今更、ホームページを作る訳・・

芥川堤道や上の池公園あたりを歩いたり・・

小さな畑だが庭で野菜を作ったり・・

肩の凝らない大衆娯楽小説の文庫本を読んだり・・

20年を経た 今でも、初心者のままのパソコンの操作や・・

何より 午後には、1〜2時間の昼寝をして・・

そんな こんなで、これでも六兵衛は 結構 忙しい。

日々

 

そんな六兵衛だが、70歳代も半ば近くになって

人や物の名前などが 咄嗟に出て来なくなったり

さっきまで思っていた事が、少し後には もう完全に

忘れてしまっていたりする。

そんな諸々の「ボケ」が、日々 増えていく六兵衛である。

 

この程度の「ボケ」なら、歳相応だろうと思ったりもするが

これからの残りの人生を考えれば

今からでも注意しておく必要があるのではないか・・。

 

そんな思いから、今の六兵衛に大きな刺激を与えるべく

「ホームページ」作りをすることにした。

 

「ホームページ」といえば20年前、六兵衛が まだ50歳代

半ばの頃に、初めて「Windows98」のパソコンを買い

その2〜3年後には、可愛い孫の成長ぶりを書きたくなって

「ホームページ」を作ろうと思い立った。

何も分からないまま「ホームページ」作りの「解説本」を購入

アメリカに暮らしていた次女にもアドバイスを乞いながら

今では そのタイトルさえ忘れてしまった「ホームページ」を

未熟なりに作り、Web上に公開した。

 

しかし その数年後には、簡単に作れる「ブログ」の時代となり

六兵衛もその流れに乗って「ブログ」へと移った。

今では、サンタクララに暮らすAaronが契約して使っている

「WordPress」の一部を使わせてもらいながら、独りよがりの

ブログ「六兵衛じーさん」を 日々 更新しているのだ・・。

 

<タグ>だの<テーブル>だの、ややこしく面倒な用語や決まり事

を必要とする「ホームページ」の作り方の初歩的な作業でさえ

今では すっかり忘れている。

それでも「老人ボケ」が 見え隠れし始めた六兵衛の今後の為に

「ホームページ」作りは いい刺激になるだろうと思い

作業を始めて1週間ほどが過ぎた。

 

未熟だったとはいえ、一度は作った「ホームページ」なのに

その作業工程を まったく覚えておらず、Web上にある様々な

「ホームページ」作りを解説したサイトを見ながら精一杯

頑張っているが、そんな六兵衛が 今 確実に感じている事は

知力も理解力も記憶力も想像力も体力も、そして根気さえも

その当時の六兵衛より全てにおいて 衰えてきているようで

「ホームページ」作りの作業は 遅々として進んでくれない。

 

「ホームページ」を作る為の基本形の「タグ」を参考にして

最低限の文言をテキストエディタ「CotEditor」に記入・・。

 

ブラウザ画面に「ドラッグ&ドロップ」して表示してみた。

「タイトル」は 当然 仮称で『五兵衛のじーさん』としたが

特に意味はない。

以前に描いた関係のないマンガ絵を「img画像」として載せた。

 

但し この画面、六兵衛のパソコンのブラウザの中でしか表示

できない状態である。

まだ「サーバー」にアップロードしていないからだ。

何しろ、こんな単純な画面を表示するだけなのに1週間もの

時間を費やしたので、Web上に表示できる「ホームページ」と

するためには、まだまだ 時間がかかりそうなのである。

テキストエディタ「CotEditor」をアップロードする方法や

「CSS」などの知識が必要になるようだ。

 

まだまだ作業は 続いていく、70歳の手習い・・。

何事も、ボケ防止! ボケ防止 !

