酷暑に ゴーヤ、うだる・・

我が家の庭の小さな畑で 今年も作っている夏野菜は

梅雨時の長雨による日照不足と、梅雨が明けた途端の

強すぎる日射しに襲われた。

故か、キューリも小松菜もフリーレタスも あまり実らず

ナスとトマトが、ぼつぼつ食べられる程度の出来具合・・。

ただ一つ「ゴーヤ」だけが、毎日食べても追いつかないほどの

実りが続いていたが、梅雨明け後の あまりの高温のためか

2~3日前あたりから 葉が しおれてきて、まだ収穫前の実も

ブヨブヨと柔らかい。

ゴーヤ

 

 

サイトで調べてみると・・

「 ゴーヤーは耐暑性があり 高温で雌花が多くなり

 よく着果する。そして、高温と多日照を好み

 真夏〜10月始め頃まで収穫できる。」・・とある。

※ 耐暑性=夜温25℃以上の高温に耐えられる性質のこと。
※ 雌花=オシベがなくて、メシベだけがある花。
※ 着果=果樹や野菜が実をつけること。

 

沖縄野菜の定番ともいえる「ゴーヤ」

暑さには強いはずなのに

ここにきて我が家の「ゴーヤ」は 葉がしおれたり

実に さわると、ブヨブヨと柔らかすぎる。

 

・・・酷暑の所為か、六兵衛の管理のマズさか。

 

「うだる」と「ゆだる」は違うの?

『 真夏の強い陽が照り付けて、今日も気温が上昇し

各地で40度に迫る暑さとなりました・・』と

昨日の夕方のテレビで放送していた。

そのニュースの中で、最高気温を記録したのは

静岡県の浜松市と高知県四万十市中村が39・7度に

達したとの報道だった。

テレビ

 

昨日、最高気温を記録した高知県四万十市の中村は

四万十川が太平洋に注ぐ町、我が生まれ故郷である。

 

今年の高温記録が、自慢出来る事なのかどうかは ともかく

我が故郷が全国ニュースで名前が出た・・という話しなんやけど。

 

改めて別のネットニュースを見てみると

四万十市中村の天神橋商店街の「ある店」では

余りの暑さに3度目の水撒きをしているとも書いてあった。

天神橋

 

そこで 思い出すのは、7年前(2013年8月12日)に

高知県四万十市の西土佐江川崎という集落が

日本の観測史上1番高い気温 40・0°Cを記録して

日本で初めて40°Cを超えたと話題になった事がある。

この江川崎という集落、六兵衛が子供の頃に馴染みのあった

懐かしい土地なのだが、2年前の2018年7月23日に

埼玉県熊谷で41・1°Cの最高気温の記録が出て

その後に記録した岐阜県美濃や金山などと並んで

江川崎のその当時の記録は 第2位ということになった。

 

今日(16日)も 危険な暑さが予想されていて

引き続き 熱中症に厳重な警戒が必要だという事らしい。

 

ええ加減に せえ!!

今日は8月15日、日本では お盆の真ん中で

一年で最も暑い頃と云われている。


六兵衛が以前 作っていた「大衆娯楽小説は文庫本で」というブログの中の
2011年の夏の頃に「さし絵」として掲載していた65作目のカット絵。

 

 

そして ”盆“ が過ぎれば、少しずつ 少しずつ 暑さが和らぎだし

赤トンボが飛びはじめ、特に朝夕などには 秋の気配が感じら

れるようになる・・と、異常気象が続くこの頃では

そんな昔話は通用しなくなったようだ。

 

地球の温暖化と関係があるのか ないのか、年ごとに暑さは

厳しさを増し、その上 六兵衛も老いてきているから

暑さへの抵抗力が弱ってきているようで・・

どちらにしても 今年の夏も、暑さが一段と厳しい。

 

 

昨日の夕方 5時14分、カーテンを締め切って

冷房を27度に効かせた部屋の中に閉じこもっていたが

カーテンの隙間からは、まだまだ強い夏の光が暑さを伴って

攻め込んでくる。

 

ええ加減にせえよ!!

