禁煙をする前のタバコをプカプカ吸っていた頃との

血液検査の数値が、どれほど好転しているかを比べてみた。』

禁煙1年前の2011年10月と、禁煙から1年半が過ぎた

2014年4月の数値の比較をしている。

禁煙 1年半後には・・

体重は:5.8kgの増加。

腹囲は:5.8cmの増加。

BMI(肥満度)は:2.0の増加。

中性脂肪は:171mg/dl増加。

総コレステロールは:79mg/dl増加。

尿酸・・1.1mg/dl増加。

あれもこれも全部が、禁煙後に悪くなっている。

これらの数値のほとんどが、食い物や運動不足などに影響される

・・とはいえ、折角 震えるほどの禁煙を続け・・

(略)

良い効果を表すどころか 悪化している・・嗚呼〜神よ(略)』

 

2015年3月19日(木)のまだ仕事をしていた頃の日記。

『仕事をしていて、一息入れようとしたら

無意識のうちに手が、胸のポケットへ スーっと動いた・・

無意識に求めていたらしいタバコなど、そこには無いのに

・・である。』

禁煙から2年半も過ぎているのに、無意識に手が動くことに

少し驚く・・』(略)


当時の画像」

 

そして とうとう、禁煙に我慢できなくなった六兵衛は

2015年9月27日(日)、禁煙を始めてから ちょうど

3年が過ぎた その日、近くのコンビニでタバコを買つている。

家に持ち帰り、一本抜いたあと・・

『鼻に近づけて 懐かしい香りを嗅いだ・・吸いたい!』

しかし その時、買ったタバコを その場で吸わなかったのは

せっかく3年間 辛抱したのに、ここで それを無駄にするのか

・・と、六兵衛なりに考えたようだ。

少しは冷静さも あったのかもしれない・・。

タバコは買ったものの、いざ吸うとなった時

そんな葛藤があり、結局最後は つれあいに判断してもらおうと

その事を言うと、『せっかく禁煙したのに・・』と強く反対された

と書いている。

・・つれあいの 一言は大きいからね。

その時 買ったタバコは、封を開けたまま1本も減る事もなく

今でも机の引き出しの中に鎮座している。

 

そんなこんな、様々な葛藤を繰り返し乗り越えて

禁煙生活は8年を過ぎたが、六兵衛には決してまだ

「卒煙」出来たとは思えないのだ。

この頃では、禁煙の苦しさは少しずつ和らいできており

タバコのことを忘れている時間も多くなってはいるが

それでもフッと、タバコを吸いたくなる時があって

特に裏の畑の開墾や野菜を育てる作業をしていて

疲れて一休みした時など、『こんな時 タバコを吸ったら

美味いやろなぁ』と思ったりするのだ。

 

 

元々 「大きな木」の写真を探し始めた事がきっかけだったが

いつの間にか あの頃の禁煙の日記に夢中になってしまい

過ぎ去りかけている日々とはいえ

読みながら改めて、厳しかった「禁魔」との戦いの毎日が

自分の事ゆえなお、面白くもあり 切なくも思うのである。

それにしても六兵衛に、『明日死ぬ!となったら何がしたいか』

問われたら、まず『タバコを吸いたい ! 』と答えると思う。

 

長々と、まさに「独りよがりの禁煙回顧録」になってしまい

大幅に話は逸れてしまったが、結局あの「大きな木」の

元気な頃の写真は見つからないままであった。

だから 下手な絵だが イメージを描いてみた・・。

大きい木

元気だった頃の実際の木は、もっと もっと 枝も葉も繁っていて

存在感いっぱいの「大きな木」だったんだが・・。

 

アクセス解析

当ブログ『六兵衛じーさん お昼寝中・・』には

1日に数人程度の”訪問者”が尋ねてくれているようだ。

その ほとんどの”訪問者”は、六兵衛の家族だとか ごく親しい

友人や知人たちである。

そのように ごくわずかな人達が訪れてくれるだけの我がブログ

だが、一応「忍者アクセス解析」を設定していて訪問者の

大まな人数などが分かる。

 