                        

夏の野菜

先日  「えんどう豆」を収穫した後の畑に、改めて土を耕し

牛糞と鶏糞の肥料を与え、酸化している土壌を中和させるため

「石灰」をまいた。

この状態で しばらく「土」を休ませたいのだが

我が家での夏野菜の定番である「キューリ」「茄子」を

そろそろ植える必要がある。

「えんどう豆」の収穫が遅くなった分、「土」を ゆっくり

休ませる時間がない。

 

キューリ・茄子

いささかセッカチだが、「えんどう豆」の あとに

ホームセンターで購入していた「キューリ」2本と

「長なす」2本の苗を、今日 植えた。

 

ゴーヤ・ミニトマト

また、春先に準備していたゴーヤ用の棚の根元にも

数日前に3本の「ゴーヤ」を植えたし

その横に「ミニトマト」も1本 植えた。

 

プランターには「大玉トマト」を2本。

 

六兵衛は「実」のなる野菜が好きだし、植えていて楽しい。

 

ありがたい、ありがたい・・

コロナ禍の渦中でも、庭の畑が実りの初夏を迎えた。

昨年の初冬に植えた「えんどう豆」が一冬を超えて春から実り

始め、5月の今日 収穫をした。

 

えんどう豆1

その後の畑には、「きゅうり」や「茄子」を植えるつもりだ。

 

「えんどう豆」の「サヤ」から「豆」を取り出す作業を

つれあいに頼んだら、iPadのYouTubeを見ながらの作業だった。

えんどう豆2

 

南草津に暮らす長女も、庭に小さな畑を作り「きゅうり」や

「茄子」を植えている。

南草津

 

サンタクララに暮らす次女も、買ってきた「ネギ」の残りの

根元の部分を植えている。

サンタクララ

 

それぞれが それぞれの場所で、それぞれの状況で・・・

ありがたい、ありがたい・・。

 

「#検察庁法改正案に抗議します」

安倍首相 本人や、その仲間たちの保身のために

都合よく 政治も法律も ねじ曲げて

この国を壊しかねない法案の改悪をしようとしている。

 

新聞

安倍政権が推し進める「検察官の定年延長を可能にする

検察庁案の改正法」について、「Twitter」上では

「#検察庁法改正案に抗議します」との抗議ツィートが

広がっていて、10日(日)夜には380万件を超えたと

NHKの夜7時のニュースで放送していた。

(ちなみに、今日の11日には500万件をも 超えたとも

 聞いた。)

 

これまで、安倍政権にとって都合の悪いニュースは流さない

という見え見えの忖度をし、それでも公共放送だと名乗るNHK

だったが、どうした事か「Twitter」上での安倍政権への

抗議ツイートが大きく広がっている事を放送をした。

だからといって NHKが、これまでの愚かさを「反省」をした

からだとは とても思えない・・。

あくまでも 六兵衛の想像だが、NHKは ここの所の安倍政権に

様々な問題が起きており、一強といわれ続けた政権にも陰りが

見え始めてきたと感じだしたNHKは、様子を見ながら少しづつ

安倍政権から離れた方が 世間受けがいいかもしれないと考えた

NHKトップ連中の姑息な思惑なのではないか・・。

 

「日和見」というか「ご都合主義」というとか そんな塩梅で

今更 NHKトップに、反省の気持ちなど無いのは明らかだろう。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2010年の春の頃に「さし絵」として掲載していた2作目のカット絵。

 

「Twitter」上に多くの抗議のハッシュタグがあるからといって

喜んでばかりはいられない。

あの晋三くんの事だもの、なり振り構わず強引に法案を通して

しまうかもしれない。

残念ながら今は、新型コロナウイルスの禍中にあって

国会を取り囲むなどの抗議デモが出来ない状況にある。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2010年の春の頃に「さし絵」として掲載していた3作目のカット絵。

 

また六兵衛も、何より皆んなと同じように「Twitter」上に

「#検察庁法改正案に抗議します」をツィートしたいのだが

残念ながら六兵衛は「Twitter」の扱い方を知らないし

第一「Twitter」のアカウントを持っていないから

せめての意思表示をと思い、ブログに書いている。

 

六兵衛も『 検察庁法改正案に抗議します!』

 