 

ゴーヤ

『🎵 今日もコロッケ 明日もコロッケ

これじゃ年がら年中コロッケ コロッケ』

・・という昔の古い歌がある。

 

我が家の ここ数日の夕方の食卓には、つれあいが作ってくれた

ゴーヤと玉ねぎの炒め物が、毎日のように食卓に上る。

遠い昔に聴いた事があるような 上記した古い歌を思い出す

ほどに 我が家では、今日もゴーヤ 明日もゴーヤ・・なのだ。

 

ゴーヤ

それというもの、今年の我が家の庭の小さな畑には

六兵衛夫婦 二人では食べ切れないほどのゴーヤが

次から次へと実り、我が家で毎日食べても

隣の義弟家族に分けて食べてもらっても

冷蔵庫の「野菜コーナー」にはゴーヤが増える一方で

『🎵今日もゴーヤ 明日もゴーヤ

これじゃ年がら年中 ゴーヤ ゴーヤ』と

つい 歌いたくなるほど、ゴーヤ料理が食卓に上り続けている。

ゴーヤ収穫

 

実は六兵衛、本来はゴーヤが嫌いなのだ。

しかし 六兵衛自らが、ボケ防止のために作る庭の菜園で

5月にホームセンターで苗を購入して植え

ゴーヤ棚を作り育ててきたわけで、だから、ゴーヤは嫌いだ!

とばかりも言えず、自分が育てれば愛着もわいて

食卓に上れば・・食べる。

 

ゴーヤのサラダなどは、苦すぎて とても食べられないから

せめて六兵衛が食べられるゴーヤ料理が

ゴーヤと玉ねぎをスライスし、彩りにニンジンを少々入れ

夏バテ防止のためのニンニクも ちょっと加えて

フライパンで炒め、塩胡椒で軽く味付けをする。

ときには卵でとじたり、片栗粉でトロミを付ける事もある。

 

枯れたキューリ

今年の梅雨は、梅雨前線が長く停滞し

九州地方をはじめ日本各地が激しい豪雨にみまわれた。

幸い六兵衛の暮らす町は、洪水などの大きな被害はなかった

ものの、毎日のように雨か曇りの日が続き

我が家の庭の小さな畑も日照不足の影響を受けて

「キューリ」や「ナス」も実りが少なく

「キューリ」などは すでに枯れてしまっている。

 

ところが何故だか「ゴーヤ」だけは元気に育ち

♫ 今日もゴーヤ 明日もゴーヤ・・と

食べないわけには いかない状況が続いている・・のである。

 

ポンポンとスイカを叩く・・

スイカを手で叩くのは、 熟れ具合や実の詰まり具合を調べる

方法の一つだが、スイカを叩いた ” 音 ” で、その出来具合の

良し悪しを判断するのだとばかり思っていた六兵衛だったが

専門のスイカ農家の方の話によると、「スイカを軽く手で叩き

もう一方の手で その振動の大小を感じて、その出来具合を

見分けるのだ」という。

 

そんな まぁ、たわいもないテレビ番組を見ていたら・・

そういえば昔 六兵衛の父親は、夏になったら 畑でスイカ

を作っていて、大きく実ったスイカを手で叩いて

熟れ具合を確かめ、熟れていそうなヤツを収穫して

井戸水で冷やし、大きな包丁で割って みんなで食ったなぁ・・

と、そんな遠い昔のことを フッと思い出した・・。

父親・・といっても、もう 亡くなって すでに長い

まだ父親が 若く元気だった頃に、そんな事もあったなぁと思う

遠い昔の話である・・。


戦後7~8年が過ぎた頃の 農作業衣姿の父親。

 

父親は勤め人だったが、若い頃の本人の希望は営林署のような

ところに努めて、山仕事をしたかったらしい。

しかし 事情があって仕方なく公務員になった・・と

六兵衛も小さい頃に何となく聞いた記憶がある。

 

