芥川堤道を「大蔵司橋」から川下に向かって歩き
西国街道に掛かる「芥川橋」で折り返して、反対側の川岸の
歩道を帰るコースの途中に「妙圓寺」という寺がある。

その寺の掲示板には、仏の教えのような ”ことば ”が
時々書き換えられながら張り出されていて
今年初めて その寺の前を通ったら、新しいことばが
張り出されていた。

『 是非しらず 邪正もわからぬ このみなり
小慈小非も なけれども 名利に人師を このむなり 』
我が家に帰ってネットで調べてみると、どうやら親鸞聖人の
言葉のようだ・・。
「是非」:
名詞でいうと『正しいか否か』『善か悪か』『当否』等々
副詞でいうと『なんとしてでも~』の意味をもつ。
「邪正」:(じゃしょう・じゃせい)
よこしま(不正)な事と正しい事。不正と正。悪と善。
「小慈小悲」:
苦を抜く事を”慈”といい、楽を与える事を”悲”という。
仏教では、仏が人の苦しみを抜くことを”大慈悲”といい
人間のその行為を”小慈悲”というらしい。
言葉の意味を調べた上で読んでみると・・
『 ものごとの本当の是非を知らないし
正邪も正しく判断出来ない私です。
小さい慈悲さえも持つことが出来ないのに
自分の名誉や利益を求め、人の上に立って師になることを
望んでいる。
まことに恥ずかしい私です。』
・・と、親鸞聖人が言ったという。
言われてみれば、自分を戒め厳しく立派な言葉だが
「無宗教」と云えばいいのか、「無神論」と云うべきか
なにはともあれ六兵衛の、無教養と信仰への いい加減さが
言い伝えられて来た先人の言葉も、明日になれば多分 忘れて
いるであろう六兵衛なのだ・・。