以前には、WordPressブログでのアクセス解析に便利だと聞き

『Count per Day』というアクセス解析のプラグインを使って

いたのだが、200人とか300人とか

六兵衛のブログなどでは絶対 あるはずのない訪問者の数を

表示するので 信用出来ず、「忍者ツールズ」のアクセス解析に

変えたのだった。

 

そんな こんな、アクセス解析でわかる訪問者の中で

特に多いのが「google Bot」や「Msn Bot」などクローラー

と呼ばれるWebの「情報収集用ロボット」の訪問である。

始めの頃は 詳しい事も分からず、訪問者の数字が多くて喜んで

いたものだが、そのほとんどが「google」や「Msn」の

「情報収集用ロボット・Bot 」だったとわかった。

 

それでも たまには、GoogleやMsnやYahoo!などをの

検索エンジンに、当ブログがヒットする事もあるらしい。

 

例えば、12月17日(木)の当ブログの日記『乱れ雲』での

「忍者アクセス解析」をみると、Microsoft Bingの検索サイトで

『立慶橋』の文言で検索をした人がいたらしく

検索ページの第1番目には『【15-091】立慶橋 江戸マップβ版』

というサイトが表示されているが

なんと2番目には、当ブログの2018年3月28日の日記

『江戸川に架かる「立慶橋」』が表示されていて

だから とりあえず 当ブログに立ち寄られたのだろうと思うが

独りよがりの半端な我がブログゆえ、果たして お役に立てたか

どうか・・・。

 

何にしても、我がブログを定期的に訪問してくれる家族や

友人 知人、そしてクローラーといわれるBotの訪問を含め

検索エンジンから来られる訪問者さん達に感謝しながらも

今日のこの日記のように、六兵衛の軽薄短小な日常を

不細工ながらも、結局は 淡々と綴るのみ・・である。

 

六兵衛の体重

当ブログに度々書いてきたが、今秋に入る9月の始め頃に

裏の土地に畑を作ろうと、つれあいと二人で開墾作業を始めた。

 

畑を作る裏の土地は、元々 家が建っていた跡地なので

今回の畑作りのために購入した耕耘機の刃が跳ね返されるほどに

土が硬く、”ガラ”も多く埋まっていて、だから どうしても

耕耘機を使う前にツルハシで深く掘り返しておかないと

「耕耘機」では耕せない状態だったのだ

 

その上 昼飯は、土まみれの作業着を わざわざ着替えるのが面倒で

だから ついつい昼食抜きで そのまま作業を続けたりした。

そんな状況が1ヶ月も続いて、10月に入った頃には六兵衛の

体重は4kgも減っていた。

もちろん こんな言い方をすると、よほど激しい作業をした

ような印象になるが、元々が心身共に軟弱な六兵衛だから

休み休みの作業だったのは当然である。

 

そんなわけで、1ヶ月あまりで六兵衛の体重は、大きく減少した

のだが、そのあとの 今日までの3ヶ月は 大した肉体労働もなく

わずか1kgほどしか減る事はなかったのだが・・。

 

それでも、開墾作業を始めた9月頃から4ヶ月後の今日までに

結局73kg以上あった六兵衛の体重は68kgほどまで減った

のである。

だから当然 腹回りも少なくなって、ズボンのベルトの穴も

変わってきた・・。

 

下の写真は 六兵衛が普段 使っているズボンのベルトだ。

ホームセンターで買った安物だが・・・ご覧のように

作業前と作業後の使用するベルトの穴が約5cmも少なく

なった。


①は・・畑の開墾を始める前の穴の場所

②は・・開墾作業を始めて1ヶ月が過ぎた頃の穴

③は・・昨日の時点でのベルトの穴の場所。

②と③は、ベルトの購入時点で穴は空いてなかったが

あとで必要になって穴を空けたものだ。

 

68kgの体重・・六兵衛の身長からすると

まだまだ体重オーバーといえるのかもしれないが

せっかく ここまで落ちた体重は六兵衛にとっては貴重である。

しかし これからの畑作りでは、重労働も ほとんど終わり

ツルハシを使うような作業も なくなるだろうし、だから

せっかく減った体重が、また増えてくることは必然のような

気もしている。

まぁ それでも、出来るだけ体重を現状維持に保てるように

頑張らねばと思う、今日この頃の六兵衛なのである。

 