当時の田舎には、家のそばに そこそこの広さの畑があって

自分の家で食べる程度の野菜は、六兵衛の祖母が 曲がった腰を

ますます曲げながら、畑仕事をしていた。

父親も、努め仕事が休みなどの日には、祖母の出来ない力仕事

などをしていたように思う。

それでも、そんな ささやかな畑仕事が、親父には 何より楽しみ

だったようにも・・。

 

今でも 思い出す場面がある・・。

当時の便所は、住居と離れた場所に独立して建っていて

当時は みな「汲み取り式」だった。

便槽に溜まった排泄物は、定期的に「長い柄杓」で汲み取り

「肥桶(こえおけ)」に入れて運び、肥料として畑に撒くのだが

六兵衛が近所の子供たちと缶蹴りなんかの遊びをしている

そばを、肥桶を担いで畑に行く親父の後ろ姿からは

「臭い」から嫌だとか「汚い」から嫌だとかの雰囲気はなく

肥桶を天秤棒で肩に担ぎ 、ゆれながら黙々と歩く

親父の後ろ姿が、今でも 目に浮かぶ・・。

 


NPO法人 「日本下水文化研究会」のブログの中に
漫画家の滝田ゆうさんの「寺島町奇譯」(筑摩書房)の中の
昭和時代の墨田区東向島あたりの便所汲取りの情景を紹介した
マンガが掲載されていた。

 

親父は、畑仕事が 好きだったんだ・・と思う。

 

『次郎物語』・・読み終わる

ここ1ヶ月余り、寝る前の わずかな時間だが

ベッド脇の椅子に座って、下村湖人の小説『次郎物語』全5部を

読んできた。


以前に遊びで作った「マンガ絵」が、
パソコンの隅っこから出て来たので
懐かしシリーズで掲載する。

 

つれあいが 本棚の奥から出してきてくれた『次郎物語』の

文庫本を、六兵衛が改めて読み始めた経緯は

当ブログの2010年6月28日の日記『次郎物語』に

書いている。

https://arukuneru.com/2020/06/28/jiro-story/

 

50数年前の その頃の六兵衛は、小説を読む習慣など

ほとんど なく、読書といえば漫画ばかり・・という軽薄さで

『次郎物語』を勧めてくれた当時の つれあいとは

もちろん まだ結婚する前の、しかし ちょっと気になる女友達

だったから、どこか彼女に対して格好付ける計算もあったのだろう

そんな たわいもない動機で読み始めた『次郎物語』だった。

下村湖人

 

70歳を過ぎた今の六兵衛が、名作と言われる『次郎物語』を

読み返して思う事は、次郎が中学生になった頃からの物語の

内容が、どうにもこうにも小難しくて、理屈っぽいのだ。

そのうえ、文庫本の文字が 半端なく小さかったのも

読みづらかった原因の一つでもあった。

 

少年の時代を過ぎ 青年となった次郎が、周りの人々から様々な

影響も受け 反発もしながら、成長していく物語なのであろうから

青年・次郎にとって多少の困難など、当然あってしかるべきだが

それにしても次郎の明日に、わずかでも 希望のようなものが

感じられていたなら、特に第4部から 最後の第5部までの

人間としての成長と心の自由を願う次郎たちの考えや行動は

戦争へ突き進もうとする軍国主義的時代背景のなかで

その国家権力からの圧力に、不自由を強いられるようになる。

 

『次郎物語』は、出版されている最後の第5部 以降

第6部、第7部へと続けていく予定だったようだが

作者・下村湖人の死によって

打ちひしがれて自己嫌悪に落ち入った暗いイメージの次郎が

明日への希望も見出せず中途半端な状態のまま

物語は終わってしまっている。


孫たちが まだ小さかった頃に 遊びで作った「マンガ絵」が
パソコンの隅っこから出て来たので、懐かしシリーズで掲載する。

 

それにしても、それにしても・・

50数年ぶりの『次郎物語』の再読だったわけだが

「松の木の運命・・」あたりの話しの内容 以外

ほとんど すべての内容を、忘れてしまっていた六兵衛である。

今も昔も 六兵衛なんて、まぁ こんなもんだゼィ・・。

 

よかった

やや曇り気味の芥川堤道を、今日も歩く。

愚痴っても詮無いけど・・やっぱり 暑い!

