またまた、神楽坂 横寺町 辺りのこと・・

特別 楽しかったという記憶があるわけでもないのに

遠い昔の若い頃の事だからだろうか、何度も何度も

その頃の事を しつこいほどにブログ日記に書くのは

六兵衛が東京の3畳一間の安アパートで暮らしていた

20歳の頃の日々のことだ。

 

西条奈加さんの時代小説『まるまるの毬(いが)』

(講談社文庫)を読んだ。

その物語の中に、若い頃に六兵衛が暮らしていた

神楽坂を上りきった辺りの横寺町の、3畳一間の安アパート

があった近くの二つの寺が登場した。

武士の身分を捨て、菓子屋になった主の治兵衛

出戻り娘のお永、孫娘のお君の親子三代で菓子屋を商う

「南星屋」は、売り切れ御免の繁盛店・・。

「カスドース」「若みどり」「大鶉」「梅枝」など

様々な菓子の名前にちなんだ7編のタイトルからなる

連作短編集で、連作の第5話「梅枝」の206ページに

下記の文章がある。

 

『神楽坂というと、牛込御門の辺りだったな・・

門前町とはどの寺の門前であろうか』

『たしか正蔵院だったかと・・あら、三光院だったかしら?

どちらにしても、あの辺りは門前町だらけですから、

わかり辛いかもしれません』

『だったら、お君、また おめえが案内してやんな、

今から行けば、昼の店開きの前に戻って来られるだろう』

 

孫娘のお君に、平戸藩の若い武士が縁談を申し込み

三人が それぞれの想いで その縁談の申込みに悩む話だが

愛情にあふれ、ゆるぎない人の心の暖かさがあり

六兵衛の涙を誘う・・吉川英治文学新人賞受賞作である。

 

古地図

小説に出てきた寺のことを思いだそうと

六兵衛の20歳の頃の遠い記憶を呼び起こそうとしたが

2つの寺の記憶はない。

嘉永4年(1851年)の江戸切絵図(板元・尾張屋清七)

を見ると、横寺町への登り坂を挟んで2つの寺の名がある。

 

神楽坂の今

現在の地図でも 2つの寺を調べてみた・・。

「正蔵院」は地図に載っていて、今でも存在しているが

「三光院」は載っていなかった。

寺自体がなくなったのか、それとも何処かに引っ越を

したのか・・。

 

昭和45年(1970年)3月と、昭和48年2月に

撮影したという横寺町の入り口付近の2枚の写真がある。

『新宿歴史博物館 データベース「写真で見る新宿」』参照

「​​Super ARAI(スーパー アライ)の手前に「正蔵院」の

4角看板がある。

昭和45年
昭和45年(1970年)3月のころの朝日坂。
昭和48年
昭和48年(1973年)2月の頃の朝日坂。

 

「六兵衛が東京を離れたのは、昭和45年(1970年)の

2月で、1枚目の写真は昭和45年(1970年)3月の

撮影というから、六兵衛が暮らしていた頃の横寺町の

そのままの風景である・・。