『越後屋、おぬしも悪よのう・・』

2011年にテレビ放送がアナログ放送から地上デジタル放送

へと移行したとき、「東京タワー」のテレビ放送の電波塔と

しての役割は終わり、「東京スカイツリー」へと引き継がれて

いった。

それ以後「東京タワー」は、展望デッキなどから景色を眺める

展望台としての観光や、「マルチメディア放送」や「FM放送」

また「無線中継の基地局」としての役割のみとなったが

しかし「東京タワー」には、もう一つの役割が残っていた。

それは、いつ起きるか分からない大きな災害時に

もし「東京スカイツリー」が使えなくなった場合の事を考えて

予備の電波塔としての役割を担っているらしいのだ。

 

そして、いつ起きるか分からない その時のために

「東京タワー」の定期検査を、地道に繰り返し行っている

人達がいるという。

そんな映像をNHKが放映していた。

決して目立たないが、大切な仕事を 日々積み重ねている人達に

比べて・・と、ついつい愚痴りたくなる六兵衛である。

 

NHKには、トップの「会長人事」などを選ぶ12人から成る

「経営委員会」という組織があって、その「経営委員」たちを

選ぶのは、国民の代表である衆参両院議員の同意を得た

「総理大臣」が任命することになっているという。

 

安倍一統

本来NHKは「 国民の受信料によって運営され 政府から独立し

公共の福祉と文化の向上を目的とした事業体」である筈なのに

人事権を握った安倍総理 率いる「総理官邸」の思惑が

「経営委員会」を動かし、NHKの運営方針にまで

「総理官邸」の都合の良い運営が強く出ることになる。

挙句、安倍首相にマイナスになりそうな放送には

上意下達で 一切 放送をさせないという事になる。

当たり前の話だが、新聞でも放送でも「批判精神」が

なくなれば、それはメディアとは言えない。

 

多くのNHK職員の方々は、それぞれの務めを精一杯 果たし

良い放送を発信しようと努力されているのだろうけれど

残念ながら、NHKトップによる あからさまな安倍政権への

忖度をして放送される「NHK ニュース」は

とても信用 出来ない内容で 見る気にならない。

 

『子は親を写す鏡』という ”ことわざ” がある。

今の安倍政権を見ていて つくづく思うのは・・

『政府は国民を写す鏡』という言葉だ。

 

155作目2013年・春
六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の 2013年の春の頃に「さし絵」として掲載していた155作目のカット絵。

 

特定秘密保護法に始まり集団的自衛権行使や安全保障関連法

共謀罪法 等々を、” 自衛 ” という言葉でごまかしながら

戦争へ近づく法案を 数の力で成立させて来た安倍政権。

その上、働き方改革関連法や改正入管法などの経済一辺倒とも

いえる政策をも、強く進めてきたと思っていたら

「自衛隊の日報隠蔽問題」での ごまかしに始まり

「森友学園」や「加計学園」問題では、安倍首相や昭恵夫人の

お友達へ特別な便宜をはかり、それが見つかりそうになると

官僚の忖度も手伝っての文書の改ざんであり、極め付けは

「桜を見る会」だった。

 

そんなこんな、権力を私物化する現政権と一部官僚たちでは

今 起きている新型コロナウイルスという大きな難題に

対処 出来るわけもない。

強い使命感も、国民の命を守るという思いさえもない。

金も出さず 保証もせず、その代わり 「如何にも やってる感」

だけは出そうと、時々 思いついたように安倍首相は

官邸官僚が書いた きれい事ばかりを並べた文章を

記者会見の場で読む厚顔さは、実に情けない。

 

以前にも書いたが、そんな安倍政権を今日まで引きずり

長引かせてきたのは、自分さえ良ければ、今さえ良ければ

という考えの、ひとえに愚かな国民の所為である。

ゆえに『政府は国民を写す鏡』だとの言葉が浮かぶのだ。

 

