あの顔は見たくない!

日本政府と韓国政府が、何やら激しく いがみ合っている。

しかし あくまでもこれは、日韓の国民同士の いがみ合いでは

なく、自分たちの都合だけを一方的に主張する両国政府の

身勝手な いがみ合いでしかない。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2010年の初秋の頃に「さし絵」として掲載していた17作目のカット絵。

 

両国間に問題が起これば、まず話し合うのが賢い大人の対応

だろうし、その話し合いも、自国の都合を一方的に訴えたりせず

まず 相手国の意見を聞く事が対話の基本だろう。

 

不幸にも取り返しのつかない過去の出来事の後始末を

両国政権の都合のいいように解釈して、身勝手な建前を

声高に主張する事で、自国において 不必要に敵対関係を

あおろうとしている。

その事は、自分たちの政権維持の為の姑息な手段なのであって

両国民は決して それに乗らない冷静な判断が必要だ。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2010年の初秋の頃に「さし絵」として掲載していた22作目のカット絵。

 

それにしても六兵衛は、なにか政治的問題が起きると

ついつい 安倍首相の、あの いやらしい顔が浮かんできて

安倍首相や、その神輿を担ぐ取り巻き連中に 物申したくなる。

 

一つ・・

一見 冷静を装いながら、相手国を見下したような言動をする

日本側の政府官邸の連中の高飛車な態度は

実に恥ずかしく不愉快である。

 

一つ・・

本来 国家権力をチェックするべきメディアが

残念ながらわが国では、政権にヨイショするばかりの報道に

終始し、まるで官邸の広報係に  なり下がってしまった。

 

一つ・・

国民の中にも 権力者に乗っかって旨味を企む輩や

自分本位で目先の楽しさばかりを追い求める

反省のない愚か者たちが 少なからず居る。

誠に残念だ。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2010年の初秋の頃に「さし絵」として掲載していた27作目のカット絵。

 

それにしても安倍首相は、相変わらずバカの一つ覚えのように

建前だけの綺麗事ばかりを言い

結果など出るはずのない経済発展を唱える。

今の世界の情勢を考えれば、経済発展の因となる要素など

国内に限らず世界を見ても、何処にも見当たらず

未来への借金ばかりを積み重ねながら、何とか今を

繕っているに過ぎない・・。

一方で安倍政権には、戦争を起こしかねない危うさがある。

そんな安倍首相の、こうも長期政権を維持させる

多くの国民の愚かさが 情けなく悔しい。

 

六兵衛の散歩は、iPhoneのアプリに保存している昔の流行歌を

聴きながら、ネットで購入した「杖」を お供に歩く。

杖1

 

その「杖」はというと、2年ほど前にネットで購入した

「英国製のダービーハンドル型」というアカシアの木で

作られた一本杖だが、英国製と云う割には値段が8,400円

という まぁ安物だ。

 

その頃も 今も、六兵衛が歩くのに「杖」の助けは必要なく

むしろ「杖」を突きながら歩く方が、返って歩きずらい。

ただ70歳を過ぎてくると、まれに 何かの弾みにフラっと

よろける事があったりするし

何より歩くときに、手持ち無沙汰ということもあって

2年前に購入して以来、散歩には いつも持ち歩いている。

 

「杖」・・言い換えれば それは「棒」であって

歩くときに棒を持つ・・と、遠い 遠い昔の

田舎で暮らす子供だった頃の六兵衛が

たとえば 遊び疲れて我が家に帰る道すがら

鞍馬天狗

少年マンガやチャンバラ映画のヒーローになったつもりで

拾った棒切れを振り回し、道端の草木を切り倒しながら歩いた

あの頃の、隣の村で たまに開かれる小さな映画館で観た

アラカンの「鞍馬天狗」や大河内傳次郎の「丹下左膳」などの

チャンバラ映画の影響が、老人になった今も 残っているようで

丹下左膳

 

棒(杖)を持つと、そんな遠い昔の子供の頃の気分が蘇り

「杖」を振り回してチャンバラ気分にも なりたいし

出来たら「杖」を侍の刀のように、ベルトに差し込んで

歩きたいくらいなのだが・・

ちょっと それは、あぶない 親父に なる?・・なるか!

