番町から善國寺毘沙門天まで・・

諸田 玲子 さんの時代小説『闇の峠』(新潮文庫)を読んだ。

小姓組の旗本・根来 長時の妻 ”せつ”は、貨幣改鋳の失敗で

失脚した元 佐渡奉行で勘定奉行の荻原 重秀の死に、実家の父が

何らかの関わりがあるのではないかと強い疑いを持った。

調べて行く内に、ますます強くなる実父への疑惑を確かめるべく

せつは 厳しく過酷な佐渡への旅に出た・・。

 

諸田さんの小説を初めて読んだのは、『お鳥見女房シリーズ』

という、将軍の鷹狩場の管理をしながら、諸藩の動きを監視

する隠密の役目を負う「お鳥見役」家族の物語だった。

とても面白かったので、諸田さんの文庫本は それ以降も

『山流し さればこそ』や『其の一日』『青嵐』『笠雲』等々

何冊かを読んだ。

 

しかし 今日の日記は、文庫本『闇の峠』の感想文を書こうと

いうのではない。

この物語の文中に 六兵衛にとって、懐かしい場所や町名等が

出てきたのだ。

遠い昔ばかりを懐かしんで日々を過ごしている六兵衛には

見過ごせない町や場所を、主人公のせつが歩くのだもの・・。

 

文庫本『闇の峠』の 138ページ・・

番町には大小の武家屋敷が立ち並んでいる。
根来家もそのひとつで、道をへだてた隣の馬場には、
武士が乗馬の稽古に入れ替わり立ち替わりやってくる。
七月後半になった今は、人馬に踏みしだかれた下草の陰で
虫たちが鳴きはじめていた。
その日、家を出たせつは馬場に背をむけ、
蛙原(かえるっぱら)の通りを西へ下った。
蛙原と呼ばれているのは昔の名残か、今では蛙も蛇も
めったに見かけない。
掘割へ出たところで右に折れた。
土手四番丁の通りを北へ行く。
牛込御門の橋を渡れば神楽坂で、善國寺毘沙門天
坂の途中にあった。

ある日 せつが「番町」の嫁ぎ先の根来家を出かける場面だ。

道を隔てた隣の馬場に背を向け、当時は「蛙原」と呼ばれた

(江戸切絵図にも書かれている)通りを西へ歩き

外堀の土手を北へ「牛込御門」まで進む。

外堀に架かる「牛込御門の橋」を渡り、現在で云えば

 JR飯田橋駅の西口前を、神楽坂下から神楽坂通り

(早稲田通り)へと上ったところにある「善國寺 毘沙門天」

へと歩いて行く場面である。

 

江戸の時代、将軍を警護する武士達を「大番組」といい

その大番組が暮らす家々のあった辺りを「番町」と呼び

この物語の主人公の根来家も この「番町」にあった。

今でも 皇居の西側は、千代田区一番町から六番町までの

住所名が残っている。

 

何しろ六兵衛が、50数年前の20歳を少し過ぎた頃に住んで

いたのは、「毘沙門天」から もう少し通りを上がった横寺町の

路地の奥にあった3畳一間の安アパートだった。

そのアパートから「毘沙門天」や「神楽坂通り」を経て

JR飯田橋駅までを毎日のように通ったものだった。

 

 ※ 江戸の末期に作られた「江戸切絵図」の一部を掲載して

江戸時代の「番町」や「神楽坂通り」を再現した。

但し この「江戸切絵図」、幕末に近い「嘉永」から「文久」

の時代に作られたものらしく、この物語の六代将軍・徳川 家宣

の時代とは、いささかズレがあるのは 致し方ない・・。

「江戸切絵図」の版元(出版社):「金鱗堂」尾張屋 清七
 作図者:戸松 昌訓 

 

物語の中の「牛込御門の橋」は現在の「JR飯田橋西口」辺り

だが、今の「JR飯田橋西口」は飯田橋駅の改良工事のため

仮の出入口駅舎が出来ているらしい。

 

六兵衛の「懐古癖」は とどまる所を知らず

先に記した文庫本『お鳥見女房』の

カバーのイラストを描いておられるのは

深井 国という方だが、六兵衛にとって このお名前も

遠い昔の懐かしい「懐古」なのである。

 

六兵衛が漫画に夢中になっていた中学生の頃

六兵衛が暮らしていた田舎の町にも貸本屋さんが2、3軒あり

5円 10円の小遣いを持って、よく借りに行ったものだった。

その頃の貸本用の漫画本に、ちょっと変わった絵柄の漫画を描く

「フカイ ヒロー」という漫画家がいた。

その後、フカイさんはイラストレーターとなり

名前も深井 国として『お鳥見女房』シリーズなどのカバー絵

描いて活躍されている。