返り忠兵衛 再読

今だに「iPad」でのブログ更新がスムースに出来ない六兵衛だが、当ブログ日記の行間が やや詰まり気味で、いささか読みづい印象のあった問題は、バッファローに暮らす次女が助け舟を出してくれて、見やすい行間に設定を直してくれた。

お陰で見やすくなったヨ。

さて、再読用の本棚に並べていた芝村凉也さんの書き下ろし文庫本『返り忠兵衛 江戸見聞』(2011年5月~2014年10月)  全15巻(双葉文庫)を何度目かになる本棚から取り出して 読み始めた。

これまで 時代小説を読んでいて 何度も、その物語の中に登場してくる町や通りの名前など、50数年前に六兵衛が暮らしていた東京での記憶の中にある町や通りの名前などが出てくると、つい嬉しくなって 六兵衛ブログに書きたくなってくるのだ。

『返り忠兵衛 江戸見聞』の第7巻「夢月潜む」の270ページに、『江戸城の外濠を牛込御門で渡って西行すると、神楽坂の先は通寺町、末寺町と抹香臭い名前の土地が続く。この辺りには、名前のとおりに大小の寺が蝟集していた。その中の一つに、仏見寺という くたびれた古刹がある。』・・との文章がある。

その「仏見寺」という古い寺で物語の主人公の忠兵衛は浪人者達に襲われるのだが、それはさておき、「牛込御門」「神楽坂」「通寺町」などなど、六兵衛には懐かしい名前が登場してくるのである。

今は「通寺町」とか「末寺町」とかの町名は無くなっているようだが、時代ゆえか 若さ故か、掲載した地図の赤丸辺りの「横寺町」の安アパートに住んでいた六兵衛は、プー太郎的な暮らしをダラダラと続けていて、「通寺町」や「神楽坂通り」は国鉄 飯田橋駅へ行くための通り道だった。

 

今では、遠い昔の夢の中の話に・・なった。