 

「ウンコ座り」

常に腹具合が脆弱な六兵衛は、所構わず 散歩の途中でも

辛抱が出来なくなり、慌てて近くの便所へ駆け込むことが

これまでに何度もあった。

 

但し そんな時、近くに便所があれば ラッキーなのだが・・。

 

そんな こんな理由で、六兵衛が散歩に出かける前には

必ず用便を済ませてからでないと

怖くて散歩に出かける事が出来ない。

 

そこまで慎重になっても 六兵衛の腹具合は

思い通りにはいってくれなくて

切羽詰まった非常時には、散歩途中にある公園などに

公衆便所があれば 駆け込む場合も多く

しかし そういった便所の中には、いまだに和式の便所が

あって、イヤでも「ウンコ座り」を余儀なくされる。

 

六兵衛が子供の頃は、全ての便所が汲み取り式の和式便所で

田舎での高校生の時に、学校の全ての便所が和式だが水洗式に

変わるというので 全生徒を前にして先生が

水洗便所の使い方を指導してくれた事を 今でも思い出す。

 

六兵衛が いつの頃から便座付きの洋式トイレを使い出したのか

定かな記憶はないものの・・

そんな「ウンコ座り」歴の六兵衛が、今では もう

洋式トイレに慣れきってしまっているものだから

散歩の時などの、たまに使わざるを得ぬ和式便所の

「ウンコ座り」が、思う様に出来なくなって来ているのだ。

クリストファー・ロビン

 

蛇足だが、この頃の若者の中には、足裏をベタッと付けて

座る「ウンコ座り」が出来ない人が多いと聞いた。

もちろんトイレでの事ではなく、「ヤンキー座り」とも云う

そんな座り方でのことだ。

また、以前には「ウンコ座り」が出来ていた人でも

洋式トイレが当たり前のこの頃では、六兵衛 同様

「ウンコ座り」が出来なくなった人も いるらしい。

股関節や足首、ひざ関節などの各関節が硬くなった事が

大きな原因だという。

 

六兵衛は 元々、人様より硬い身体のうえに

老体になって、益々 各関節が硬くなった。

そのうえ「運動」などで身体を動かすことが嫌いな六兵衛だが

少しでも長く元気で歩きたいとの思いから

「股関節や足首、膝関節などの歪みを正し、柔らかくする」

ために、スクワットとは別に「ウンコ座り」からの

座ったり立ったりの繰り返しの練習も する事にしている。

 

しかし 歳を取った影響なのか・・

次の日には 元の硬い身体に戻っていて

同じ事の繰り返しのようで、どうにも張り合いがないが

やらないよりは やる方がマシだろうと思うから

気長に続けて行こうか・・と思う 今日この頃である。

 

「文庫本 再読・・その2」

今、第9巻目の「風雲の谺(こだま)」を読んでいる。

 

先日の8月22日の更新日記に書いた「文庫本 再読」の

その後の報告になる。

第9巻

 

ここのところ 面白い文庫本が少なくなって、だから つまらん

文庫本を ダラダラと読んでいたのでは、老いた六兵衛の

限りある読書の時間がもったいなく

これまでに読み終えている文庫本の中で、特に面白くて

再読したくなりそうな文庫本を本棚に沢山 残していて

だから これからのしばらくの間は、そんな文庫本を再読する

ことにしたのだ。

 

まず、これまで第20巻まで発売されている浅黄 斑さんの

『無茶の勘兵衛日月録シリーズ』を再読することにして

現在 第9巻目の「風雲の谺(こだま)」を読んでいる

ところだ。

 

六兵衛が大好きな この無茶勘シリーズを読むのは

今回で3回目になるのだが

「老いる」ということは、案外に 良い場合もあって

再々読だというのに その内容のほとんどを忘れてしまって

いるから、大げさな言い方をすれば

まるで初めて読み始めたかのようにワクワクしながら

読めるのだ。

 

何者に対しても 武士としての闘争精神と

ある意味 素朴で愚直、たとえ掟や法度を破ってでも

自分の節を通そうという気概を感じさせてくれる

勘兵衛の活躍を読みながら、ここ数日は

なんとも充実した楽しい読書の時間を過ごせている。

 

勘兵衛さんに 感謝。

 

A S M R

サンタクララに暮らす次女からメールが来て

「ASMR」という言葉があると教えてくれた。

Autonomous Sensory Meridian Responseという英語の略で

聴いていて気持ちが良い音とか感覚とか・・という意味らしい。

 