 

芥川の中のコンクリートの島を舟に例えて

先日は白鷺や川鵜が同舟していたが

今日は鵜と鵜と鵜の「鵜鵜同舟」という

なんや当たり前の話しだが、舟の隅っこに「カメ」が・・

「鵜亀同舟」?

鵜鵜同舟

 

 

カモの親子が歩道を渡るシーンは何度か見た覚えがあるが

今日はカモの親子の芥川の荒瀬を渡るシーンに出会った。

1

よく見ると7匹の子ガモがいる。

母ガモが子供達を座らせて待たせ、川の流れが安全かを確かめる。

1−2

 

母ガモは、どうやら『渡れる』と 確信したようで・・

2

 

母ガモを先頭に流れに入っていく。

『しっかり 母さんの後に ついてくるのヨ!』

3

 

おっ!きつい流れに 流されそうになる・・。

4

 

がんばれ! がんばれ!

5

 

どうやら みんな・・

6

 

・・無事に渡れたようだ。

7

よかった、よかった!

 

 

・・と、こんな紙芝居のような事を わざわざしなくても

iPhoneで動画を撮ってれば、一目瞭然なのに・・と

後になって気づく六兵衛である・・。

いつまで経ってもiPhoneの生きた使い方が出来ない

六兵衛なんだから・・。

 

スモモの種子・・その2

我が家の庭に植えた「スモモ」の木は、6月の頃になると

「実」が赤く熟れて食べ頃になり、収穫する季節だ。

しかし今年は、まだ「実」が青く小さい頃に

ほんどの「実」が春先の強風で落下してしまい

6月の収穫時期になって収穫出来たのは

わずか20数個だったと言う事を7月2日の日記『スモモ』

書いた。

「スモモ」

 

採れた数は わずかだったが、つれあいと二人で食べた。

見た目は あまりよくないが、味は瑞々しくて 美味かった。

 

食べた「実」の「種子」を、試しに畑に植えてみようと

思い立ち、12個の種子を残した。

その内 4個の「種子」は、すでに2つの植木鉢に分けて

植えた事は、7月22日の日記『スモモの種子』で書いた。

「スモモの種子」

 

残りの8個の種子は濡れたキッチンタオルに包んで

冷蔵庫に しばらく保存しておいた。

種子

 

しばらくの間、冷蔵庫で冬の寒さを味わってもらい

その後 冷蔵庫から出せば、春が来たと勘違いして芽を出すのだ

・・と、そんな都合のいい具合にいくかどうかは ともかく

ネットでググった方法である。

 

約10日ほど、冷蔵庫で寝かせておいた「種子」を取り出し

肥料をやって準備しておいたプランターに植えた。

春だよ

 

とはいえ、ネットによると・・

食べて残った「種子」を植えても、自家結実しない品種が

ほとんどで、「実」に育てるのは なかなか難しい・・とか。

 

話は変わるが 近い将来、我が家で育てて収穫した野菜や果物

などから取った「種子」を、農家でさえ勝手に畑に植えて

育てる事は、法律で禁止されるかもしれないという

何とも おかしな法案が国会に提出されようとしていたという。

さるかに合戦

 

・・そんな事々を含めた「種苗法改正案」が

先の国会では、とりあえず見送りとなったが

この法案、『日本の新しい品種の権利が侵害されて

海外に流出するケースがあり、権利者を保護するための改正』

というのが「国」の主張らしいが、現政権の考える事や

やろうとする事は、いかにも それらしく言っているが

すべてが 誰かの利権に通じていて

現政権のする事は信用 出来ない。

 

国が主張する「改正法」が 現実に起きれば

農家の自家増殖の権利を著しく制限したり

許諾の手続きなどの、大きな負担を農家に生じさせたりして

農業経営を圧迫し、民間の高価な「種子」を 毎年購入せざるを

得なくなって、自給率の低下に つながる原因になると

懸念されているのだ。

 