『政府は国民を写す鏡』・・という言葉

念のためにググってみた・・。

サミュエル・スマイルズという イギリスの医者で作家の人が

100年も前に出版した「自助論」という本の中で

『政治は国民を写す鏡である』と指摘しているらしい。

 

何とまぁ・・六兵衛は、イギリスの偉らい人と

同じ感覚を持っていたんやなぁ〜と思うと・・

ちょっと自信を・・持っちゃお〜か なぁ〜。

 

庭の「白い恋人」

”花より団子”の言葉どうり、我が家の庭では ただ観賞するだけ

の花や木を植えるよりも、食べられる野菜の畑を作り

出来るだけ 実の成る木を植えたきた。

その一つ「すだち」の木は、玄関 階段横に植えている。 

その「すだち」の木に、待ちに待った白い花の蕾が開き始めた。

スダチの花

 

つれあいが20年ほど前、どこかで苗木を買ってきて 植えた

「すだち」の木が、10年ほど前頃から実が成りだし

秋になると収穫して、大切に味わってきたのだが

4、5年前あたりから、その「すだち」の幹や枝や葉っぱが

黒い墨で塗ったみたいに 薄黒くなってきた。

 

たぶん「すす病」とか 何かの病気だろうと思い

素人考えながら 思い切って枝を切り落とし

まるで丸裸の「すだち」の木に剪定した。

 

いささか 切り過ぎたのだろう・・それから今年までの数年

実の成るどころか、春になっても わずかに葉が繁る程度で

もうこのまま 実は成らないかもしれない・・などと

内心 気に揉んでいたのだった。

 

スーパーなどで「すだち」を購入すれば 案外に高価だ。

先日 近所のスーパーで2個入りパックで98円だったらしく

つれあいが「じゃこ」と一緒に買ってきてくれた。

もちろん「すだち」の方が「じゃこ」より高価である。

 

ネット通販では もっと高価で、8個入って送料別の980円で

売っていた。

8個980円+送料

 

高価だ・・「緑のダイヤ」と言っても おかしくはない。

 

そんな高価な「すだち」、今年になって やっと白い花の蕾が開き

始めたのだ。

 

本来「すだち」よりも主役のはずの「じゃこ」の事だが

六兵衛の食事での一番の好物は、何と云っても『じゃこ』だ。

ジャコ

見た目は 確かに貧相だが、六兵衛にとっては肉でも刺身でもなく

ましてや粉もんなどでもない。

醤油を軽く垂らした新鮮な「じゃこ」に、「すだち」を絞る。

爽やかな香りと ほのかな酸味とが相まって、白いご飯に

パ、パーフェクト!

サンマなどの焼き魚、魚介類の刺身や松茸など

様々な料理に果汁をかけて食べる「すだち」なのだが

やっぱり六兵衛は「すだち」を最高に生かせられるのは

「じゃこ」、「じゃこ」なのである。

 

六兵衛などは昔から、この小魚の干した物を「じゃこ」と言った。

煮干し用の雑魚(じゃこ)でもないし、シラスを乾燥させた

半生の「ちりめんじゃこ」とも異なる。

「じゃこ」を「雑魚」と書く場合もあるようだが、決して

商品価値が低く、軽く扱う時などに使う雑魚(ざこ)などの

事ではない。

 

ウィキペディア(Wikipedia)によると、「すだち(酢橘)」は

香酸柑橘類に属し、花期は5〜6月頃に純白の花を咲かせ

秋頃に果実が実る・・とある。

原産は徳島県。

そして徳島県の県花が「すだち」の花だという。

 

1993年には「スダチ」をモチーフにした徳島県の

イメージキャラクター『すだちくん』が生まれ

活躍しているという。

一人で 懐かしんでいる・・

また また、また また・・・懲りる事なく  六兵衛は

読んでいる時代小説の物語の文中に、50年も前に

六兵衛が暮らしていた頃の東京の町名や橋や建物などが

登場していると、一人で 悦に入っている。

江戸と昭和との大きな時代の違いはあっても

聴き慣れた町や場所の名前に 当時が懐かしい・・。

 