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2010年の初秋の頃に「さし絵」として掲載していた23作目のカット絵。

 

六兵衛の眠りを導いてくれる「音」についての話を

先日、六兵衛のブログ日記『ねむる』に書いたが

それを次女が読んで、六兵衛に参考になる「音」などを

教えてくれて、そういうジャンルを「ASMR」と言うとも

教えてくれた。

Youtubeには そういったサイトが多くあるらしく

次女なんて「チョークで黒板に書く音」とかが好み

らしいし、次女のつれあいは「人が静かに おしゃべり

しているのが良い・・」とかで、ちょっと「音」の好みが

六兵衛と似てるなぁ・・とも思いながら

ホンマ 人それぞれや。

 

考えてみれば、眠る時 あまりに周りが静か過ぎる場合

静か過ぎる音( 例えば「ジ〜ンとかシ〜ン・・」とか )

が、耳の奥から聞こえてくるような感じがして

かえって それが耳障りになったりするが

それにしても 眠れなくなったりするのは

六兵衛だけではないと言う事だ。

 

人それぞれに それぞれの「音」があり

それは言葉での説明は 出来そうにない。

眠るのも なかなかに難しい・・。

 

塚脇橋 折り返し

8月に入ってからの散歩は、昼間は 激しく暑いので

早朝の散歩に切りかえて、つれあいと一緒に近場の

阿武山付近を歩いて過ごした。

 

8月も終わりになって、朝夕など どことなく秋の気配を

すぐそこに感じたりするようになり

それに今日は 曇り空、芥川を北へ

塚脇橋で折り返しの堤道を歩いた。

今日の空

 

ここ数日の雨で芥川も増水。

九州北部や各地で大きな水害が起きているが

我が地方は幸いに この程度の増水で済んでいる・・。

増水1

増水2

増水3

 

堤道の土手には、変な茸も生えて・・。

茸

 

カマキリ・・

カマキリ

 

ね む る

歳をとると つい さっきの事でも、すぐ忘れてしまうようになり

同じような話を 何度も何度も繰り返し

「年寄りは くどい!」などと言われるようになるが

老いの階段を登り始めた六兵衛も その例外ではなく

当ブログで更新する日記でも、いつも代わり映えしない話を

繰り返し書いたりして 恐縮しながらも

それでも そんな事なども、また すぐ忘れてしまったように

今日もブログを更新する。

 


孫たちが まだ小さかった頃に遊びで作った懐かしい「マンガ絵」が
パソコンの隅っこから出て来たので 懐かしくて掲載した・・その3

 

さて 六兵衛、夜の睡眠は十分に取っているうえに

昼間も1・2時間ほど 寝る習慣がある。

いつの頃からか、昼寝の時も夜の睡眠でも

何らかの「音」の中でないと眠れない習性になって

しまった。

 

特別に疲れていて、余程にねむい場合は別にしても

周りが あまりに静か過ぎる状況だと

特に考える必要がある訳でもないのに

何かしら余計な事を考えてしまう性格のようで

かえって眠れなくなる事が多くなる。

 

だからといって、周りがうるさ過ぎては もちろん眠れない

わけで、六兵衛が「ねむる」のに都合がいいのは

心地よい適度な「音」が必要となる。

とはいっても その「ねむり」を誘ってくれる「音」は

何でもいいという訳には いかない。

 

その「音」の内容に 興味を持ち過ぎてしまうようでは

つい聞き耳を立ててしまい、かえって眠れなくなるだろう。

だから その「音」に、興味があるような 無いような・・

そんな感じの、出来れば 静かで穏やかな何らかの「音」が

六兵衛をねむりに導く「音」になるようだ・・。

 

特に 夜の眠りでは・・

8年ほど前に購入して、今では動きも鈍くなり

その為だけにしか役に立たなくなった「iPad 2」を枕元に

置いて、YouTubeから流れるクラシックやロックなどの音楽

落語や漫才、小説の朗読、講演や対談話、政治ニュース

そしてPodcastラジオ等々の「あんな音」や「こんな音」も

いろいろ聴きながら、六兵衛の心地よい眠りを導いてくれる

子守唄ともいえる「音」を探してきた。

 