何にしても これまで、現政権のした事に国民の為になった事が

あったろうか。

ごく最近の例として、何やかやと評判の悪かったアベノマスク

の第2段を画策して、介護施設や保育所などに 約8千万枚を

配布するという。

今では 良いマスクが、余るほど出回っているというのに

どう考えてもこれは「利権絡み」以外には考えられない。

 

安倍政権の なりふり構わぬ「最後っ屁」である。

 

芥川沿いの堤道

いつもなら、8月の声が聞こえる時期になって来ると

梅雨も明けて、本格的な夏が来てもいいはずなのに

今年は いまだ梅雨が明けきらず、長きに わたる大雨や土砂災害

が全国各地で起こり、大きな被害をもたらしている。

それでも それでも、そんな異常な今年の梅雨も

やっと明ける気配が して来つつある・・。

 

 

芥川堤道を歩く・・。

呉越同舟

大阪府高槻市と京都府亀岡市との境をなす「明神ヶ岳」に

源を発し、高槻市南部で淀川に注ぐまでの わずか25km程度

の短い一級河川「芥川」沿いの堤道は、春から夏にかけて

土手沿いの草々が、押し合い へし合い 絡み合い競いながら

舗装された道を ふさぐように繁茂している。

 

堤道

 

しかし それも、あと少しの戯れだ。

夏の終わりか 秋の始め頃には・・

やぎ

 

毎年この辺りでも、草刈機のエンジン音が響き

業者の方々が、暑い中での草刈り作業をしてくれるんだから。

 

印象も変わるもんだね・・

あれやこれや苦労をしながら、アプリに保存した古い流行歌を

散歩をしながら繰り返し 繰り返し イヤホンで聴きながら歩く

そんな六兵衛だが、何度も何度も聴いているうちに

歌の中には聴き始めた頃に感じた印象と、また違った印象に

変わってしまう歌もある。

 

2年前の丁度 7月の頃、六兵衛と つれあいがサンタクララに

暮らす次女とAaronの家へ遊びに行ってる時

ちあきなおみさんが歌っている『冬隣』という歌について

当ブログに書いたことがある。

 

またまた ちあきなおみさんの歌

『あなたの 真似して お湯割の

焼酎のんでは むせてます

つよくもないのに やめろよと

叱りにおいでよ 来れるなら・・・

と、愛する彼に先立たれた女性が

ひとり残った寂しさに、飲めない酒を のんでいる。

天国から こんな私を見つけたら、早く迎えに来て欲しい・・

そんな 女性の切ない心情を、すぎもとまさとさん作曲

吉田 旺 さん作詞の「冬隣」などの歌を子守唄にして

寝ます・・。』

・・と、その日の日記に書いている・・。

聴いてね

 

日記を書いた日から2年が過ぎて、ちあきさんが歌う

この『冬隣』という曲を、何度も何度も 聴いた・・。

そして この頃、この歌の印象が ちょっと変わってきた・・。

 

この歌、愛する彼が先に逝ってしまい、残された女性が

暗い空を見上げながら一人 酒を飲み、彼に愚痴る・・

こんな私が心配なら、早く迎えに来て欲しい・・。

・・と、切なく寂しい女の心情を歌っているのだろうと思って

聴いていたが、しかし この頃では、

果たして、先に逝った男にいつまでも未練心を持つなど

女性はそんなに単純で やわではないような気が、気が・・

いたしているのでありますが・・。

 

残された女性が、先に逝った彼を想い 寂しい酒を飲む・・

これは、男が勝手に作り上げた 男に都合が良い女性への

幻想ではないか・・この頃では この歌を聴きながら

そんな、そんな想いが するのであります・・。

のび太

 

男は体力では女性より強くても、肝心の何かが 弱い・・。

愛する人が先に逝ってしまった場合、残された者が しつこく

想い続け、やけ酒に溺れたりするのは、案外 男の方では

ないだろうか・・。

あくまでも あくまでも、六兵衛の想像ではあります・・が。