『無茶の勘兵衛日月録 第20巻・落暉の兆し』浅黄 斑 さん

(二見時代小説文庫)にも、そんな橋や町が出てきた。

 

落暉の兆

【P 215】

四月十二日の朝、勘兵衛は裁着袴(たっつけばかま)を着用し

昼食用の握り飯だけを携えると、露月町の町宿から関口村へ

向かった。

 注:「露月町」は現在の「港区 新橋」あたり。

 また、この物語に出てくる「関口村」とは

 六兵衛が50年前に東京に行って半年後、神楽坂坂上の

 横寺町のアパートに引っ越す前の1年余りの間

 下宿をしていた「文京区関口1丁目」あたりのようだ。

(略)

筋違橋で神田川を渡り川筋を遡っていく・・。

 注:「筋違橋」は現在の神田・万世橋。

(略)

水道橋を過ぎると、右前方に徳川御三家のひとつ、

常陸水戸藩の江戸屋敷が見えてきた。

・・とにかく広大である。

 注:水戸藩邸の江戸上屋敷の跡地の一部が

  現在「東京ドームシティーアトラクションズ」になっている。

(略)

南下してきた江戸川が神田川に流れ込む音が「どんどん」と

あたりに響き、その地に架かる橋は船河原橋といって、

渡った先は牛込の地に入る。

 注:「船河原橋」は現在JR飯田橋駅前の高速道路の下にある。

自身番所の書役に教えられたとおり、橋は渡らずに右折して

江戸川左岸を遡っていった。

(略)

・・川沿いの緩やかな坂をたどる。

最初の橋は竜慶橋というが、橋袂に辻番所があった。

・・・・・。

注:「竜慶橋」、今は「隆慶橋」といい JR飯田橋駅より北の

       大曲方面への途中にある。

 

この物語の中で、越前大野藩のお耳役・落合 勘兵衛は

藩邸のある 現在の東京駅に近い新橋辺りの「露月町」から

目的地の「関口村」を目指して歩いている。

道筋

この「隆慶橋」、当ブログに何度も書いてきた。

『風の市兵衛 弐』の第2巻「修羅の契り」にも登場したし

それ以前の 池波正太郎さんの小説「堀部安兵衛 上・下」にも

登場したが、その小説での橋の名前は「立慶橋」となっていた。

 

50年も前の六兵衛が、当時 このあたりの町に住んでいて

いつも渡っていたのが 古い方の「隆慶橋」である。

但し 地図を見ると現在は、この「隆慶橋」より ほんの少し

上流側に広い道路が出来て、大きくて新しい「新隆慶橋」が

架かっている。

隆慶橋

 

浅黄 斑さんの「無茶の勘兵衛」の小説は、直接 物語とは

関係のない「うんちく話」を随所に挟み、やや横道に逸れ

がちになるが、それがまた 楽しいのである。

しかし、第20巻が出版されて1年が経ったというのに

次の第21巻は、いまだに出版されていない。

浅黄 斑さんは「無茶の勘兵衛」の第17巻を書き上げた後

病気を患われて、3年余りも小説が書けなかった事があったので

また お身体を壊されているのではないか・・などと

ちょっと気には なっているのだが・・。

 

それでも 出来る事ならと、新作の発売を心待ちしながら

ただ ただ、独りよがりのブログ日記を書く。

何より自分が楽しむことを第一に、そして今日を過ごしている。

 

『石狩川悲歌』

六兵衛の散歩は、200数十曲ほどの古い流行歌を iphoneの

音楽再生アプリ「ミュージック」に保存して、イヤホンで聴き

ながら歩いている。

 

保存した200数十曲に、それぞれの良さはあるのだが

それでも その時々によってスルーっと流れていく歌もあれば

改めて耳に残って、その歌のことをブログに書きたいと思う

ときもある。

 