「あんな音」や「こんな音」にも 一長一短があり

また六兵衛にも、日によって気分の変わる事なども

あったりして、そんなこんなを総合して思うに

今 最も六兵衛の眠りを ゆる〜く誘ってくれる「音」は

ネットラジオの「Podcast」から流れる「音」に

行き着いた。

 

ただ その「Podcast」番組にも、いろいろと ある。

やたら騒がしいだけの番組も 結構 多くあったりするが

そんな中で『Rebuild.fm』というIT系の対談番組は

わりと ゆる〜く 淡々と話しが続く番組で、そんな「音」を

聴きながら、いつの間にか六兵衛は眠りにおちて

何度か小便に起きたりはするが、『Rebuild.fm』は

そのまま 朝まで流したままの状況なのである。

 

 

そのまま・・とはいえ 毎夜のように一晩中『Rebuild.fm』ばかり

流していたのでは、過去に放送した『Rebuild.fm』の番組数にも

限りがあるのだが、今のところ『Rebuild.fm』以外に

六兵衛が ゆる〜く寝られそうな「音」に巡り会えていないから

2013年に始まったらしい第1回目の『Rebuild.fm』から

現在までの放送分を、2度も3度も 繰り返し 繰り返し

聴いている・・。

 

今夜も4巡目となる『Rebuild.fm』を、子守唄代わりに

聴きながら 眠ることになるのだろう・・。

 

おしまいに 「狂歌」を一つ・・

『世の中に 寝るほど楽はなかりけり

        浮世の馬鹿は 起きて働く』

江戸時代の狂歌師・太田 蜀山人(南畝)の作。

感情の老化

テレビ番組を観ていて「感情の老化」という言葉を知った。

当ブログにも これまで、六兵衛の「老いる」という思いを

あれやこれやと書いてきた。

 


きーポケが以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2011年の夏の頃に「さし絵」として掲載していた63作目のカット絵。

 

若い頃と違って、髪も薄く そして白くなり、目も老眼。

見た目は確実に「老い」てきている。

実際 身体のあちこちに ガタもきて、疲れやすくなった。

物忘れも激しいし、だから肉体と認知機能の低下は著しいが

「感情の老化」という発想は これまでなかった。

 

はたして「感情の老化」とは どういう事か 調べてみた。

大雑把にまとめると 次のような症状らしい・・。

『 意欲や気力が低下して会話が減り、空虚な内容になる。

人との関わりを避け、社会性が低下する。

喜怒哀楽の表現が乏しくなり、動きのない表情をする。

他者の気持ちに共感する事も少なくなる・・云々。』

 

これら「感情の老化」の症状に、六兵衛を当てはめてみると

「人との関わり」を避けがちの六兵衛は、「社会性」も少々

低下しているだろうし、だから つれあい以外との「会話」も

確実に減っているが、しかし これらの事は

どちらかと云えば 六兵衛の性格による問題のようで

たしかに 仕事への意欲はなくなったが、「喜怒哀楽」や

六兵衛が好きな事などへの「意欲や気力」は

まだまだ 衰えてはいないと自覚している。

 


きーポケが以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2011年の夏の頃に「さし絵」として掲載していた68作目のカット絵。

 

そんなこんなを 当てはめてみたが

六兵衛の「感情の老化」は 今のところ

気にするほどの事でもないようである。

 

「老い」「老い」とこの頃の六兵衛は騒がしいが

だからといって特別「ナーバス」になっているわけではない。

少年から青年に変わる頃に「青春」があるように

壮年から老人へと変わっていく時期を

例えば「老春」とでも呼んでみるか・・。

(「老秋」ではイメージが悪い)

負け惜しみではなく、老いていく良さも

あながち捨てたものでもない・・と思う六兵衛でもある。

 

S N S

この頃の若者は「パソコン」を使う機会が 少ないようで

その ほとんどを「スマホ」で済まし、「パソコン」離れの

傾向にあるとの話を聞いた。

そして、「Yahoo!ブログ」が今年12月15日をもって

終了するとの記事も読んだ。

 


孫たちが まだ小さかった頃に作った 懐かしい「マンガ絵」が
パソコンの隅っこから出て来たので 掲載した・・その1

 

六兵衛の場合、初孫が生まれた2,000年の秋に

初めてパソコンに触れ、その2・3年あとにホームページの

解説書を買い、サンタクララの次女にも教えを請いながら

孫たちの成長ぶりを喜ぶ「ホームページ」を

未熟ではあったが開設した。

ごく ごく単純な「タグ」を組んだだけの

幼稚なホームページであった。

 