年の瀬に・・

たとえ 老人の2人暮らしとはいえ、年末ともなれば

それなりに慌ただしく感じられ、スーパーへの買い出しも

それなりに多くなる。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2012年の年末の頃に「さし絵」として掲載していた144作目のカット絵。

 

そう、それなりに それなりにの年齢だからだろう

それなりの買い物をすませた帰りの車の中で

つれあいが六兵衛に話しかけてきた。

『ユウカ 知ってるやろ』・・と。

突然のユウカ知ってるかの質問だったから

『ユウカ?・・たぶん アノ娘か?・・』と、曖昧に答えたら

つれあいが、そのユウカの説明を始めた。

『可愛い娘で・・』とか、『ちょっとゴツそうな男の人と結婚

してる・・』とか・・そんな会話が続く。

つれあいの話が、だんだん横道に逸れて行きそうなので

『ユウカが どないしたんや ?』と六兵衛が話を元に戻そうと

つれあいに聞き返すと、一瞬 間があり『何んやったっけ ?』と

そもそも六兵衛に話をしようとした話の内容を忘れてしまって

いるらしい。

歳を重ねてくると、お互いに そんなボケた事は 日常茶飯事で

車の中で、2人して大笑い。

孫たちが まだ小さかった頃に、遊びで作った「マンガ絵」が
パソコンの隅っこに残っていたので、 懐かしシリーズで掲載する。

 

そのあとも 家に帰る着くまで つれあいは、思い出そうと考えて

いたようだが、家へ帰り着いて、昼飯や夕食を食べたりするうちに

昼間の車の中で話そうとしていた事さえ忘れたのか

つれあいから、あの続きの話は聞けないままの六兵衛である。

 

それとも 案外、話そうとしていた内容は思い出したものの

後になってみると、あまりにショウもない話に思えて

六兵衛に話すのを ためらっている・・のかもしれないが。

 

映画『乱れる』

前々回の日記で、成瀬巳喜男監督の映画『乱れ雲』に触れたが

その映画より4年前に制作されている 同じ成瀬監督の映画に

『乱れる』という作品がある。

『乱れ雲』は1967年の制作だが、『乱れる』はその4年前

の1963年に制作されていて、高峰秀子さんと加山雄三さん

主演の、こちらも東宝配給の映画だった。

乱れる

 

夫の死後 残された酒屋を支え、明るくひたむきに店を切り盛り

する女性(高峰秀子)と、その義姉を一途に慕い続ける義弟

(加山雄三)との、許されない愛を描いた物語である。

 

寡婦となった義姉を慕い続ける義弟の一途な想いを告白され

義弟を憎からず思う義姉の心は揺れる・・。

元々 家を出る決意は固く、嫁ぎ先に別れを告げ汽車に乗り

故郷へ帰る列車の中で、追ってきた義弟と一緒になる。

フッと 二人が途中下車したのは、川沿いに並ぶ温泉宿・・。

 

この二つの映画、どちらも 若い青年の一途な愛に心が乱れる

年上の女性の葛藤を描いている。

『乱れる』では、戦争で死んだ夫の弟との情愛であり

『乱れ雲』の場合は、夫が死ぬ事故を起こした相手との情愛

なのである。

それぞれに、単純に愛を受け入れる事が出来ない相手なのだ。

乱れる2

 

前作となる『乱れる』での結末が、どうにも救われないような

ショッキングで暗い結末で終わっているが、4年後の『乱れ雲』

では、同じようなテーマにみえるが 結末は少し異なっている。

多少の時代の変化だとか、監督自身の思惑に何かが あったのか

何にしても、同じ様な二つの映画を数年の間に作ったその意味を

柄にもなく考えてみるのだった・・。

 

いくら純粋な愛であろうと、許されない形の愛の その先には

しあわせや、特に心の平安は 長続きしないのではないか。

何故なら その愛には、無理のある事を 当人たちが 一番よく

分かっていて、それを意識すればするほど 壊れてしまう脆さが

あったように思える。

二つの映画の結末に多少の違いはあるものの

どちらもハッピーエンドに終わらせなかったのは

そんな思惑が監督に あったのではないか。

・・などと単純な六兵衛は、精一杯 考えても

この程度の想像が 限界なので・・ある。