三橋美智也さんが歌う『石狩川悲歌(エレジー)』である。

石狩川悲歌

作詞:高橋 掬太郎 さん  作曲:江口 浩司 さん

昭和36年(1961年)のヒット曲だ。

君と歩いた石狩の

流れの岸の幾曲がり

思い出ばかり心につづく

ああ 初恋の遠い日よ

ひとり仰げば ただわびし

木立の丘の日暮れ雲

黒髪清く瞼に消えぬ

ああ 初恋の面影よ

君を思えば身に染みる

石狩川の夕風よ

二度とは逢えぬ この道なれば

ああ 初恋の日が恋し

 

二度と逢うこともない初恋の人の面影を求めて

石狩川の川辺にたたずめば・・スローテンポの曲に載せて

三橋 美智也 さんが静かに熱唱する。

 

石狩川とは、北海道大雪山系石狩岳の西斜面を源とし

そこから川上盆地、空知地方、石狩平野など 22の市町村を

流れきて石狩湾へと注ぐ大河だ。

名前の由来はアイヌ語の「イ・シカラ・ペツ」からきたとの

説などがあるそうだ。

 

蛇足ながら・・・

六兵衛の記憶では、この『石狩川悲歌』が歌われた前後の時代

「純愛」をテーマにした小説や歌謡曲が多く作られていて

そんな小説を映画化したり、ヒットした歌謡曲の人気に

あやかった映画なども多く作られていた。

 

映画・野菊

純愛映画の代表的な作品といえば、1955年(昭和30年)

伊藤 左千夫さんの小説「野菊の墓」を木下 恵介さんの監督で

『野菊の如き君なりき』とタイトルを変え、松竹映画で公開

されている。

その後も安田道代さんや松田聖子さんなどが主人公の ”民さん”

を演じた。

 

『民さんは 野菊のようなひとだなぁ・・』

インターネットの電子図書館「青空文庫」で

伊藤 左千夫さんの小説「野菊の墓」が読める。

青空文庫

 

また、山陰地方の大地主の息子と山番の娘の美しくもはかない

恋を描いた大江 賢次さんの小説「絶唱」も映画化され

浅丘ルリ子さんと小林 旭さんが演じた最初の映画から

その後、和泉 雅子さんや山口 百恵さんらが山番の娘を演じて

いる。

絶唱・映画
舟木 一夫・・芝居 へたやったなぁ〜。

 

その他にも、「夕笛」「愛と死を見つめて」「伊豆の踊り子」

「江梨子」「泥だらけの純情」等々 等々、数多くあった。

 

「純情」・・今では もう 流行らんかもしれへんし

汚れている奴に限って ” 純情 ” を求めたがる・・などと

言われたら、グーの音も出えへん 六兵衛やねんけどナ・・。

 

山笑い、風光り、水温む

今季の冬は、たぶん暖冬だろうと予想されたように

雪も1度か2度、ちらほらと舞った程度で 積もる事もなく

寒さも さほど厳しくもない冬だったように思う。

 

しかし季節は、しっかりと帳尻を合わせているようで

暖冬だった割に4月に入ってからも、何となく肌寒い気候が

続いていたが、桜も散り 木々の若葉も芽生えはじめ

5月の声が聞こえてきそうな この頃になって やっと

肌寒さからも開放され、芥川堤道から眺める摂津峡あたりの

山々も一面 若葉色に萌えて、吹く風が光に輝き

水鳥たちが戯れる芥川の水面も、心なしか温んできたようだ。

芥川

 

世界はコロナ禍の只中や。

特に日本政府は、何んかの欲とか都合とかを計算したんやろ

初期対応に遅れてしもたし、その後の思いっきりが悪いもんやから

何もかもが後手後手に回ってしまいよった。

そやから当分は、先の見通しが立たへん状況になってしもたんや。

 

 

我が家の庭のメダカの水槽に、何処から来たんか分からへんけど

「アメンボ」が一匹 泳いでいるのを見つけたで。

・・見えにくいやろから、拡大しといた・・。

あめんぼ