その後 何年かして、『これからは「ブログ」よ!』との

「師」のアドバイスもあって、「ブログ」へと移行した。


孫たちが まだ小さかった頃に作った懐かしい「マンガ絵」が
パソコンの隅っこから出て来たので 掲載した・・その2

 

「ブログ」には、それなりに制限はあるものの

六兵衛ごとき未熟者には有難いシステムで

だから これまで長く「ブログ」の世話になってきたが

この頃 世間では「ブログ」離れの傾向にあるという・・。

 

近年の「スマホ」の普及により、情報の発信・共有・拡散

などの機能が特徴だという「Twitter」や「facebook」

「インスタグラム」などの「SNS」が台頭している

のだという。

 

はて さて、こういった状況での六兵衛のブログを省みるに

人様に伝えるべき「情報」などは まったくもって皆無

「共有」すべき仲間も居ず、ゆえに「拡散」の必要もない。

独りよがりで個人的な日記を、ただ だらだらと綴るのみ。

 

それでも それが、六兵衛が対面している「老い」に対する

いささかの抵抗でもあり

変わり行く世間を、ほんの少し勉強しながら

ブログを更新している現状である。

 

あれや これや 考えもしたが・・

やはり六兵衛は、世間の情勢には 惑わされる事なく

ブログという「日記」を、ぐだぐだと続けて行こうと思う。

 

このまま このまま・・・。

 

文庫本 再読

時代の変化というか、紙の本から電子書籍への移行だとか

ライトノベルという若者向けジャンルの文庫本も増えてきて

出版業界も様変わりしつつあるようで

そんな事なども原因の一つなのかもしれないが

この頃の文庫本、六兵衛 好みの文庫本が少なくなって

つまらないと感じている事を 以前にも書いた。

 


きーポケが以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2010年の夏の頃に「さし絵」として掲載していた11作目のカット絵。

 

Amazonなどの本屋サイトで、作者やあらすじなどを調べ

面白いかもしれないと思える文庫本を

1ヶ月か2ヶ月に一度、まとめて中古本通販サイトで

購入しているのだが、この頃は

そうして購入した中古本を読み始めても

さほど盛り上がらないまま読み終わってしまう本や

初めから面白くなくて、途中で読むのをやめてしまう本も

多くあったりする。

 

そんな こんなで、せっかく買ったのに 途中で読むのを

やめたり、だらだらと読んだりしていたのでは

六兵衛の残り少ない貴重な読書の時間がもったいなく

だから これからは六兵衛のワガママな偏見での

面白いと思う小説しか読まない事に決めた。

 

しかし そうなると、今後の六兵衛の読みたいと思う

文庫本の数が、ますます少なくなってきそうである・・。

 

しかし 大丈夫!

こんな時のために六兵衛は、これまでに読み終えた文庫本の

特に面白く、その内 もう一度 読みたくなるだろうと思える

文庫本を、専用の本棚に残しているのだ。

 

辻堂魁さんの「風の市兵衛シリーズ」

藤沢周平さんの「用心棒日月抄シリーズ」

乃南アサさんの「音道貴子シリーズ」

長谷川卓さんの「北町奉行所捕物控シリーズ」

芝村凉也さんの「返り忠兵衛江戸見聞シリーズ」

等々、等々、等々・・・

書き出したらキリがないから 以外は省くが

多くの面白かった文庫本を残しているのだ。

 

と いうことで、実は先日から その再読用に残している

文庫本の中から、浅黄斑さんの『無茶の勘兵衛日月録』の

第1巻を取り出して読み始めている。

 

この「無茶勘シリーズ」、これまでに2度も読んでいて

今回で3度目の再々読になるというのに

その物語の内容を ほとんど忘れてしまっているものだから

再々読でも 新たな気持ちで楽しめる六兵衛なのである。

「老いて」忘れっぽくなってしまう事も、まんざら悪いこと

ばかりではないと 思えたりする・・。

 

(注)

『無茶の勘兵衛日月録』は二見時代文庫から

2006年4月に第1巻「山峡の城」が発売されて以降

今年の4月に第20巻「落暉の兆」が発売されたばかりの

大長編時代小説だが、まだまだ終わる気配はない・・。